表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
8/72

第八話「月夜に舞うは赤マント」

「失敗……した?」

 翌朝、浸が昨晩除霊に失敗したことを話すと、西村は不安そうに問い返す。

「……はい。申し訳ありません。ですが、必ず除霊してみせます」

「ああいえ、謝らないでください。そうですか……それ程強力な霊だったんですね」

「……そうですね。地縛霊は一つの土地に縛られている分、強い執念や怨念を抱えていることが多いのです。霊は抱えている思いが強ければ強い程強力になります」

 今回の悪霊は、高速で地面を掘り進むほどのパワーを持った地縛霊だ。動きも早く、他の悪霊とは一味違う。

「あの、つゆちゃんにお願い出来ませんか? 二人ならきっと……」

 和葉がそう提案すると、浸はハッとなったように表情を変える。

「なるほど……そうですね、連絡してみましょう。電話をお借りしても?」

「え? えっと、携帯で良ければ貸しますけど」

「あー待ってください西村さん!」

 困惑しつつも携帯を取り出す西村を、慌てて和葉は制止する。

「浸さん携帯あるじゃないですか!」

「あ、そうでしたね。確かクラゲというやつが」

 一応持ち歩いてはいるようで、浸はバッグから携帯を取り出した。

「では、朝宮露子と連絡を取って来ます。少し外しますね」

 そう言い残して、浸は携帯を持って部屋の外へと出て行った。

 浸が外へ出て行ってから、しばらく間があった。しかし数秒後、恐る恐る和葉が口を開く。

「……あの霊……その……奥さん、ですよね」

「……やっぱり、そうなんですか」

 強い共感反応こそ起こしていないものの、あの霊がこの場所とあのネックレスを大切にしていることは和葉にはすぐにわかった。完全に悪霊化しているせいで自我は崩壊しているが、それでもあのネックレスに執着するくらいには大切にしていたのだろう。

「……妻とは、喧嘩したままだったんです。もうきっかけも思い出せないような些細なことで……なんだったかな、思い出せないや」

 西村は自嘲気味に笑うと、そのまま言葉を続ける。

「おかしいな……ずっと考えないようにしてたら、忘れてしまったよ……。でも、ネックレスのことは覚えてるんです。僕、あんなネックレス、なんて言ってしまったんです。自分で贈ったのに。妻は、そのことに一番腹を立ててました」

「……そうだったんですね……」

 彼女にとって、西村が選んで贈ったネックレスはかけがえのない宝物だった。それを”あんなネックレス”と言われるのは耐えられなかったのだろう。例えそれを言ったのが、ネックレスを贈った張本人だったとしても。むしろ、贈った本人に言われたのが一番辛かったのかも知れない。

 贈った人間が、贈った物に込められた思いを否定したようなものなのだから。

「出勤前に喧嘩して、僕はそのまま出勤したんです……。まさかその日、彼女が事故に遭うなんて、僕は思いもしなかったんです……」

 西村はそう話している間にポロポロと涙をこぼし始める。それでも、西村は涙をこらえるようにして言葉を続ける。

「帰りに何か買って帰って、謝らなきゃなって……思ってたんですけどね……もう、遅いんですよ……」

 本当に、本当にずっと押し込めていたのかも知れない。和葉は霊が相手なら何でもすぐにわかってしまえる。けれど、生きた人間の心は簡単には理解出来ない。

 どう言葉をかけたら良いのかわからないのがもどかしい。だけど一つだけ、和葉には確信出来ることがあった。

「……まだですよ……まだ、遅くないです」

 絞り出すようにそう言って、和葉は強く西村の手を握る。

「まだ届くかも知れない! 私、頑張ります、手伝いますから! ちゃんと、奥さんに伝えましょうよ!」

「でも……きっと怒ってますよ」

「そんなことない! 奥さんが怒ってることにして諦めちゃダメです! 私、霊のことならわかるんです! あの霊、とっても悲しそうだった! でもそれと同時に、この場所と、ネックレスのこと、すごく大切にしてた! きっと、きっと……同じ気持ちなんじゃないですか……?」

