第一章 リセマラはありですか
「ああああああああああああああぁぁぁぁーーーーー」
悲鳴をほとばしらせながら、尋斗は落下する。
無我夢中で、手足をばたつかせたり、必死に念じたりもしてみるが、空中浮遊もできなければ、翼が生えてくる気配もない。
なす術もなく、落下するしかない。
転生していきなり転落死かよぉぉーーーーー!
絶望している間に、ばさりと木の枝にぶつかった。
ばさり、ばさり、ばさり、ばさっばさばさばさ、ばささささささささささささ。
連続して尋斗の身体は枝葉にぶつかっていき、やがて、地面に着地した。
「ぐぇ!?」
全身をぶつける衝撃に、尋斗は息が詰まる。
「いってぇ……結局、こんな安直な方法で着地なのかよ……」
背中や腰をさすりながら、尋斗は息も絶え絶えにどうにか文句を吐き出す。
「これ、死んでもおかしくなかったぞ。異世界に転生したのに即死ってなったらどうするんだ……」
「あんたが、女神様に不埒なことをしたからでしょ」
どこからともなく聞こえた声に、尋斗はぎょっとして辺りを見回す。
「素直に、言うことに従っていれば、もっと丁寧に送りだされていたわ」
「あっ」
尋斗は声の主を見つけたが、枝に止まっていた白い鳥だった。
「鳥が喋ってる……本当に異世界なんだ!」
この段階でなお疑っているわけではないが、やはりこういう自分がいた世界ではあり得ない現象を目の当たりにしてしまうと、つい口にしてしまう。
「いちいち、そんなことで驚かないでよ」
見た目に限って言えばただの鳥のくせに、ひどく上から目線である。
「ほら、さっさと出発しなさいよ。グズ」
「って、どこへ行けって言うんだ?」
「すぐそこに道が見えるでしょ。あれを進んでいくと村が見えるわ。そこが目的地よ」
「はいはい、分かりました」
せめてもの反抗の意思表示と渋々と言った態度で尋斗は頷く。
「今度はちゃんと素直に従いなさい。余計な寄り道なんかもしないでね!」
「おい、待て……」
一方的に言うと、用事は終わったとばかりに人語を喋る鳥は枝からぱたぱたと飛び立ってしまった。
完全な放置状態である。
「……ちゃんとしてくれよ。ゲームだってチュートリアルがあるじゃないか」
文句を垂れるが、何も、誰からも反応はない。フォルティナとも交信できる気配はない。彼女は今頃、下界で困惑している自分の様子を眺めてにやにやしているのか。はたまた、私の仕事は終わったと思っているのか。
なんであれ、ここでは鳥の言う通りにするしかないだろう。
「さて……」
木々の合間から道へと出てみたものの、尋斗は困ってしまった。道を進めばいいとの話だったけれど、少し進んだところで分かれ道に出くわしてしまった。
これは右左どっちへ行けばいいのだろう。
「ちゃんと教えてくれればいいのに」
なんと不親切なと尋斗は思うのだが、ここで迷うなど、通常、想定されてないとしたら、ちょっと失敗できない選択である。
これで道を間違えて、もし、危険な地域に出てしまい、訳も分からず魔物の襲撃を受けてお陀仏になったら、もう笑えない。
その場合はやり直しできるのだろうか。だとしても、あの女神に「死んでしまうとは、何と情けない」と、言われるのは全力で避けたい。「早い、早過ぎるわ。プププッ」ぐらい当たり前につけられそうだし。
「どっちに行けばいいのやら……」
ぼやきながら尋斗が左右を眺めれば、左の道の先には丘の上に建物があるのが見えた。
「あっちか……」
歩き出そうとした矢先、騒々しい足音をさせながら人影が踊り込んできた。
敵が現れた。
即座に尋斗はその言葉を思い浮かぶ。
だが、出現したのは魔物ではなく、人間の男だった。年は、自分より五、六ぐらい上で、冒険者らしい恰好をしているが、はっきり言って似合ってない。学園祭のコスプレみたいと思うのは、装備のぼろさと本人の体格の貧弱さのせいだろう。
「お、おい、お前、転生者だよな」
「え? あ、はい」
どもりながらの問いかけに、尋斗は無警戒に肯定してしまう。
「じゃ、じゃあ、ス、ス、スマフォ、持ってるよな?」
「えっ?」
この世界と乖離しているであろう品の名を出されて、尋斗は面食らう。
「スマフォだよ、スマフォ! 持っているんだろ! スマフォ!」
相手は早々に苛立ちを露わにして、重ねての要求をしてきた。
「え? 持ってたかな……」
さりげなく制服の上着に触れれば、感触があった。ちゃんと持ってきているようだ。
「やっぱ、持っているんだな!? なら、出せよ!」
「なんで?」
「いいだろ。そんなの」
見ず知らずの他人に、個人情報が詰まったスマフォを見せる趣味は尋斗には元よりない。しかも相手の口振りは明らかに恐喝犯のそれである。体格だけで言えば負けるとは思わないが、みすぼらしくても相手は武装している。安易に突っぱねたり無視もできない。
しかし、転生した直後にスマフォを恐喝されるとはどんな異世界なのか。
「おい、聞いてるのか!? だ、だ、出さないというなら……」
男が血走った目で腰の剣を抜いてきた。
要求に従うしかないのか。転生して死にそうになった直後に、追い剥ぎに遭うとはついてない、と尋斗が観念しかけた時だった。
「おい、こんなところで何をやっているんだ?」
声をかけてきたのは、こちらも冒険者風の男だった。二十代後半くらいの、優男風な面立ちであるが、恐喝犯より武装もその似合い具合もずっと上である。仲間であろう女冒険者が一緒だった。
「あんた、追い剥ぎか何かか?」
新たに登場した冒険者は、恐喝犯に尋ねてきた。
「そ、そんなんじゃ……ただ、ス、ス、スマフォを見せてもらおうと、それだけで……」
「本当か?」
冒険者の口調には凄みなど全然なかったが、余裕のある態度は、かえって恐喝犯を怯ませたようである。
くそ、と恐喝犯は一転して、逃げ出してしまった。
「ありがとうございます。助かりました」
「怪我もないようで良かった。ところで、君って、転生者だよね?」
「ど、どうして?」
いきなりずばりと言われて、尋斗はびっくりしてしまう。
「だって、ほら……」
冒険者が無遠慮かつ興味深げに眺めてきたので、尋斗は今頃になって気付く。事故に遭った時の恰好そのままで転生したがために、学生服姿だった。
「ええ、まあ……」
先程の男の件があったが、上手い誤魔化しかたもできず尋斗は微妙な形で頷く。
「良かったあ。噂を聞きつけて、忙しい中、わざわざ来たかいがあったよ」
「え、噂?」
「ここら辺は転生者がよくやってくるってことで、そこそこ有名なんだ。一度、ご対面してみたくてね。それで、わざわざ来たんだけど、近くの村の人からは、転生者なんていつ来るか分からないから、そう都合よく見られるものじゃないって聞かされててさ。それでも、せっかくだからって来てみたら、空の一角がきらっと光ってね。もしかしたらと思って来たら、君とあの男がいたからさ。運が良かったよ」
週末に彼女を連れて東京からわざわざ田舎のここまで何時間も車を運転して、ツチノコを見に来たんですよ。地元の人からは、滅多に出現しないから無理と言われてたけど、目撃できました。ツイてましたね。
