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転生者が溢れるこの異世界で  作者: 瑞鳥
第一章 わけの分からないまま飛ばされてもう試練
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第二章 手引書があるとありがたいですね

 尋也を乗せた馬車は無事、村に到着した。

「何事も起こらず、戻ってこられた……」

 途中で、襲撃だったり事故でも起こりそうな気がして尋也は気が気ではなかった。

「いつまでも、びくついているんだから」

 白い鳥が、耳元で呆れてくる。

「仕方ないだろ、こっちは来たばっかりなんだからさ」

「最初っからそれだと、これから身が持たないわよ。他の連中みたいにもっとのりのりの方が、こっちとしてはありがたいんだけど」

「そう言われてもなあ……」

 この異世界に来たくて来たわけではないし、まだ割り切れてもいない。

「で、お前は何者なんだ?」

「ここで説明するよりも、まずは冒険者組合に戻って。そっちの方が手っ取り早いから」

 言うや否や、白い鳥は冒険者組合の方角へと飛んで行ってしまう。

 やっぱり、ゲーム的な流れだよなあ、と尋也は思いながらも、その道からあえて外れた行動をする気にもなれず、大人しく冒険者組合へと向かった。

「あっ! 戻ってきたっ!」

 尋也が店に入るや、ヴィレッタが目を見開いて素っ頓狂な声で出迎えてきた。

「試練合格したんだ? 無事みたいだねえ、良かった良かった、心配してたんだよっ! トーゴ、帰ってきたよ! さっきの人、領主様の館から帰ってきたっ!」

ヴィレッタが呼びかけに出てきたトーゴも、またびっくりした顔をしてきた。

「おお、足もちゃんとついているな。幽霊じゃないようだな。生還、おめでとう」

「やっぱり危険な試練だって知ってたんだ……」

 二人の反応を目の当たりにして、尋也は呟く。死にそうな目にあった立場としては、それなら、事前にそうと教えてくれたら、との思いがあったりする。

「何があったかは知らないが、あんまり恨んでくれるな。これにはちゃんとした理由があるんだよ」

 トーゴは苦笑しかけた顔で言ってから、いささかわざとらしく、ぽんと手を叩く。

「お前さんに、客がいたんだった」

「客?」

「ああ、上の階に泊まっている。とりあえず、行ってみな」

 矛先を逸らされた感があるが、これも強制イベントの流れだと割り切って、尋也は素直にトーゴから教えられた部屋に行ってみることにする。

 また自分を殺そうとする奴が待ち構えていないと良いのだけれども、といささか過剰な不安を覚えつつ、尋也は部屋の番号を確認すると、扉を叩いた。

「……誰?」

 少し間の後に、扉の奥から億劫そうな声が聞こえてきた。

「あの、八瀬尋也となんですけど」

「ヒ、ヒロヤって、あんたなの? なんで、あんたが来ているのよっ!?」

 焦ったような声は、若い女性のものだった。どこかで聞いたことがある。

「いや、客が待っているって、下で聞いたんで……」

「だからって、今来なくたっていいじゃないの! ちょ、ちょっと待ってて……きゃあ!」

 悲鳴の直後に大きな物音が聞こえてきた。

 立て付けが悪いのか、室内での衝撃が伝わって扉が少し開いた。

「どうしたんですか……?」

 声をかけながら、そっと中を覗いて、尋也は息を呑んだ。

 ベッドの下で、衣服を撒き散らして尻餅状態になっている少女がいた。年頃は、尋也と同じくらい。明るい茶色の髪で、整った顔立ちをしているが、こちらに気付いている表情は狼狽で固まっていた。無理もない、半裸状態である。どういうわけか、肝心な部分は室内にある光源の位置と量からすれば不自然な光によって、隠されてしまっているけれども。

 彼女は何者で、自分に何の用で、何でそんな状態なのか。疑問は次々と浮かんできたが、尋也が最優先にするべきは、質問ではないことは明らかだった。

「あの、これは不可抗力って奴であって……」

「あんたぁ……」

 尋也が弁解しようとしたら、落ちていた衣服を手繰り寄せて裸体を隠した少女は、羞恥に顔を歪め、涙を浮かべた目で睨んでくる。

「ということは、いわゆるラッキースケベであるからして……」

 少女の怒気にさらされて、尋也の口からとんでもない単語が出てしまう。

「言うに事欠いて、それかあぁ!!」

 怒声をほとばしらせて、少女が手を突き出してくる。

 掌から生まれた光球は、もろに尋也の腹部に命中した。

「ぐへぇ!」

 回避も虚勢を取り繕う余裕もなく、尋也は壁際に吹き飛ばされる。

 今度こそまずいかもしれない。

 意識が途切れてゆく中で、尋也は再び己の最後を覚悟した。


「そりゃ、災難だったな」

 トーゴは笑い声を上げて、カウンター越しに座る二人を見る。

 尋也は仏頂面になっていて、隣の少女は、それになお怒りの残滓を混ぜて、そっぽを向いていた。

「二人とも、いつまでも不景気な面してるなよ。尋也が、無事に戻ってきたからいいじゃないか。祝いだ、今夜は俺の奢りだからよ、そろそろ機嫌直せよな」

 トーゴは料理を用意するために奥へ行ってしまう。

 ちらっと尋也は隣を窺った。

「……わざとじゃないんだけど、悪かったよ」

 一応、詫びておくことにした。それをするぐらいには、落ち度があるとの自覚が尋也にもある。それに対しての彼女の仕打ちは妥当とは思わないけど。

 けれども、尋也がわざわざ宥和的な姿勢を示したのにもかかわらず、相手は無視を決め込んだままだ。

 可愛くねえ。

 普段であれば、気分が良くないので、さっさとこんな奴から離れたであろうが、悲しいかな、転生したばかりで右も左も分からない状況は変わらずであるので、尋也はその場に留まるしかなかった。何をするでもなく、尋也は当てもなく店内に視線を巡らすしかない。

「少しは落ち着きなさいよ」

 唐突に、突っかかるような物言いをされた。

 尋也が振り向けば、少女はそっぽを向いたまま、続ける。

「初心者丸出しで、悪目立ちしているわよ」

「しょうがないだろ……」

 と口の中で言いつつ、尋也がちらっと窺えば、店内にいる何人かの客がこちらをちらちらと見ていた。物珍し気ではあるが、好意的な感じはしない。

「店の中だろうが、不用心なのをさらしているのは危険よ。むしろ、人がいる場所の方が危ないんだから。いつだって、どこになって、間抜けな鴨を探している奴はいるのよ」

「……気を付ける」

 面白くないが、今はそれを跳ね返させるだけの何もかもが、尋也にはない。

「それでだけど……」

 尋也が躊躇いから言い淀む。

少女は聞こえているのにちらと見てきただけだった。

 無視かよ。

 一層気まずくなった空気に、尋也は苛立ち混じりのぼやきを心中で呟く。

「……ミレイナよ」

 不意に名乗られて、尋也は驚いて見るも、ミレイナはそっぽを向いたままだ。

「よろしく……あの」

 どこまでも月並みな返しをしてから、尋也はまたぎこちない間ができないように話を続けようとした。

 すると、空気を察したのか、微かに溜息を零したような素振りをしてから、ミレイナはようやく顔を向けてきた。

「私は、あんたの手伝い役、みたいなものね。立場的には、フォルティナ様に仕えている」

「あの女神の?」

「そう、あの女神の、ね」

 神に仕えていると言いながらの、どことなく皮肉っぽいミレイナの口調である。

 その意味するところを、尋也が尋ねようとしたら、料理を持ったトーゴが戻ってきた。

「待たせたな。無事に合格できた祝いだ。今夜は俺の奢りだから、遠慮なく食ってくれ」

「どうも」

 料理を前にすると、忘れていた食欲が一気に湧き上がってきた。

 堪らず、尋也は食事に取り掛かる。

 味に文句もなく、食事をしていたら、厨房に戻らないで頃合いを見計らっていたトーゴが声をかけてきた。

「しっかし、ほんとに戻ってきて良かったなあ。今だから白状するが、ここしばらく駄目だったから、今回もきっと駄目だろうなあと思ってたんだよ」

「試練の合格率って、そんなに低かったんですか!?」

「聞いた限りだと、そう難しい内容とは思えないんだけどなあ……ちょっと追い込みかけられて鬱な気分にさせられるだけなんだろ?」

 尋也は微妙な表情で頷く。エリノアの行為は本当に予定外の暴走だったらしい。

「なんでこんな変な試練をやるんですか?」

「そりゃあ、だってよ……」

「異世界転生に過剰な期待をかける奴が多過ぎるのよ」

 言い淀むトーゴに対して、ミレイナはぴしゃりとした口調で会話に加わってきた。

 いきなりなんだ、と尋也は思いながらも彼女を見るも、説明の続きがない。

なので、トーゴに問いかけの視線を向ける。

「つまり、だな。そういう願望があるからこそ、ぽんぽん簡単に召喚されたり、自分から迷い込んできたりするんだろうけどさ、異世界転生っていうと、最初からとんでもない能力持ってて、簡単に人生やり直せるのがお約束と思うだろ?」

「ま、まあ……」

そうじゃないと知らされ、女神相手にかなり絡んだことについて、尋也は口が避けても言えない。

「ところが、大抵の奴らはそうじゃないわけよ。初期値で有利と言っても、チートってわけでもない。すると、どうなるかっていえば、ろくに競争もない小学校で優等生だった奴が、私立の中学に進学したら、もっと勉強が出来るのが当たり前にいて、俺って大したことないんじゃねって思い知らされるみたいなことが起こるわけだ」

「うわぁ……他人事だけど、なんか分かる」

 小学校時代の知り合いに思い当たるのがいた。成績優秀なのがとにかく自慢で、塾に通いまくって有名私立中学に受験して合格した。華々しい学歴社会の上階に昇っていったのだが、進学先にはそれ以上に勉強できる人間が履いて捨てるほどいたらしく、知り合いは心が折れて、引き籠りになったと聞く。彼は元気だろうか。

「元の世界じゃ、無職童貞の引き籠りみたいな、もうどうにもならないと思っている奴ほど、異世界転生に過剰な期待を抱きがちなんだよな。その気持ちはわからないんでもないけどよ、だが、こっちの世界は、そいつらのために用意されているわけじゃない。それで絶望するのも早いんだよ」

「おまけに、こっちはないものが多いしね」

 食事をしながら、ぼそっとミレイナが呟く。

「ネットも、ゲームも、アニメもな。ゲームやアニメみたいなことを可能にする世界ではあるが、お手軽じゃない」

「復活はないんですよね?」

「基本的にな。その上で厄介なのが、ゲームみたいなフォローなんてない。いや、いささかながら、足りないって言うか……」

「言い直さなくていいわよ。手厚くないのは本当なんだから」

 女神に仕えるミレイナの存在を思い出してトーゴは言い直そうとするも、本人は気分を害するでもなく言ってきた。

「ともかく、そういうわけだ。しかも、こっちは、中世的な世界だからな。元の世界と比べると、良くも悪くもずっと人間関係が濃い。となると、対人関係に苦手意識を引きずったままの連中には、尚更に優しくない世界なんだよ。むしろ、元の世界の方がずっと優しいっていうか……ともかく、元の世界の知識や技術が多少あるくらいじゃ、好き勝手に生きるのには程遠い」

 異世界に来たのなら、あれやこれは使えるのではないか。上手く行けば、お気楽でウハウハにやっていけるのではないか、と密かに考えていた尋也はぎくりする。

「こっちの世界だろうが、生きるってのは、簡単じゃないのよ」

 またもミレイナが口を挟んできた。興味がないのは、見かけだけらしい。

「それでも、一応はさ、オンラインゲームじゃないんだけどさ、こっちに来たばかりの初心者を、先に来ていた転生者があれこれ手助けしたりもしてたんだよ。今だってそれが完全に消えたわけじゃないんだが、この辺りに来る奴は特に、さっき言ったような奴らばかり来るから、すぐに持て余すようになる。勝手に野垂れ死んでくれるならまだいいが、爪弾き者になったり、小悪党に成り下がるともう厄介だ。そういう奴らの餌食になったりするのもな……」

「当の領主様が、初心者食いをやらかしているんだけどね」

「おかげで俺らは安心してここで生活できているし、あんたもいらぬ面倒が減って、助かってはいるだろ?」

 トーゴが嗜めるように言うと、ミレイナは反論こそしなかったが、面白くなさそうな顔をして、そっぽを向く。

「お代わりいるか? 他に注文とか、遠慮せずどんどんと食べてくれよ」

「ああ、はい」

 若干、気まずげな空気を振り払うようにトーゴが食事を勧めてくるのを、尋也は適当に頷く。料理より話が気になったが、トーゴには通じなかったようだ。

「好き嫌いはあんまりないんだったよな?」

「はい」

「食い物が合う合わないも、こっちで上手くやっていけるかに、かなり無視できないからな。ジャンクフードが主食だって、とんでもない奴が来たことがあってな、そいつは最後まで偏食が直らなかったなあ……」