 そう、信じたかった。悪霊になって、自我がなくなったって、忘れられない大切なものがある。それがきっとこの場所で、ネックレスで、夫のことだと。

 あんなに嫌がっていた共感反応が、今は欲しくて仕方なかった。

 霊のことを理解して、西村との橋渡しが少しでもしたかった。きっとこれが自分に出来ることで、自分に霊感応がある理由なんだと、和葉は思い始めていた。

「……ありがとう、ございます……」

 泣き崩れるようにそう言って、西村は和葉に頭を下げた。



***



『ごめん! 今夜はちょっと無理なのよ!』

 和葉が西村と話している頃、浸が露子に電話をかけるとすぐにそんな返事が返ってきた。

『こっちはこっちで除霊の仕事が入ってて、ちょっといけそうにないのよね……』

「そうでしたか。急にすいません」

『全くよ。ていうか、そんなに強いの? 相性でも悪かった?』

「半々、と言ったところでしょうか」

 あの霊は、この場所に縛られてからかなり時間が経っている可能性が高い。同じ場所に縛られ続けて、膨れ上がった負の感情は相当なものだろう。

 場所も悪い。こういう団地のような、一つの大きな建物の中に何十人もの人間が生活している場所は様々な負の感情が蔓延し、霊魂が淀みやすい。悪霊化した霊魂がこんな場所に居座れば、日毎に強大になってしまうのだ。

『……”怨霊”?』

「いえ……恐らくまだその域ではないでしょう」

 恐らく、まだ辛うじて”怨霊”の段階には至っていない。

 悪霊化した霊魂が最後に行き着くのは”怨霊”だ。強い怨念を内部で溜め込むか、外部から受け続けるか、或いは両方か……。条件を満たすと、霊魂は怨霊と呼ばれる最悪の脅威に変異してしまう。

 そうなる前に、祓わねばならない。

『出来れば協力したいんだけど、とにかく今夜は手が離せないわ。こっちはこっちで気が抜けないし』

「ええ、そちらに集中してください。では……」

 そう言って浸が電話を切ろうとすると、待って、と露子に引き止められる。

『……仮面の奴、気をつけてね』

「はい、覚えていますよ。ふふふ……朝宮露子は本当に優しい」

『あーもう! うっさいばか!』

 恐らく電話の向こうで顔を真っ赤にしていたのだろう。露子はそれだけ言い残し、一方的に電話を切ってしまった。

 浸は露子の様子を思い浮かべて笑みをこぼしたが、やがて神妙な面持ちで、アパートの下にある公園を見下ろした。

 浸一人で突破するとなると、かなり無茶をする必要があるだろう。なんとかあの霊の身体に飛びついてそのまま地中で戦うか、相打ち覚悟で出てきた瞬間を狙うか。肉を切らせて骨を断つとは言うが、肉ごとこちらの骨を切られかねない。

