序章 かくして異世界へ
暗い底に沈んでいた意識が、ゆっくりと浮き上がるのを自覚した。
重く厚い緞帳がゆっくり上がるように瞼が開いた。
視界に入ってきた光景は、いつぞやの文化祭で観た照明輝かしい舞台上ではなくて、どことも知れない薄ぼんやりした空間だった。
目の前に誰かがいた。
最初に目についたのは艶やかな紫色の髪である。次に、白と濃淡の色合いを使い分けた髪と同系統の色を基調にしたふんわりとした服装、ところどころには控え目ながら装飾品が目に入る。
コスプレ。
最初に抱いた感想がそれだった。
何の題材かは思い至らなかったが、ファンタジー世界を題材にしたアニメやゲームに出てきそうないかにもな恰好をしていた。しかも、かなり上質というか本格的で、本人も、違和感がないほどに似合っていて、結構な美女、または美少女である。
「気が付いたわね。待っていたわ」
見た目を裏切らない綺麗な声で、相手は話しかけてきた。
「あの……」
「ハチセ・ヒロト……」
「は、はい!」
名前を呼ばれて、尋斗は畏まって返事をする。相手が年上っぽい異性であるのに加えて、ただのコスプレ娘にはない神秘的な雰囲気が、尋斗を緊張させた。
「自分が、どうして、ここにいるのか分かる?」
「え……」
彼女の問いを引き金に、尋斗の脳裏に鮮明な光景が浮かび上がってくる。
不快な感触と押し潰したような声、それから、車の急ブレーキ音、吹っ飛んで地面を転がる衝撃、それに合わせて何度も回転する視界、誰かの悲鳴、そして、見上げた空と、それを遮るように誰かが覗き込むように影が覆ってきて、だけど、その時にはもう視界が急速にぼやけていて……。
「俺は……」
「そうよ。あなたは、事故に遭ったの。命にかかわるね」
まるで、尋斗が思い出した光景を同じく見ているかのような口振りだった。
「え、あの時……?」
最初に浮かんだのは、小さな女の子が風で飛んだ帽子を取ろうと道路に飛び出てしまった光景である。あの日、帰路を急いでいたら、偶々その危うい状況を目の当たりにして、走っていた勢いのまま女の子を助けたのだ。
「あれ? だけど……」
戸惑いの呟きを尋斗は漏らす。
「早速だけど、あなたについて確認ね……えっと、三十六歳、日々、自堕落な生活を営み、女性への付きまといが趣味、最低ね……中学卒業して高校に進学するも、学生生活に馴染めずに以降、引き籠り生活に突入……そっちの世界では、最近よくいる人よね……この手の人にはお約束だけど、彼女なし、聖職者でもないのに童貞である、と、あらら」
目の前の彼女はどこからともなく取り出した用紙を読み上げつつ、所々で、淑やかな容姿に不似合いな毒を混ぜてくる。
「ちょっと待って……」
すぐにとんでもないことに気付いて尋斗は口を挟もうとするが、彼女は構わずに続けてきた。
「それで、ここに来るに至った理由だけど、日課の散歩中に、以前から付きまとっていた女子高生の後を追いかけていたら、彼女が事故に遭いそうになっているのを目撃して、あなたはこれ幸いに彼女を助け出そうと走り出した。結果的に、事故に遭ったんだけど、その事故というのが、もうひどい話で……」
「あのっ!」
「なに?」
「それ、なんか、違うような……」
「えっ?」
「だから……事故に遭いそうになったのは女子高生じゃなくて、小さな女の子で、そのことがあったのも少し前のことで、別に身代わりになるとかなくて無事だったんだけど、あと、俺、三十六歳でも、引き籠りでもない」
童貞ではあったが、さすがに美少女を前にして言えない。
「え? ……あ、ああ……これは別の人のだったわ。間違えちゃった……」
軽い調子で返されるが、本人と見比べれば全然違うと分かるだろうに。
「えっと、ハチセ・ヒロト、ハチセ・ヒロト……ああ、こっちこっち。十七歳、学生、ね」
「はい」
恐らく新たに手にした別紙の方は正解のようで、尋斗は頷く。
「引き籠りでも何でもない普通の人、うん、普通普通」
とても安堵したように言ってくる。一応、褒められているはずだが、尋斗はどこまでも嬉しくない。
「えーっと、あら、あなたが女の子を事故から助けたのは今から二カ月前のことだったわね」
「それぐらいかな」
轢かれそうになったのを危うく助けたと言っても、ドラマのように飛び込んだわけでもなければ、際どさもなかったので、あまり強く記憶はしていなかった。
「だから、事故に遭ってないんだけど……」
「その時はね……」
「はい?」
「後日になって、あなたは突然、呼び出しを受ける。相手は、トウカワ・カスミ……」
尋斗の眼前に、唐突に見知った少女の姿が出現した。学校でも美人と評判の、いつもの涼し気な表情の十河佳澄の姿に、尋斗の胸の鼓動は強くなる。
「うん、それなりに可愛い子ね」