「できるだけ、こっちの食べ物に慣れておくことにします」

 尋也は殊勝気に応じる。偏食転生者のその後は聞く気にはなれない。

「デザートも楽しみにしておけよ。うちは、スイーツ系の味も種類も自慢なんだ」

「どれもこれも林檎ばかりじゃないの」

 年頃の少女らしい横顔を見せて、ミレイナは文句を言ってくる。

「いいじゃないか、林檎。昼に出したの、美味かっただろ?」

「はい。自家栽培の林檎、でしたよね?」

「ああ、その話もしたんだったな。実は育てただけじゃなくて、うちで使っている林檎の品種自体、俺が作ったんだよ」

「え、魔法とかで?」

「違う違う。農家がやる品種改良だよ。実家が林檎農家でな。こっちの世界で初めて林檎を食べたら、もうひどい味で、それで美味い林檎が食いたくて、冒険者稼業から足洗って始めたんだ」

「えっ!? トーゴさんって、もしかして……」

「本名は芦田東吾って言うんだ」

 照れ臭そうにトーゴは明かしてくる。

「一応、言っておくが、俺は向こうでは、会社員だったからな」

 ただ、とトーゴは続ける。

 当時はひどい不況による就職難で、やっと入れた会社は、朝から晩まで仕事仕事、休日出勤当たり前、残業代も労働法もナニソレで、パワハラ、モラハラてんこもりのやばい職場だった。そのため、東吾の心身はどんどん蝕まれていき、ある日の朝、やってきた電車に飛び込みたくなる衝動が来るほどに追い詰められたという。

「でも、実行に移すとか以前に、意識を失ってな。次に目が覚めた時にはこっちに転生していた。精神より肉体が限界にきちまってたんだな」

 転生したトーゴは冒険者として数年過ごすも、当初の情熱はやがて冷めて、引退した。それから、農家に転職して、ヴィレッタの姉である宿屋の娘と結婚、こちらの家業を引き継いで、現在に至っている、という。

「へえ、そんな生き方、できるんですか?」

「人によりけりよ、こっちに転生してきた事情はそれぞれなんだから」

 すかさずミレイナがぴしゃりと釘を刺してくる。お前は違うぞ、と言外に言っているようだった。

「使い魔みたい形で召喚されたら、難しいわな」

 トーゴは苦笑に近い表情で言う。自分に向ける眼差しが意味するところを、尋也はこれまた察して、微妙な気分になる。

「転生者って言えば、あの女領主も、そう」

「えっ? パメラ・パメールも、転生者ってこと?」

 ついでの口調で、ミレイナが明かしてきた事実に、尋也はびっくりする。

「本当だ。短い間だが、俺も一緒に旅をしたことがある。その時のパーティーが解散して、しばらくしたら、新しい領主として村にやってきたのは、さすがに驚いたけどな」

 頷いて、懐かしむような顔で言うトーゴであったが、ふと表情を改めてきた。

「ここらでは公然の秘密なんだが、他では、俺のことも含めて誰が転生者とか言わないようにしてくれな」

「いいですけど……」

 応じながらも尋也の何故の疑問については、ミレイナが説明してくれた。

「転生者ってだけで狙われたりするの。だから、あまり自分は転生者だと言い触らさないのが賢明よ」

 トーゴの言葉に尋也が戸惑った反応をすると、ミレイナが説明してくれる。

「そういうことね……あっ」

 と頷いてから、尋也は声を上げる。転生した直後に、わざわざ転生者を目撃しにきた二人組と遭遇してしまっているのだ。それだけではない、今に至るまで少なくない村の人間に知られてしまっているではないか。

「パメラの領地内では大丈夫よ、一応だけどね」

 ミレイナは皮肉気に言ってから、続けてきた。

「ただ注意だけど、たとえ村の中でも、向こうからもってきた物は隠しておくのが無難だから。スマフォやノートパソコンみたいな貴重なものは特にね」

「持ってはいるけど……」

 尋也は壊れてしまった携帯を取り出して、ミレイナに見せる。

「あらら。でも、使えなくなっていたが方が、変に未練がなくていいわね。繋がらないと分かっても、ずっと携帯弄ってたりする人も多いから」

「最近のは、こんな形になってるんだよな……」

 覗き込んできたトーゴが興味深げに言う。

「最新ってほどでもないんですけど……」

 尋也は携帯にこだわる質でなく、親が許容する予算範囲で、店員に勧められたのをただ選んだだけだった。 

「ゲームもやれるんだろ? どんなのやってたんだ?」

「流行ってるのはお試しでやったりしてますけど、ずっと続ているのは『果てなき旅』とか、『ランド&ダンジョン』とかかな」

「おぉ、まだどっちも続いているのか!」

 トーゴは感心するように言ってきた。前者は、一個人がその世界で生きているような自由度の高さを売りにした、後者は、国やダンジョンを経営・建築するのに重きを置いている有名オンラインRPGである。いつから運営開始されているか、尋也は覚えてないが、それなりに歴史があるゲームのはずだ。

「俺も、かなりのめり込んだよ。あの頃の唯一の楽しみだったなあ。けど、どっちも結構なハイスペックなPCじゃないと楽しめないゲームだったはずだが、今の携帯はそこまで性能が上がったのか?」

「スマフォ対応の軽量版が出たんです」

「そういうことか。にしても、あっちの世界は、時代が進むのが早いなあ」

「いつまでも、未練たらしい話しててもしょうがないでしょ」

 ミレイナが仏頂面で、ばっさりと斬ってくる。

「まあ、そうだな」

 無粋な、と咎めるような目つきになるも、トーゴはあっさり受け入れた。

「おっと、これを忘れるところだった」

 言いながらトーゴが差し出してきたのは、冊子だった。

「ようこそ異世界……?」

 尋也は日本語で書かれた題名を口にする。

「こっちに転生してきた奴のための手引書だよ。俺のお手製なんだぜ」

 え、と尋也は表紙とトーゴの顔を思わず見比べる。表紙には中々に上手い萌え絵が描かれていたりする。

「なんだよ?」

「いや、何も……」

「絵にドン引きしても、中身はそこまでじゃないから、一応、目は通しておいた方が良いわよ」

 ミレイナの遠慮のない物言いに、トーゴは機嫌を損ねたようだったが、厨房から呼びかけられたのもあって、反論もしないまま仕事に戻っていった。

 そういうことなら、と尋也は早速、冊子を捲ってみることにする。

 修学旅行の栞にありそうな序文と目次、その次から本文だった。


 その1 ここは剣と魔法の、まさにゲームみたいな世界です。ただし、人並みにプレイしていれば、クリアできるのが前提のゲームとは絶対的に違います。この世界も、魔物も、住人も、あなたのために存在しているわけではありません。


 それから後は、あれこれと具体的なことが書いてあった。ゲームと違って、リセットできません、普通に死にします、住民はNPCではありません、勝手に建物に入って家探ししてはいけません、などなど。当たり前と言えば当たり前の事柄であったが、こちらの世界に来てまだ間もない尋也には、いざ言われてみると、なるほどと思うことばかりである。

「なあに、見てるのぉ!?」

 ヴィレッタが脇から覗き込んできた。

「トーゴさんにさっきこれをもらって」

「転生者用の……そうか、異世界文字読めるんだものね。いいなあ、私にも教えてって言ってるんだけど、トーゴ、教えてくれないんだよね。ねえ、私に異世界文字教えてくれないの?」

「こんなの知ってても、意味ないでしょ。それに、転生者に間違われたりでもしたら、面倒になるだけじゃない」

 尋也が答えるより先に、ミレイナが冷ややかにヴィレッタの要望を撥ね付けた。

「けちぃ」

 抗議するヴィレッタを、ミレイナは仕事に戻れとばかりに手を振って追い払ってしまう。

「難しい内容でもないから、とっとと覚えておいた方がいいわ。ずっと持ってても荷物になるだけだし、転生者とばれると面倒だしね」

「そこまで、警戒しないと駄目なものなのか?」

 ミレイナの助言に、尋也の中で、またも不安が頭をもたげてくる。

「土地や人次第かな。この世界に早く慣れて欲しいってのもある。異世界に来たって現実を受け入れられても、理解が追いついてない人って意外に多いの。ひどいのだと、他人の家に入り込んで物色したりしてね」

「本当の話?」

「それは、あくまで、極端な例だけど、実際にいるの。ただ人様に迷惑かけるだけなら、まだ大目に見られるけど、そういった迂闊さからヘマしたり、面倒事起こしてあっさり無駄死にするのは珍しくはないわ。こういう話をすると、自分はマシだと思うでしょ? でもね、そう確信している手合いほど、こっちの人間に言わせてもらえば、不用意で不用心なことをやらかしちゃっている場合が少なくないの」

「危機意識のない海外旅行客みたいなものか」

 尋也の想像の中で、安全で便利な日本での感覚を抜け切れず、犯罪などに巻き込まれる海外旅行者の姿が、転生異世界にさして違和感もなくはまった。

「間違ってはいないわね。だから、冊子に書かれていることぐらいは、当たり前に頭に叩き込んでおいてもらいたいの。右も左も分からないままなんて奴の面倒は、こっちだって見切れないから」

 やる気のないバイトの教育係みたいな口調で、ミレイナは言ってくる。

 主も主なら、部下も部下ということなんだろうか。尋也は食事の残りを食べながら、冊子の続きを読んでいく。

 それほどの厚さもなく、出来はともかく挿絵がそこかしこにあったのもあって、思ったよりも早く読み終わった。本当に、初歩的なことを噛んで含めるような内容だった。

「今日は、うちに泊まっていくんだろ?」

 食事も冊子も片付けたのを見て、トーゴがまた話しかけてくる。

「あ、はい」

 尋也も話を切り出すきっかけを探っていたところだった。横目で見れば、ミレイナは何も言ってこないので、ここに泊まるのは問題ないのだろう。

「部屋は空いているからな。そっちも奢りだ。今夜に限ってはだけどな。おーい、ヴィレッタ、そろそろ閉めるぞ」

「はーい。ってことで、みんなぁ、本日はおしまいだよー」

 トーゴに言われて、ヴィレッタは、まだ残っていた客に帰るように促していく。

「じゃ、私も部屋に戻るとするわ」

 愛想のない言葉を挨拶代わりに告げて、ミレイナも、のっそりと席を立った。

 不意に、不明瞭な罵声が店内に響き渡った。

 尋也がそちらを見れば、店の隅の卓で男が突っ伏していて、傍でヴィレッタが困り顔になっている。

「ったく、またあいつか」

 トーゴが嘆息すると、その卓へと向かっていく。

 酒場では、ありがちな騒動であるが、尋也には馴染みが薄い。野次馬根性もあって、つい成り行きを見守ってしまう。

「大人しく言うこと聞いてくれないと、トーゴに叩き出されちゃうよ」

 ヴィレッタが優し気に声をかけているが、泥酔客は応じる気配はない。

「ただの酔っ払いよ、見ても、面白いものじゃないわよ」

 ミレイナが呆れた半分、咎め半分の調子で声をかけてくる。部屋に戻ったと思ったら、留まっていたらしい。

 下手に絡まれるのもな、と納得もあり席を立ちかけた尋也だったが、どうも酔っ払いに見覚えがあった。

 まさかこんな異世界に知り合いがいるなんてこと、と思いながらも、気になってしまった尋也は卓へと近寄り、トーゴたちの背後から覗き込んだ。

「何か用?」

「ちょっと、気になったって言うか……」

 ヴィレッタの問いに応じつつ、尋也は酔っ払いの顔を覗き込む。

「あっ……」

「どうしたの?」

「こっちに来て、最初に会った人で、スマフォを強請り取ろうとしてきて……」

 すっかり出来上がっている男の顔は真っ赤で、だらしなくなっているが、間違いない。

「あっちゃー、こいつ、遂に新入りさんに手を出しちゃったのか……」

 トーゴは額に手をやるや呻くように言った。

 尋也は彼の反応を目にして、説明も受けていたが、読んだかばかりの冊子にあった記述を思い出す。この世界では転生者は狙われやすく、同じ転生者の中にも、ゲームのPK感覚で転生者狩りをする悪質な者がいるので注意、とあった。それとは別に、パメラ・パメールの領内では、転生者への加害行為はご法度とも。

「いくら事欠いたからって、変な噂を信じて、スマフォを欲しがるなんてね」

「噂?」

 いつの間にか、すぐ後ろに来ていたミレイナの呟きに、尋也は振り返りつつ尋ねる。

「同じ転生者でもね、初期の能力や成長速度にかなりばらつきがあるのよ」

「え、どれくらい?」

「元の世界の才能や容姿の差とは比較にならないくらい」

「そんなにっ!?」

 言ってから、尋也はすぐに思い至る。魔王すら倒す転生者と、転生したばかりとはいえ自分のことを思えば、ただ努力と時間の差では片づけられない何かがあっても不思議ではない。

「だけど、スマフォが何の関係が?」

 ミレイナは答えようとせずに、視線をトーゴに向けてきた。

「その差は何だろうって、転生者の間でも、熱の入った論争になっているんだ。結論は出てないんだがな。ともかく、有力な説の一つに、前の世界でやっていたゲームのデータが反映されているんじゃないかってのがあるんだよ」

 話を振られた形になったトーゴが代わりに答える。

「だから、スマフォを……?」

「スマフォだけじゃなくて、ゲーム機やパソコンが狙われるのも、同じ理由だな。珍しくて金になるってのもあるが」

「でも、ネットに繋がってないなら意味なくないですか?」

「ゲームが入っているのもあるだろ。たとえ、それがなくても、自分でデータを作るって話らしいんだよ」

「どういうことですか?」

「超絶魔法能力があるとか、竜に変身できるとか、ご都合と願望が詰まったチート設定を自作すると、そのデータがこの世界に干渉するとか、情報量が能力値に変換されるって説があるんだ」