 考え込んでいると、不意に足音が聞こえてくる。

「見ない顔だな。最近越してきたのか?」

 思わず足音の方へ目を向けると、そこにいたのは以前庵熊漁港で出会った褐色の女だった。

「おや、あなたはいつぞやの……」

「……ああ、お前か。まさかこんなところで会えるとは思わなかった。嬉しいぞ」

 女は相変わらず抑揚のない声だったが、それとは裏腹に、言葉はストレートに好意を示していた。

「越してきたのか? それともまさか前から住んでいたのか? ……もしそうなら気づけなかったのが口惜しい」

「違いますよ。ここへは少し、仕事の用事で来ています」

「そうか。それはそれで口惜しい。何だか思いつめた顔をしているがどうした?」

「おや、そうでしたか? これは失礼しました。少し考え事をしていただけですよ」

 ひとまず気持ちを切り替え、浸は女に微笑みかける。

「そういえば、先日は型の良いメバルをありがとうございました」

「気にするな。クーラーボックスを持っていなかった私が悪い。それはそうと、昨日は中々釣れたぞ。待つも良し、表層を探るも良し、お前の言う通りだった」

 女の言葉に、浸は一度何かを思いついたかのように表情を変えたが、やがていつもの調子で微笑む。

「おお、それは良かったですね。これからも楽しんでください」

「ああ、しばらくは魚で食いつなぐ」

「……そういえば、名前を聞いていませんでしたね」

 ふと思い出し、まずは自分から自己紹介しようと名刺を取り出して手渡す。

「私は雨宮霊能事務所をやっているゴーストハンター、雨宮浸です」

「ゴースト……ハンター……?」

 浸の言葉に、女は怪訝そうな顔を見せる。その反応には慣れているので、浸ははい、と短く答えるだけだった。

「そう、か……。……私は赤羽絆菜あかばはんなだ。仕事は……ない、定職がない。フリーターだ」

「赤羽絆菜ですね。覚えました。これからよろしくお願いします」

 そう言って浸は握手を求める。それに対して絆菜は少しためらいがちに浸の手を握る。

「……ああ。よろしく頼む」

 その後は適当に一言二言会話をかわし、二人は別れた。



***



 ひとまず夜までは待機することになり、浸も和葉も一度家へ戻って休んだ。そして夕方頃にもう一度事務所へ集まり、地面に潜る悪霊を撃破するための作戦会議を始めた。

「つゆちゃん、来られないんですね……」

「ええ。ですので、今回は我々だけでどうにかする必要があります」

 言いつつ、浸はトランクケースを開いて武器を一つ一つ確認していく。今回の戦いで最も適切なものがどれなのか確認しているのだ。

「……やはり今回はこれを使いますか」

「え!? それって武器だったんですか!?」

 驚く和葉に、浸ははい、と短く答える。

「待つも良し、表層を探るも良し、ですからね」

 そう言って不敵に笑う浸だったが、すぐに少しだけ顔をしかめてみせた。

「ただこれだけではどうにも……というのが正直なところですね。やはり私一人では……」

 考え込むような仕草を見せつつ浸がそう言うと、和葉は不意にトランクケースの中から武器を一つ取り出してみせる。

「あの、これって使えませんか?」

 和葉が取り出したのは一本の弓だった。

「ええ、使えますよ。銃は扱えませんが、弓でしたらなんとか使えます」

「ふ、ふふふ……」

「……早坂和葉?」

 浸の真似でもしているのか、和葉は弓を持ったまま不敵に笑みをこぼす。

「浸さん! 私、弓は使えますよ!」

 そう言った和葉に、浸は一瞬キョトンとしてしまっていたが、やがて意味を理解する。

「……そうでしたね。早坂和葉は元弓道部……!」

「はい! だからこれ、もしかしたら私に使えるんじゃないかって!」

「……なるほど」

 和葉を戦闘に参加させる、という考えは浸にはなかったが、名案かも知れない。浸はなるべく和葉を危険な目に遭わせたくなかったが、和葉はやる気満々、と言った感じで目を輝かせていた。