そんなインタビュー映像が、容易に置き換えられる口ぶりだった。
「て、転生者って、そんなに珍しくないんですか?」
「珍しいよ。珍しいけど、黄金竜ほどではないかな」
比較対象が尋斗には謎の存在なのだから、どれくらいなのか具体的には分からないが、冒険者の物言いから察するに、やはり世界に数人どころではないようだ。ただ、事前にフォルティナから聞いていたとはいえ、同じ人間からさえ、どことなく珍獣扱いされるのは、転生したばかりの尋斗には、地味に堪えるところがある。
「君は……」
「八瀬尋斗です」
「俺はレック、こっちはマーヤ」
冒険者は自ら名乗ってから、同行の女性も紹介する。
「どうも……」
マーヤは素っ気なく挨拶をしてくる。先程の喩えを用いるなら、自分は全く興味ないのだけれども、彼氏が熱心に誘うものだから、仕方なく今回のデートに付き合いました、と言った態度であろうか。
「ところで、尋斗君か、君は見たところ学生のようだが、どうしてここに来たんだ? 最近は……」
好奇心丸出しになってレックが話題を盛んに振りかけてきたが、すぐにマーヤが何事か言いたげに彼を制してきた。
「あ、そうだったな……」
苦笑に近い表情になったレックと、それにマーヤも、不意に鋭い動作で振り返った。
いつの間にやってきたのか、一匹の黒い狼がわずか数歩の距離のところにいた。
「魔物!?」
尋斗は驚いて、緊迫した声を出す。
「敵意はないようだ。襲いに来たわけじゃないんだろう」
レックは身構える気配もなく落ち着き払っていた。彼の言う通り、黒い狼は人間に慣れた様子でじっと見詰めてくるばかりで、敵意を示す素振りもない。
「本当だ。よく分かりますね」
「一応、それなりの経験は積んでいるからさ」
苦笑してから、レックは肩を竦めた。
「転生したばかりの人間との過度の接触は、避けるよう注意されたんだった。せっかく会えたのに残念だけど……」
さも名残惜し気にレックは言ってくる。
「村に行きたいんですけど、どっちにあるんですか?」
「それなら、あっちに行けばいい」
レッグが指差したのは丘の上の建物がある方向とは反対だった。最初の選択で、尋斗はもう間違えていたわけである。
「色々、大変だろうけど、これから頑張ってくれ」
いかにも経験を重ねた冒険者の励ましをすると、レックは軽く手を上げて、尋斗が通ってきた道の方へと歩き出した。マーヤも軽く会釈をして彼の後をついていく。
「え、ちょっと……」
尋斗が止める間もなく、二人は遠ざかっていく。
「うそん」
まさか、この状況で一人放置されることになろうとは。
はっと尋斗が慌てて振り返るも、黒い狼は行儀よく二人の後姿を見送っていた。この態度だけでも十分にただの獣ではないと思わせる。
尋斗の視線に気付いて、黒い狼は見返してきたが、それだけだった。邪魔な冒険者がいなくなって、一対一にはなったが、黒い狼はまるで興味を失ったかのように、邸の見える方の道をすたすたと行ってしまう。
「とりあえず、村に行けばいいんだよな」
他に選択肢もないので、尋斗は教えられた方向へと進むことにした。
村には意外に早く到着した。
樹木が邪魔して見えなかったせいで、丘の上に見えた建物よりずっと近くにあったようだ。
最初の村ということで、こじんまりしたのを尋斗は想像していたが、結構な規模で、壕と防壁までしっかりあって、かなり発達しているようだった。それとも、これがこの世界での一般的な村の規模なのだろうか。
村の入り口には、いかにも自警団といった趣の男が立っていた。まだ距離があるうちから、こちらに向かって手を振ってきている。
尋斗が近付いていっても、相手の態度は変わらず、村の誰かと勘違いしていたわけではなさそうである。余所者来るべからず、といった雰囲気ではないのに尋斗が安心していると、男が話しかけてきた。
「あんた、違う世界から来た人だろ?」
「はい」
「見たところ、何ともないようだな。さっき、あっちの空が光ったのを見て、二人組の冒険者が向かったようだが、ひょっとして、あいつらに助けられたのか? 今回はやけに高いところで光ったなあって、心配してたんだよ」
喋る白い鳥も似たことを言っていたが、普通の転生者は、あんな高度からこちらの世界へ放り出されることはないらしい。無事だったから良かったものの、あの女神め。
「二人組とは会いました。追い剥ぎから助けてくれて、村への道も教えてもらって」
「そうか。あいつらも運が良かったな。あんたみたいのを見に、西の遠方からわざわざ来たって言ってたからなあ……」
男は何かを思い出したような顔になった。
「始まりの村アプリットヘようこそ」
初期のRPGに出てくる村人が言いそうな台詞を放ってくる。
「……」
「……なあ、一つ聞いていいか?」
尋斗が反応に微妙に困っていたら、相手もまた微妙な顔つきになってきた。
「転生者が来たら、こういう挨拶をするよう言われているんだが、いざやると、転生者の奴らは、なんで揃いも揃って変な顔になるんだ?」
「まさかのお約束を、実際にされたことに面食らっていると言うか……」
尋斗は言葉を濁す。昔のゲームの様式だったから、などと言ってもきっと通じないだろう。こんな余計なことを吹き込んでくれたのは、先日の転生者に違いない。
「よく分からんが、ともかく、真っ直ぐ行くと大きな建物がある。酒場なんだが、冒険者組合も兼ねているから、転生者ならまずそこへ行きな」
「どうも」
尋斗は礼を言うも、気の抜けた感じになる。門番の彼も、転生者を迎えるのは初めてではないからこその手慣れた対応なのだろう。ただあまりにゲーム的な展開の仕方は肩透かしめいた感覚を抱かせ、それに加えて実は転生ではなく、妙な夢の中にいるとか、怪しげな実験素体にされてそういう設定の仮想空間に意識を取り込まれているみたいな錯覚をしそうになる。
許可されたので、尋斗は村の中へと進んでいく。自分に気付いた子供たちが無遠慮に指差してきたり、村人が珍し気に観てきたりするが、変なのに絡まれることもなく、目当ての建物に辿り着いた。
扉越しに賑やかな気配が伝わってくる。きっとあれだろう、いかにもな荒くれどもが集っているに違いない。年齢から言えば当然だが、居酒屋に一人で入ったことすらない尋斗は緊張する。
意を決して入ると、予想に違わない店内には、予想していたよりも多くなかったが、それらしき様相の客たちの姿があった。談笑していた彼らは、尋斗に気付くや、口を閉ざして視線を向けてくる。
静まり返った店内の雰囲気と、ただならぬ気配の客たちの注目を一身に浴びた尋斗はどうにも場違いなところに来てしまった気分になる。
「いらっしゃい」
回れ右しようとしたら、やたらと人懐っこい声がかけられた。
見れば、尋斗より少し年上で、栗色の髪をした女性だった。
「あら、あなた……」
女性もまた近づいてきたところで、尋斗の異質さに気付いたようだった。
「もしかして、じゃなくても、転生者よね?」
尋斗が小さく頷くと、女性は村の門番よりも物珍し気な反応をしてきた。
「久しぶりに見る気がするわ、へえぇーー、なんか、普通ね、普通……」