「それ、本当なんですか?」

「噂だよ、あくまで噂、都市伝説みたいなものと思ってくれていい」

「だけど、本気で信じる手合いがいるのよね」

 ミレイナが辛辣に補足すると、トーゴが苦虫を噛み潰したような顔になっていた。

 まさか目の前のこいつがそうだったとはなあ。酔っ払いに向けられるトーゴの眼差しは明らかにそう語っていた。

「この人も、最初は頑張ってたのにね」

 ヴィレッタのどことなく残念そうに呟きに、トーゴもまた頷く。

「パメラの試練も無事に切り抜けて、順調に成長していったんだが、悪いのに引っかかって、金も装備も、それどころかスキルも全て持っていかれてから、すっかり腑抜けになっちまってな」

「え、スキルも人から取れるんですか?」

「普通はできんよ。だけど、それができるヤバい盗賊がいるらしいな」

「そこまで根こそぎやられたら、気持ちが折れるのもしょうがないかも……」

 こつこつやってきて、せっかく得てきたものが、いきなりほぼ全て奪われて台無しになったら、ゲームであれば、よっぽど強い動機でもなければやり直そうとは考えないだろう。

「パメラの試練を乗り越えた奴なら、なおのこと、この異世界はやり直しがきくゲームじゃなくて現実だと分かっているからな」

「辛いことで気持ちが挫けて、酒に逃げるのはこっちでも一緒よ」

 ミレイナは変わらず冷淡な口調だった。

「この人、どうするの?」

「未遂だからなあ……」

 ヴィレッタの問いに、トーゴが難しい顔をする。

「パメラにはばれているわよ」

 ミレイナの言葉に、トーゴたちはぎょっとした顔になった。

「本当か?」

「ええ、パメラの魔獣が近くにいたもの」

 トーゴに答えてから、ミレイナは尋也を見てきた。

「こっちにきた直後に会ったでしょ? ほら、黒い狼」

 尋也はすぐに思い当たる。不思議な雰囲気の獣だったが、そういう事情があったのか。

「なら、駄目かもしれんなあ」

「逮捕されるってことですか?」

 トーゴの言葉に、尋也は不吉な響きを感じ取る。

「逮捕で済めばいいんだが……」

「最悪、魔獣の餌ね」

「餌!?」

 揺らぎのないミレイナの言葉に、尋也はぎょっとした。

「領主の役得よ。パメラはそうやって、もっともらしい理由を作って、転生者狩りをやっているの」

「なんでまた?」

「自分の能力を上げるのに、獲物としての価値があるから。転生者が狙われやすいってのは、それが理由」

「なんか、メタルなんとかのレアモンスターみたいな言い方だなあ……」

「そう言っているのよ。獲物として美味しい存在って」

 ミレイナの説明に、尋也の視界の端で、トーゴが頷いていた。

「じゃあ、本当に……」

「もう放っておいてくれっ、どうでもいいだろっ!」

 尋也の言葉は、突っ伏していた酔っ払いの喚き声によって遮られた。

「どうでも良くないの、うちとしても、ここの領地としても」

「余計なこと言わなくていい」

 むっとして言ったヴィレッタを、トーゴがすかさず注意をする。

 周囲の反応などお構いなく、男は悲嘆の沼に首まで浸ってしまっていた。

「うんざりなんだよ、こんな世界っ! 俺はゲームが出来ていれば、それで良かったんだ。家で暴れたりなんかもしてないし、近所に迷惑もかけてなかった。なのに、あいつら、いきなり俺を捨てて、勝手にいなくなりやがって! そのせいで俺はこんな世界に来る羽目に……」

 うわあ、と尋也はつい何とも言えない声を漏らしてしまう。

「こういうの、二ヒートって言うんだっけ?」

「ニートの引き籠りだ。……きっと、そうなんだろうなって思ってはいたが、やっぱりか。元の世界でどうしていたかはっきり聞いたことがなかったんだよ」

 ヴィレッタの言葉を訂正してから、トーゴは尋也に説明してくる。

 ゲームにのめり込んでいたからこそ、スマフォを使っての一発逆転に一縷の望みを賭けたかったのだろうか。酔っ払いをただ見詰めるしかできない尋也は、その心情を思いやってみる。

「いつまでもこうしていられないけど、どうするの?」

 ヴィレッタは自分にはもう手に負えないと言いたげな態度をしてくる。

「未遂ってことなんだから、俺としてはどうにかできるならしてやりたいんだがなあ……」

 トーゴが渋い顔になって、ぼやいてから、ちらと尋也を見てくる。

 その意味するところを尋也は分かりかねた。もし、自分の判断するところであるのなら、博人としては、なあなあで済ますのは、あまり好きな質ではない。当事者として言わせてもらえば、ただ事で済まなかった可能性だってあるのだ。けれども、同じように意図せず異世界にやってきて、どうにかやっていこうとしていたところで失敗して、すっかり落ちぶれた姿を目の当たりにすると、責める気にも中々、なれなかった。

「こんなクソゲー、もう嫌だ……」

 周囲の困惑を知ってか知らずか、男は卓に突っ伏して泣き言と恨み言を漏らし続ける。

「いい方法があるわよ」

 距離を置いて事の成り行きを見守っていたミレイナが提案してきた。

「こっちに任せてもらっていい?」

「まあ、こっちの面倒にならないなら……」

 トーゴは戸惑い気味に答える。

 それを受けて、ミレイナは卓へと歩み寄る。

「ねえ」

 通りの良い声と、傍にやってきた新たな気配に気づいた酔っぱらいは、のろのろと顔を上げた。

「念のために確認しておくけど、本当にこっちの世界にいるのはもう嫌? 踏み止まって、まだ頑張ってみようってつもりはない?」

「何度も言ってるだろ。異世界なんて、もううんざりなんだよっ!」

 酔っ払いは、変わりのない心情を吐き捨ててきた。

「だけどさ……」

 尋也は思わず口を開く。悪い形で関わりを持ってしまったところへきて、恐らく自分のことを認識してないのだろうが、謝罪も反省の弁も聞けてないので、彼に対する印象はお世辞にも良くない。だが、突如、異世界に放り込まれた運命を同じくする者として、ばっさりと突き放すのも躊躇われた。

 けれども、酔っ払いはそんな尋也の想いなど知る素振りもなく遮ってくる。

「どの道、俺はもう終了なんだよ。領主から、明日、出頭しろと言われているんだ」

 トーゴとヴィレッタが息を吞む気配が尋也にも伝わったトーゴの冊子には、未遂であれ転生者狩りをした者は領主に処断されることが記載されていた。もう男の運命は、自分たちには手に負えない段階になってしまっているのだろう。

「諦めて、本当に後悔しない?」

 ミレイナだけは、意外な辛抱強さを発揮して、重ねて確認をしてきた。

「うんざりだって、言ってるだろ!」

 呂律の回らない口調で、男は乱暴に見当違いの方向に手を振り回す。

「なら、仕方ないわね。ちょっと、来て」

 相手の邪険な態度に、ミレイナは気を悪くするでもなく、尋也を手招きしてくる。

「え、なに?」

「せっかくの機会だから、実践と行くわ。この人の頭の上あたりに、こうやって、手を差し出して」

「こ、こう?」

 尋也は、言われた通り、ミレイナの仕草を真似る。

 そう、と頷くや、ミレイナは尋也の手を触れてきた。

「え、な、なに」

「ちょっと、こんなことで、動揺しないでよ」

「動揺なんて、してない。いきなりで驚いただけで」

「何だっていいけど、とにかく集中して」

「あ、ああ」

「私が言った通りに、唱えて」

「え、何を?」

「言われた通りにやる!」

「は、はい」

 いきなりのことに戸惑う尋也にぴしゃりと言うと、ミレイナは祈るように目を閉じ、そして、厳かに言葉を紡ぎだしていた。

「時空の果てより、呼ばれし者、彷徨いの果てに疲れし者、運命の理を以て、今、ここに告げる。天なる光に導かれて、魂よ、今、放たれん」

「……光に導かれて、魂よ、今、放たれん」

 尋也がミレイナに倣って唱え切ると、差し出した掌に不思議な感覚が生じた。

トーゴたちのどよめきが聞こえてきて、尋也がつい目を開けてみれば、酔っ払いの全身が光に包まれていた。

「ああ……」

 自身に起こった変化に気づいた酔っ払いがのろのろと顔を上げて、驚いた表情を見せるが、すぐに陰鬱から解き放たれて、安堵の笑みのようなものを浮かべる。

尋也が仰天している間にも、酔っ払いの姿は眩くおぼろげになっていき、やがてわずかな光の粒子を残滓にして、消え去ってしまった。

唐突に、尋也の脳裏に様々な光景が流れ込んでくる。本人の口から聞く機会がなかった酔っ払いの元の名前も、尋也は知った。

「消えちゃった……」

 ヴィレッタが茫然と呟いた。

「思ったより、あっさりできたわね。本当に思い残すことはなかったみたい」

 ふっと息を吐いてから、ミレイナが淡々と言ってくる。

「な、何をやったの? 何が起こったの?」

 やっと我に返った尋也が問いを発する。

「昇魂の魔法よ。転生者の魂を解放したの」

「解放って、まさか……」

「ええ、あの人の魂は、天に召されってことね。本人の望み通りに」

「元の世界に帰ったのか……?」

「違うわ。あくまでこの世界での生を終えただけ。もし、この後に選択肢があるとしても、こちらの世界の理に従うか、元の世界の理に従うかだけでしょうね」

 易な方法で元の世界に帰れると考えるな、ミレイナの説明にある言外の響きは十分に尋也にも伝わった。

「そっか……」

「なに、他人事みたいな顔しているの。あんたの仕事なのよ」

「はぁ?」

 間抜けな返事をする尋也に、ミレイナは呆れ切った顔をしてくる。

「だから、今、やった、みたいに、転生者を、この世界から、戻すのが、あんたの、仕事って言っているの」

 記憶に刻み込んでやるとばかりに、ミレイナは細かく区切って言ってきた。

「転生者を戻すって……、お、お前ら……」

 やり取りを聞いて、慄くトーゴに、ミレイナは軽く手を振った。

「あなたみたいに、こっちの世界に、とっくにいい意味で溶け込んでいる人は対象じゃないわ、安心して」

 そう告げると、ミレイナはくるりと背中を向けて歩きだした。

「今度こそ、今夜はこれで」

 言いながら出て行ってしまう。

「……お前も、泊まるで、良いんだよな……?」

 ややあってから、思い出したようにトーゴは確認してくる。

「あ、はい」

 尋也は反射的に頷く。素直に好意に甘えても問題ないはずだ。

「ヴィレッタ、こっちはいいから、部屋に案内してやれ」

 声をかけられて、まだ茫然としていたヴィレッタはようやく我に返るも、すぐにはっとした表情になった。

「大変、大変だよ!」

「どうした?」

「あの人から、お代もらってないんじゃないの!?」

「飯代か?」

「宿代もだよ! かなり滞納しているって、今朝も相談したじゃない。だけど、トーゴが、あいつは可哀想な転生者だからって言うからさ、それとなく催促するだけにしておいたけど……どうするのよ? 出産の前祝いだって、この前、大盤振る舞いしたせいで、今月は余裕ないんだよ。姉さんにだって、絞られたでしょ!」

「あれは、なあ……」

 弁解しかけるも、額に汗を浮かべたトーゴはすぐに言葉を詰まらせる。

 こっちの世界でも、同じなんだなあ、と生活感溢れる二人のやりとりを、尋也は見守る形になっていたのだが、不意にトーゴが見てきた。

「な、何ですか?」

 妙な圧力を感じて、尋也は後退りしかける。

「……考えてみればだな、結果的に踏み倒しが生じる原因を作ったのが、目の前にいるんだよな」

「……言われてみれば、そうだよね」

 トーゴの呟きに、ヴィレッタもまた頷くや同じ目を向けてくる。

 二人に迫られて、尋也は誰かに助けを求めようとするも、ミレイナはとっくにいない。

 転生初日に発生した最後のイベントは、ろくでもないものだった。


 目覚めると、見知らぬ天井があった。

 寝床は硬くて薄い。朝の空気も馴染みがないもので、尋也は昨日の出来事が夢ではないことを改めて実感する。

 心のどこかでは、見慣れた自分の部屋の天井、はたまた、たとえひどい怪我を負っていても、あの子が待っていてくれているなら病院の天井を見ることになっていても、といった期待をしてしまった自分は、異世界転生者失格なのであろうか。

 のそりと起きた尋也は、簡単に身支度を整えると部屋を出た。

「おはよう、お目覚めはいかが?」

 階下に降りていくと、ヴィレッタが早速、元気な挨拶をしてきた。

「普通って言うか、そんなところです」

 引き摺っている落胆が零れ出ないよう気を付けて、尋也は挨拶を返す。

「安心したよ。あの子は、もう起きて、あっちにいるよ」

 ヴィレッタの指差した先の卓に、ミレイナの姿があった。

 卓に向かうと、ミレイナはやや意外そうな表情をして迎える。

「驚いた。自分から起きて出てこられたのね」

「おはようさん。起きるくらい普通だろ」

 しかも、尋也は朝に弱くなく、目覚めもいい質である。余程の早起きや夜更かしでもなければ、基本的に家族や目覚ましに頼らずに済んでいた。

「引き籠りだと、昼夜逆転していたなんて珍しくもないし、そうじゃなくても、部屋から出てこられないってのもいるのよ」

「どうして?」

「やっぱ直面した現実を持て余すのよね。元から逃避願望があって異世界にやってきたとしても、ご都合主義の境遇や能力が与えられてないと、失望が大きいみたいなの。そこへきて、見知らぬ他人しかいない、文化も環境もまるで違う中に、放り込まれるとね。最初の試練を乗り越えても、心機一転なんて簡単にはいかないのよ」

