結婚前夜
氷晶の薔薇の食事の席は、ある一つの話題で大いに盛り上がっていた。
「お前、いくらなんでもそこはだめだろ! 経験が乏しいとか、そういう問題じゃねえぞ! 俺でもわかることだぜ!」
タイロンが口を大きく開けて豪快に笑う。
「うん、こればっかりは擁護できないね…… どうして、よりにもよってそこなんだ」
ノエルは苦い顔をして自分の前髪を二本指で摘んでいる。彼の意見は一座の総意らしく、アイルを気遣ってくれる人は一人もいない。
話の発端は、ソフィアがライラの髪留めに気づいたところからだ。
今ライラは、もみ上げ辺りから、耳にかけるようにして髪を留めている。見かねたヘイゼルが拵えてくれたものだ。彼女には伝えていないが、アイルはその小さな髪型の変化をかなり気に入っている。「誰につけてもらったの?」というソフィアの問から雲行きが怪しかったが、最終的にライラが前髪のことをつい滑らせてしまったという流れである。
「みんな、これ以上はやめてあげよう。ほら、別にそういう留め方も奇抜で中々いいんじゃないか? 前髪の真ん中を…… 髪留めで……」
折角擁護をしてくれていた途中で、レナードは勢いよく鼻から息を漏らした。彼は慌てて緩んだ口元を抑え、なんとも言えない声調で「すまない」と謝る。どうやら笑いは突発的なものだったらしい。
こういう応対が一番心にくる。
「私は良いと思うわよ? 微笑ましくて。アイルにも可愛いところがあるのね」
ソフィアが向けてくる笑みの下にも、おそらくアイルを小馬鹿にする念が隠されているに違いない。ここまでくると疑心暗鬼だ。
「まったく面白え奴だな、お前は。俺が見込んだ男なだけあるぜ」
「うるさい……」
「あの、ごめん、アイル……」
ライラが申し訳なさそうにこちらを見つめる。
「お前は謝らなくていいんだ…… 全部俺が悪いんだ…… 俺が世間知らずだから…… 前髪を挟むのは非常識…… どの本にもそんな事書いてなかった……」
「あ、アイル…… ?」
「おいおい、ついにアイルがおかしくなっちまったぞ…… ?」
あまりのアイルの落ち込みように、タイロンもからかう気が削がれたようだ。
「えっと…… それで、お義姉さんの結婚式はどこで挙げるんだっけ?」
ノエルがようやく話題を変えてくれる。
「ああ。それが、村で挙げるらしい」
「珍しいわね。貴族の結婚は大抵、王都か、もっと大きな街で挙げるものだと聞いていたけど」
「確かに…… それもオルディナリオ家と言ったら、そういう体裁をかなり大事にしている家系なはずだ。一体どういう風の吹き回しだ?」
なんだか訳知りな様子だが、そういえばレナードは元々貴族だった。元とはいえ、彼はこのギルドで一番貴族に精通している人間だろう。
「それは、俺の義姉が散々駄々をこねたらしくて…… 自分の故郷で式を挙げないなら、結婚はしないって」
「貴族に意見するなんて…… 君のお義姉さんは相当怖いもの知らずな方だな。相手の機嫌を損ねれば、何があるかわからないのに」
「昔から何に対しても物怖じしないやつだったんです」
だからと言って貴族のご意向をねじ曲げたのは、ちょっと想定外だったが。それほど向こうがシエラを欲していたのか。
「面白そうな奴だな。そういう気の強い女は好きだぜ。なんなら、俺が代わりに嫁に迎えてやってもいいぞ?」
「はいはい。タイロンくんは、まずその食事マナーをどうにかしてから出直して来てくださいね」
「まったく、わかってねえな、ノエルはよ。豪快な食いっぷりってのを好む女もいるんだよ。なあ、アイル。お前の義姉さんは、俺みたいなよく食べる奴とーー」
「オルディナリオ家か……」
タイロンの野太い声に紛れた、レナードの半ば独り言はアイルの興味を引いた。
「何か知ってることが?」
「そこと私の家とは昔から懇意だったから、何度か家を訪れたことがあるんだ。それで、その…… 私もオルディナリオ家のことは多少は知っている」
かなり迂回するような言い方だ。
「あそこは貴族の権力を強めることを標榜している派閥の一つなんだ。我々平民のことを平等に見ることはない派閥だ。私の貴族としての記憶は五年前で途絶えているから、今は違うかもしれないが……」
そんな派閥があるなんて、今までアイルは豪も知らなかった。村の領主だという認識しかなかったのだ。だが、あそこの次男であるロミオの冷淡な目は、その説に真実味を帯びさせていた。
「だから、正直なところ…… 君のお義姉さんが少し心配だ」
「あいつはなんでそんなところの家に……」
「アイルの事を思って、じゃないかな?」
ソフィアの言葉は、アイルを余計に混乱させた。
「俺の事を…… ? どうしてです?」
「んー、それは私の口からは言えない。自分でお義姉さんの気持ちを察してあげるか、本人に直接聞くかしないとね?」
顔を傾け、悪戯っぽく笑うソフィア。何か明確な答えを持っているようだ。同じ女性同士、何か通じるものでもあるのだろうか。
ヒントだけでも乞おうとしたが、それを見越したように先んじて彼女が口を開く。
「明日の式は見に行くんでしょ?」
「まあ、一応は……」
正直なところ気乗りはしないが、ヘイゼルに是非見にいって欲しいと頼まれていた。雰囲気に流されてつい承諾してしまったが、今更ながら後悔している。
第一、村に長居するのが億劫だ。村の人間に自分の正体がバレないとも限らない。騒がれて、式が中止にでもなったら大変だ。
それだけでなく、シエラが結婚するという事実を素直に受け止められない自分もいた。彼女が自分の預かり知らない、全然別の世界に行ってしまうような。そんな漠然とした不安が、薄く胸の内に広がっていた。
「その日は一日休みをあげるから、最後までちゃんと見てあげなきゃだめよ? ライラも、引っ張ってでもアイルをしっかり村に向かわせてね?」
「うん、わかった」
ライラは相変わらず健気だった。