嫌味ではないが、ちくりとする感想を口にしてくる。
「さっきまでね、どこだったかなあー、とにかく西からわざわざ転生者を観にきたって、冒険者のお客さんがいたのよ。もう出て行っちゃったんだけど、もう少しここで待っていればあなたと会えたのに、もったいなかったなあ」
「レックたちのことなら、森で……」
「ああ、そうなの!? ならわざわざこんな田舎まで来た甲斐があったってものね」
「あの……」
「ちょっと、待っててね」
尋斗にろくに口を挟む余裕を与える間もなく、店員と思しき女性は店の奥に引っ込む。
すぐに彼女は、店の主人らしい男を連れて戻ってきた。
「ほら、この人、転生者だよ」
目が合ったので、尋斗は軽く頭を下げると、近寄ってきた男もまた遠慮なく頭のてっぺんから爪先まで眺めてくる。
「久しぶりに来たと思ったら、いつも以上に普通の奴だな……」
何を期待しているのか、世紀末仕様の外見の奴が来ると思っていたのか、と尋斗は内心で思わず毒づいてしまう。
「あんた、名前は?」
「八瀬尋斗です」
「ハチセ? どんな字書くんだ?」
「数の八と瀬戸の瀬で……」
尋斗は宙に指で書きながら説明する。
「高校生か?」
「はい」
「そうか。俺はこの店の店主で、トーゴ・アッシダーだ。ついでに、この村にある冒険者組合の管理も任されている。この異世界へよく来たな、と言っておこう」
トーゴの言い方には皮肉とも苦笑ともとれる響きがあった。
「こっちは、ヴィレッタ、俺の親類で、組合の実際の業務をやってもらっている」
「どうもー」
ヴィレッタと紹介された女性は、愛想よく手を振ってくる。
「いきなり向こうから飛ばされてきて、びっくりしているだろ。とりあえずは、少しゆっくりして気分を落ち着かせろや。腹減ってないか? せっかく来たんだ、転生記念ってことで御馳走してやるぞ。インスタントや菓子中毒だったり、ひどい偏食だったりするか? アレルギーはあるか?」
「そこまで極端じゃないし、そっちもないです」
席に座らされた尋斗は、戸惑いながら答える。
「なら、用意してやるからちょっと待ってな」
「あの……」
「来たばかりで、右も左も分からなくて不安なのは分かるが、ゲームの出だしと一緒だ。素直に人の話を聞いておいて、やり方を理解していけばいい」
「はあ」
尋斗は気の抜けた返事をしてしまう。選択肢がないかのようなこの展開は、ますますゲームめいた感じがしてくる。
「まずは、これでも食いな」
トーゴが用意してくれたのは、ジャムが塗られたパンと切り分けられた林檎であった。
「林檎嫌いか?」
「嫌いじゃないです」
「なら、食え。せっかくなんだから」
「いただきます」
食べてみると、意外に美味しいパンであった。そして、味がするということはやはり夢でもなければゲーム世界でもないとの認識を改めてさせる。
林檎も、歯触りが良くて甘味がある。
「どうだ? 美味いか?」
「はい」
「そいつは良かったな。ところで、この林檎はな、俺が育てた樹から採れたんだよ」
「凄いですね」
農業と無縁の生活だったので、尋斗は素直に感心する。
「お、分かってくれるか! お前さん、見所あるな。これなら、この世界でやっていけるかもしれないな」
もしゃもしゃと食べながら尋斗は少し疑問を覚える。林檎が美味いことが、この世界でやっていけることにどうして繋がるのか。
「細かい説明するよりも先に言うけどよ、この世界に来たなら、最初に試練をやる必要があるんだよ」
「なんです?」
トーゴが話し出そうとした矢先、外から動物の鳴き声らしきものが聞こえてきた。
「もう来たのか」
トーゴが舌打ちするように呟く。
店の扉が開いて、新たに入ってきた客は、なんとメイドだった。
「こちらに、新しい転生者は来ておりますか?」
「ああ、こいつだ」
メイドの問いかけに、トーゴは尋斗を顎で示して答える。
「今日は、やけに早いじゃないか」
「転生者が現れたのなら、すぐに回収に来てくれ。以前、そちらが仰ったことではありませんか」
メイドの淡々とした切り返しに、トーゴは心当たりがあるのか不機嫌な顔になった。
一体、何事かと尋斗が二人を眺めていたら、メイドがやってきて一礼した。
「私はこの地の領主であるパメラ・パメール様にお仕えしている者です。領主様がぜひお会いしたいとのことで、お連れに参りました」
物言いこそ穏やかだが、有無を言わせぬ迫力がある。即答もできずに尋斗は、トーゴへと振り向いた。
「行って来い。それが最初の試練だ」
「でも、来たばかりで……」
自分のレベルも戦闘スキルだって、不明である。異世界転生物では、主人公は、書き手の妄想爆発の御都合主義尽くしの超絶チート能力があるものなのに。フォルティナとのやりとりから期待できないと分かっていても、ここまで実感がないと本当に素のままこちらの異世界に放り込まれた不安がある。
「戦えってわけじゃないから、心配するな」
どうやら断れるものではない、いわゆる強制イベントのようである。
「頑張ってね」
ヴィレッタはにこやかに送りだしてくれるが、なんだか造った笑顔に見える。
「さあ、どうぞ。領主様がお待ちしております」
領主が来いって言っている意味は分かるよな。メイドの丁寧な言葉の裏に潜む意味は、尋斗にも十分に伝わった。
不吉な予感がするが、徒に粘っても回避どころか、これ以上の事前の説明も得られない空気に押されるように、尋斗は席から立ち上がる。
メイドが扉を開けると、それでやってきたであろう馬車が店のすぐ外に見えた。
「頑張れよ」
背中に投げかけられたトーゴの励ましは、尋斗を無性に不安にさせた。
馬車に乗るのは、生まれて初めての体験だったので、それなりに尋斗は感動があった。ただ、この世界では自動車などないだろうから、いずれはそれが当たり前になるのかもしれない。
半ば予想していたが、馬車が向かったのは、あの丘の上に見えた建物だった。初回に別のところに出現したり、空を飛ぶ能力があるなどのバグ的要素がなければ、この展開は転生者にとってほぼ強制なのかもしれない。ますますゲーム的な仕組みだ。最初の試練とやらはどこまでもゲーム初心者向きであって欲しいのだけど。
「到着致しました。お疲れさまです」
馬車から降りた尋斗は間近から領主の邸を見上げた。
住まいも周囲の生活環境も庶民にどっぷりつかって生きてきた尋斗からすれば、世界的大企業の経営者でもなければ住めないような規模の邸宅はそれだけで度肝が抜かれる。
「どうぞ、お入りください」
メイドに促されて、尋斗は邸へと入った。
「はあ~」
当たり前と言えば当たり前だけど、中はどこまでも本格的で、尋斗は映画のセットの中に入り込んだ気分になる。
「ようこそ、我が邸へ」
声がした方を見れば、女性が階段を降りてくるところだった。
「転生者様をお連れしました」
メイドが女性に向かって丁寧にお辞儀をして告げたので、釣られて、尋斗も会釈をする。
「私はこの地の領主で、この邸の主であるパメラ・パメール。ついでながらも、来たばかりの転生者への裁定などもやっている」
「は、初めまして。八瀬尋斗です」