 目が覚めて何も考えずに出てきただけの尋也としては、反応に困ったりする。ただ、訂正はしておかねばならない。

「俺は引き籠りじゃないぞ」

「あら、引き籠りだののお守が続いたせいで、誤解がある言い方だったわね。分かりやすい例ってのもあったけど、そうではなくても、起こることだし、むしろそうでない方が深刻だったりする場合があるの」

「なんでまた?」

「現実を受け入れられないのは同じ理由よ。元の世界に満足していた人ほどね」

 煩わしいことになった経験があるのか、ミレイナの口調に辛辣な響きが加わる。

「ねえ、朝食、食べるでしょ? 彼女と同じものでいい? あ、今朝のお代もいいから。昨夜のこともあるしね」

 意味ありげに片目を閉じてから、ヴィレッタは厨房へ戻っていく。そんな彼女の後姿をミレイナは見送ってから、話題を持ち出してきた。

「さて、今日から、たのしーたのしー冒険者生活が本格的に始まるわけだけど……」

「なんで、嫌味っぽい言い方なんだ?」

「気のせいよ」

 追及するだけ無駄なようだ。

「話を進めるわよ。この世界での大前提は身を以て理解してくれたと思うけど、これからやることは、基本はだけど、ゲームと変わりはないの。冒険して、魔物とかを倒したりして強くなってもらう」

「分かった」

「定番だけど、そのために準備を整えないとね。それが食事が終えてからの次の予定。注意してもらいたいのは、お金のこと。こっちに来たばかりだと、あるだけのお金で、いい装備を揃えたがるけど、生活費を忘れては駄目。ちゃんと食事ができて、寝床がある生活を送るだけでも意外にかかるのよ。最初に大金が入ったからって油断しないようにね」

「そ、そのことなんだけどさ……」

 尋也は気まずい思いになりつつも、伝えることにする。

「はあぁっ!?」

 直後、ミレイナの甲高い、驚愕の声が店内に響き渡った。

「なんで、そんなことになってんのっ!?」

「なんでって言われても……」

 尋也の反応に、ミレイナは舌打ちせんばかりの表情になると、別の客に料理を運んでいたヴィレッタに鋭い視線を向けた。

「ちょっと! どういうこと!?」

 ヴィレッタは一瞬、気まずそうな顔になるも、逃げることもなく素直にやってきた。

「どうして、昨夜のあいつの支払いを、こいつが支払うことになったのよ!?」

「だって、しょうがないじゃない」

 ミレイナの剣幕に、やや気圧されつつもヴィレッタは応じる。

「支払いが残ったまんまで、うちだって困ってたのよ。おまけに、領主様に目をつけられてたんでしょ? 賞金首でもないのに勝手に始末しちゃったんだから、何のお咎めがあるか」

「始末したわけじゃないわ」

「同じようなものでしょ。それとも、そっちが領主様には説明してくれるの?」

 ミレイナは苦々しげな顔になって黙り込む。

「何より、彼も納得して払ってくれたんだからね」

 ヴィレッタの説明に、ミレイナが睨んでくるが、尋也からすれば心外だった。

「な、納得しわけじゃ……」

「奪ったわけでも、脅したわけでもないよね、違う?」

 尋也が反論しかけるが、強気を取り戻していたヴィレッタの勢いに押し切られる。

「違わないけど……」

 ただ、あの夜のトーゴとヴィレッタの圧は、かなりのものがあった。

「でしょ。朝食だってご馳走してあげるのは、そのお礼の意味だってあるんだからね」

 とても割に合わないことを言うと、ヴィレッタはもはや話は終わったとばかりに仕事に戻って行ってしまう。

 そんなヴィレッタの後姿を、尋也がただ見送るしかできないでいると、頬にちくちくと視線を感じた。

「なんで、そんな大事なことを勝手にやらかしちゃうかな……」

 尋也が見た途端に、ミレイナが言ってくる。言葉には思ったほどのきつさはなかったが、彼女の眼差しは非難の色に染まったままだ。

「だって、部屋に戻ってていなかったし……」

 尋也が弁解をしようとすると、ミレイナはこれ見よがしにため息を吐いてくる。

「……しょうがないわね。で、どれだけ残っているの?」

「こっちの通貨の価値がよく分からないんだけど……」

 言い訳しつつ、尋也は残りが入っている袋を差し出した。

「はああぁっ!? こんだけ? こんだけなのっ!? ちょっとっ! ぼったくったんじゃないのっ!?」

 ミレイナが再び驚愕の叫びを発して、仕事中のヴィレッタに抗議を投げつける。

「騙してなんかしてないわよ。明細必要なら持ってくるけど!」

 むっとしたヴィレッタがすかさず言い返してくる。

「結構よ。だけど、冒険者登録料もまけてよねっ!」

「……トーゴに言っとく」

 奥に引っ込んだヴィレッタの背中に、なお強い視線を投げつけてから、ミレイナは呆れた表情を向けてくる。

「パメラのところでの想定外の面倒も無事に切り抜けて、幸先の良い始まりが出来ると思ったのに、まさか二歩目を踏み出す前に躓くなんてね……」

「なんだか、申し訳ない」

 日本人的な反応から尋也は詫びる。

「謝ってもらわなくてもいいわ……念のため、言っておくけど、私の手伝いだって無料じゃないからね」

「えっ!?」

 今度は尋也が驚きの叫びを発する番だった。

「当たり前でしょ、まさか無給で働かせるつもりだったの?」

「女神の使いなのに?」

「女神の使いだからって、天使でも妖精でもない人間なのよ。霞食べて生きていけるわけじゃないの」

 それは仙人ではなかったか、と尋也は思ったが口には出さない。

「……具体的にはいかほど?」

「基本的なところでは、得られる収入は等分ね。それとは別に、初期費用をもらうことになっているんだけど……それは後払いでいいわ」

 またも溜息を吐いて、ミレイナは言ってくる。

「払えなかったら?」

「金の切れ目が縁の切れ目って言葉知ってる?」

 尋也が恐る恐るの問いに、ミレイナはにっこりと答えてくる。

「こっちも、血も涙もない守銭奴のつもりはないから、多少の猶予はあげる」

「それは、ありがたい……」

 あまり悠長に考えない方がいいようだ。

 尋也は何だか身の置きどころがない気分である。それにしても、自分の落ち度があるとはいえ、本格的な冒険が始まる前にこんな厄介ごとに見舞われるとは。これがゲームだったら間違いなく失敗作だ。

「ともかく、気を取り直して、出掛けるわよ」

 自ら言い聞かせるように言ってミレイナは席を立つ。

「どこに行くんだ?」

「もう忘れたの? 装備を整えるの」

 そう答えたミレイナに、尋也が最初に連れていかれたのは服屋だった。

「とりあえず、この辺りでいいでしょ」

 ちらりと見てから、いかにも適当に選びました、と言いたげにミレイナが服を差し出してきたので、尋也は受け取りいそいそと着替えた。

「ど、どうだ?」

「聞きたいのはこっちよ、身体には合ってるの?」

 気恥ずかし気な尋也の問いに、ミレイナは跳ね除けるように逆に問うてくる。

「ちょ、丁度いいかな」

 それも、勿論、大事であるが、せっかく異世界転生をして、その世界の住民の格好になったのである。未だ多少でも、旅行気分も残っていたし、尋也とて年相応に見た目はいくらかにしろ気にする。

 それらの想いを、配慮もなくスパッと切り捨ててから、ミレイナは目を細める。

「なあに、もしかして、服装とかにこだわりがある人だった?」

「別に、そこまでじゃあ……」

「だったら、いいじゃない。別に浮いてないわよ」

「ならいいけどさ」

「もう十分に分かったと思うけど、こっちはお洒落な服も恵まれてはいないから、覚悟はしておいてね。まあ、人によっては自分なりに工夫しているけど」

 とにかく次よ、と言ってミレイナが、次に連れて行ったのは武器や防具を扱う店だった。

「最初の村にしては、デカい店だなあ……」

 店構えを前にして、尋也は感心する。見かけに違わず、種類も豊富で驚いた。

「最初の村なんて、棒切れとか、良くて胴の剣ぐらいしか扱ってないのが定番なのに」

「この村を拠点にしている冒険者って、結構いるのよ」

 異世界転生者の反応に慣れっこなのか、最初の村という言いように触れることもなく、ミレイナは説明する。

「それで、武器は何するか決まった?」

 尋也はぐるりと店内を見回す。剣は勿論、短剣、槍、弓、大槌、鎌、一見してどう使うのか想像しにくいものすらある。

 まあ、と尋也は曖昧に応じるが、あまり選択肢は多くはない。元の世界で、個性のある武器を活かせるような武道もやっていたわけではない。奇をてらわず、剣が無難だろう。ただ、一口に剣と言っても、ここの店は種類が揃っている。

 どれにするか。

 店内を眺め回していたら、奥まったところに大事そうに飾ってある剣が目に留まった。凝った装飾も施されていて、いかにも強力そうである。

「あ、これ……」

「やめておいた方がいいわよ」

 手を伸ばしかけた尋也を制するように、ミレイナが言ってきた。

「それは魔法剣。かなり強力な武器だけど、今のあなたを逆さ吊りにして、滓になるまで絞りに絞っても、とても払える額じゃないわ」

 金欠を抉ってくるが、尋也には切り札があるではないか。

「だけど、パメラから紹介状があるじゃないか、これ使っちゃだめなのか?」

「分かってないわね」

 ミレイナは呆れて言ってから続ける。

「初心者が強力な武器なんて持つものじゃないわ。危ない目に遭う確率が増えるだけ」

「最初から強い武器があった方が有利じゃないのか?」

 尋也はさも当然ではないかと言い返す。尋也は基本的にゲームなどでも、強力な武器から揃える派だ。推測だが、こういう傾向は一定割合いると思う。

「一概にそうとは言えないわ。むしろ、逆に危険な場合だってある。特にあなたのような初心者だとね」

「なんで?」

「物によっては、使用者に適性や相応の実力がないと真価を発揮できないってのもあるけど、それ以上に、いかにも弱そうで、不慣れな初心者が、高価な装備をこれ見よがしに持ち歩いていたら、どうなると思う?」

 ミレイナのさも当然といった指摘は、尋也には盲点だった。しかも、こちらの世界にやってきて早々に、物取りの被害に遭いかけたことも抜け落ちていた。

「じゃあ、どうすればいいんだ?」

「最初のうちは、お手軽でいいのよ。扱い易いし、奪おうなんてまず思う人はいないし、それに戦闘にびびって武器を放り投げて逃げ出しても諦めもつくでしょ」

 納得はできるが、最後は余計だ。

「だったら…」

 尋也が目を向けたのは、店の一角にまとめて立てかけられている剣だった。大事そうに飾ってある魔法剣に比べると扱いが雑で、いかにも安物といった趣である。ただ、長さや幅など、それぞれ微妙な違いがあった。

「これでいいんじゃないの?」

 どれにしようかと、尋也が思っていたら、ミレイナが手近な一本を手に取ると差し出してきた。

 ちょっといい加減に過ぎないか、と尋也は心中で呟きつつ、鞘からそっと抜いてみる。剣は両刀で、見た目はしょぼいながらも、鈍い光を放つちゃんとした武器であったからどきりとした。当たり前だが、元の世界で握ったことがある刃は、せいぜいが一般家庭用の包丁である。ただ、思った通り刀身は短く、そして、軽い。

「なんか、武器としては物足りないっていうか、頼りないような」

「それぐらいが丁度いいのよ」

 尋也の疑問に、ミレイナは頷いてきた。

「初心者のうちは、どれだけ攻撃力があるかってよりも、長時間持ち歩いたり、戦いで振り回して無駄に疲れなことの方が大事なの」

「言われてみると、確かに」

 尋也はあっさり納得した。適当なようで、意外に考えてくれているらしい。

「しかも、お財布に優しいしね」

 余計なことは言わんでよろしい。尋也の声なき突っ込みに気づいた素振りもなく、ミレイナはまたも商品の一つを逡巡もなく手に取る。

「あとは、ついでにこれも持っておくと便利かもね」

 差し出されたのは、短剣だった。

「冒険だからな」

 尋也は異論なく、受け取る。探検の従兄弟くらいのことをやると思えば、きっとあると便利だろう。

「あとは防具ね」

 こちらも、ミレイナによってあっさり買う物が決まった。初心者らしく皮の防具である。胸当てというのだろうか。鎧というには守られている範囲は狭く、強度も厚手の上着よりましといった代物だった。頼りないが、装備が豪華であることの危険性をミレイナに説かれた直後である。何より、懐事情が厳しいのを忘れてはならない。

