黒魔術の本領
「く……」
いつまで経っても、タレスの身には何も起こらない。彼は情けなく閉ざしていた目を、ゆっくりと開けた。そして、驚愕する。
彼の真横では、ちょうどアーテルが燃え尽きかけていたところだったのだ。
「俺のことをどう思おうと構いません。だけど、俺たちを敵に仕立て上げて、近くに潜む本当の敵を見過ごしては、本末転倒です」
アイルは静かに言う。
「なんだと…… この小童が……!」
タレスは目元のシワをさらに深くし、白っぽかった頬を紅潮させる。見下していた相手に命を救われ、さらには、反論の余地もない正論を吐かれたのだ。行き場のない怒りが込み上げてきたのだろう。
顔には出さないが、これにはアイルもスカッとする。
「いがみあっている暇なんてありません。アーテルはーー 敵はまだ残っています」
「くっ……」
「来るよ」
隣にいたライラが告げる。いつのまにかディアブロ・アイで索敵してくれていたらしい。
「化け物だ! 化け物が来たぞ!」
同じタイミングで兵士が叫ぶ。
「今は目の前の敵に集中しましょう」
「……仕方ない。今だけは、貴様らと共闘してやる」
苦々しげな顔をしながらも、タレスは了承する。正確には共闘ではなく、アイル達による救助なのだが、その言葉は彼のプライドが許さなかったのだろう。
「あの人、嫌い」
ボソリと、率直な感想を述べるライラ。もちろん、アイルも同じ想いだが、全てを否定する気にはなれなかった。
「聖職者として、異端者から村を守ろうとしているんだろう。だから、あの人をあまり憎まないでやってくれ」
「私たちは異端なの?」
ライラの不安そうな声音が聞こえる。
どうやら失言だったようだ。
「……世間的にはな。だけど、実際はそんなことない。俺もお前も、他の人と同じ人間だ。お前のことは俺が一番よく知っている」
目をパチパチとさせるライラ。
「わ、私もアイルのこと……」
勢いづいた出だしから一転、ライラの声は急にトーンダウンした。おそらく、アイルには長年一緒に暮らしてきたシエラがいることを思い出したのだろう。
アイルはそれをすぐに察した。
「半年間ずっと一緒に生活してたんだ。お前は俺のことを一番よく知ってる人間だ」
「うん……!」
無邪気な子供のような満面の笑み。このまま彼女の顔を見続けるのもやぶさかでないが、今はそれどころではない。
二十体ほどのアーテルが四方から攻め込んできた。一気にかたをつけにきた。あるいは、自棄になっただけか。後者であるのは明確だった。
「俺は右のをやる」
「うん」
「あ、しくじったらカバーを頼んでいいか?」
「うん」
迅速でスマートな作戦会議を終わらせると、アイルは屋根から飛び降り、兵士とアーテルとの間に入った。
「十一体。一発でやり切れるか……?」
アイルは意識の中に全てのアーテルの姿を浮かべる。一体一体の大きさ、位置、移動速度。それらを瞬時に把握し、そして、身体に流れる"力"を一点に集め、体外へと放出する。
「グギァァァァァァァァ!」
アーテルのおどろおどろしい鳴き声が響く。
インフェルノに焼かれ、あっという間にアーテルの群れは塵になっていった。しかし。
「やはり、量が多いと精度が下がるな……」
一体だけ、アーテルを取りこぼしてしまう。それは片腕だけを消失しながらも、勢いを落とさずこちらに突進してくる。だが、一体だけでは脅威になり得ない。
落ち着いた様子で、再びアイルは手をかざした。
「終わりだ」
「グギギギ!」
最後の一体も、こちらに到達することなく消えたいった。
後ろを振り向くと、ライラと目が合う。彼女の後ろでは、アーテルだったものが転がっていた。
「あー…… 見てたか?」
「力のコントロールはできてる。でも、アイルには繊細さが足りない」
ライラーー 師匠による総評。
「はい……」
アイルはがっくりと肩を落とした。まだまだ自分は未熟ということだ。
「嘘だろ、あの量を瞬殺したってのか?」
「この村一番のタレスさんが苦戦してた敵だぞ……?」
兵士たちは異口同音に、アイルたちの魔法に驚きの声をあげる。
「あれが黒魔術か、おぞましい……」
「さすがは悪魔の使いだ……」
一方で、明らかに怖がられているのも確か。
ただ、危機は去った。シエラを救うことができたし、アイルにはもう思い残すこともない。
「行こう、ライラ」
「うん」
アイルが一歩踏み出す。
「待て」
アイル達を呼び止めたのは、タレスだった。