尋斗は緊張気味に改めて自分から名乗って挨拶をした。
領主、それも来たばかりの転生者に試練を与えるというから、てっきり尊大なおっさんか、気難しい爺さんを想像していたら、まさかの若い女性とは。
「八瀬君か……」
階段を下りたパメラもまた興味深げにこちらを観察してくるので、必然的に尋斗も相手をじっくり見る機会を得られた。
尋斗の身長は同年代にあって平均よりやや高いくらいであったが、パメラは同じか若干高い。それでいて、踵のある靴を履いているので、見下ろされる形になっていた。長い髪を一つに束ねて後ろに自然に流しているのだが、彫りの深い顔立ちに仮装めいた化粧をしているせいで、男にも見える。ただ不細工化と言えばそうではなく、なまじ整っているだけに、元の世界の同年代の女性にはない凄みを漂わせていた。ハリウッド映画、それも敵か味方か分かりづらい役どころでいそうな雰囲気である。服装は、それこそハリウッドの女優がレッドカーペットを歩く時にでも着るような首の後ろで縛るもので、大きく開けた胸元は豊かで、尋斗の目には毒であった。
「よろしく」
口元に薄い笑みを浮かべたパメラは、手を差し出してきた。
「こ、こちらこそ」
手の甲に口づけするのが作法かとも思ったが、大胆な試みをする度胸はなく、透は素直に手を握ることにする。やけにひんやりしていた。
「ついてきたまえ。用意は既に整っている」
領主だからなのか、女性らしいとは言えない喋り方をするパメラに従って向かった先は、食堂であった。
「こちらにおかけください」
「どうも」
後をついてきたメイドに促されて、尋斗はパメラの向かいの席に着く。
「まずは、異世界より遥々来てくれたことに、歓迎するとしよう」
尋斗とパメラ、それぞれの前に、メイドが杯を置いた。
「酒は嗜むのかね?」
「いえ。そもそも未成年なんで」
「実は隠れてというのもないのか? 思ったより真面目だな。こちらの世界では君くらいの年齢でも、咎められはしないよ」
せっかくの機会だからと、尋斗は応じかけたが、すぐに考え直した。パメラの杯に注がれている液体が、思いの外、毒々しい色合いだったのと、試練が控えているのを思い出したからだ。これって、試練の一環かもしれない。
「身構えなくていい。まだ試練は始まってないよ」
すっかり見透かされていた。
「だが、無理に勧めるつもりもない。代わりの飲み物を」
命じられたメイドは一礼すると、酒とは別に用意していた容器を手に、尋斗の傍にやってくる。
「果汁を加えた飲み物です」
「ありがとうございます」
盃に半透明の液体が注がれる。柑橘系の匂いだった。
「まずは乾杯と行こうじゃないか」
パメルは杯を手に取ると、軽く掲げた。
「この世界で、出会えたことに」
気取った調子で言うや、パメルは杯に口をつける。
見様見真似で口まで持ってきても、尋斗の中には躊躇いがあったが、ここで飲まないのはさすがに失礼であろうと、意を決して飲む。
柑橘系特有の酸味はほどほどで、甘さも控え目だが、予想していたより飲みやすい。ただ変な薬が盛られていたらどうしようと、遅蒔きながら不安がちらつく。
「毒など入ってないよ」
これまたお見通しのパメラが怒りもせずに言ってきた。
「そこまで疑うわけじゃ……」
尋斗は誤魔化そうと笑いかける。パメラの背後に控えるメイドは表情を消しているが、どこまでも冷ややかな視線が、容赦なく突き刺さってきていた。
「さて、最初に聞いておきたいんだが、君はどうやってこの世界へ来たんだね?」
「え、気付いたら、フォルティナって女神が目の前にいて……」
「やはり、あの性悪女神か。あの女神も懲りない御方だ。それが、彼女の役割だと言ってしまえばそれまでだが」
パメラは呆れ気味に笑いを零す。
やっぱり性悪なのか、と尋斗も納得するも、同時に世界を救う勇者を転生させた女神に対するありがちな転生物における人間の一般的な態度と、パメラのそれが違うことに密かに戸惑いを覚える。
「フォルティナ以外にも、異世界転生をするのがいるんですか?」
「たまに、な。神々だけでなく、魔族や異世界を探求したがる魔術師などが召喚をしたりする。希に、開かれた道を通って迷い込んでくる者もいないわけではない。今回、常ならぬ上空でその反応があったから、てっきり、天からの遣いか、迷い込んできたかと思ったのだ」
「ははは」
尋斗は力なく愛想笑いを浮かべる。まさか駄々をこねた挙句の破廉恥行為をしたのが、恐らく原因とはとても言えない。
「フォルティナか……。ならば、君が転生した目的は転生者狩りの役目を押し付けられた、ということでいいのかな?」
「はい」
「それはまた、厄介な役目を押し付けられたものだね」
パメラは目を細めてくる。
自分の素質を測ろうとしているのか。ただ、それで片付けるにしては、領主から不穏な気配を尋斗は感じる。檻の外にいる猫に見詰められたハムスターみたいな気分にさせられた。背後に控えているメイドが、何故だか剣呑な目付きを向けてきているのも、それを感じさせる一因になっている。
「彼女が、気になるのかな?」
「えっ?」
「先程から何度となく彼女を観ているね」
「それほどは……」
尋斗は思わず否定しようとする。ちらちら見ていた自覚はあるが、パメラを直視するのがどうにも気後れしまっていたのが、半分くらいの理由である。
「エリノア」
パメラに呼びかけられて、メイドは彼女のすぐ傍にやってくる。
「彼に、ちゃんとご挨拶はしたかい?」
「いえ」
主に問われて、メイドは短く答えた。
「それは良くない。……彼女は、エリノア・フォーカーと言ってね、この屋敷で働くメイドの一人だ」
「ご挨拶遅れまして、申し訳ありません」
エリノアはさして悪びれたわけでもなく、淡々と頭を下げてくる。
「あ、こっちもなんで」
尋斗もつい頭を下げ返す。
「可愛い娘だろう?」
「そ、そうですね……」
反射的に応じてから、尋斗は改めてメイドを見る。いきなりやって来て、丁寧ではあっても高圧的な態度でここまで連れてこられたのと、道中、最低限のやりとりしかしてなかったせいで気付かなかったが、メイドは自分と同じくらいの年で、確かに可愛かったりする。メイド萌えの属性は人並みにあったはずなのに、言われるまで気付かなかったとは。
「愛想が悪いのは大目に見てほしい。彼女は、よく働くし、よく気が利いて、メイドの中でも、私も気に入っていてね……」
パメラは言うと、徐に片方の手をエリノアの背後へ回した。
表情こそ変化はなかったものの、メイドの少女の口から吐息が零れ出た。少なくとも、尋斗にはそう思えた。自分の位置からははっきりそうだと断定はできないが、位置といい、動きといい、パメラはエリノアの尻を撫で回しているようにしか見えない。
「どうかしたのかね?」
パメラがにやりと笑みを浮かべてくる。しかしながら、それは、中年スケベ親父のような下品さを感じはなく、それでいて、妙な迫力があった。
尋斗が反応に困ってしまい、気まずさから視線を逸らしてしまう。
「この世界では、元の世界では決して実現できなかったようなことが、思うがままにかなえられたりもする。君が、元の世界にいた頃に心の底から願ってやまなかったようなものでさえもな……」
