1話
人は死ぬとき、長い夢を見るのだと聞いたことがある。
そして自分の人生を振り返って、死者の国へと旅立つのだと。
しかしどういうことなのか、今わたしの目には見たこともない天井が映っていた。
ふわふわと思考がまとまらず、身体に力が入らない。
「変な夢...わたしは、崖から落ちて、死んだはず。」
(あんまりよくない人生だったから、神様が可哀想に思って不思議な夢を見せてくれてるのかも。)
なんて、碌に信仰してもいなかった神に思いを馳せる。
身体を起こそうとするが、いうことをきかない。仕方ないので、寝返りを打つ要領でころんと横を向く。全身がずきりと痛んだが、成功した。横向きに寝そべったまま周りを見まわす。
大きな木の柱。青臭い香りは、床の草の敷物のものだろうか。その上に綿の寝具を敷いて寝かされているらしい。
紙張りのドアは薄く、陽の光が部屋まで差し込んできている。そして所どころ花の形をした色紙が張られており、明かりに透かされてほんのりと黄色や薄ピンクの光を灯していた。
「ステンドグラスみたい...」
幼いころ教会で見かけたあの色彩を思い出す。
(でも、こっちのほうが柔らかくて、きれいだな。)
光の花々を愛でるように、ゆっくりと目線を動かす。
ふと、違和感を覚えて一点に目を凝らす。
ドアの木枠と木枠の隙間から、2つの目が覗いていた。
ひぃ、と声にならない悲鳴をあげて目をそらせずにいると。
ガタ、と音を立てながらドアが横へ開かれ、
「「起きた!!!」」
と元気な子供の声が二重に響き渡る。よく似た2人は姉妹だろうか、9歳くらいに見える。
突然のことに身動き一つとれずにいると、こちらを見つめるキラキラ光る金色の目がにこ、と細められる。
「まってて!!」
と手前にいた女の子がこれまた元気に言うや否や、2人はパタパタと足音を響かせ視界から消えていった。一瞬の出来事だった。
子供達が見えなくなり、ようやく息のつけたわたしはひとまず身体を仰向けに直すことにした。
そして考える。
(これは夢なのかな?でも、あんな子たち知らないし...現実?どういうこと?)
ぼーっと天井の木目を眺めながら考えていると、少し離れたところから先ほどの子供達の声が聞こえた。
「ばばさまー!あのねぇ!」
「お客さん、起きたよ!」
「ばばさま!早くはやく!」
「---------」
子供達は小声で話す術を知らないのか、離れていても会話が丸聞こえだった。
ばばさま、とやらの声は聞こえなかったがどんな人物なんだろう。不思議な名前だ。
(お客さんって、わたしのことかな...?)
頭がぼんやりとする。身体がふわふわしている。
ゆっくりと、足音が近づいてくる。緊張、するべきなのだろうが身体も力が抜けてしまって動かない。
「さて、加減はどうかねぇ。」
声を掛けつつ、先ほど開きっぱなしにしていったドアから老女が部屋に入ってくる。この人が、“ばばさま”だろうか。
それに続いて、バタバタと子供達。
老女は小柄で顔には皺が深く刻まれている。わたしが今まで会ったことのあるどの人間よりも年老いているようにみえた。
そして不思議な、服?大きな布を身体に巻き付けたようなものを身に着けている。
よくよく見ると、子供達も同じような物を着ているようだった。
ぼーっとしたまま掛けられた声に反応できずにいると、老女はゆっくりとこちらまで歩み寄り、傍らに腰を下ろした。
「目ぇ覚めて、よがったねぇ~」
変わった言葉遣いで声を掛けつつ、わたしの額に皺だらけの手を伸ばす。
水仕事でもしていたのだろうか、少し湿っていて冷たくて、心地よい。
「あんれ、また熱、出てきたかね。」
小さな手が、額から髪へ。優しく撫でる。
「悪いけんど、先生、呼んできてもらえるけ?」
振り返って子供達に声をかける。子供達は相変わらず元気に、「わかった」「すぐ呼んでくるね」と応えるとパタパタと駆けていった。
老女はこちらに向き直り、
「大丈夫だでな、もう少し寝ててな。」
人の良さそうな目を細めて話しかけてくる。こんな風に人に頭を撫でられるのは、いったいいつ以来だろうか。その触感の心地よさと安心感と、先ほどから感じてきた頭に霞がかったような感覚。
わたしが再び眠りにつくまで、そう長くはかからなかった。
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...誰かの、歌が聞こえる。鼻歌かも。
カチャカチャと、食器を鳴らすような音も。何とも言えない懐かしい気持ちがこみ上げてくる。
夢から醒めきらないまぶたに、人影が映った。
(お母さん...!)
一気に意識が覚醒し、目を開く。心臓が、ドキドキ高鳴っている。
目の前には、見知らぬ人影。
「あ、ちょうど起きられましたね。」
先ほどはまだ陽が高かったように感じたが、今は落ちかけているらしく、部屋は綺麗なオレンジ色で染められていた。
「あの、」と声をかけようとして、掠れて言葉にならない。喉がひどく乾いている。
「からだ、起こせますか?喉乾いてませんか、お水飲みましょう。」
優しく微笑みを向けてくるのは、先ほどの老女よりも更に小柄な女性。三つ編みにしたこげ茶の髪。見た目の印象よりも幼い声色が印象的だ。
わたしの肩に手をまわし、「いち、にの、さーん」と掛け声をして起き上がるのを助けてくれる。
「...い、っ痛...」
ぴしぴし、ぱきぱきと身体の至る所から音がする。頭がぐらりと揺れるが、上手に支えられていて倒れることはなかった。
「無理もないです。2日くらい寝たきりでしたし。」
さあどうぞ、と目前に差しだされた器から水を飲む。
水が喉を伝ってお腹に、全身に染み渡るのを感じる。すぐに一杯飲み干してしまった。
まだ、わたしは生きている。
実感がわく。これは夢でもなんでもなくて現実であると。
不意に顔に柔らかい布が押し当てられる。何事かと思い、女性の方を見る。
「泣かないで、もう、大丈夫ですよ。」
困ったように眉を寄せて、新緑色をした瞳がわたしを見つめる。
言葉を理解してやっと、どうやら自分が涙を流しているらしいと気が付いた。
自覚をすると、後から後からとめどなく涙があふれてきた。
一度堰を切った感情は、しばらくの間止まることがなかった...。