「前にも言いましたが……危険ですよ」

 いくら弓が遠距離武器でも、戦闘の矢面に立つことに変わりはない。和葉の強い霊力に気付いた悪霊が、真っ先に和葉を始末しようとすればかなり厄介な戦いになる。

 浸の見立てだと、和葉は運動能力に長けているわけではない。これは単純に訓練を積んでいないからだ。そんな和葉を守りながら戦うとなれば、逆に不利になるだろう。

 だが、前衛を浸が務め、後衛で和葉が支援してくれるのであればかなり戦いやすくなる。それに、霊力の強い和葉の一撃は、霊力だけなら浸を遥かに上回る。

「……やらせてください。私、もっと浸さんの助けになりたいんです! それに……あの霊のこと、祓うことで救えるなら……」

 浸はしばらく逡巡するような様子を見せていたが、やがて小さく頷くと和葉の提案を承諾する。

「わかりました。ただし、あまり前に出てきてはいけませんよ。今回は私も自分の身を守るのに手一杯になると思いますので」

「……はい!」

 力強くそう答え、和葉は弓を握りしめた。

「あの、それと……一つ、お願いがあるんですけど……」

 おずおずと切り出す和葉の提案に、浸は多少驚きながらも承諾した。



***



 その日の夜、再び和葉と浸は西村の部屋に集まった。昨晩の件を警戒して現れなくなる場合も予想されていたが、悪霊は夜中になると再びネックレスを回収しに西村の部屋へ現れた。

「……行きましょう」

 浸の言葉に頷き、和葉は浸の後をついていく。その後ろを、今夜は西村もついていく。

「あの……本当に良かったんですか? 西村さんも一緒で……」

 部屋を出ながら恐る恐る和葉が問うと、浸はキョトンとした顔を見せる。

「早坂和葉が提案したことですよ。私は構いません」

 妻に謝りたい。その想いを叶えるために和葉が提案したことだ。悪霊が強力なこともあり、断られるかと和葉は思っていたが浸は快諾してくれた。

「早坂和葉が前向きに自分の力を誰かのために使おうとしている……。そのためなら、私は協力しますよ。それに……今日は心強い後方支援がついていますからね」

 弓と矢筒を背負う和葉にそう言って、浸は不敵に笑う。

 それに、これは勝算があると踏んでの決定だ。

 浸だけでは、悪霊と西村を繋げることは出来ない。しかし間で和葉が橋渡しをするなら話は別だ。もしかしたら、あのレベルまで変異した悪霊でも、和葉の力なら想いを届けることが出来るかも知れない。