紫色の髪の少女は褒めるも、言葉の端々には私ほどじゃないけど、と言いたげだ。
「彼女があなたを呼び出した理由は、あの時、助けた女の子が、実は彼女の妹だったのよ」
「え、そうなの?」
「やっぱり、知らなかったのね」
にやり、とでもいうような何とも言えない笑みを彼女は浮かべてきた。
「ところで、偶然その時の場面を目撃していた人物がいた。それが、さっきの三十六歳の引き籠りの、名前は、オヤマ・ナオキ……」
次に浮かび上がったのは、変態趣味の引き籠りを想像したら、安直に出てくるような姿の人物だった。
「あなたの活躍を目の当たりにして彼は閃いたの。自分も同じようなことをして女の子を助けたら、お近づきになれるきっかけになるのではないかって。それで、物色していた彼が目をつけたのが、彼女、トウカワ・カスミだった。以来、彼女の帰宅時を狙って、オヤマ・ナオキは積極的に出歩くようになったわけ」
ただのストーキングじゃないか。尋斗は胸中で指摘する。そう言えば、十河は、誰かにつきまとわれているみたいで怖い、と友人たちに相談していた気がする。ただ彼女は高嶺の花だし、男が苦手という評判もあって、尋斗は遠巻きに眺めるばかりだった。
「はあ……」
だから、尋斗の口から言葉になったのは吐息めいたものが出ただけになる。いまいち話の流れが分からない。
「あなたはそんな佳澄が呼び出された」
「え? あ……」
そうだ。話があると手紙を貰ったのだ。いきなりのことで、意図が分からず、誰かの質の悪い悪戯かと疑って、素直に応じていいものか随分と迷った。
「結論から言うと、呼び出しは本当に彼女からだった。妹を助けてくれたことと、それがあなただと知ってお礼を言いたかったのでしょうね」
「あ、そうなんだ……」
「それだけの用事と思う?」
「え、え……」
冷やかし混じりに話を振られて、困惑するしかない尋斗の様を、楽し気に見やりながら彼女は話を進めてくる。
「その心中はさておいて、ともかく、トウカワ・カスミは、待ち合わせの公園に向かっていたわ。そんな彼女の後を、オヤマ・ナオキが密かにつけていた。彼にとってはだけど、待ちに待った絶好の機会がやってきた。その日、彼女は体育の授業で足を痛めていたのだけれど、道路を渡っている途中でその痛みに襲われたの。つい立ち止まってしまった彼女目がけて、丁度、車が突っ込んできた。ついに出番が来たとばかりにオヤマ・ナオキは勇んで駆け出した。ところが、長年の不摂生な生活もあって、身体は自分の想像通りにはまるで動いてはくれず、足をもつれさせて、半ば転がるような状態になった。そこへ運悪く、脇道からあなたが出てきたの」
話を聞いて、尋斗の中で曖昧だった記憶が鮮明に、そして、整理されていく。そうだ。散々、迷った末に向かうことにしたのだが、待ち合わせの時間が迫っていたので、急いで指定の場所に向かったのだ。脇道を通り抜け、目的の場所が道路の向こうに見えて、どうやら遅れずに済みそうだ、と安堵した瞬間に、横合いから獣のような呻きだか悲鳴だかを発した黒い影が迫ってきたのだ。
「あなたと、オヤマ・ナオキはものの見事に激突した。不意の衝撃になすすべもなく、あなたは吹っ飛ばされて、道路へ投げ出された。そこへ運悪く……」
自分の身体はいきなり車道へ押し出された形になって、丁度、トラックが視界の隅からやってきたのだ。
「思い出した?」
「えっ、えっ、えー、えーー?? えーーーーーーー!?」
尋斗は愕然として、困惑の呟きばかりを発する。まさかそんな馬鹿馬鹿しい出来事が我が身に起こったとは。
「あれ、だけど……」
尋斗は身体のあちこちを確認するが、事故に遭った際の記憶ははっきり蘇ったのに、痛みはどこにもなく、そもそも怪我をしていないかのようだ。
「ってことは、ここって、あの世とか何か?」
経緯から言えば、そうなるはずだが、行ったことがない人間によって語り継がれているところとはいえ、世間で伝え広められているところとは、随分と様相が違う。
目の前にいる彼女は、まさしく典型だ。
「え……、まさか、あの世じゃなくて、ここって、もしかして……」
「ほんと、あちらの世界の人たちは、察しが良いから助かるわ」
尋斗の中で思い浮かんだ可能性を見透かしたみたいな反応を相手はしてきた。
「やっぱり、そうなの?」
「ええ、ここはあなた方にとっては異世界よ」
「あー……」
どう反応していいか分からず、尋斗は茫然と吐息を発する。すっかり創作のネタとして手垢塗れになっているお約束であるが、まさか、異世界転生というものが、本当に、しかも、我が身に起こるとは。
「ただの夢なんてことは……?」
「安直だけど、試してみる?」
言うや否や、彼女の姿が眼前から消えた。
「あれ? ……い、いたたたたたた……」