「別にそんな……」
あくまで、主観ではだけれども、異世界転生にそこまでの切望感はないつもりだった。
「違うのかい?」
「こういう異世界に来たいと強く願っていたつもりはないっていうか……」
「ほう、これは意外な発言だな」
尋斗の返答に、パメラは両手の腕を組んで、興味深げに見詰めてきた。
「どこまで本心なのか、それがこの世界ではどれだけの意味を持つのか、とくと見せてもらおうとしようか」
唇をぺろりと舐めたパメラが目配せをすると、小さく頷いたエレノアは、直前までされていたことを窺わせる気配の欠片もない澄ました様子で、尋斗の傍にやってくる。
「ご案内します」
言葉の意味を察して、尋斗が見ると、パメラは肯定してきた。
「八瀬君、君は中々面白い人間のようだ。改めてゆっくり話ができたらと思うよ。試練の結果がどうであれ、次の機会でも会えるといいな」
パメラの物言いは浮かべる表情と同じく気軽な調子であったが、どことなく別れを告げるような響きがあるように、尋斗には感じられた。
屋敷の主に見送られて食堂を出た尋斗は、エリノアに連れられて邸の奥に向かった。エリノアが目的の扉を開けると、やたらと長い廊下が続いていた。
「こちらです」
「この先に何があるんですか?」
「行けば分かります」
「行けばって……」
薄暗い先が見えない通路、しかも、試練が控えているとなれば、躊躇いが生じるのに十分な理由である。
「どうしました? 行きますよ」
躊躇いで立ち止まった尋斗に、エリノアは冷ややかな眼差しを向けてくる。
仕方なく、尋斗は彼女の後に続いて廊下に入る。
「試練って何をやるんですか?」
「着きましたら、お知らせします」
分かってはいても尋ねずにはいられなかった質問に分かり切った答えが返ってきた。
一歩一歩廊下を進むにつれて、尋斗の中で緊張は高くなっていき、高校入試の時ですら抱かなかったぐらいになる。この先に闘技場でもありそうな気がしてきた。トーゴは戦うわけではないと言っていたけれど。
気が重い。それに気まずい。
視線すら、ろくに逃げ場のない空間のせいもあって、ついつい先を規則正しく歩くエリノアの後姿を尋斗は見詰めてしまう。もっと正確に言えば、先程のパメラの過ぎ去のおかげで自然とお尻へと。メイド服はスカートの丈は長く、膝裏すら隠されている。競ってスカートを短くしようとしているかのような女子高生よりも、ずっと露出は少ないのに、布地から浮き上がった形の良い曲線が、こんな時でも、あるいはこんな時だからこそ色気を感じる。
「何か気になることでもありましたか?」
まるで背中に目がついているかのような問いに、尋斗は思わず飛びあがりそうになる。
「全然です、全然……ただ、メイド服姿の本格メイドさんが珍しいなと思っただけで。現実で見るのも初めてだったもんだから……」
「聞くところによりますと、あちらの世界では、メイドは全然、違う存在だそうですね」
振り向きもしないままエリナは応じてきた。ちょっと意外である。
「そうですね、どっちかと言うと、接客業の店員さんかな?」
海外も含めるとややこしくなるが、少なくとも日本では、一般的にメイドは一家庭の使用人ではない。
「お金を払ってくれる人なら、誰にでもご主人様とお呼びするそうですね?」
表情は見えないが、エリノアの物言いから軽蔑がありありと浮かんでいるのは容易に想像できる。本当に主人に仕えている人間からすれば、そういった反応になるのもやむを得ないものかもしれない。
「それは、深い意味ではなくて、一種の様式美って言うのかな。呼び込みが、羽振りの良さそうな人を捕まえて、へい旦那とか、社長とか言うみたいので」
別にメイド喫茶や今時のメイド産業に批判的ではない尋斗は何となく釈明をしたくなる。
「……仰りたいことは、何となく分かりました」
尋斗が焦って説明する様がおかしかったのか、エリノアは少し和らいだ気配で言った。
「別の転生者から聞いたんですか?」
「はい。そういうメイドがいる店によく通っていたと話してくれたのですが、私にはにわかに信じがたいことでした」
「それだけを聞かされたら、そう思うのも無理ないかもなあ。他にはどんな話をしたんですか?」
「その転生者とは、それだけです」
「メイド喫茶の話だけ?」
「ええ。転生者からあちらの世界の話を聞くのは、毎回一つと決めておりますので」
何故と尋斗は理由を聞きたかったが、エリノアの背中からあからさまに拒絶する気配が漂ってくる。
「ところで、俺の前に来た転生者の人は、試練をやって、どうなったの?」
せっかくの会話の糸口ができたので、尋斗は気になっていることを尋ねてみるも、答えは返ってこなかった。
意図的な無視なのか、偶々だったのか。
廊下の突き当りにある扉に到着した。
「こちらです」
エリノアは扉を開けて促してくる。
奥に見えたのは奇妙な部屋だった。
ほぼ正方形で、奥にまた扉がある。がらんとしていて殺風景ではあるが、闘技場のような殺伐さはなく、あくまで邸内の一室であった。吹き抜けで天井は高く、二階にあたる部分もまた階下を見下ろすような露台があるが、そこも含めて四方が厚い布で覆われていた。
足を踏み入れた尋斗は室内を見回して戸惑う。
「ここは……?」
「試練の間です」
扉を閉めたエリノアは、立ち尽くす尋斗の傍を通り過ぎると、部屋の中央に向かう。小ぶりの四角い台があり、水晶らしきものが置かれていた。
「どうぞこちらへ」
台の向こう側に立ったエリノアに呼ばれて、尋斗も進む。
「これに手を翳してください」
「これは?」
「試練の宝具です。こちらで、あなたの能力を診ます」
要するに適性診断という奴だろうか。初期ステータスの把握は、ゲームでも冒険の第一歩である。
不意に視線を感じて、尋斗は振り返る。布が微妙に揺れていた。奥に誰かいるのだろうか? 他からも気配を感じる。
「周りのことをお気になさらず。邪魔をしたりはしませんから」
エリノアは言うが、カーテン越しに覗き見られている、それも、どこの誰か、どれだけいるかも不明、という状況は、晒されている立場からすると、ただその場にいるだけでも結構居心地悪いものである。まるで教師に難解な問題を解くよう突如、指名されて動揺している様を、全校に中継されているみたいな感じだ。
「さあ、どうぞ」
ただ手を翳すだけのことだ。尋斗はやろうとして、念のために確認する。
「……もし、能力が不適正とか診断されたらどうなるんですか?」
「転生者として生きていくのは大変だとは思います」
当たり前と言えば、当たり前の返答をしてから、エリノアは付け加えてきた。
「もし駄目でも、またやり直しをすれば、よろしいのではないでしょうか?」
「診断って、する度に初期能力が変わるんですか?」
「そうではなく、もっと根本的に、です」
「え……それって」
「さ、お早く。お待たせするわけにいきませんので」
問いを遮るようにエリノアは強く促してくる。
半ば観念した気分になって尋斗は水晶に手を翳した。
水晶の中で、蝋燭の炎のような淡い紋様が浮かんだ。