 荒れ狂う霊魂を少しでも落ち着けられるなら、そこに勝機を見出だせる。

「……頑張ります」

 戦いに参加することに恐怖はあったものの、それ以上に何か役に立ちたいという気持ちが強い。和葉は浸の顔を見てもう一度戦う決意を固めた。



 公園へ向かうと、悪霊は昨晩と同じようにブランコに座り込んでいた。

愛佳あいか……愛佳が本当にいるんですか?」

 辺りを見回しながら西村が問うと、和葉は小さく頷く。

「あそこの、ブランコに……」

「……そうですか。……クソ、やっぱり僕には見えない……!」

 暗闇の中、必死に目を凝らす西村だったが、悪霊の――――愛佳の姿は西村には見えなかった。

「あのブランコ……僕が、愛佳にプロポーズをした場所なんです……」

 悪霊――――愛佳はその場所に執着しているようだった。西村にもらったネックレスと、プロポーズされた場所。その二つへの執着が、未練が、彼女を現世へと留まらせたのだ。

「……浸さん、一応聞くんですけど、このままそっとしておくっていうのは……ダメですか?」

 和葉に、浸はわずかに目を伏せて首を横に振る。悪霊化した霊魂は、祓う以外に救う方法はない。今は害がなくても、いずれ完全に霊魂が崩壊して暴れ出すことになる。

 特に今回は、”怨霊”へ変わる可能性が高い。

 和葉も、それは知識としてはわかっていた。それでももしかしたら、と、そう思ってしまった。それがわかっていたから、浸はそれ以上は何も言わなかった。

「愛佳! 愛佳! いるなら返事をしてくれ! 愛佳!」

 必死に西村は呼びかけたが、愛佳は答えない。恐らく気づいてもいない。

「愛佳さん!」

 和葉の言葉には反応こそしたものの、すぐに愛佳は視線をそらす。和葉には愛佳の気持ちがある程度理解出来る。淀んでしまってはいても、西村への想いは変わらない。

 ただもう、淀み過ぎていた。それが、霊魂が崩壊していくということなのだ。

 西村の言葉に、もしかしたら応えるかも知れない。和葉を通せば、謝ることくらいは出来るかも知れない。そんな和葉の希望は、叶わないのだろうか。

「……西村愛佳」

 浸が歩み寄りながら名前を呼ぶと、愛佳はすぐに浸へ視線を向けた。黒い空洞のような瞳が歪み、愛佳は浸へ敵意を向ける。

「あなたを祓います。雨宮浸と……早坂和葉の名において」

 浸がそう言った瞬間、愛佳の身体は変異し始める。

 鋭い鉤爪とミミズのような下半身を持った悍ましい怪物の姿だ。こればかりは、西村に霊視の能力がなかったことを感謝してしまう。こんな姿は愛佳も見られたくないだろう。

「っ……!」

 潜られる前に攻撃を仕掛けようと青竜刀で切りかかる浸だったが、愛佳は素早く回避すると昨晩と同じように地面へ潜っていく。

「え……? え!?」

 見ることも感じることも出来ない西村には、突如地面に穴が空いたようにしか見えなかった。混乱する西村に二人が説明する余裕はない。

「早坂和葉! アレを!」

「はい!」

 駆け寄ってくる浸に、和葉予め取り出しておいた”アレ”を投げ渡す。その短い棒状の武器を浸が薙ぐと、それは1.5倍近くに伸びた。

「な、なんでそんなものを……!?」

 西村が驚くのも無理はない。

 和葉が投げ渡し、浸が薙いだ”アレ”は……どう見ても振り出し式の釣り竿だったからだ。

「さあ、始めますよ!」

 糸の先についているものは小さなルアーに見えたが、竿もそのルアーも、除霊に使われるれっきとした霊具れいぐと呼ばれるものである。

「感謝しますよ赤羽絆菜。あなたのおかげで、この霊竿れいざおを思い出すことが出来ました」

 この霊竿のルアーには霊を引き寄せる効力がある。持ち主の通した霊力を僅かに増幅させて発し、持ち主よりも霊へ強くアピールする囮となる。霊は視覚よりも霊力を感知して反応するため、霊からこちらが見えていない場合は霊力の強く発せられているルアーの方に反応しやすくなる。

 役立つ状況が限定的で、あまり使われることのないものだが、幸い浸はこの霊竿を元々持っていたのだ。

 愛佳が地中に潜るという性質を逆に利用するのだ。こちらから愛佳を視認することは出来ないが、愛佳もこちらを視覚で捕らえることは出来ないのだから。

 程なくして、僅かな地響きと共に愛佳が地表へ向かい始める。彼女の出てくる場所は浸から竿一本分離れた場所だ。そのタイミングに合わせて、浸が竿ごとルアーを振り上げる。霊力で感知している愛佳からすれば、目標である浸が回避のために跳ねたかのように感じられるハズだ。

