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人外少女たちの迷宮攻略配信  作者: 赤猫柊
出発地 縁切り池
3/58

第3話 ピグナータの使い

「――ッ、あぶない!」

「えっ」


 アリーチェの叫び声は唐突だった。

 わたしは逆にアリーチェに力強く引っ張られ、前のめりに倒れこんだ。

 あまりに突然で、身構えることもできなかった。


「ッてて、急に引っ張らないでよ」


 服についた土を払いながら、起き上がる。顔をあげると、すでにアリーチェはわたしに背を向けて立ち上がっていた。

 そして、その視線の先を見て、わたしは息をのんだ。


 蠢く水の塊。

 そうとしか形容しようのない存在がいた。


 ぐにゃりと揺らぎ続ける捉えどころのない輪郭。わたしたち粘態(スライム)とは似て非なる不定形の存在。

 意思持つ水とでも呼べばいいだろうか。

 『それ』は決まった形状をとることなく、常に変化し続けていた。


 だが、なによりもわたしの目を惹いたのは、蠢く水そのものではなく、『それ』がまとわりつくあるものだった。

 意思持つ水は、一振りの刀にまとわりついていた。


「アリーチェ、あの刀って、まさか」

「ええ、間違いないわ。アタシの刀よ」


 アリーチェが、ピグナータの泉に捨てたはずの刀がそこにあった。

 悪縁切りの言い伝えが、今まさに実現されようとしていた。アリーチェに夢を追わせようとするわたしを狙い、ピグナータの使いがきたのだ。アリーチェから『探索者になる夢』という縁を断ち切るために。


 刀の切っ先は、間違いなくわたしへと向けられていた。


「エイシャは下がってて!」

「でも」

「術師だったら、後方援護が基本でしょ!」

「――っ、わかった」


 アリーチェはわたしをかばうように、水の塊――ピグナータの使いの前に立ち塞がった。果敢に素手で攻撃を仕掛けていくけれど、相手の身体は水そのもの。打てど蹴れどまるで手応えがないように見える。


 であれば、それを何とかするのが術師の仕事だ。

 わたしはウーズ型端末を取り出した。


「ウォッチコカトリス、起動!」


 ウーズ型端末の護身呪術(アプリ)『ウォッチコカトリス』を起動する。

 雄鶏の頭部と蛇の尻尾をもつ、石毒の竜コカトリス。その模倣を完了した端末は、魔眼でピグナータの使いをにらみつけた。


 見たものを石へと変えるコカトリスの魔眼。

 あくまで模倣ゆえに石化とまではいかないが、ピグナータは凍りついたかのように動きを止めた。


 その隙を見逃すアリーチェではない。


「その刀、返してもらうわよ!」


 アリーチェは刀の刃をつかみ、力ずくで引き抜いた。

 粘態(スライム)は身体の中心の(コア)が無事であるかぎり、他の部位がどれほど傷つこうとすぐに修復される。他の種族であれば、間違いなく手のひらが切れるであろう行動も、アリーチェには何も問題なかった。

 そのまま、流れるような動作で刀を構える。


「消し飛びなさい!」


 たった、一薙ぎ。

 力任せで乱暴な一撃は、衝撃波にも似た突風を巻き起こした。

 液体で構成された不安定な身体では、突風を前に踏ん張ることもできず、ピグナータの使いは水飛沫となり散っていった。


 突風の去った後には、刀を携えた赤紫の粘態(スライム)が残るだけだった。


「……ねえエイシャ、これであの変な水は諦めて帰ってくれたかしら」

「そうだといいけど、相手は神の使いだし」


 消し飛ばせはしたけど、身体が水である以上あれでダメージを与えられたとも思えない。

 なにより、ピグナータの使いがこの程度で手を引くとは思えなかった。


「願った本人がもういいって言ってるのよ。納得して退いてくれてもいいじゃない」

「寛容な神様ならともかく、縁切神だからね」

「ピグナータは優しくないの? 恵みの雨を降らせてくれるって聞いたことあるわよ」

「たしかに雨神ではあるけど……雨は雨でも、怒ったときに雨を降らせるタイプだから」


 ピグナータは球神殺しのような物騒な神話も持つ神だ。そもそも『縁結び』ではなく『縁切り』の神と呼ばれるくらいだ、いずれにせよ、寛容さとは程遠い。

 それを証明するかのように、突然、スコールが降り始めた。


「こ……て、ピグ……タがおこ…………こ……んじゃ!」

「なんて!? 聞こえない!」


 あまりの雨の強さに、隣のアリーチェの声すら満足に聞き取れない。

 太陽は分厚い雲で完全に覆い隠され、あたりに影が拡がる。

 動こうとしたわたしは、そこでようやく自由にならない足に気づいた。


「足が、動かない!?」


 足をあげようとしても、万力で固定されたかのように微動だにしない。

 下を見ると、蠢く水たまりがわたしの足を飲み込んでいた。じわりじわりと危機感がにじり寄る。どう抜け出したものか考えていると、なぜか雨が降り止んだ。ただ、あくまで止まったのは雨のみで、あたりは薄暗いままだ。


