氷晶の薔薇、最大の危機
ライラが蓋を慎重に開けると、眩しい光が差し込んできた。思わず目を細める。
彼女に続いて箱から出て、荷台の仕切り板から顔を覗かせてみる。そこは見慣れた大通りだった。人通りはかなり多い。しばらく身をかがめて人々の動静に目を光らせていたが、怪しい人間は見られない。
アイルたちは軽く男に礼を言うと、さっさと暗い裏路地の方へと身を隠した。その際、黒と白のやや年季の入ったローブを拝借した。
「無事に王都に入れたね」
「ああ、そうだな」
「でも、どうしてバレなかったんだろ? 私たち」
「それは…… なんでだろう、わからない」
その奇事について一考したかったが、アイルはすぐにかぶりを振る。
「まあ、今はそのことは忘れよう。とにかく、ソフィアさんたちに関する情報を得ないと」
「どこに行く?」
「ああ、一ヶ所行ってみたいところがある。少し危険かもしれないが」
アイルたちはできるだけ光の届きにくい細道を進むことにした。
案外、絢爛なイメージの王都にもそういう道は多い。それらの道は大抵清掃が行き届いておらず、道によっては異臭の立ち込めるところも。したがって、普通の人はほとんど寄り付かず、また巡回中の兵士に鉢合わせすることもなかった。
それでも、移動の間中ずっと誰かから監視されてるようで、彼は何度か周囲に目を走らせる有様。もし、騎士の狙いがアイルたちなら、こんな生活を一生続けなければならない。そう思うと、胸が締め付けられるような気持ちだった。
曲がり角から顔を出して、目的の建物の状況を確認する。網目状の格子がついた窓ガラスの奥は暗く、遠目からでは内状が掴めない。
「お休みかな?」
「いや、薔薇園は基本的に休みなんてないはずだが……」
だが、現にどこにも灯りがついていないのだ。
アイルがいの一番に向かったのは薔薇園だ。理由は簡単。
ここで働いている者は皆氷晶の薔薇の関係者だから、その手の情報は王都から既に通知されているはず。では、なぜ直接本部へ向かわなかったか。それはあの場所が立地的に人の往来が激しく、尾行されたとしても気づけない恐れがあったからだ。
「じゃあ…… ここにも騎士が?」
「わからない。でも、少なくとも待ち伏せはしていたいはずだ。こんなわかりやすく不審な感じを出すわけがない。とにかく窓から中の様子を見てみよう」
アイルはもう一度周りに誰もいない事を確認してから、忍び足で開け放たれた鉄の門をくぐり、左端の窓に近づく。窓は、アイルの胸ほどの高さに設置してあり、覗くのは容易だった。
格子の間から見えたのは、子供たちが遊ぶための広めの空間。だが、その明らかな異状にアイルたちは絶句した。
「え、どうなってるの…… ?」
「これは、ひどいな……」
室内には、小型の遊具やおもちゃが破壊され至る所に散らばっていた。また、板張りの壁は傷だらけだ。何か巨大な魔物でも暴れて回った後のように思えた。
「中のみんな、大丈夫かな…… ?」
窓から顔を離して、ライラが聞いてくる。
「これだけじゃ、わからないな」
「ねえ、中に入ってみよ?」
「ま、待て! 罠かもしれない!」
「でも、誰か怪我してる人がいたら……」
「落ち着け。もう少し中の様子を見てからーー」
「判断しよう」と言おうと、再び窓の方に目を戻したアイルは、一瞬硬直した。今まで無かったものが、窓の内側に張り付いていたのだ。
上から黒い細糸を無数に垂らした、白みがかった肌色の円。二つの黒い点はこちらを向き、その下で横に引き延ばされた赤い盛り上がり。その無邪気なはずの笑顔は、暗い背景と合わさってひどく恐ろしいもののように映った。
「うわぁぁぁぁ!」
「きゃぁぁぁぁぁ!」
アイルとライラは、揃って悲鳴を上げてのけぞった。彼女は勢い余って尻餅をついてしまう。