「――――かかりました!」

 地面から飛び出した愛佳がその勢いのまま跳躍する。

「今です!」

「――――はい!」

 そこを、和葉が弓で射る。

 射は苦手ではなかったが、誰よりも上手かったわけではない。一射絶命。失敗出来ない緊張感の中何とか踏ん張り、和葉は渾身の一射を放つ。

「愛佳さんっ!」

 和葉の霊力の込められた矢が、愛佳の身体を貫く。

 浸の想定通り、和葉の霊力が込められた矢は愛佳にとって致命傷足り得る一撃となった。

 身悶えながら落下する愛佳に、青竜刀を構えた浸が駆け寄っていく。

「……アディオス、良い旅を」

 浸の一振りが、愛佳の身体を切り裂く。その一撃で、愛佳の霊魂は終わりを迎え始めた。

「地縛霊は……祓われることでその場所から解放されます。どうか……良い旅を」

 祈るように、浸は繰り返す。その瞬間、愛佳の姿が悪霊然とした姿から生前の姿へと変わった。

「西村さん! 今なら……今ならもしかしたら!」

 ハッとなって和葉がそう叫ぶと、西村は混乱しながらも頷く。

 西村が慌てて和葉の元まで駆け寄ると、和葉はすぐに西村の手を取る。そしてもう片方の手で、愛佳の手を取った。

「お願い……! これで、伝わって……!」

 これで、少しでも橋渡しになれたら……。

 祈るように、和葉は二人の手を握りしめた。

「愛佳! 聞こえてるかわからないけど、ごめん……! 僕は……愛佳にちゃんと、謝りたくて!」

 西村には、愛佳に聞こえているのかどうかはわからない。それどころか、そこにいるのかどうかすらわからない。それでも必死で、押し寄せてくる想いだけを吐露する。

 それが、愛佳に届いているのか、和葉にはわからなかった。それでも、ただ伝わってほしいと必死に祈り続けた。

「それと……ありがとう。この場所も、ネックレスも……大事にしてくれて」

「……」

 西村がそう言った瞬間、和葉の中に温かな想いが流れ込んでくる。

 それが愛佳のものだと和葉が理解するのと同時に、愛佳は一瞬だけ穏やかに微笑んだ。

 そしてそのまま少しずつ消えていき、やがてその場から完全に消えていった。

「……伝わり、ましたかね……」

 不安げに呟く西村に、和葉は力強く頷く。

「……はい、勿論。だって愛佳さん……最後に、笑ってました……」

「そう……ですか。そうなんですか……はは、少しは……伝わったのかな……。ごめん、ごめんな……愛佳……!」

 思わずその場に泣き崩れそうになる西村を、和葉はそっと支える。

「私……橋渡しになれたんだ……。西村さんの気持ち、愛佳さんに伝えられたんだ……っ!」

 それはもらい泣きだったのかも知れないし、和葉の中からこみ上げる感情が流させる涙だったのかも知れない。

 大嫌いだった力が、誰かの大切な想いを伝えられた。

 本来あり得ない、死者と生者の橋渡しを、和葉は成し遂げたのだ。

 大嫌いだったハズの、和葉の力で。

「……早坂和葉。やはりあなたの力は、誰かのために必要な力です……。ありがとうございます。私だけではうまくいかなかったでしょうし、仮に解決出来ても……ただ祓うだけになっていたでしょうから」

 浸の力では、愛佳を祓うことは出来たとしても二人の心を救うことは出来なかっただろう。

「あなたの力は……誰よりも優しい力として使えるんですよ」

「……はいっ……!」

 そのまま泣きじゃくってしまう和葉を、浸が抱き寄せる。

 戦いは終わり、事件は解決した。


 しかし、浸が安堵した――――その一瞬だった。


「――――っ!?」

 突如、上空から浸へナイフが飛来する。

 即座に反応した浸が和葉を突き放し、青竜刀でナイフを弾くと、屋上から何者かが飛び降りてきた。

「二人共! 離れてください!」

 浸がそう叫ぶと、和葉は慌てて西村を連れてその場から離れていく。しかし降りてきた者は、和葉達には興味がないのか浸だけに視線を向けている。

「あなたは……!」

 月光を背に受け、長身痩躯のソレがゆっくりと歩み寄る。

 赤いマントを羽織り、赤いフードを目深に被ったソレの顔を見て、浸は息を呑む。

 ――――……仮面の奴、気をつけてね。

「仮面……!」

 歪な笑顔の張り付けられた仮面が、ジッと浸を見据えていた。

「……ど、どういうこと……なんですか……?」

 そう、困惑の声を上げたのは和葉だ。和葉はその赤マントを指差して、震えながらこう言った。

「その人……人間なのか、霊なのか……わからない……っ!」

 赤マントが、両手でナイフを構えた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] 八話まで。一話のネガティブさが嘘のよう、というか下支えするものを得て自ら戦線に赴くことを躊躇わなくなった早坂の姿が眩しい。 この辺の積み重ねは連載作ならではだなあと思うばかり。はてさて、年越…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