「そういや、パメラから貰った紹介状があるんだけど……」

 支払いの段階で、思い出した。

 「わざわざ使うほどでもないわ。腕を上げて、いつかいい装備が欲しくなる時もあるでしょうし、そうでなくても、切羽詰まった時に役に立つこともあるでしょうしね」

「どんなふうにだ?」

「決まってるでしょ、それを売って、生活費の足しにするの」

 身も蓋もなかった。

「これで一通り、装備は揃えたわね」

 購入した品々を身に着けた尋也の姿を見て、ミレイナは一人満足げに頷く。

「悪くはないんだけどさあ……」

 彼女は仕事した気になっているようだが、尋也に言わせれば、どこまでも貧相で、まるで酒場の端にいそうなモブである。もっとも、ゲームでも初心者装備を現実にしたきっとこんなふうなのだろうけど。

「さっきも言ったでしょ、悪目立ちしない方がいいって。雑魚は雑魚なりの格好しておくのも、この世界で生きていくための知恵なの」

「雑魚って……」

 物は言い様って言葉を知らないのか。

「それよりも、試しに剣を振ってみて」

 言われた通り、尋也は鞘から抜いて素振りをしてみた。最初こそ、おっかなびっくりであったが、自分でも意外なほどにすんなりできた。

「へえ、人並みに様になっているわね」

「ほ、ほんとか?」

「何か武道でもやっていたの?」

「何もやってないけど」

 もしかして、転生してからずっと居眠りしていた能力がようやく覚醒でもしたのだろうか。

「変な期待を膨らませているみたいだけど、きっと違うから。恐らく、昨日の彼の能力ね。あの光の魔法は、いくらかにしろ、対象の能力を受け継ぐことができるの」

「能力の吸収をできるのか?」

「厳密には違うけど、大筋の理解は、それでもいいかも」

 その違いは、機会がある時に聞いておくとしよう。とにかく、巣の自分よりも、ましになってくれているのはありがたい。

「じゃ、行くとしましょうか」

「どこに?」

「準備が整ったのなら、次にやることなんて決まってるでしょ」

「もうか?」

 思わず尋ねてしまった尋也に、ミレイナはジト目を向けてきた。

「嫌なの? 別にいいけど、だったら、肉体訓練とか、素振りとか、剣術の型を習うところからやる?」

「いや、さすがにそれは……」

 いくら不安がよぎったとしても、そこまで地道なものをいざ言われてみると、さすがに受け付けない。

「そこまで緊張しなくてもいいわよ。初心者の初戦に打って付けのがいるから。基本、死ぬことはないはずよ」

 微妙な言い回しに、不安を覚えないでもなかったが、ここに至っては異論を唱えることもできず、尋也は大人しく彼女の後をついていくことにした。

 村に来る時にやってきた出入り口とは反対側から出て、道を外れて少しばかり歩いたところで、それと遭遇した。

「出てきたわね」

 さして緊張感もない声で、ミレイナは告げてくる。

「なんだ、あれ?」

 突如、物陰から出現したそれらを前にして、尋也も呆気にとられた。

「だから、戦う相手よ。敵、魔物、攻撃対象……」

 ミレイナは思いつくままに言葉を並べて、尋也に認識を植え付けようとする。

「えっと、あれと?」

「そう、あれと」

 問いに、当然と言わんばかりにミレイナが頷いてくるので、尋也は再びそれらを見た。

「だけどさ、あれって……」

「まさか、都会育ちな上に、料理も買い物もしたことがないから、見たことがないとか言わないでしょうね?」

「さすがにあるよ。ただ元の世界では、もっと小さかったけど……」

 色こそ茶色だが、大粒の水滴のような形態、愛嬌はあるとも言えるがとってつけたような目と口、そして、ぴょんぴょんと跳ねている様子、その姿はどう見ても、某RPGではもはやお馴染みと言ってよい……。

「スライ……」

「タマネギでしょ。どう見たって」

 尋也の言葉を遮るように、ミレイナは力強く言ってくる。

「だけどさ、なんだって、あんなデカくて、跳ねてるんだ? あれがこっちの世界のタマネギなのか?」

「普通のタマネギもあるわ。あれは、元々、南の地方の特産品だったって話。どこかの魔術師が怪しげな実験やら儀式をやらかした結果とか、変な精霊が憑りついて魔物化したと言われてるけど、真相は不明。ともかく、繁殖力が強くて、ここらでも出現するようになったの」

「なるへそ……」

 尋也は脱力感を滲ませて呟く。異世界らしいと言えば異世界らしいかもしれない。しかし、初陣相手がタマネギとは、喜ぶべきかどうなのか。

「初心者には、格好の相手よ。ゴブリンよりも弱いし、倒して持って帰ったら換金もできるから」

「なら、いっちょやってみるか」

 腕捲りする仕草をしてから、抜剣して身構える。金になると聞いて、やる気が出てきた。

 よし、と心を決めるや尋也は、最も手近なところにいた一匹に狙いを定めて、勢いよく斬りかかった。

 だが、上段から振り下ろした剣は、狙いをつけたタマネギにあっさりと避けられてしまい、虚しく地面を抉ってしまう。

「思ったより、すばしっこいな……ぐへえぇ!」

 ぼやいた直後に尋也は、避けたばかりのタマネギが横合いからの強烈な体当たりを喰らって、無様に地面に転がった。

「何をやっているの。初心者なんだから、油断してるんじゃないの」

 呆れ混じりにミレイナが叱咤してくる。

「剣の扱いにちょっと慣れてないだけだよ」

 弁解めいたことを口にしながら、尋也は大したことないとばかりにすぐい起き上がった。

 防具越しでもジンジンした痛みがあった。

これは夢でもゲームでもなく、現実なのだ。しかし、この思いをこれから何度、抱くことになるのだろう。

幸い身体を動かすのにも支障を感じない。ゲームのダメージで言えば、4とか5ポイントぐらいのダメージだろうか。これが1ポイントとかだったら、正直、堪らない。RPGゲームで、死なない限り、あるいは次の攻撃を受けて死亡に繋がらない限りは、ダメージなんて気にしてなかったが、いざ現実に考えると中々に無慈悲だと痛感する。

ともかく、今は目の前の現実に対処するのが優先だ。

尋也は、注意深く狙いを定めて第二撃を繰り出した。しかし、慎重すぎたのか、外皮を少し傷つけただけだった。

「ぐえぇ!」

 今度は他の奴からの体当たりを喰らってしまう。

 よろけた尋也は尻もちをつきかけたところで、ミレイナに支えられる。

「わ、悪い」

「ほら、しっかりしなさいよ」

「そっちは見ているだけかよ」

 最初の位置から一歩も動く気配がないミレイナは、観客気分のようだった。

「なあに、こんな相手に手伝いが必要なの? まともに戦えるのは、ゲームの中だけ?」

 いかに不慣れな初心者であろうとも、同じ年頃の少女にこんな物言いをされては、尋也も奮起せざるを得ない。

「わかったよ」

「どうしても、駄目なら助けてあげるから」

 再びリングに追い出すセコンドのように背中を押し出しながらミレイナは、尋也にしてみれば余計な一言を投げかけてくる。

 畜生、見てろよ。

 言い返したいところを吞み込んで、尋也は半ば自棄になりながら、突っ込んでいった。

「ちゃっちゃちゃらーちゃーちゃー」

 それから十数分後、荒い息を吐く尋也の背後で、ミレイナが気の抜けた調子で口ずさみながら、これまた気の抜けた拍手を送ってきた。

「ちゃんと一人で倒しただろ!」

 尋也は噛みつくように言った。

「だから、褒めてあげてるじゃない」

 ミレイナは心外そうに言ってくるも、眼差しは冷ややかで雄弁である。

「ただ、こんな相手にこれだけ苦戦するようだと、先が思いやられるけど」

「分かってたことだから、わざわざ口に出さなくてもいいから」

「ともあれ、無事に初陣飾れたわけだから、今日は帰るとしましょうか」

 なおもチクリと言ってきたが、二戦目に突入する根性がない尋也には反発もできない。

「せっかくの戦果なんだから、それ、忘れないようにね」

 手伝う気はないようで、ミレイナは止める間もなく、一人すたすたと歩き出してしまう。

 その背中に文句を投げつけてやりたい気持ちはあるにはあったが、どうせ言ったところで冷ややかに突き放されるだけである。気持ちを切り替えて尋也は動かなくなったタマネギを回収することにした。

「それにしても……」

 重い! かさばる! タマネギ臭い!

 ドロップアイテムの回収がこんなに面倒とは。最近の異世界ものはどれも、いかにもゲーム仕様的な便利さが当たり前になっているのに。

 村に戻ると、ミレイナに案内されてタマネギを買い取ってくれる店に向かった。

 尋也が苦労して運んできたタマネギを見るや、店主は苦い顔をしてきた。

「あんた、ど素人だろ? 中途半端にあちこち斬ったり、杜撰な運び方したせいで、そこら中、傷だらけだわ、深くまで泥が入り込んでいるわで、とてもじゃないが食用にはならんよ。引き取って欲しいなら、もうちょっとそこら辺を考えてくれ。これだと、せいぜいが家畜の餌か、畑の肥やしだ。そういうわけで、引き取り料は、良くてこれくらいだな」

 容赦ない言葉の後に、店主が渡してきたのは銅貨三枚だった。

「え、これだけ……?」

あれだけ大変な目に遭ったのに?

「文句があるなら余所に持っていてもらっても、うちは構わないんだがな」

「いやいや、文句ないですないです」

 尋也は慌てて取られそうになった銅貨を握り締めて、礼を述べる。

 店を後にしてから、尋也は改めて初陣の戦果を眺めた。

「前々から、モンスター倒すと経験値だけでなく金も手に入るか不思議だったんだよなあ……」

 しみじみと感じる。

「いちいち引っかかっていたらきりがないわよ」

 ミレイナの言うことはもっともである。ただ尋也は浮かんだこの疑問については、正確な答えを知っておく必要があった。

「なあ、銅貨三枚って、どれくらいの価値になるんだ?」

「ざっと、あのパン二つくらいかな」

 ミレイナが指差した先にはパン屋があり、細長いパンが店頭に並んでいる。

「たったあれっぽっち? 一食に満たないじゃないか」

 育ち盛りでは、小腹を我慢させる間食だ。

「しょうがないでしょ、あっちだって、慈善事業でやってくれているわけじゃないんだから。村の人たちだって生活があるのよ」

「言われなくてもそれぐらいわかってるけどさ、傷物だと買取価格が下がるなら、ちゃんと教えてくれよ」

「教えようと思ったのよ。でも、最初の一匹にやたらと苦戦しているのを見ていたら、余計なことに気を回させたら危ない気がしたのよね」

 嫌味でもなく、冷静に返される方が、尋也には却ってちくりと刺さる。

「それでも、そういう忠告は最初にしてくれよ」

「次からは気を付けるとするわ」

 どれほど真剣かわからない返事をしてから、ミレイナは手を差し出してきた。

「何?」

「何って、分け前」

「へっ?」

「今日の稼いだ分」

「いるの?」

 きょとんとして尋也が問うと、ミレイナは非常識だと言わんばかりの顔をしてきた。

「当然でしょ」

「いやだって、俺一人でやったことだし、たった銅貨三枚なんだぜ?」

「それでも、成果じゃない。こっちだって、生きてかないといけないのよ」

「ただ後ろで見ていただけじゃないか」

「案内役だって、無料じゃないのよ。それとね、後顧の憂いがなくて目の前の相手だけに集中して戦える、何かあった時のために誰かがいるってのは、とても価値があるものだと思うんだけど」

 ああ言えばこう言う。ミレイナの反論に、尋也はそういった考えが過ぎりはするものの、彼女の主張に理があることも認めざるを得なかった。戦闘不能になって、次に意識が戻った時には宿や教会から再スタートできる、なんて便利な設定がないのを忘れてはいけない。

 ただ、それでも確認したいことはあったりする。

「なあ、一緒に戦うって選択肢はないのか?」

「今だと、私だけが戦って、あなたはほぼ見物ってだけにしかならないでしょ」

 答えてから、ミレイナは視線に一層の冷ややかさを込めてくる。

「ちなみに、人が戦っているのをただ突っ立って眺めているだけで、経験値が入って強くなったりするなんてことないから」

 ちらりと頭に過ぎったことを口にしなくて、本当に良かったと尋也は心から思う。

「こりゃ、思ったより大変そうだなあ」

「異世界転生したら、お気楽でお手軽な新しい人生を歩めると思っていたかもしれないけど、世の中、そんな都合よく行かないのよ。結局、地道が一番よ」

「地道ねえ」

 昨今では、最も避けられたがる考えだ。

「ともあれ、これから頑張ってよね」

 皮肉とも、慰めともとれる口調で、ミレイナは言ってきた。


「これはまずい、絶対にまずい」

「食いたくないなら、無理して食わなくていいんだぜ」

 尋也が思わず呟いていたら、すかさず不機嫌な声が割り込んできた。

 はっとしてみれば、トーゴが声色そのままの顔つきで睨んできている。

「これのことじゃなくて……」

 慌てて弁解する尋也の前には、自らが注文した料理が置かれていた。

 円形の底の深い器に、タレでよく煮込んだタマネギがこんもりと乗っていて、隙間から白米が顔を覗かせている。

 紛れもない丼物であった。箸とお新香までついている。異世界観台無しと言えば台無しとも言えたが、生活環境は勿論、食生活まで激変して、こちらの世界に馴染むのに苦労している転生者向けにトーゴが考案した料理だった。