 いったい何が起きているのか。


 目まぐるしい事態の移り変わりに困惑しながら、わたしは頭上を見上げた。


「え」


 空には巨大な水の手が浮かんでいた。

 どうやら、雨が止んだわけではなく、水の手に遮られていただけらしい。


 あまりに規格外な光景を呆然と見上げるわたしに、水の手が振り下ろされる。まるで虫でも叩き潰すかのように、巨大な水の塊が迫る。

 いくら粘態(スライム)といえど、これほどの質量を叩きつけられば(コア)も無傷ではすまないだろう。

 無造作で、それでいて確たる殺意のこもった攻撃を前に、頭の中で警報が鳴り響くが、それでも足は拘束されたまま動かない。腕に抱えたコカトリス姿の端末が賢明に空を睨みつけるが、規模が大きすぎるようで、停止どころか減速する気配すらない。


 脳裏に死がよぎった。


「エイシャ、つかんでッ!」


 視界の端で赤紫の人影が揺らぐ。

 わたしは無我夢中で手を伸ばした。


「うらぁッ!」


 アリーチェはわたしの手を取ると、勢いよく腕を引っ張った。

 足を拘束されて動けなかったはずのわたしは、気づけばアリーチェの方へと倒れ込んでいた。

 アリーチェはわたしを抱きかかえると、迫りくる水の手に背を向けて、勢いよく走り出した。


 いったいどうやってわたしを動かしたのか。

 アリーチェに抱えられたまま、自らの足先に目を向けると、わたしの足首から先は綺麗に切断されていた。


「ごめん、走れそうに見えなかったから、切ったわ」

「ううん、助かった。でも、アリーチェはどうやって抜け出したの」

「アタシは無理やり振り払っただけよ。あの程度で足止めになるわけないでしょ」


 なるほど、圧倒的な力業だが、結局のところ、通用するならそれが一番ものを言うわけだ。

 抱きかかえられた姿勢で下から眺めるアリーチェの顔は、どこかいつもより頼もしい。

 アリーチェはわたしを抱きかかえたまま、足に絡みつく水をものともせず、強引に走っていた。


「でも、さすがにこのまま逃げ続けるのは無理ね。エイシャ、なんとかできない?」

「たぶん、雨を止めればなんとかなる」

「なるほどね。それで、どうすれば雨は止まるの?」

「……空までジャンプして、雲を切って払うとか」

「あんまりバカ言ってると置いてくわよ」


 一蹴された。

 とはいえ、全部が全部ふざけた話でもない。この状況を打開する可能性が一番高いのは雨を止めることだ。


 ピグナータは縁切神であると同時に雨神でもある。雨神の怒りが豪雨を呼んだのならば、雨を止めることで怒りを鎮めたとみなすこともできるはずだ。

 あまりにも強引で破綻した論理。しかし、呪術に必要なのは正確性ではなく共感性。類推と飛躍の神秘は無理を道理へと覆す。


 では、どうやって雨を止めるか。

 逡巡していたわたしは覚悟を決めて、アリーチェを見据えた。


「アリーチェ」

「なに?」

「わたしの手首を切って」


 白のナイロンジャケットの袖をまくり、左手首を突きつける。


「……どういうつもり?」

「説明する時間が惜しい。見てればわかるから」

「エイシャがそう言うなら」

「あ、それとそろそろ足が戻ってきたからおろして」

「はいはい」


 時間が惜しいのはアリーチェもよくわかっているようで、口を挟まずわたしを地面に降ろすと、刀を引き抜いた。


「じゃ、やるわよ」


 アリーチェが刀を滑らせると、わたしの手首がスパッと切り離された。

 すぐさま、わたしはとある紙人形を思い浮かべながら呪文を唱える。


「失われし我が(かいな)に告ぐ。曇天(どんてん)()(ほうき)。紙細工の血潮(ちしお)。禁ずるは落涙(らくるい)(なんじ)掃晴娘(そうせいじょう)なり」


 内に描く情景(イメージ)を、思うがままに(たと)え、(なぞら)える。婉曲に紡がれた言葉は一義的解釈を拒み、多重な広がりは神秘性を宿す。言葉は呪文へと至り、現実を変容させる。魔術、呪術、邪術、妖術……呼び名はさして重要ではない。仕組みも関係ない。大切なのはその幻想が世界を変える(すべ)たり得るか。


