1 秘密のクリームソーダ
ひだまり童話館様の「つんつんな話」企画参加作品です。
「何でもいいぞ」
あたしにメニューを向けて、パパは言った。
「その何でも、って、どこからどこまで?」
用心深く、あたしはたずねる。期待してダメって言われるのはつらい。
パパは、メニューの表紙をポンと一つたたいた。
「ここから」
ひっくり返して裏表紙を叩く。
「ここまで。ただし、アルコールは不可」
「フカ?」
「だめってこと」
「アルコールって要するにお酒でしょ。そんなの知ってるよ。小学一年生でも知ってる。あたしもう三年生だよ」
あたしはため息をついた。パパ、あたしのこと何だと思ってるんだろう。
でも、どうやらパパは本気らしい。ママの何でもいいとはわけが違う。ママは、何でもいいって言っておきながら、サンドイッチか、パスタか、グラタン・ドリアのページから選ばないとやり直しをさせるのだ。
「本当に、何でもいいんだね?」
あたしが赤いプラスチックのメガネのフレームの下から、じろっと見上げると、パパは大きくうなずいた。
「パパに二言はない」
「ニゴン?」
「ちょっとまった、やっぱやめた、は言わない、っていう意味」
「オッケー分かった。じゃあ、決めた」
「お? 早いなあ。見なくていいのか?」
「こんな時じゃないと絶対頼めないものがあるんだ。ずっと気になってたの」
「何?」
「クリームソーダ。緑のやつ」
腕を組んで、重々しくあたしは言った。パパは、一瞬、うっと息をのんだ。
ママが怒る顔が思い浮かんだんだろう。あたしの脳内にも、同じ映像が浮かんでるからわかる。
家の近所にあるこの喫茶店<マロウ>は、うちの家族にとっては、休日にときどきお昼ご飯を食べる店だ。子どもにも食べきれるサンドイッチやパスタがあるから。パパはいつも大盛りにして、それでもちょっと足りなかった、って家に帰るとカップラーメンにお湯を入れている。そして、本当にごくたまに、おやつの時間にここに入ると、やっぱり、『家に帰ったらもうすぐご飯の時間だから』って、オレンジかリンゴのジュースしか頼ませてもらえないのだ。それか、冷たいミルクと小さめの焼き菓子。
小さい子どもに炭酸のジュースなんて。ごはん時に甘いものなんて。合成着色料がたくさん入ってそうな派手な色のものなんて。ママだったら絶対言う。
だから、クリームソーダは、いつもメニューで見かけるのに、一度も頼んだことがない、あこがれのメニューなのだった。
「いいのか、トモ。クリームソーダって、ソーダだぞ。つんつんだぞ」
「そんな、赤ちゃん言葉で言わなくてもわかるよ。炭酸飲料でしょ」
つんつん、というのは、口に入れるとしゅわしゅわ、つんつんする飲み物のことを家でずっとそう呼んでいた言葉だ。おととし、一年生の時に「コーラってつんつんでしょ」って言ったら、誰もわかってくれなくて、その時、わたしの家だけで通用する言葉なんだって気がついた。あんなに恥をかいたことはなかった。パパとママのせいだ。そのとき、クラスで一番物知りのタイチが、「それってタンサンインリョウって言うんだぜ」とエラそうに言ったので、悔しすぎて一回で覚えた。
「お、むずかしい言葉知ってるんだな」
「さっきも言ったけど、あたし、もう、三年生なんだよ?」
パパは会社に行きすぎてて、あたしのことはあんまりわかってないのかもしれない。
炭酸飲料をちゃんと飲んだことはない。でも、学校で話を聞く限り、周りの子たちはけっこう平気で飲んでいる。あたしにだって飲めるはずだ。
「ニゴンはないって、言ったでしょ」
「お、おう。じゃあ、仕方ねえな」
パパは店員さんを呼ぶと、クリームソーダと、カツサンドと、コーヒーを頼んだ。カツサンドのマスタードを抜きにしてって頼んでたのをあたしはちゃんと聞いていた。