前の世界と同じ材料が気軽に手に入るわけでもないだろうに、元からの料理人ではないのが信じられないくらい再現度も味の満足度も高い。ただ、尋也が素直に喜べたのは最初だけだった。

と言っても、料理に対する不満ではない。元の世界では、「早い、安い、美味い」と声高に訴えて売り出されるような丼物であったが、こちらの世界ではそれなりに貴重である。しかも、尋也に金銭的余裕はほとんどない。肉が牛だったのは初日だけで、翌日以降、豚に切り替えたが、これとて尋也には贅沢だった。なお、「冒険者があまり知らない方がいいお肉」がより安価で提供されていたが、頼む度胸はなかった。

そのため、節約の対象となったのは肉の量であり、タマネギの比率が日に日に増えて行っていた。ちなみにタマネギは尋也が日々、獲ってきているものの一部であるのは言うまでもない。そして、タマネギを倒す手際は、上達はしている。だが、元より割のいい仕事ではない。懐事情は厳しくなる一方なのである。就職もしないうちから、ワープアを体験するとは夢にも思わなかった。

「大体さ、毎日毎日、タマネギ狩ってて、これじゃあ、タマネギスレイヤーじゃないか」

「もっといい呼称があるわ」

 ミレイナがにっこりと笑みを向けてくる。

「たまねぎ剣士」

「余計、惨めになる!」

 それ以前に、尋也が知るたまねぎ剣士はそういう意味ではないはずだ。

「進歩はしているんだから、あまり悲観しなくていいわ」

「人はタマネギのみに生きるにあらず……」

「タマネギは栄養価が高いし、美容効果だって高いのよ」

「過ぎたるは及ばざるがごとしって言葉だってある」

「あなたって、時々、爺臭いこと言うわね」

 ミレイナは呆れた反応をしてくる。

「文系だからな」

 虚勢ではないのだが、こちらではさして何の自慢にもならない。それよりも問題なのは、衣住も考えれば、食費を切り詰めたところで先が見えていることである。

 尋也は、どちらかといえば金の管理をきっちりしている家庭環境で育ってきた。おかげでこれまで金銭的な問題を起こしたことはなく、こちらに来ても無駄遣いもせず、今もどうにか凌げている。一方で、ないならないでどうにかなるさ的な開き直りの感覚も、異世界生活と同じくらい馴染みがないものだった。そのため、どうしようもない不安が足音を立ててそろりそろりと迫ってくるのである。

 このままでは、紹介状を売る日も、近そうだ。もっとも、それで一時凌げたとしても、じり貧状況に変わりはない。

「もっと、効率的に稼ぐ方法ってないのか? 大体、序盤から生活費で困るなんて、ゲームだったらクソゲーもクソゲーじゃないか」

「しょうがないでしょ、ゲームじゃないんだから。そんなに稼ぎたいのなら、手っ取り早くて、確実な働き口はあるわよ」

「どんなの?」

「今だと、村の防壁の修築かな。人手不足みたいで、急募だって」

「肉体労働かよ!」

「身体、動かしているのは同じでしょ。しかも、こっちは死ぬことはないし。たまに危険作業で事故があるようだけど」

 澄ました顔で、なおもびっくりな提案を続けてくる。

「そういうものじゃなくてさ、ほら、冒険者向けの依頼を受けるとかさ」

 異世界物ではよくある、冒険者たちが依頼を受けて金を稼ぐ、といった方式はこの世界でも存在しており、冒険者が店の一角にある掲示板を前に立ってはあれこれやりとりをしているのを尋也は何度となく目撃している。

「まあ、こっちの世界にも、多少は慣れてきたでしょうから、次の段階に行くにはいい頃合いかもね」

 ミレイナは立ち上がると、組合用にわざわざ設けられている窓口のところへ行くと、奥にいるヴィレッタに声をかけた。

「ああ、やっとやるんだ。良かった」

 二人のやり取りが気になって、尋也もそちらに向かう。

「ゴブリン退治なんて、駆け出しがやるようなことよ。いつになったらそこにいくのかと、もうずっと心配していたのよ」

 やってきた尋也に向けて、ヴィレッタは呆れ半分、憂い半分で声をかけてきた。

「ほんと、よくもまあこんなに時間がかかったものね。何年もかかった気分」

 ミレイナも、冷ややかに頷いてくる。

「えっ……いや、だけどそれって……なんか、すみませんです……」

 自分のせいではないはずなのに。身につまされる気分にさせられた尋也は、つい謝ってしまう。誰のせいで謝る羽目になったんだ、と尋也は心中、叫びたくなる。

「というわけで、ゴブリン退治の任務を受けるわね」

 はーい、と尋也はいささか気の抜けた返事をしてから、掲示板に目をやった。

「そういや、依頼って、他にどんなものがあるんだ?」

 気にはなっていたが、ちゃんと見たことがなかった。異世界に来てからこっち、日々ただタマネギ狩りだけをやっていたわけではない。異世界の文字についても、ミレイナやヴィレッタから教えてもらっていて、どうにか一通り読み書きができるようになっていた。

「えーっと……炎竜が目覚めました、手練れの冒険者、至急求む……、人狼による被害が発生、大変、凶悪かつ狡猾で腕に自信のある方……、ゾンビが大量発生中、退治及び原因を究明してください、必須条件、火など村に被害を及ぼさない方法での解決をできる方……魔族の軍団が接近、人類の危機に立ち上がれ、正義の志ある勇者よ……どれも難易度がやたら高そうに思えるんだけど……」

「その認識に間違いはないわね、初心者が不用意に挑戦したら、確実に死ぬわ」

「なんでだよ、ここは最初の村なんだろ?」

「この辺りの魔物は基本的に弱いのが多いのは確かよ。だけど、基本的に初心者向けの依頼って、あんまりないのよね。考えてみてよ、初心者でもこなせるようなものなら、まず自分たちでどうにかしようとするわ。大抵どこにでも腕自慢なんてのがいるからね」

「言われてみると、もっともな話ではあるけど、でも、ゴブリン退治はあるんだな」

 まさかこの世界のゴブリンは、強者でなければ危険な相手というわけではないだろう。であれば、初心者の自分が受けられる依頼ではないはずだ。

「領主様のご好意よ」

「初心者向けの依頼を、領主様が用意してくれているのよ」

 ミレイナが皮肉気に言うと、ヴィレッタが補足した。

「そういうことね」

 若干の間を置いて、尋也は頷いた。さすが先輩転生者、わかっている、との思いが過ぎりはしたが、あの女領主である。別の魂胆があってのこととの想像は容易だ。

「とにかく、これを身に着けて、ゴブリンを五匹仕留めてきてね」

 ヴィレッタは言いながら、紐がつけられた小ぶりな金属の札を差し出してくる。

「これは?」

「魔法で、依頼をちゃんとできたか、それで分かるようになっているの。身に着けてないままゴブリンを倒したりすると、倒したことにならないから注意してね」

「便利なアイテムだな」

 尋也は呟くと、札を首にかけた。

「タマネギ、大目に獲ってきてくれる? 在庫がなくなりそうなの」

 出かけようとしたところで、ヴィレッタから背中にかけられた言葉に、尋也は思わずむっとした顔になって振り返った。

「これから、ゴブリン退治に行くところなんだけど」

「あ、そうだったよね。でも、どうしよう、そのつもりで使ってたから」

 困惑するヴィレッタの声を聞きながら、外へ出た尋也は思わずぼやいた。

「すっかり、タマネギを獲りに行く人って思われてたんだなあ……」

「どこへ行くの? こっちよ」

 いつもの場所へ行きかけた尋也が声に振り替えれば、ミレイナは反対側にいた。

 そっちなのか。尋也は踵を返して、既に歩き出していたミレイナに追いつく。ミレイナが歩く先は、こちらの世界にやってきた時に落ちた森や領主の邸がある方向である。

 村の出入り口の手前でミレイナは立ち止った。

「ついでだから、説明しておくわ」

以前、通っていた時には気付かなかったかが、道沿いにここら一帯の地図が描かれた立て看板があった。

そして、ミレイナは地図のほぼ真ん中にある村を指さす。

「この村、アプリットがここで、南以外をぐるりと取り囲んでいるのが大森林、そして、その大森林を西に抜けた先にあるのが、リーンドルの街ね」

 領主の館は、村から少し離れた北東の森の中に位置していた。ちなみにこの地図では、北と東は端まで森が広がっていた。

「あの森林、思った以上にでっかいんだなあ」

 尋也は目を丸くする。空を落ちながらこの世界にやってきた時のことを思い出してみれば、どこを見回しても樹木が広がっていた。

「大陸でも、一、二を争うという話ね」

「へえ、凄いなあ」

 尋也は素直に感嘆する。大陸でも屈指となれば、漠然とした感覚だと、日本の県の一つや二つ、すっぽり入るぐらいだろうか。

「ついでに言えば、この地図の大部分がパメラ・パメールの領地よ」

「この世界の領主ってのは、これぐらいの領地を持つのは普通なのか?」

 領主になって悠々自適に暮らす生活も悪くないのではないか。異世界転生物としては珍しくない生き方である。尋也はちらと夢想してしまう。

「例外ね。厄介な土地を管理するということで、王国から認められたの」

「厄介って?」

「この大森林って、魔物の巣窟なの」

 さらっと恐ろしいことを言ってくる。

「そんな危険地帯がすぐ傍にあるのに、この村は大丈夫なのか?」

 防壁など村を守る備えはあるにはあるが、素人目にも堅固なものではなく、これまで目にしてきた村人の暮らしぶりにも危機感はまるでなかった。

「一応ね」

「そこは妙にゲームっぽいなあ……ひょっとして、パメラ・パメールが管理しているから?」

「まあね。村も結界が張られているわ」

 尋也が浮かんだ疑問を口にしてみると、ミレイナは皮肉気ながらも肯定してきた。

「それより、大事なことを伝えておくわ。二本の川があるでしょ」

 ミレイナに促されて、尋也が地図を見ると、河川整備の工事など無縁だと容易に想像できる程度にはうねうねと曲線がある二本の川が北西から南東にかけて記されていた。それぞれの川の西側には街道が走っていて、アプリットとリーンドルを結んでいる。

「西側の川から西の土地は、魔物はまず出現しないわ。だから、リーンドルとの間を安全に行き来したい場合は、この街道が使われる。二つの川の間の地域は、まさに中間地帯ね。

リーンドルに行くなら中間地帯の街道の方が早いけど、街道付近でも魔物が出没することがあるから、その危険を承知でも急いでいたり、腕に自信がある場合に使われるわ。たまに、冒険初心者でもできるような護衛依頼もあったりする」

「じゃあ、川を越えた森林地帯は……」

「魔物の領域ね。初心者が気安く足を踏み入れていい場所ではないわ」

 予想できた答えではあった。

 しかし、これもまたゲームのステージ設定のようである。もっとも、川一本で環境が変わるなんてよくあることと言われれば、それまでなんだけど。

「だから、二本目の川の奥へは行かないことね。あなたみたいな初心者はまず一人では生き残れないし、下手すると救助すらできなくなるから」

「わかったよ」

 ミレイナの念押しに尋也は素直に応じる。いちいち反発する気など起きなかったし、それよりも、今は他に気になっていることがある。

「ところでさ、俺って、今、レベルいくつなんだ?」

「はっ?」

「ほ、ほら、タマネギ相手であっても、一応、何日も訓練してきたわけだから、どれくらいかは強くなっているか知りたいんだ。最近の異世界転生物だったら定番の賢者とか、精霊とか便利システムが通知してくれるんだけどさ……」

 話しているうちにミレイナの視線はどんどんと冷ややかになっていき、それに伴って尋也の頬は霜が張ったように鈍くなっていく。

「……まあ、あえて詳しく聞くつもりはないけど、ただ、ほんと最近の転生者って、楽したがりよね」

 そこまでうんざりされることだろうか、と尋也が思っていたら、ミレイナが目の前まで戻ってきた。

「な、何?」

「やってみせるから、ちゃんと見てて」

 ミレイナは尋也の手に触れてくると、小声で唱えてきた。

「ステータス……」

 と言うや、尋也の視界に、半透明のゲームで見るような一覧が表示されるではないか。

「おおっ!」

 尋也は思わず感嘆の声を上げた。

「この世界でも、こういうのあるんだな! だったら、最初から教えてくれればいいのに」

 尋也は早速、自分のレベルを確認すると、レベルは4と表示されていた。相手がたまねぎであったことを考えれば、意外ではなかったが、それでも連日の苦労を考えると、物足りなかったりする。

「な、なあ、こういう情報って、他人のものは見られないのか?」

「……できるわよ」

 溜息一つ吐きはしたものの、ミレイナはあっさり肯定して、少し離れたところを通りかかった村人をじっと見詰めるや小さな声でまたも呟く。

 すると、対象の村人の体力などの情報が、尋也にも見える形で表示された。

「おお、凄いな! こっちの世界にもあるんだなあ」

「ええ、あなたみたいなことを考える転生者のおかげでね」

「どういうこと?」

「転生者がこの魔法を作ったのよ」

 尋也は驚いたものの、すぐに納得した。どうりで、だから、自分のステータス情報は日本語だったのか。ともあれ、偉大な先人に感謝だ。

「ステータスって、他人の情報を見ることもできるのか?」

「できるわよ」

 あっさりと頷くや、ミレイナは少し離れたところを通りかかった村人をじっと見詰めるや魔法を唱える。

「サーチ」

 対象となった村人の様々な情報が表示された。

「これは便利だ!」

「と思うでしょうけど、あんまり当てにしない方がいいわよ」

「え、なんで?」

「百聞は一見に如かずね。試しに私にやってみて」

「いいのか?」

「どうぞ」

 無防備に佇むミレイナに魔法をかけようとしたところで、尋也は妙な緊張感を覚える。見られるのは、ただの文字と数字だけなのに、何かいけない個人情報を覗き見するみたいな気分になった。