 身もふたもない言い方をすれば、どれだけそれっぽく聞こえるか。

 それがこの呪術の成功率を左右する。


 切り離されたわたしの左手首は、瞬く間に箒を持った少女の紙人形へと姿を変えた。


「天翔ける掃晴娘(そうせいじょう)よ、その身をもって神の怒りを鎮めたまえ!」


 掃晴娘(そうせいじょう)は箒に跨ると、ふわりと宙に浮かび上がり、ぐんぐん空高くへ昇っていった。

 紙人形を眺めながら、アリーチェがつぶやく。


擬造(ミミクリ)で切り離した手首の形を変えたの? それなら、わざわざ自分の体組織なんて使わなくても、いつもみたいに端末を使えば良かったじゃない」

「いや、それがそういうわけにもいかなくてさ。ほら」


 わたしの指さす先では、空を舞う掃晴娘(そうせいじょう)を巨大な水の手が追いかけていた。わたしたちには見向きもしていない。

 今までわたしたちを追いかけていたのが嘘のように掃晴娘(そうせいじょう)にご執心だ。

 掃晴娘(そうせいじょう)はそのままピグナータの使いを引き連れながら上昇を続け、やがてどちらの姿もわたしたちにも見えなくなってしまった。同時に空を覆っていた雲も霧散していく。


「こんな感じで掃晴娘(そうせいじょう)は囮というか、生贄だから戻ってこないんだよね。さすがに端末を失くしたくはなかったから、腕で代用した」


 掃晴娘(そうせいじょう)は、雨を止めることと引き換えに、雨神の妃になった、または命を捧げたという少女の説話だ。

 その少女を模倣した以上、戻ってくることはないだろう。

 わたしは粘態(スライム)なので、腕は元通りになるから問題はない。


「なるほど、そういうことね」

「これで一件落着かな」

「本当に? また新手が襲ってきたりしない?」

「大丈夫だと思うよ。……たぶん」


 神は言い伝えに縛られる。

 ピグナータの使いは「縁切りの言い伝え」に従い襲い掛かってきたけど、わたしが「日乞いの儀式」をおこなったことで「縁切神」と「雨神」どちらの説話に沿うか選択肢が生まれた。


 縁切神としてふるまうならば、縁切り池の言い伝えどおりにわたしを襲う。

 雨神としてふるまうならば、掃晴娘(そうせいじょう)を引き換えに雨を止める。


 ピグナータは雨神として怒りを鎮めることを選んだ。


「雨を止めればなんとかなるって言ってたわりに、ピグナータの気分次第だったわけね」

「そりゃあ相手は神様ですし」


 もし、ピグナータが何がなんでもわたしとアリーチェの縁を切るつもりだったら、打つ手なんて初めからない。

 ただ、こうしてなんとかなったということは、


「やっぱり、神様も望んでいない縁を切りたくはないってことでしょ」

「そう、かもね」

「それにしても、一緒に探索者をめざすとは言ったけど、いきなり神様の使いと戦うことになるとは思わなかったな」


 わたしが軽口を叩くと、アリーチェがばつの悪い顔を浮かべた。


「悪かったわね。でも、刀を捨てた時は、本気であきらめるつもりだったんだから、しかたないじゃない」

「『だった』ってことは今は違うんだ?」

「……まあね」


 それまでどこか張りつめていたアリーチェの声がようやく和らいだように感じた。


「エイシャこそ、一度言ったことを撤回するのは絶対に無しよ」

「それはまあ、なるべく善処します」

「そこは断言しなさいよ!」

「だって先のことはわかんないじゃん」

「はぁ、これだから……もう」

「でも――」


 そんな呆れた表情を浮かべるアリーチェがなんだか面白くて、わたしは思わず緩みそうになる頬を押さえてつぶやいた。


「――今はすごく楽しい。それだけは、断言できるかな」


 こんな日が続くなら探索者になるのも悪くない。そう思ってしまうくらいには、晴れた空は明るかった。

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― 新着の感想 ―
[一言] 呪術を駆使した神への対処、格好良くて面白かったです! この先の仲間探しや冒険がどうなるか、楽しみにしてますね!
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