初陣⑦
炎の刃は断面の血肉を焼き固め、出血することも臓物を散らすこともなく綺麗に切られた死体を地面に放り出す。
たった一度槍を振り回しただけで、あの時の騎兵のように連合軍の歩兵十数名が両断されて死体になった。
見るに堪えない光景だったが、連合軍に対する憤りがあった自分には最初に騎兵を殺した時に比べて罪悪感や嫌悪感が浮かぶことはなかった。
感情が昂ぶっているせいか、連合軍の兵士たちに囲まれて受けている殺気にも恐怖を感じることはない。
むしろ、忌々しい敵を前にこちらの殺気が湧き上がってきていた。
「くっ……こいつ、将軍クラスか!」
一方、連合軍の兵士たちは槍の一振りで多数の味方を易々と殺されたことに動揺し、足が止まる。
腰を抜かす者もいたが、そこは兵士としての矜持があったのだろう。
何とか踏みとどまり、自分を包囲して武器を構えた。
「…………」
無言で周囲を囲む連合軍の連中を見渡す。
彼らからは脅威を感じない。
戦場に立って感覚がおかしくなったのだろうか?
……いや、違う。
自分はこいつらが許さないんだ。
そうだ。
雫を泣かせたこいつらが許さない。
自分を仲間として迎え入れてくれた邪神軍を邪魔するこいつらが許せない。
……勇者を呼んだ連合軍は敵だ。
メテオスは雫を守ってくれる方だ。
彼女の怒りを買えば雫が殺される……そうだ、だからこいつらは敵だ。雫のために、メテオスのために、自分は連合軍を倒さなければならない。
そしてその連合軍の切り札である勇者を倒す。
連合軍は邪魔者だ。
こいつらのせいで雫は泣いた。
許さない……許さない、許さない!
勇者は許さない!
その仲間も許さない!
邪魔をするなら殺す!
「邪魔をするなぁ!」
槍を振り回す。
連合軍の兵士たちの悲鳴が上がり、炎に焼き切られた死体がさらに量産された。
人を殺しているのに、人を殺した感触がない。
だからだろうか、殺しても嫌悪感がない。
何だか自分の心がおかしくなっているような気がする。
頭の片隅で何かを訴える声が聞こえる。
……でも、それは瑣末ごとだ。
雫を守るために、勇者を倒さないと。
雫を守ってくれるメテオスのために、勇者を倒さないと。
……メテオスのために、勇者を倒さないと。
勇者を倒すためには、連合軍の兵士が邪魔だ。
「邪魔だ、どけぇ!」
槍を振り回す。
炎の刃が飛び散る。
それが連合軍の兵士たちを次々に切り裂いていく。
我を忘れ無謀に突撃してくる兵士は、止めようとした上司の制止の声も届かず腹から裂かれて刃も届かずに倒れる。
怯えて腰を抜かす兵士は炎の刃がちょうど喉元の高さにくるから、首が切れて転げ落ちる。
距離をとって武器を構え防止しようとする兵士は、炎の刃を交わすこともできずにほぼ無抵抗で隣の仲間たちとともに切り裂かれて死体になる。
雫のためにしなければならないこと。
雫を守るためにしなければならないこと。
それは勇者を倒すこと。
それは勇者の配下である連合軍を倒すこと。
そう言い聞かせれば、高ぶった感情のままに憎き連合軍の兵士たちを殺せる。
槍の力で敵を殺すことをためらう感情が小さくなる。
罪悪感や嫌悪感が小さくなる。
「ウアアアァァァ!」
槍を振り回す。
その度に囲んで道を塞ぐ連合軍の兵士たちが、多い時には一振りで10人以上がまとめて切り裂かれて骸になる。
肉が焼ける匂いがする。
吐きそうになる光景と匂いだけど、高ぶる感情がそんな正常な機能を曇らせてくれているようだ。
吐き気は感じないし、足がすくむこともない。
槍を振り回し憎き連合軍を殺していく。
兵士たちが恐怖の顔に歪むけど、それは自業自得だ。
お前らの所業がこの事態を招いたんだ、恨むなら自分を恨め!