「あれ……?」

尋也は困惑する。ほとんどの情報が非表示になっているのだ。

「バグ……?」

「この魔法が広まると、すぐに対抗策が考えられるようになったの。当然よね。敵に情報が筒抜けだったら、それだけで不利になるもの。だから、遮断の方法が生み出されて、それもあっという間に広まったわけ」

「なんてこった……」

「たとえ、使えても、頼るのはお勧めしないわ。戦闘中にそれに気を取られて、致命的なへまをやらかすなんてこと、結構あるの」

「計測された戦闘力で動揺してってこと、昔の漫画でもあったなあ」

 覚えた技能があまり有用ではないのは残念である。

「話がそれたけど、これから行くのはこの辺り」

 ミレイナは村にほど近い二本の川に囲まれた一帯をくるっと指でなぞった。

「そこが、ゴブリンの出現するところってわけなのか。いかにも初心者向けって感じの場所だよな」

「川の向こうがゴブリンの生息域なだけよ」

「へえ、ゴブリンはわざわざ川を越えてくるのか」

「ええ、数が増えると特にね。人間と同じで向こう見ずだったり逸れ者だったりだけど、たまに群れで進出してきたり、巣を作り出した場合は積極的に退治が行われるわ」

「そういうことか」

 仕事の依頼には、ゴブリン退治はあまりなかった。今はそれほど進出は活発ではないのかもしれない。

「繰り返すけど、相手がゴブリンだからって、川の向こうに行こうなんて考えないでよね」

「わかってるって。さあ行こう」

 頷いて、尋也は出発を促す。何度も言われるのは、この手の注意喚起でありがちだが、過去に軽率な真似をした転生者でもいたのだろう。

「試しに聞いておくけど、これまで畜産業とかに関わった経験とかないわよね?」

「え、ないけど」

「その経験がある方が珍しいわよね」

「なんで?」

「うーん、これはその人次第だから……」

 はっきりしない答えだったが、何となく言わんとするところは尋也は理解する。今のやりとりもだが、ミレイナは案内役として、いくからにしても、不熱心というか不真面目というか不親切というか、はたまたそのすべてではないだろうか。やはり改めて苦情の一つでも言っておいた方がいいのだろうか。

 と思ったものの、関心はすぐに別のところに向けられた。

「あのさ」

「なに?」

「それ、なんだけど……」

 尋也はミレイナがいつの間にか携えているものを見る。

「これ、釣り竿だけど」

「さすがに見ればわかるって」

「魚釣りに使うの」

「だから、知ってるって。十回ぐらいにしても、使ったことある。馬鹿にしているのか」

「これ、あるほうが楽なのよ」

「ゴブリンを倒しに行くのに?」

「そう」

「まさかゴブリンを釣ったりでもするのか?」

「よくわかったわね」

 あっさりした答えに、冗談を言ったつもりだった尋也は唖然とする。

 ふざけているのか、と尋也は質そうとしたが、そうこうする間に、ミレイナは街道を折れて森の中へ進んでいこうとしたので、仕方なく後に続くのを優先する。

 それから、十分もしないうちに川に辿り着いてしまった。

「思ったより近くにあるんだな」

 地図を見た感じでは、もっと奥にあるように思われた。

「これは、分流よ」

「そんなもの、地図になかったぞ」

「こっちの世界の地図はね、元の世界みたいな精密なものじゃないの」

 尋也は、精密な地図を作成するための測量技術やらGPSの存在やらを思い浮かべる。そういうものがない異世界であれば、大雑把な地図しかないのも仕方ないかもしれない。

 ミレイナは川岸へ降りていくと、適当なところで本当に川に釣り糸を垂らした。

「ゴブリンを倒しに来たんじゃなかったのか?」

「ええ。これはそのための下準備。やることないのなら、周囲を警戒しておいて」

 親切とはかけ離れた説明には不満はあったが、ミレイナのそうした態度に慣らされてきた尋也は素直に見張り役を引き受けることにする。

 そうして、ミレイナはさして時間もかけずに魚を二匹釣り上げる。

「へえ、結構、簡単に釣れるものだな」

 これだったら、自分もやってみたい。というか、タマネギ以外に自前で食糧を確保できる方法があるではないか。

「自分の食材も調達しようと考えてるなら、お勧めしないから」

「なんで?」

「簡単に釣れるからって、食用に適しているとは限らないし、何より釣りに夢中になっている初心者なんて、どうぞ襲ってくださいって全身で訴えているのと同じよ」

 やはり釣りは、ゲーム中のミニイベントみたいにはなってくれないようだ。

「その魚はどうするんだ?」

「期待させていたら悪いけど、今日の夕食用でもないから」

 ミレイナは短剣を手にすると、手早く二匹の魚を仕留めた。

「ほら、行くわよ」

 すっと立ち上がると、彼女はせっかくの釣果をその場に放置したまま、来た道を引き返してしまう。

「え、置いていくのか?」

「ぼさっとしてないで」

 ミレイナは川岸を見下ろせる場所まで戻り木陰に身を潜ませると、尋也にもそうするよう指示してくる。

「えっと、これって……」

「ゴブリンを待ち伏せするの」

 当たり前のような顔でミレイナは答えてくる。

「え、ゴブリン退治ってこんなやり方なのか?」

 想像とあまりに違って、尋也は戸惑いを覚えるばかりである。

「適当に森を歩いて、遭遇を期待するのはいいけど、面倒よ。あと、ゴブリンだって、まるきり馬鹿じゃない」

「だから、魚を餌に誘き寄せるってわけか」

 尋也はようやく、ミレイナの意図を理解する。

「手頃なのが来たら相手にすればいいし、分が悪そうなのだったら無理しなければいい」

「現実主義だなあ……」

 なんとも言えない気分もあるが、冒険初心者である尋也としては、断然ありがたいのも偽らざるところだったりする。

 それにしても、面倒臭がりなミレイナにしては、この慎重さはいささか意外だ。それだけこちらの世界のゴブリンは強敵なのだろうか。はたまた彼女の戦闘力がまるで期待できないのか。尋也はささやかではとどまらない不安を覚える。

「……にしても、来ないな」

 時計がないので、正確な時間経過はわからないが、感覚的に既に三十分は経っている気がする。

「こればっかりは、ゴブリン次第ね」

「たかだかゴブリンを相手にするのに、こんなに手間がかかるものなんだな」

 ゲームであれば、村を出て、遭遇して、初心者であろうがさくっと勝利、ここまでで大抵は一分もかからないのに。逆にそれ以上、かかったらクソゲーだ。

「ゴブリンだって、私たちに倒されるために存在しているんじゃないわ。知能の差はあっても、向こうだって生きるためにあれこれ考えてるの」

 そう言われては、尋也も頷くしかない。魚を釣るのだって、駆け引きが必要なことがある。銃を手にした猟師だって、その機会が訪れるまで、時に何時間も山を歩き回ったり、身を潜めて獲物を待つものだ。

 だけど、やっぱりこうして待つのは、正直、しんどい。とっとと現れてくれないだろうか。それも一匹で。

 不意にミレイナが立ち上がった。

「どうかしたのか?」

「じっと同じ姿勢でいるから疲れちゃった。近くにいるから、何かあったら呼んで」

 一方的に言うと、尋也が止める間もなく、いなくなってしまう。

「こんなんありかよ」

手伝ってもらっている立場なので、あまり文句を言えるものではないが、それでもついぼやきが零れてしまう。

一人残されると、尚更、退屈感が増してくる。

いつまで待たねばならないのか。あまり気が長くないとの自覚が、尋也にはある。釣りの経験が数えるほどしかないのも、それが理由の一つだ。携帯が使えれば、せめて本でもあればな、と真剣に思う。こういう時に退屈を紛らわす術も用意しておかないといけないかもしれない。

それにしても、ミレイナは遅いな。どこで油を売っているのか。

いい加減、辛くなってきた。自分も小休止したい。その間に、餌が奪われるだけになっても、もうしょうがない。そう尋也が思っていたら、すぐ傍の茂みがガソゴソと揺れ出した。

「何してたんだよ。こっちだって、休憩したいんだけど……」

 文句を言いかけた尋也であったが、ぬっと出てきた顔を見て、絶句した。

 緑がかった肌、無毛で、とんがった耳、ぎょろっとした目、ミレイナの無愛想が慈愛に満ちた聖女に思えるほどの、深夜に遭遇したならば絶叫間違いなしの異形である。

 相手もこちらを見て、驚いているようだった。

魔物、それもゴブリンなのに、人間のような感情があるのか。しかし、なんと間抜け面なのだろう。もっとも、その点で、相手のことを笑えないかもしれない。

尋也の頭の中で妙に冷静な部分が分析をするも、行動には繋がってくれなかった。

「!?」

 二つの口から、二つの言葉にもならない声が重なった。

 尋也だけでなく、向こうも、突発的な遭遇に気が動転していたようだった。ほぼ同時に反射的に茂みから飛び出し、そのまま川岸に至る坂道を転げ落ちるように駆け降りる羽目になる。

 そうして、尋也とゴブリンは対峙する形になった。

 先に我に返ったのはゴブリンだった。邪悪と形容するのに何ら違和感がない敵意を表情に浮かべ、獣じみた唸り声を上げてくる。片方の手には既に短剣が握られていた。

 人間めっ! お前もこの魚を狙ってやがったのか!

 転生者だからって、ゴブリンの言葉を理解できるような都合のいい技能を持っていなかったが、雰囲気からゴブリンの言わんとするところを尋也は察する。

 しかも、尋也とゴブリンの中間に、ミレイナが釣った魚があったりする。

 金欠による貧しい食生活に追い込まれている尋也であるが、放置された川魚を巡ってゴブリンと生死を賭けて争わねばならぬほど飢えてはいない。本能丸出しのゴブリンと、同類と勘違いされるのは、なんだか惨めだ。

 ミレイナは何をしているのか。何かがあったら呼べとは言っていた。ただ、今も姿を見せない状況で、声を上げたとして、本当に彼女は駆けつけてくれるのか。

 あと、ゴブリン一匹に慌てて彼女に助けを求めるのは……といった気持ちも尋也の中にあったりした。ゴブリンは、初心者相手の魔物である、との考えを裏付けるように、小柄で貧相な体格で、武器も短剣のみだ。

 こうして、混乱しながらも、幾分かの心の余裕から尋也が選択したのは、ゴブリンみたいに武器を手に取ることではなかった。

「魚が欲しいなら、持っていてくれていい。こっちは別にいらないから」

 宥和である。

 咄嗟に出たことで、自分の中で確固たる考えがあってのことではなかった。

 というより、図らずとはいえ、タマネギ相手に散々、経験を積んでいたのに、あるいはだからこそか、この期に及んでも尋也は命懸けの戦いをすることに腹を括れていなかった。

 尋也の呼びかけに対して、期待した反応は得られなかった。

 ゴブリンは短く叫ぶや、短剣を振り上げて飛びかかってきたのである。

「うわ、ま、待てっ……」

 尋也の腰が引けていたこと、ゴブリンの腕の短さと踏み込みの甘さのおかげで、初撃は回避できた。

 ゴブリンは躊躇いもなく二撃目を繰り出してくる。

「人の話を聞けって……うわっ」

 言いながら尋也はその攻撃も回避したが、川岸の石に足を取られて、躓いてしまう。

 体勢を立て直すのを、ゴブリンは当然、待ってくれなかった。伸し掛かってきて、手にした短剣を振り下ろしてくる。

「ま、待てって……」

 抵抗しながらも、尋也はなお呼び掛けるが、平和を愛しての行動というより、それしか思いつかなかったからに過ぎない。

 己の優位を確信しているゴブリンは聞く耳などもつわけがなく、理解できない叫びを発しながら体重と渾身の力を込めて、尋也の無防備な首元に短剣を突き刺そうとしてくる。

 おいおいおいおいおいおい!