すると、彼らの右側にあった屋敷の扉からカチリと音がして、勢いよく開いた。
「泥棒め! そこを動くな! 今度こそとっ捕まえてやる!」
怒号ともに飛び出して来た男が、こちらに手をかざす。
やはり待ち伏せだったのか。それにしてはセリフがおかしい気もするが。
「って、あれ? アイルにライラじゃないか」
「へ…… ?」
よく見れば、男はアイルたちがよく知る顔だった。
「良かったよ。二人とも帰ってこないから、どうなったかと心配してたんだ」
テーブルを挟んだ向こう側に座る男の口調はだいぶ和らいでいた。
彼は氷晶の薔薇の一員で、アイルたちも何度か食事を共にしたことがある。歳はアイルよりも三つ上で、このギルドに入って一年と言っていた。
先ほど、窓に顔を張り付けていたのはヘンリーだ。いつか、リンシアと一緒にリンゴを拾ってやったのを思い出す。
「なあ、一体ここでは何があったんだ?」
「実は、昨日強盗が入ったんだ」
「強盗?」
「ああ。昼前だった。男が五、六人、ここに押し掛けて来て。子供の一人が人質に取られて、どうしようもなかった。それで、俺たちは上の階に追いやられて……」
男は悔しそうに顔を伏せる。膝に置かれた手は固く握られ、ぷるぷると震えていた。
初耳だった。昼前ということは、アイルたちがプセマ遺跡へ向かっている最中ということだ。
「みんな無事だったのか?」
「ああ。幸い、誰も怪我をした奴はいなかった。子供たちが少し怯えていたが、今はそれも大丈夫」
「そうか。で、何を取られたんだ?」
「まだ、詳しくはわからない。でも、事務室の方から金貨がいくらか取られたのは確かだ」
事務室には金品やら重要書類が保管してあると、ソフィアに聞いたことがある。
「このタイミングで、そんな奴らが……」
「まあ、それだけだったらまだ良かった。金貨数枚ならそこまで痛手じゃない。だが……」
男は言い辛そうにしていた。
「ソフィアさんたちか…… ?」
「ああ。昨日、騎士が来て、ソフィア様たちが捕まったって……」
アイルとライラは目を合わせた。やはり、騎士たちはここに知らせに来ていたのだ。
「それについて、詳しく教えてくれ! どうして、ソフィアさんたちは捕まったんだ!?」
アイルの気迫に圧されたのか、男は少したじろいだ。その顔には疑問の色も見て取れた。なぜ、そんなことも知らないのかと。
「他のギルドとの結託行為…… だってさ」
「結託行為…… ?」
全く予期していなかった単語に、アイルは呆気にとられていた。
「そう。ソフィア様が、白翼の剣に結託を強要する手紙を送ったとかで。そこにはソフィア様が使っている印が押されていたらしい。その印は氷晶の薔薇本部のソフィア様の部屋にしか存在しないものだ」
白翼の剣と言えば、ソフィアが数日前に協力を申し出に行ったところだ。確か、そこのリーダーは最も信頼の置ける人物だと彼女が言っていたが。まさか、裏切られたのだろうか。
そもそも、彼女がそんな脅迫めいた文を書くであろうか。それに、手紙などという物的証拠をわざわざ送ったというのも甚だ疑問だ。
だが、今はそれ以上に知りたいことがあった。
「騎士に捕まった理由はそれだけなのか? 他に何か……」
「それだけで十分だろ? 王国の指示があったわけじゃないのに、他ギルドと結託したんだんだぞ。それが何を意味してるかわかるか?」
苛立ったようにそう言ってから、男は慌てて「悪い」と付け加えた。その顔に力はない。何か悪い予感がした。
「いや…… えっと、ソフィアさんたちはどうなるんだ?」
「しばらく牢屋からは出れないかもしれない。いや、戦力として重要だから、何か特別な処置が取られるかも。でも、問題は氷晶の薔薇だ」
男はしばらく黙っていたが、やがて大きなため息をついた。
「氷晶の薔薇は、数日後に解体されることになった」
「え…… ?」