「……知力と、体力はやや上というところでしょうか。英雄性は可もなく不可もなく、運はかなり低いですね……あと、特別な技能として……これは……」
水晶を見詰めながら解説していたエリノアが、厳しい顔つきになる。
「な、なんですか?」
「失礼しました。深い意味はありません」
「だけど……」
「お気になさらず」
尋斗は気になって仕方ないが、エリノアは容赦なく跳ねのけてきた。それから、一段と冷淡な目付きを向けてくる。
「細かいことはさておいて、結論を言えば、尋斗様の資質は良くて並みといったところですね」
「な、並!?」
「はい、並です。凡百の冒険者です。残念です。今回は、期待していたのですが……」
エリノアはさも失望したといった体で言ってきた。
室内の明度が落ち、空気は重く、冷たくなったような気がした。布の奥からも、これ見よがしな溜息や、落胆、失望、それどころか蔑笑混じりの囁き声すら聞こえてくる。
「ご主人様に再びお会いして頂く予定だったのですが、これでは仕方ありません。こちらの扉へ行かれますよう」
エリノアは奥の扉を開けると告げてくる。
「この先に、何があるんですか?」
入口と同じく、長い廊下が続いていた。
「行けば分かります。危険はありませんので、どうかご安心を」
この展開では、もう嫌な予感しかしなかったが、尋斗は渋々、扉の奥にある通路へと歩き出す。
「リセマラってご存知ですか?」
不意に言葉をかけられて、尋斗は振り返る。
「えっ!?」
「次は、エス・エス・アールを引けると良いですね」
エリノアは一方的に告げるや、一礼をしてすぐに扉を閉ざしてしまう。
「ちょ、ちょっとっ!?」
尋斗は扉にとりつくが、ノブを回しても開かず、焦って叩いても向こうから何の反応もなかった。
こうなると先へ進むしかない。造りは行きの廊下と変わらないが、薄暗く陰気な感じである。歩いていると、どこからともなく、あの部屋で試練を見物していた人の声らしきものが聞こえてきた。
「俺は期待外れ……」
尋斗はぼそりと呟いたが、部屋での時よりも声は露骨になっていた。
わざわざこの世界に呼んでおいて、失礼な話ではないか、と思わないでもないが、それはあの性格が悪い女神によるものであって、こちら側の人間からすれば関係ないのだろう。
陰鬱な気分に押し出されるように、尋斗の口から自然と溜息が零れ出てしまう。それをきっかけに色々と過去の記憶まで蘇ってきた。
思えば、昔から人の期待に対して無残な結果となることが多かった。私立の中学受験からしてそうだった。尋斗自身は、そこまで執心していなかったから、落ちたことに限れば、挫折と感じるほどではなかった。ただ、仲の良かった友人と同い年の親戚が受かったことそれもあって尚のこと親の落胆したのは結構、堪えた。
学芸会でもたった一度の主役で台詞が飛んだ。去年の体育祭だって、リレーに選ばれたのだが、別クラスは陸上部の駿足を狙ったかのようにぶつけてきた。おかげで、バトンを受けた時にはトップだったのに、あっさり抜かれて、恰好の引き立て役にされてしまった。しかも、当時の佳澄のクラスの前でその場面が展開された。こちらの世界に来る原因となった交通事故だってそうだ。彼女の手紙を下手に疑わずに、信じていれば稚拙の極みのような災難に遭わずに済んだのに。
生死の境を彷徨った挙句に、せっかく異世界に来てみれば、この体たらくである。
建物の構造のせいなのか、失望の声はどれだけ廊下の奥へ進んでいっても、耳から離れてくれない。むしろ、一層、まとわりついてくる。
走りだしたくなる衝動を堪えるので、尋斗は精一杯だった。
なんでこんな目に。
作者の現実での満たされない願望を満載した異世界転生ものやお題目だけ劣等生もののラノベのように、真なる自分にもチート能力が備わっていたら。そうしたら、こんな屈辱的な気分にならずに済むのに。
ぞんざいに扱われるような低初期設定で送りだした女神が恨めしくさえ思う。
悄然とした気分に陥りながら、尋斗は廊下の行き止まりの扉に辿り着く。
疑う気力もなく無警戒に扉を開けた時だった。
「リセマラってご存知ですか?」
不意に、エリノアの囁きが思い出された。
眩い光と薄ら寒い風が入り込んできた。
夕刻の日差しである。
眼下には、朱色の光と黄昏時の影に覆われた森が広がっていた。
邸の裏にあったのは、断崖絶壁であった。
崖下から吹き上げてくる風に煽られながら、尋斗は崖の先まで進んだ。
より近くから見下ろせば、ちょっとした高層ビルよりも高そうである。ついさっき、この世界に来るにあたって、これよりずっと高いところから落とされたはずだが、突然で混乱した中での墜落だったこともあって、今の方が恐怖感はずっとあった。
これは、つまりそういうことなんだろうか。
誰もいない、何もない、崖にわざわざ通された意味を、尋斗は理解していた。
この崖から飛び降りろ、ということだ。ガチャで出てきた外れを、処分するように。
足が竦む。だが、と尋斗は思う。ここでやり直せば、次はもっと良い初期状態で転生生活を始められるのではないか。それが駄目なら、次の次で、それでも駄目なら、更にその次で。いつかは、馬鹿にした部屋の連中を見返せるかもしれない。
眼下に広がる森を見下ろしながら、尋斗は考える。
足を進めたい誘惑にかられたが、結局、踏み出すまでには至らなかった。単純な死への今日もあったが、それよりも、いくら異世界に転生したからといって、さっさと死んでやり直せばいいというのはやはり違う気がする。元の世界で生死を彷徨っている状態となれば尚更、切実感がある。それに、勝負を投げないところは良いところとかつて祖父にも褒められたものだ。
平凡な能力でも、きっとやっていき様はあるのではないか。
葛藤の時間は決して短くなかったが、尋斗はどうにか納得して、やもすればなおまとわりつこうとする負の気分を振り払って、心を落ち着かせる。
ともかく、あの村へ戻るとするか。
踵を返した尋斗であったが、すぐに足を止めた。
エリノアが佇んでいたのだ。
「飛び降りないのですか?」
「え? はい」
「そうですか」
エリノアは微かに残念そうに呟いてくる。
面と向かってその態度をされるのもきついなあ、と内心で、思いながらも尋斗はそそくさと立ち去ろうとする。
「そういうわけで、お邪魔しました」
「おめでとうございます」
「へっ!?」
エリノアからの唐突な一言に、尋斗は彼女の顔をまじまじと見た。
「見事、試練に合格されました」
表情を変えずに、エリノアは淡々と告げてくる。
「えっ? そうなの?」
「はい」
「そーだったの……」
呆気に取られた尋斗は己に言い聞かせるように呟く。
崖に飛び込まない選択こそが、正解だったわけか。
「良かった。無事にクリアできて」
「私としましては残念です」
「え、なんで?」
またも意外な一言に、尋斗が驚くと、エリノアはどこから取り出したのか、大きさも形状も禍々しい鎌を手にしていた。
「自らの手で、御命を頂戴せねばなりませんので」
「冗談……」