 キラリと凶悪に光る刃が眼前にして、尋也は脳内で不毛な叫びを上げ続ける。

 トーゴお手製の、異世界生活のための栞の記述を改めて思い出す。

 この世界は、ゲームではない、リセットできない、死んだら終わり。

 このまま殺されて、自分は終わるのか。異世界での生活なんて、ろくに始まってないのに。まだ初心者なのに。相手はゴブリンなのに。

「うわあああああああっ!」

 恐怖に駆られた尋也は必死に抵抗を試みる。

 短剣が首筋を掠めて、かちんと石に当たった。一瞬、力が緩んだのを利用して、尋也はゴブリンを跳ね除けるのに成功する。主人公的奇跡や異世界転生ご都合主義的なチート能力ではなく、単純な腕力と体格差によるものだった。

 だが、安堵の暇はなかった。ゴブリンはすぐさま起き上がりかけながら短剣を突き刺そうとしてきたからだった。

 両者、激しい揉み合いになって、石だらけの場所を転がる。

 決着は唐突だった。

 ぐぇ、と不気味な声を耳にしながら、尋也はこれまでの人生で経験したことがない嫌な応えを感じて、ゴブリンが離れたのだ。

 肩で息をしながら尋也が身を起こすと、すぐ傍にゴブリンが仰向けになった姿で、四肢を震わせていた。

 首には己の武器であった短剣が突き刺さっていた。

 刺したのか、刺さったのか。正直なところ、自分ではよくわかっていない。

 ゴブリンは首に刺さった短剣を抜こうともがいていたが、すぐに動かなくなった。

「やったのか……」

 一瞬、下手なことを口走ったと尋也は焦るも、ゴブリンが動き出す気配ない。ただの杞憂のようだ。

 勝利の実感はない。助かったとの安堵感だけである。それとて、わずかな間で、漂ってきたゴブリンの死臭と形相に、胃の奥から強烈な不快感が競り上がってきた。

 尋也は口元を抑えかけるも、吐くまでには至らなかった。食生活が貧相になっていたのもあるかもしれない。

 乾いた拍手がすぐ近くから聞こえてきた。

「ちゃんとした魔物相手に、初勝利おめでとう」

 言うまでもなくミレイナで、声色に違わず澄ました表情である。

「どこに行ってたんだよ。こっちは死にかけたんだぞ」

「知ってる。近くで見てたから」

 悪びれたふうでもなく答えてきた。

「だったら……」

「一人でやれたじゃない。元々、それが目的でしょ。ただ、間際になっても、まさかあんなことをするとは思わなかったけど」

「し、仕方ないだろ、いきなりだったんだから」

「だからって、魔物相手に話し合いで解決なんてあり得ないわ。なに、元の世界ではそういうのが流行っているの?」

「ゴブリンと普通に会話出来たり、仲間にするって作品は結構あるんだよ」

 言いはしたが、尋也が思い付いたのは二、三の作品なので、半ば負け惜しみである。

「で、どうなの?」

「何が?」

「やっていけそうかって話」

 ミレイナがちらりと向けた眼差しの先は、辿らずともゴブリンの亡骸である。

 ゲームの中では、魔物退治など、実質作業でしかない。いざ現実になるとここまで修羅場になるもので、しかも、これを日常的にやらねばならないのか……。

「いいのよ、無理しなくても、そういう転生者も珍しくはないから」

「そうなのか?」

「誰でも、こっちにきてゲームのような世界だと割り切れるわけではないから」

「だけど、大変にならないか?」

 この手の世界で、魔物と戦う選択肢を放棄するのは、相当な縛りプレイではないだろうか。最近では、魔物と戦う苦労などほとんどなくて、気ままに暮らせる羨ましい転生物も増えているけれど。

「大抵は苦労するわね。でも、本人の選択の結果なら仕方ないじゃない」

 ミレイナの口調からは諦念とも突き放しともとれる響きがあった。過去にもそうした転生者がいたのだろう。そして、そういう者は、異世界生活を気ままに満喫できる便利能力があったわけでもないようだ。

 かくいう尋也も偉そうに人のことなど言えない。元の世界の知識や技術を活用して、というのは正直、夢想してみたこともある。だが、実際に使えるものがない。人に自慢できそうな知識がないわけではないが、ほとんどは本とネットで終えたものだ。何より、自分は元の世界に帰りたいのだ。これを忘れてはいけない。

「やるしかない」

 尋也は自分に言い聞かせる。

「やる気になってくれたのは結構だけど、死なない程度に頑張ってね」

 悪気はないのだろうが、尋也は冷や水を浴びせられた気分である。

「ああ、せいぜい気を付ける」

「これで、やっとゴブリンスレイヤーになれたわけだから、一歩前進ね。ほんとここまで来るのに長かったわ」

 余計なことをしみじみと言われて、尋也は前段を聞き流しそうになった。

「ゴブリンスレイヤーって……」

「ドラコンだって一匹倒せば、ドラゴンスレイヤーって言うでしょ。ゴブリンだって、同じよって気持ちは分かるけどね、一種のゲン担ぎとでも思って」

 オンラインゲームには時々、変な、あるいはくだらない称号がつくことがある。これを始めた人は、もしかしたら、その影響を受けていたのではないか。

「だったら、その称号が相応しくなるくらいゴブリン狩りを極めてみようかな」

「やめておいた方がいいわよ」

「なんで?」

「ここのゴブリンって、保護対象なの」

「は? どういうこと?」

「学校で習ったでしょ。食物連鎖とか生態系の話。ゴブリンは、人間を襲うけど、一方で、この大森林にいる凶暴な魔獣の餌にもなってくれているの」

「ゴブリンがいなくなると、魔獣が困るってことか?」

「そういうこと。ゴブリンがいなくなった結果、魔獣が餌を求めて人間の生活圏を脅かすような事態になったら、もっと困ることになるのは私たち。あと、この森林に住むゴブリンは、希少種らしいの」

「希少種って……天然記念物の指定でもされているのか?」

「その解釈で、いいと思うわ」

「マジですか……」

「マジですよ、ご領主様の命令でね」

 これまた皮肉を込めて、ミレイナは返してくる。

 尋也も悪い影響を受けているのか、パメラ・パメールが噛んでいると知ると、どうも何か裏があるのではと疑ってしまう。

「とりあえず、現実にやれることをやっていこう」

 呟いた尋也は気持ち新たに方針を決めたのだが、運がいいのか、これが普通なのか、その後のゴブリン狩りは上手くいってくれた。ゴブリン求めて森の中を進んでいたら、大した手間もなく一匹でいるゴブリンと、不意を突かれることなく遭遇できたのだ。しかも、戦闘も無難に勝利を収めていた。

「これであと一匹か……」

「今日中に片付くなら、そっちのがいいんだけど」

 ミレイナの言葉を受けて、周囲を見回していた尋也は空を見上げた。まだ日没まで余裕があるはずだが、森に入ってからそれなりに時間は経過している。

「また川に戻って、魚で釣ってみるか?」

「どうかしらね、今日はあまり活発に動いてないみたいなのよね」

「最初の奴は、結構、待ったからなあ……」

 あの退屈な時間を思い出すと、避けたい気分だ。

 しばらく、尋也たちは歩き回ったが、ツキが終わったのか、ゴブリンとはちっとも遭遇しない。

「これ以上、奥へ行くのはよした方がいいわね。もう帰りましょうか。途中で、発見できれば儲けものということで」

 一人、見切りをつけたミレイナは来た道を引き返して来た。

 尋也も異論はなく、彼女に続こうとしたところで、風が運んできた音をとらえた。

「ちょっと待ってくれ、なんかいるっぽいぞ」

 ミレイナの背中に告げてから、尋也はそれが聞こえてきた方に向かう。

 あれは恐らくだったが、ゴブリンの声だ。

 近くにいるのなら、せっかくの機会、無駄にすることはない。

 尋也が草木を分けて声のする方へと進んでいくと、さっきよりもはっきりと声が聞こえた。やはりゴブリンだ。

 どっちだ、と思いながら尋也は歩調を早める。視界が開けたと思ったら、いきなり足元が不確かになった。

「うわっ」

 急な下り坂、というか崖だった。踏み止まることもできず、尋也は滑り落ち、最後に尻もちをついてしまう。

「いってぇ……」

 尻を擦りながら、尋也は立ち上がる。

 振り返れば、意外に高さがあった。ただ登れないわけではない。

 ミレイナに何を言われるか分からない。さっさと戻ろうと坂だか崖に足をかけたところで、尋也の視界の端を何かが通り過ぎた。

 見れば、木々の間を女性ものの服が通り過ぎて行った。そして、十歩ほど離れて、一匹のゴブリンがその後を追いかけている。

「ミレイナ、こっちだ、来てくれ!」

 尋也は助けを求める声を上げると、女性が去っていった方を見た。

 迷っていたのは数瞬だった。さすがにあの状況を見過ごして、何かがあったら目覚めが悪すぎる。

 勘と音を頼りに走っていくと、ゴブリンの後姿が見えた。さっきの大声も気に留めなかったようで、先を行く女性を追うのに夢中になっている。更にその後を追いかけながら、尋也は周囲を確認する。他にゴブリンはいないようだ。

 一匹相手ならどうにかなる。卑怯でも、このまま後ろから仕留める……といきたかったのだが、上手くいかなかった。獣道みたいなところに入ってしまったのである。小柄なゴブリンを見失わないのがやっとになってしまう。

「なんで、こんな動きにくいところに入るんだよ」

 ゴブリンがこの道を通る原因を作った、先を行く女性に文句を言いたい。こんな逃げにくい場所に入るなど、自分から危地に入り込んでいるようなものではないか。

 なんとか獣道を抜け出すと、ゴブリンは上り坂の向こうへと消えようとしていた。思ったより距離が開いてしまった。

 尋也は慌てて、橋みたいな小山を越えるも、ゴブリンの行方は分からなくなった。

 ここまで来て見失うなんて。尋也は嘆きそうになったが、まだ運に見放されていなかった。ゴブリンらしき声が聞こえてきたのだ。

 声のした方へ急いで向かってみると、少し開けた場所があり、そこに期待違わず追跡の対象たちがいた。

 疲労によるものか、怪我によるものか。女性は蹲るように倒れ込んでいた。そして、やや離れたところにあのゴブリンがいて、女性に迫ろうとしている。

 尋也は腹を決めると進み出た。

 ここに至って、ようやくゴブリンは尋也に気付いたようだった。

 目を見開き、耳障りな怒声を発してくるが、後ずさりもしていた。

 尋也は密かに拳を握った。相手はかなり動揺しているようだ。

 だが、ゴブリンは撤退を選択せず、こちらに向き直って戦闘態勢を取ってきた。

 尋也もまた、最大限の努力で落ち着き払った態度をしつつ、剣を抜き放って身構える。

 戦闘は覚悟していたよりも、あっさり決着がついた。飛びかかってきたゴブリンを間合いの広さを活かして裁くと、同時に繰り出された二撃目は力で押し切り、それによって体勢が崩れた隙を見逃さずに斬り伏せた。

 ほっと息を吐いた尋也は振り返る。女性はまだ蹲っていた。

「大丈夫ですか?」

 声をかけると、女性はびくっと大きく身を震わせた。よほど怖かったのか、震えが止まっていないのが、服の上からでもわかる。

 しかし、随分と体格と服が合ってない。子供が大人の服を着込んでいるようだ。ひょっとしたら、本当にそうなのかもしれない。

「ほら、もうゴブリンはやっつけたから」

 尋也はしゃがみ込んで、相手を怖がらせないように話しかけたが、返事はない。

 単身で、森の奥深く入ってしまっている。あまり長居するものではなかった。 

「どこか怪我しているのか? 違うなら、さあ立ち上がって。早く帰ろう」

 返事もないので、尋也は少女の腕を掴んだ。袖が捲れて、妙に細い緑色の手が出てきた。

 その拍子に、ぶかぶかの上着もまた捲れて、同色の顔が出てきた。これまで遭遇してきたゴブリンよりも幼そうで、顔のつくりも丸みがあるが、間違いなくゴブリンだった。

「ひえぇっ!」

 あまりに突然な遭遇に尋也は素っ頓狂な悲鳴を上げ、ゴブリンもそれに合わせて叫び声を上げた。

 距離を取ろうとして後ずさった尋也だが、無様に尻もちをついてしまう。

 まさか同じ日に、二度もこんな目に遭うとは

 どうにか立ち上がって、鞘に納めたばかりの剣に手にかけようとする。

「こんなところまで来て、何しているのよ!」

 声に振り返れば、ミレイナだった。ひょっとしたら放置されたのではないかと不安になっていたが、追いかけてきてくれたらしい。

「悪い。だけど……」

「忘れたの? 二本目の川は渡るなって言ったでしょ!」

 ミレイナの剣幕と、驚くべき言葉に、尋也はびっくりする。

「え、何言ってんだ? 川なんて渡ってないだろ」

「そっちこそ、なに寝ぼけているのよ! あそこの小山みたいなところ通ってここまで来たんでしょ!」

「通っては来たけど、なんでそれで……」

 問いかけて、尋也は思い出した。あれを越えた時、どうして橋みたいだ、と思ったのか。地形と樹木のせいでよくわからなかったが、下を流れる川があったのだ。人為的なものか自然によるものかさておいて、あれは橋になっていたのだ。不正確と分かっていたはずなのに、あの地図を見て橋などないと思い込んでいた。

「やばいよな……」

 遅まきながら事態の深刻さに気付いて、尋也は焦り出す。

「分かったなら、すぐに戻るわよ」

 言いながら、ミレイナはちらりと小柄なゴブリンを見る。こちらのやりとりを理解できていないようで、びくついたままだった。

 歩きかけたミレイナだったが、いくらかも進まぬうちに足を止めた。

「……遅かったみたいね」

「えっ」

 尋也が返事をする間に、あちこちからゴブリンが出現した。一匹、二匹、三匹、四匹……十匹どころではなない、ざっと見える範囲でも、その十倍はいそうである。

「な、なあ、超強力な攻撃魔法とか使えたりしないのか?」

 さすがにこの数と、ぐるりと取り囲まれた状況を前にしては、尋也も危機感しかない。

「設定があったらいいわね」

 ゴブリンたちは茂みから出てくると、徐々に尋也たちとの距離を縮めてきた……。


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