パパ、やっぱり、あたしのこと見くびってる。クリームソーダ、やっぱり飲めないって言い出したら、カツサンドと交換する気なんだ。
どんなにつんつんでも飲んでやる。クリームソーダ、最後まで。それで、おいしいねって、にこってしてやるんだ。
あたしは心に誓った。
◇
「でも、どういう風の吹きまわしなの?」
「なんだ、本当にトモはむずかしい言葉を知ってるな」
本当に意味を知っているわけじゃない。でも、ママが、パパのしたことを怪しく思って聞き出そうとするときに、必ず言う一言だ。
「何でもいいなんて、いつもだったら言わないでしょ。ママが知ったら絶対怒るよ」
「怒るだろうなあ」
パパは肩をすくめた。
「だから、トモはママに言わないだろ。これは、口止め料だ」
「それって、小学三年生に言っていい言葉なの?」
あたしは確認した。ますます怪しい。あたしが学校から帰ってくるころ、ママがよく見てる、人殺しがあって刑事さんが出てくるドラマによく出てくる言葉だ。だいたい、ひげをだらしなく伸ばして、派手なシャツを着て、そのボタンをちゃんとかけられていない、ママに怒られそうな見た目のおじさんが言うやつ。
「よくはない。だが、おまえはかしこい。秘密を守れるだろう」
パパは真面目な顔で言った。パパは真面目な顔で冗談を言うクセがあって、よくママに怒られる。『あなた、子どもにそんな悪い言葉を教えないでちょうだい』そういわれると、パパは聞こえないふりをして、悪い言葉とダジャレを言いまくって、ママをさらに怒らせる。でもそのうち、ママは、パパの次から次へと畳みかける冗談にこらえきれなくなって、怒っているはずが、笑いだしてしまう。そうなったらパパの勝ちで、この勝負ではよほどのことがない限りパパが勝つ。今のパパの目が黒ぶちのメガネの奥でいたずらっぽくキラキラしているのは、その時と同じ表情だ。
「あたしは秘密を守る必要があるわけ?」
「そうだ。パパも秘密を守る。今日のお昼がクリームソーダだったことは、ママにはナイショだ。そのかわり、トモは、ここでパパと話したことを、ママには秘密にしないといけない」
「ええー」
あたしは腕を組んだ。
「もう、クリームソーダ頼んじゃったよ。聞いてないよ。それって、今から、ナポリタンに替えたら守らなくてよくなる?」
「今更替えられないぞ。もう、マスターはアイスクリームすくっちゃったと思う」
「ずるいよ、パパ」
「そうだ。だが、パパにはトモの協力が必要なんだ。ヒキョウな手をつかってでもな!」
困った大人である。
「パパ、あたしをワナにかけたね」
「そうだ」
「恥知らずの大人め」
「本当に、クリームソーダ、やめるか? パパのカツサンドと交換して、なかったことにしてもいいんだぞ?」
「絶対やだ。それなら、秘密を守るよ。だから、クリームソーダはあたしの」
もう、本当に、意地でもクリームソーダは残すもんか、と心に決めた。
刑事ドラマで聞いた言葉をもうひとつ思い出した。だまされて、気乗りしない約束をしなきゃいけなくなった時に、悪い顔で言うやつ。
「毒を食らわば皿までよってね」
「……トモ、本当に大きくなったな。ついこの前まで、パパだいしゅき! って言ってくれてたのに。天使だったのに、どうしてこんな厳しい娘になっちゃったんだ。ツンデレどころか、ツンツンだ」
「なにそれ」
「普段は厳しいけど、二人っきりになると大好きビーム出してくるのがツンデレ。トモはいつでも厳しいからツンツン」
「しょうもないこと言ってんじゃないよ」
最近ハマっているテレビの漫才番組できたえた、あたしの渾身のツッコミに、パパは自分でこの状況を作り出しておきながら、がっくりと肩を落としてため息をついた。本当に、困った大人だ。