だよね、との問いを尋斗は続けられなかった。手にした得物の凶悪さは言うに及ばず、底冷えする眼差しと声から漂う殺気は、生まれてこの方、それを向けられた経験を持ったことがなかった尋斗でさえも、冗談とは思えなかった。
「な、なんでっ!?」
「……参ります」
尋斗の問いに答えることもなく、エリノアは鋭く言うや、大鎌を振りかざして一挙に間合いを詰めてきた。
後方に跳躍した尋斗は、凶悪な初撃を回避する。ほとんど条件反射であった。交通事故の時の記憶が鮮明に残っていたおかげだったかもしれない。それがなく、しかも、エリノアが前触れなく襲い掛かってきていたなら、回避など不可能だったろう。
不運の先払いをしたおかげか。第二撃も、身をよじって躱せた。
だが、奇跡もそれまでだった。
尋斗は体勢を崩してしまい、無様に顔から転んでしまう。すぐに起き上がって逃げようとするも、崖の近くに追い込まれていて、しかも、間近には仁王立ちで見下ろすエリノアがいた。
「お覚悟を」
無表情のエリノアが鎌を振り上げるのを、尋斗はもはや為す術もなく見るしかできない。
尋斗に向かって、殺意の塊が振り下ろされようとした瞬間、横合いから光弾が、エリノアに向かって飛んできた。
「くっ!」
不意打ちを、鎌で受け止めつつ、エリノアは距離を取る。
「そこまでよ」
声とともに割り込んできたのは、こちらの世界に落ちた直後に出会った白い鳥だった。
「何者!?」
「主に伝えなさい。これ以上、こいつに危害を加えることは、約定違反により容認しない、とね」
白い鳥は、尋斗を庇うように位置に入ると、鋭く警告を発してきた。
「邪魔をしないでくれますか」
突然の闖入者にも動揺する素振りもなく、エリノアは敵意を強くして、武器を構え直す。
白い鳥は溜息を吐くような仕草をしてきた。
「なら、痛い目に遭ってもらうしかないわね」
羽を大きく広げた白い鳥の眼前に、先程より大きな光弾が出現して、放たれた。
エリノアは回避を諦めて、真正面から受け止めようとする。
だが、反対方向から別の光弾が飛んできて、白い鳥の放ったものと衝突した。
爆発音が轟く。
地面に転がっていたおかげで、幸いにも、尋斗は砂埃を被るぐらいで済んだが、無警戒に立っていたら崖下へ吹き飛ばされていてもおかしくないほどの爆風が頭上で吹き荒れた。
靄が晴れると、エリノアが地面に転がっていた。至近距離であったので、衝撃を免れなかったようである。
その向こうに、邸から近づいてくるパメラの姿があった。
「私の大事な使用人を傷つけようとするのは、さすがに見過ごせないわね」
どうやら、あの光弾は、彼女が放ったもののようだった。
「それは、こっちの台詞よ、パメラ・パメール」
領主を相手にしても、白い鳥は強気だ。
「あなたが、転生したばかりの人間に試練を与えるのは、こちらとしても黙認していたわ。その程度を乗り越えられない奴なんて、ただのお荷物になるだけだしね。だけど、合格した人間にまで手にかけるのはさすがにやり過ぎね。自分の脅威になるかもしれない転生者に怯えるのも無理ないけど、少し肝が小さいんじゃないかしら?」
「性悪女神の下僕風情が、舐めた口をきく」
「領主様の小悪党ぶりには負けるわ」
「小娘が粋がるなよ」
二人、いや、一人と一羽が視線をぶつけて、火花を散らした。
パメラが両手を広げると、彼女の前方に幾つもの光弾が生じた。
白い鳥の周囲の空気も揺らめく。
ちょっと待ってくれ、今、ドンパチされたら逃げ場ないんだけど! 両者に挟まれて、いかにもファンタジーな激闘に巻き込まれること必死の状況下で、尋斗は抗議したいのだが、凶悪な空気に呑まれて、身動きもできない。
だが、決定的な破局には至らなかった。
パメラが緊張を解いてくれたのである。
「このような刺激的な場と久しく離れていたから、いささか戯れが過ぎてしまったな」
不敵な笑みを絶やさないまま、パメラは気取った仕草で一礼した。
「この通り、非礼は、お詫びさせて頂こう」
「分かってくれるなら、それでいいわ」
白い鳥もほっとした様子で応じた。
緩和した空気に、尋斗も思わず安堵していたら、意識を失っていたエリノアが微かに呻きつつ身を起こした。
「あの」
尋斗が声をかけようとしたら、エリノアが顔を向けてきた。揺らいでいた彼女の瞳が、尋斗に定まった瞬間、殺意に満ちたものに変化した。
「待ちな……」
白い鳥が制止するより早く、エリノアは武器を手に尋斗に迫ってきた。
だが、魔法弾の衝撃から回復していてないのか、尋斗に襲い掛かる手前でエリノアの動き鈍くなった。しかも、夢中で回避しようとした尋斗も同じ方向に動いていたために、結果的に二人はぶつかり、もつれるような形になる。
「あっ……」
微かな声は、勢い余って崖から飛び出てしまったエリノアの口から零れた。
咄嗟に状況を理解した尋斗は、わずかに触れた彼女の手を掴もうとするが、失敗する。ならば、ともう片方の手を強引に伸ばしたら、どうにか彼女の腰を掴んだ。
あれ?
エリノアを引っ張ろうとした尋斗であったが、頼りなげな浮遊感に困惑する。
「えっああああああああああああああ……」
刹那から墜落が始まった。
エリノアを助けたつもりが、むしろ自分の方が彼女に飛びついた形になっていたのを、遅蒔きながらに理解する。
またか、また落ちるのか。
今回はさすがに助かる気がしなかった。二度もあんな都合のいい偶然が起こるとはとても思えない。
暗闇に包まれて、奈落の底にしか見えない崖下の森が、ぐんぐんと迫っていく。
唐突に尋斗の視界も意識も真っ暗になった。
「ったく、使用人の躾ぐらいちゃんとしなさいよね」
緊張状態を解いたままの白い鳥が苦言を呈する。
「これについては、こちらの落ち度と認めよう」
自ら大事と言った使用人と転生したばかりの少年が一緒になって、眼前で崖から転落していったにも拘らず、パメラもまた動じた様子はなかった。
パメラは崖に向かって腕を伸ばしていて、掌は淡い光を帯びていた。
やがて、崖の下から無傷のエリノアが姿を現してくる。
主人からさえも愛想が悪いと言われていたメイドの少女は、だが、この時はいつになくバツの悪そうな顔になっていた。
彼女の主と白い鳥は、すぐにその理由を知った。
「呆れた!」
「おやまあ! 今になってこんなものが見られるとは。これがあれか、ラッキースケベという奴か」
二人の反応に、エリノアは恥ずかし気にスカートを掴んだ。
三者三様の反応を、尋斗はと言えば知る余裕などなく、顔をエリノアの尻に敷かれたまま気絶していた。
「いつまで寝ているのよ、軟弱者!」
罵声が聞こえてきたと思ったら、額に二度三度鋭い痛みが走って、尋斗はようやく目を覚ました。
「痛っ!」
尋斗は額を手で押さえながら跳ね起きる。
「なんだなんだ!? ……って、あれ?」
エリノアとともに崖下に転落したはずなのに、元の場所に戻っていた。
「夢だった? なら、なんでまだこの世界にいるんだ? もしかして、知らぬ間にセーブしてて死んで戻ってきたとか?」
「いつまで、寝惚けているのよっ!」
白い鳥が尋斗の額をまたも突いてきた。
「わ、わ、わ、痛っ! 痛い、痛いってっ!」
