4 最低のお留守番
ママの誕生日プレゼントは何も思いつかないまま、土曜日になった。
まずパパが会社に出発し、その後、お弁当をおいて、お留守番中の約束をくり返し確認したママが家を出て、あたしは念願の一人タイムになった。
宿題や、通信教育の課題なんて、午前中の早いうちに、あっという間に終わってしまう。テレビをつけてみたけど、あまり面白い番組はやっていなくて、すぐに消した。お笑い番組か科学ドキュメンタリーが見たかったのに、情報番組と、小さい子向きの戦隊ものと、スポーツ番組と、再放送のドラマばかりだった。
図書館から借りてきた本を読もうとして、あたしは自分の最大の失敗に気がついた。木曜日、返却期限だったのに、返して借り直すのを忘れていたのだ。あたしは家のカギをまだもらっていないので、お留守番の時に、勝手に家から出ることは許されない。学童に行く場合は、ママが家を出る前に出発して、ママが帰ってきてから家に帰ることになっていた。
家から出られないとなると、図書館にも当然、ママが帰ってくるまで行けない。家にあるものでヒマをつぶすしかない。あたしは自分の部屋の窓から、遠くに見える図書館の屋根を見つめて、舌打ちした。うちはマンションの十階だ。周りの建物のすき間から、五百メートルほど離れたところにある図書館もかろうじて見える。
自分の本棚の本はもう何回も読んで、ストーリーをすっかり覚えてしまったものばかりだったし、図書館で借りてきてあったのも、間が悪いことに、字の少ない低学年向けの本ばかりだった。先週まで、ちょっと字の多いものに挑戦して、返却期限ギリギリに必死で読むことになったので、今回はゆったりしようと思ったのだ。仕方なくパラパラとめくってみたけど、三回も読んだら、もうあきてしまった。
まだ十一時だったけど、お弁当を食べた。フランスパンのサンドイッチと、野菜ジュースだった。なるべくゆっくり味わって食べようと思ったのに、塩味の効いたかみごたえのあるパンに挟まれた、ママ特製の卵ペーストは、炒めたベーコンとほんの少しニンニクが混ぜ込んであって、一口かじりついたら、その後はもう手が止まらない。ハムトマト卵サンドも、アボカドチキン卵サンドも、あっという間にお腹に消えていった。そうしたら、本当にやることがなくなってしまった。
あたしはごろっとリビングのフローリングにねっころがった。天井には、明るい蛍光灯のシーリングライト。目が悪くなるといけないからって、ママはいつもこれをつける。みちるちゃんの家は、おしゃれな間接照明らしい。テレビドラマに出てくるみたいな、オレンジ色の明かりが、壁際にいくつもついているやつ。でも、みちるちゃんの視力は一・五と一・二。あたしは、幼稚園の年長さんの最後の半年から、メガネっ子だ。メガネなしだと、〇・二と〇・四。おじいちゃんゆずりの乱視だから仕方がないとはいえ、世の中はリフジンだ。
いつの間にかうとうとしていたらしい。
ふと目が覚めると、辺りがうす暗かった。もう夕方なんだろうか。
「ママ?」
返事はないし、ママが帰ってくるとすぐつけるキッチンの電灯は消えたままだった。
寝ぼけ眼をこすりながら起き上がって、壁の時計を見ると、まだ、三時すぎだった。もうママが帰ってきてもいい頃だけど、返事がないということはまだなんだろう。
まだ三時過ぎ。じゃあ、なぜ、こんなに暗いの?
ベランダの方を振り返って、あたしははっとした。向かいのマンションの奥さんが、あわてて布団を取り込もうとしている。
雨だ。
掃き出し窓を開けて、サンダルをつっかけてベランダに出た。風向きが悪い。雨粒はベランダに飛び込んできていた。
ママが干していったままの洗たく物が目に入った。
あたしの体操着、上履き。日曜日に洗い直しになると、ギリギリまで乾かないことがあって、時間割が揃わないから、ママがわざわざコインランドリーに乾燥機だけ掛けに行ってくれたりする。ママだって疲れてるのに。
もう三時過ぎで、大体乾いているはずだ。雨にぬれさえしなければ、あとは家の中で広げておけば、明日の朝には完全に乾いているだろう。
あたしは手を伸ばして、洗たく物を取ろうとした。だが、うちのマンションの物干しざお掛けは、おばあちゃんちのと違ってやたら高い。ハンガーに手が届くのがやっとで、それを物干しざおに止めている洗たくばさみが背伸びしても外せない。あたしは、室内に戻ると、ダイニングテーブルの椅子を引き出して、ベランダに運んだ。
椅子によじ登っては洗たくばさみを外し、洗たく物をあらかた取り込み終わって、最後の大物、小さな洗たくばさみがずらりと並んだ小物干しを、洗たく物をつけたまま竿から外した時だった。
「ただいま、大変! 雨降ってきちゃった!」
ママがにぎやかな声を上げながら、リビングに入ってきた。ぬれちゃった、というわりに、はしゃいだ声だ。ところが、ベランダにいるあたしのほうを見た瞬間、ママは悲鳴をあげた。
「トモちゃん、何してるの! すぐに降りなさい!」
はあ? なんであたし、開口一番に怒られてるわけ?
あたしはぽかんとして、手に持った小物干しとママを交互に見た。
「椅子から降りて!」
「なんで? 雨降ってきたから、洗たく物取り込んだだけだよ」
なんで怒鳴られなきゃいけないわけ?
あたしはのろのろと椅子から降りて、リビングに入った。ママは急いで椅子を室内に取り込むと、洗たく物の取り残しがないか確認してから、窓を閉めた。
「椅子は踏み台じゃないの。ベランダであんな安定の悪いものに乗っちゃダメ!」
「だって、届かなかったんだもん! 気を付けてやってたよ! あたしが取り込まなきゃ、洗たく物、ぬれちゃってたよ」
あたしが言い返すと、ママはとっておきの一番怖い顔をした。
「ここは十階なのよ。バランスを崩して落ちたら、助からないかもしれない。洗たく物なんかより、トモちゃんのほうがよっぽど大事よ!」
また、そうやって、あたしが頑張ってしたお手伝いを、最低のいたずらみたいな言い方をするんだ。
まぶたの裏がかっと熱くなる気がした。鼻の奥がつんつんと痛む。ママはあたしのこと、何にもわかってない。いつまでも、一人では何もできない、ちっちゃな赤ちゃんだと思ってる。毎日一緒にいるのに、会社に行ってばっかりのパパより、もっとひどいかもしれない。
「ママのばか! あたしもう知らない!」
あたしは、いつもママがダメって言っているのを承知で、思いっきりどすどすと足音を立てて自分の部屋に行き、手を挟んだら指の骨が折れそうな勢いでばんとドアを閉めた。
悔しくて涙が止まらない。ベッドにもぐりこむと、布団の中には、去年のクリスマスにおじいちゃんがくれた一メートル級のロブスターのぬいぐるみ、ロブがいた。あたしはロブに顔をうずめて、思いっきり金切り声を上げて泣いた。
どこか妙に冷静な頭の片隅で、これでまた、『ママの誕生日に何をプレゼントしたらいいか問題』の情報を調べそこなったな、と思った。でも、そう思った瞬間にまた腹が立ってきて、あたしはロブのお腹に思いっきりパンチを入れた。
ロブは、あたしの金切り声も、渾身のパンチも、いつもと変わらないへらへらした笑顔で受け止めてくれた。最高の心の友だ。