奴らに憤りを感じる。
こいつらに憎しみを覚える。
殺しても罪悪感を感じなくなっていく。
だって、こいつらは憎い敵だから。
……何で見ず知らずの赤の他人が憎いのか。
頭の片隅でそんな声が聞こえてきた。
でも、それは瑣末ごとだ。
さっき答えはあった。
連合軍は憎い敵だ。
こいつらはメテオスの邪魔をする敵だ!
「ひ、ひいいい!」
しまいには傷1つ付けられない状況で、囲んでも切り掛かっても腰を抜かしても次々に仲間を殺していく敵に恐れおののき、逃げ出す兵士が出た。
「ま、待て貴様ら! 敵前逃亡は死罪――」
指揮官らしき男の声は途中で途切れ、そいつも腹から真っ二つになった。
そして1人逃げ出せば、次々に逃げ出す。
軍人でも歩兵なら徴用された者も多かったのだろう。
恐怖に耐えきれなくなったものが、武器も鎧も捨てて逃げ出した。
一度起きた逃亡の波は抑えきれず、包囲網が解かれていく。
その間も槍を振り回し、連合軍の歩兵たちを殺していく。
振り回すたびに炎の刃が飛び立ち、後ろから弓矢を放とうとする兵士や背中を見せて逃げ出した兵士までも次々に切り裂いていく。
「ば、化け物だぁ!」
「こんなの勝てるかよ!?」
「何なんだよこいつは――グアッ!?」
たった1人、数を頼みに囲んで仕舞えば討ち取れる。
そう過信して自分に挑みかかってきた歩兵は、いつのまにか半数以上がしたいとなり、残りは持ち場も無視して武器を落として逃げ出し、要塞の門の前はがら空きとなった。
「ハア……ハア……」
がむしゃらにやりを振り回していたが、敵がひとまずいなくなったことでどっと疲れが押し寄せてきた。
体はともかく、心の疲れがひどい。
「こ、れは……」
周りを見渡すと、いつの間にか連合軍の兵士たちの死体で溢れかえっていた。
2〜300人は殺したのだろう。そこには死屍累々とはまさにこのことと言わんばかりの地獄絵図が広がっていた。
……自分が、これをやったのか?
……これが、本当に雫のため?
高ぶっていた感情が落ち着いてきた。
同時に、自分がこんな光景を作ったことに対する激しい嫌悪感と吐き気が湧き上がってきた。
「うっ……!」
そしてその直後に突然、頭痛に見舞われる。
頭の片隅で何かが訴えている声が聞こえる。
「自分は、一体……?」
この殺戮が、雫のため?
彼らが死ぬとどうして雫を守れることにつながる?
……ちがう。
それは、瑣末ごとだ。
「そ、そうだ……」
頭痛が治まってきた。
そうだ、瑣末ごとだ。
奴らは敵だ。こいつら連合軍のせいで雫は苦しんでいるんだ。
雫を守ってくれているメテオス、そして自分の味方である邪神軍の敵。
だから、こいつらを殺しても罪悪感を感じることはない。
勇者とその配下の連合軍を倒す。
そうだ、それが雫を助けるために必要なことじゃないか。
「そうだ……勇者。勇者を、倒さないと……」
どうしてこんな簡単なことを忘れたのだろう。
どうしてあんな嫌悪感を抱いたのだろう。
忘れたけど、それは瑣末ごとだと言い聞かせる。
頭痛は消え、自分のやるべきことを思い出せた。
「勇者……勇者ぁ!」
そして勇者に対する怒りが再び湧き上がってきた。
落ち着いてきていた感情が再び火を噴くように高ぶる。
クラムフト要塞を見据える。
あそこに、雫をこの世界に閉じ込める不幸を作った原因の勇者がいる。
だから、あそこに向かって勇者を殺さなければ……。
丁度いいタイミングで、邪神軍の兵士達が外の騎士達を突破して合流してきた。
勇者に怒りを覚える。
その味方の連合軍に憤りを覚える。
「勇者を討つ……続け!」
高ぶる感情のままに、配下の邪神軍を率いて要塞へ向けて走り出した。
……頭の片隅で何かを訴える声が、聞こえる。
違う、敵は彼らじゃない。なぜ刃を向けるのか?
……声の意味がわからない。
頭痛が強くなる。
それは瑣末ごとだと無視する。
そうして割り切り無視すると、声と頭痛は消えた。