「なら、しっかりしなさいよ。セーブ何てご都合設定はないから。そこはしっかり肝に銘じなさいよ」
「じゃあ、どうして? もしかして、お前が引っ張ってくれたのか?」
「私じゃないわよ」
「君を、正確には君たちを助けたのは、この私だよ、少年」
口元に微笑を称えてパメラが会話に加わってきた。背後には、一緒に崖から転落したはずのエリノアが控えていた。直前までの博人の記憶にあった殺意は霧散していて、仮面のような表情に戻っている。
「ともあれ、無事で何よりだ。肝心の君が目覚めたのだから、場所を移そうか」
かくして、尋斗は白い鳥とともに、邸内の謁見の間のような部屋に通された。
「改めて、試練合格、おめでとう」
主の座に腰かけたパメラは、飄々とした態度で手を叩いてくる。
「まるで、さっきのことはなかったみたいな口振りね」
白い鳥がすかさず噛みついた。
「誤魔化そうとする意図はないよ。エリノアの行いは、私を慮る気持ちがいささか行き過ぎてしまった結果であるが、主として責任を感じている。これについては、私からも謝罪をさせて頂こう」
慇懃無礼とまでいかないが、どれほども深刻さを感じさせないパメラの物言いだった。
「行き過ぎた、ね」
「ああ。偽りはないよ」
「ものは言い様よね」
「これでも誠意をもって対応しているつもりだが、女神の使い殿はお疑いかね? 君も、同じ考えなのかな?」
白い鳥の追及にも動じる気配もないパメラは、よりにもよって尋斗に話を振ってきた。
「え、えっと……」
いきなりのことに尋斗はびくついてしまう。落ち度がありながら、誠意なんて単語を口に出してくる人間の心根などとても信用ならない、とは祖父の言葉であった。そして、証拠はないが心証だけで言えば、やはり疑わしい。ただ、相手は領主で、しかも、つい先程、ファンタジー世界特有の尋常ではない戦いの一端を目の当たりにしたばかりである。想いを安易に口にするのはさすがに憚れた。
尋斗の反応に、パメラは唇を歪ませるが、すぐに一層、ふざけた表情をしてきた。
「こちらとしては心外と感じるところであるが、疑われるのにやむを得ぬ理由もある。そこでだ、服越しではあるが、エリノアの尻を存分に愛でるのはどうだ?」
パメラは突拍子もないことを言いだしてきた。
「!?」
「本人が代償を負うのは、謝罪の言葉以上の誠意があると示すことになるだろう。それに、君はさっき気を失って覚えてないのだろう? なら、せっかくの機会だ、特別に許可しようではないか」
「あの……」
反応に困りながら尋斗が、そっと窺えば、エリノアの表情は羞恥か怒りか、わずかに朱色がさしていた。だが、変化はそれだけで、どんなふざけていようが、主の命令であれば、素直に従いそうな雰囲気であった。
尋斗は別にお尻に特別な愛着があるわけではない。だがしがし、美少女と称して差し支えない、本物のメイド、しかも、一度は殺されかけたとはいえ、あるいはそれだからこそ、そんな少女の魅力的なお尻を好きなだけ触れていい、などと言われてしまっては、白状すれば、ぐらりとくるものがある。
と言っても、服越しだしな。命を懸ける羽目になった代価と考えれば、むしろ安いくらいじゃないか。撫で回すなど下品なことをするつもりはない。ただ、そっと撫でるぐらいなら、感触を確かめるぐらいなら、許される気がする。
思春期特有の衝動が、意思となって、呼気となって、声となって、口から出ようとした寸前に、尋斗は白い鳥がくるりと睨んできているのにようやく気付く。
「……いや、さすがにそれは」
漏れ出る不穏当な空気が背中に冷たい汗を流させる。尋斗は、踏み止まると、頬を引きつりそうになりながら断った。
「ならば、仕方ないな」
「そちらの誠意とやらは、一応だけど伝わったわ」
さして残念がるでもないパメラに、こんな茶番は沢山だとばかりに苛立ちを混ぜて、白い鳥は口を挟んでくる。
「異論がないのであれば、こちらとしても話を進められるな」
パメラは言うや、わずかに振り返って頷く。承ったと一礼したエリノアは背後の扉から退室して、すぐにいかにもな外観の小箱を抱えて戻ってくると、尋斗の前に置いた。
「開けたまえ」
罠とかじゃないよな。この期に及んで不安が過ぎったが、白い鳥は警戒してもいないので、尋斗は素直に従うことにする。
中には、小袋と筒状の紙束が複数入っていた。
「試練を課している立場として、合格した者には相応の報奨を与えることにしている。この地の民としての身元保証、冒険者としての身分証、当座の資金、それと武器防具屋への書状だ。この書状を見せれば、好みの初期装備を整えられる。この他に、今回の詫びとして、幾つかのアイテムも加えておいた」
これで、一先ずにしろ、この世界の民として路頭に迷わずに済むし、初期装備も整えられるわけか。もう少しチート的なものがあっても、との思いがわずかでもあるのは、異世界転生特有のご都合主義への期待があったりするのだろうか。
「これでも、私は、一国の王が、世界を救うために旅立つ勇者に提供するよりも、少なくとも良心的だと思っているよ」
ほんと、察しが良い領主様である。恐縮して頭を下げながら、尋斗は心中でぼやいてから、思い至る。それだけ転生者にありがちな思考、なのかもしれない。
ちらっと尋斗が顔を上げたら、パメラはまるでそれすらもお見通しとでも言いたげに笑みを浮かべていたりする。
「苦労することもあるだろうが、転生者の人生を楽しむなり励むなりしてくれたまえ」
「色々とありがとうございます」
礼をきちんと述べて尋斗が退出しようとしたら、パメラは思い出したかのように背中に声をかけてきた。
「何か困ったことがあれば、また来るといい。出来る範囲ではあるが、力になろう」
「今度は一体を企んでいるの?」
白い鳥が警戒感を露わに、文字通り嘴を挟んでくる。
「これは心外な。これでも、私は彼を案外、気に入っているのだよ」
邸を出た尋斗は胸を撫で下ろした。
試練は容易いものではなかったが、その後の方が大変だったとは。ゲームであれば飛ばすことも多いところなのに。
「なんとか終わった……」
「ええ、入門編がね」
尋斗の肩から白い鳥が辛辣に釘を刺してくる。
「本当に入門編だったなあ……」
「十分、分かったでしょ。元の世界と同じで、こっちも死んだら終わりと思った方がいいわよ。都合が悪いことがあったから、死んでやり直すってわけにいかないんだからね」
「はい、分かりました」
尋斗は素直に頷く。しかし、死んでやり直しができないというのは転生者の利点のかなりの部分が失われていることにならないだろうか。もっとも、不満にしたところでどうにもならないことであるので、尋斗は関心をずっと気になっていたことに向けることにする。
「ところで、お前は何者なの?」
至近の距離にいる白い鳥を横目で見やりながら問いかける。
「村に戻ったら、教えるわ」
もったいぶった態度であるが、教えてくれるというのだから、尋斗もここでしつこく尋ねる気にはならなかった。
白い鳥の正体を知るのが、次なる試練です、といった展開にならないといいのだけれど。
異世界生活入門編の教訓、リセマラはありません。