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5 喫茶マロウのモーニング

 あたしはその後自分の部屋に立てこもって、トイレに行く以外一切外に出ず、夕食も風呂も歯みがきもボイコットした。ママは夕ごはんを食べなさいと言いに来て、しばらく何か言っていたけど、あたしは、布団をひっかぶって無視した。


 すっごくお腹は空いたけど、出て行って何かを食べる気にはとてもなれなかった。何かないかと思って、遊びにいくときいつも持っていくバッグをひっくり返してみたら、以前公園で遊んだときサチエちゃんがくれたクリームサンドクッキーが二枚だけ入っていたので、夜中にこっそりかじって、なんとかしのいだ。


 いくらお腹が空いていても、人間、その気になれば眠れるらしい。それか、あたしのお腹の空き方はまだまだ眠れる程度の、甘っちょろいものだったのかもしれない。どっちでもいいけど、目が覚めたら、すっかり外は明るくなっていた。肩の長さに切っているくせのある髪は、もちゃもちゃにもつれてべとついているし、口の中はざらざらして、最悪の気分だった。


 ノックの音がして、あたしは慌てて布団の中に逃げ込んだ。あたしの部屋には、まだ、鍵はつけてもらえていない。だから、どんなに腹が立っていても、パパとママを締め出すことはできない。布団の中だけが、あたしの聖域だ。ロブを抱え込んで小さくなっていると、パパの声がした。ママに聞かれないように警戒してか、小さい声だった。


「根性娘。なかなかやるじゃないか。作戦会議するから、歯磨きしてシャワー浴びて、髪の毛とかしたら出かける支度しろ。洗うと時間かかるから、とかすだけでいいだろ。ママには、すねてるトモを喫茶店のモーニング食べに連れていくって言ってあるから、できるだけ、ママにはまだ怒ってるふりするんだぞ」


 なんてデリカシーがないんだ。さすが、パパ。


 あたしの渾身のボイコットを、すねてると言ったあげく、そのお芝居を継続しろときた。


「怪しまれないかどうかは、トモの演技力にかかってるんだ。美人女スパイになったつもりでやれ。すねてるふりしてたら、ママに返事しなくていいからちょっとは楽だろ」


 どうだいいアイデアだろう、みたいな自慢げな口調で言う。ホント、パパ、どうかしてる。


「美人女スパイとか、自分の趣味を押し付けないでよ」


 あたしが乾ききった喉のせいでくぐもった声でうめくと、パパはベッドに座ったらしい。スプリングがきしんで傾いて、それから、掛け布団の上からポンポンと叩かれた。


「パパはトモに感心してるんだ。最高のシチュエーションだ。これなら、トモがパパとばっかり一緒にいても自然だから、作戦会議もやり放題だ」


「パパ、どうしてそんなに前向きなの? 意味わかんないんだけど」


「まあ、とにかく支度しろ。朝メシ食いながら、話をしよう」



 行き先は、この前も来た家の近所の喫茶店<マロウ>ではあるけれど、朝に来たのは初めてだった。


「先月から、モーニングサービス始めたんだ。今、流行りらしいんだよ。コーヒー頼んだら色々豪華につけてくれる名古屋スタイル」


 パパはメニューを指さした。Aセットはジャムバタートーストと卵、Bセットは小倉トーストと卵、Cセットはチーズトーストとミニサラダ。飲み物につけてくれるらしい。


「でも、モーニングの飲み物はコーヒーか紅茶だよ。カフェイン入りだよ」


 あたしは眉間にしわを寄せた。ママがいつも、カフェインのはいってるものはダメだって言う。


「朝だし、トモももう三年生だから一杯くらいいいだろう」


 パパは悪い顔で笑った。


「ここのコーヒーは濃いんだ。うまいんだが、さすがにトモにはまだ早い。ミルクティーにしとけ」


「いいの!?」


「砂糖、二杯くらい入れるとうまいぞ。入門編だ。作戦会議だから、パパがいいって言ったのは秘密だぞ」


 あたしはうなずいた。パパは店員さんを呼ぶと、注文を済ませた。店員さんがカウンターの奥に引っ込んだところで、パパは手のひらをこすり合わせて言う。


「ここのモーニングは、スペシャルメニューがあるんだ。一度来てみたかったんだよなあ」


「何?」


「日替わりで、トン汁かミネストローネが、セルフサービスでおかわり自由なんだって」


 あたしは他人事ながらちょっと心配になってきた。コーヒーや紅茶一杯のお値段でそんなにいただいていいんだろうか。


「お、今日はトン汁だ。パパが貰ってこようか?」


「あたしも行く」


 給食当番で、スープ物をよそうのはずいぶんうまくなった。家では、熱くて危ないからと、ママにやらせてもらったことはないけれど。


 両側に小さい耳みたいな取っ手がついた、スープ用のカップにトン汁をよそって席に戻ると、もう、注文した飲み物とパンが並んでいた。早い。


 あたしは熱いダシに気をつけながら、おはしで大根をつまんで、少し冷ましてから口に入れた。ホカホカした湯気にメガネがくもる。


 ほうっと、思わずため息が出る。丸一日ぶりくらいの温かい食べ物は、涙が出るほどおいしかった。


「ママに悪いな。どうして二人だけで来ちゃったの?」


 ケンカしていたのも一瞬忘れて、ぽろっと言ってしまった私に、パパはにやりと笑ってみせた。


「その心配はしなくて大丈夫。ママも今日は、スペシャル朝ごはんなんだ」


「どういうこと?」


「ママ、昨日、トモとケンカした後、パパのスマホにメッセージよこしたんだよ。すっかり動転しているみたいだったから、パパ、元気づけようと思って帰りにパン屋さんに寄ってきたんだ。ほら、駅ビルの、メゾン・ド・リラ」


「えー、ママはフルーツデニッシュなの?」


 メゾン・ド・リラの名物は、バターたっぷりのサクサクの層ができる生地の上に、本物のバニラの粒が入っているカスタードクリームを絞って、季節の果物のコンポートをのせて焼き上げた、甘いデニッシュパンなのだ。ママはこのデニッシュが大好きで、パートのお給料が出るころにたまに買ってくれるけど、あたしはこの前お店に連れて行ってもらった時に値札を見てしまった。一人一個、朝ごはんにペロッと食べてしまう甘いパンが、いつもの商店街のマルナカマートで買う食パン一斤の三倍くらいする。習ったばかりの割り算で確かめたから本当だ。六枚切りの食パンなら、一斤で家族三人の朝ごはん二回分あるのに。しょっちゅうは買ってくれないわけだ、と深く納得してしまった。


「そうだ。しかも、今月の限定二種類を一個ずつ。トモの分は取っておかなくていいって言ってある。だから、トモもエンリョするな」


 パパはトーストにたっぷり小倉あんとホイップクリームをのせながら言った。


「身体に悪いとか、今日の朝ごはん一食くらいで心配しなくていい。卵もあるし、トン汁で野菜も食べるんだから、栄養バランスはカンペキだ。いちごジャムとホイップ、好きなだけのせていいんだぞ。パパの小倉ものせるか?」


「パパ、天才だね!」


 あたしは気分がぐっと上向きになって、言った。いちごジャムとホイップと小倉あん。意外に合うかもしれない。こういう悪そうなことを考えるときのパパは最高に頭がいい。


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