いきなり頬を無遠慮に引っ張られて、尋斗は悲鳴を上げる。
「夢じゃないわよね?」
「うわっ」
後ろから耳元に、目の前から消えたはずの彼女の声で囁かれる。
「どう? 分かってくれた?」
重ねて問いながら、わざとなのか背中に柔らかい感触が当たった。
「は、はい」
「……話が通じやすい人で、助かるわ」
一瞬のうちに元の位置に戻って、彼女は言った。その表情にはからかいの成分が多分にあるのが見て取れたが、ある部分では自分をこのような立場に追い込んだデブニートと同じ境遇の尋斗は、咄嗟に反撃の手段も反発の態度も出せない。
「やっと本題に入れるわけだけど、私は運命の女神、フォルティナ。ようこそ、こちらの世界へ、ヒロト」
「はあ……」
「実はこの世界は、今、厄介な問題を抱えているの」
「魔王が攻めてきてるって奴ですよね?」
この展開では、もうそれしかない。
「それもあると言えば、あるんだけど」
フォルティナは尋斗の想定とは異なる反応をしてきた。
「確かに魔王の脅威は深刻だったわ。かつてはね」
「かつて?」
「だから、異世界からの勇者の力を借りて、この世界を救おうということになったの」
おや、と尋斗は内心で思った。その口振りでは、既に他の転生者がいるようである。
「最初は苦労したのよ。何分こっちも試行錯誤の面が多々あって、せっかく召喚したのに風土病で呆気なく、ぱたぱた死んだりしてね。そのあたりの受け入れ態勢も整えて、招くようになったら、期待通り、それ以上の活躍をしてくれるようになったわ」
社会や歴史の授業で出てくる移民話で、よく聞くけれども、さらっと恐ろしいことを運命の女神さまは言ってくれる。異世界転生者に憧れる人間からすれば身も蓋もない現実だ。ただ過去形なので、一先ず尋斗は安心しておくことにする。
「だけど、厄介なことに、魔王側もその有用性を認めて同じことを考えたの」
「まさか……」
「そのまさかよ。魔王側によっても異世界転生が行われた」
双方の陣営によって、召喚されたこちらの世界の人間たちが代理戦争を繰り広げているのか。
尋斗の考えを読み取ったフォルティナは肩を竦めた。
「当初はそんな展開になりそうだったんだけどね、魔王にとっても、あなた方、転生者の潜在力は想定外だったみたいで……」
「どうしたんですか?」
「魔王は倒されちゃったの。自分が召喚した転生者に」
なんとまあ。
「おかげで、魔族の脅威はまだ残っているけど、かつてほどではなくなったわ」
「魔王がいなくなったのなら、もう解決してるんじゃないですか?」
何故、自分がここに来させられたのか。
「そのはずだったんだけどね」
何か嫌な予感を感じさせずいられない響きがある。
「魔族側に召喚された人間が、本来の魔王の代わりになっちゃっているの。それだけじゃなく、人間側の異世界人にも問題があるのがいてね。おまけに、異世界に興味を持った魔術師が召喚したり、そうやって広がってしまった道を通って、向こうから迷い込んでいる事態も発生しているわけ」
「なんか、面倒そうな事態になってるんですね」
「そう、面倒なのよ」
分かってくれるかと言いたげに、フォルティナは強い調子で同意を求めてくる。
「事情は分かったんですけど、俺は何のためにここに?」
「あなたに、何を期待しているかと言えばね、この世界で困った存在になっている転生者たちを、何とかして欲しいのよ」
「えっ、何とかって?」
「言わば、毒を持って毒を制す、みたいな」
話の流れから、何となく想像は出来たが、もう少し言い方があるのではないか。
「だけど、え、じゃあ、魔王の代わりに転生者を倒せってこと?」
「ありていに言えばね」
よににもよって。本物の魔王を倒さねばならないよりましかと一瞬、思ったが、その魔王を倒している転生者がいる、とのことである。フォルティナの口振りから言っても、こちらの異世界でも、アニメとラノベとその予備軍では氾濫していると言っていいお約束なぐらいの反則的な強さを持っているのだろう。
「神様なら、なんとかできないんですか?」
「できるのなら、しているわよ。神の世界には神の世界の都合や制約ってものがあるの」
確かに魔王対策の時点で、転生者を呼ぶなんてことはないだろう。
「そんなわけで、あなたに白羽の矢が立ったのよ。おめでとー」
「えー」
お義理的な拍手をするフォルティナの態度もあって、尋斗も遠慮なく不平の声を上げた。
「そんな大変な役割を期待されても……」
「ここに来ておいて、今になって何を言っているのよ」
「えぇっ!? 呼んだのはそっちでしょ!?」
尋斗は国民的アニメの婿殿みたいな反応をしてしまう。
「端から望みもしない人間なんか呼ばないわ。関心があったからこそ、引っかかった、じゃなくて、導かれてきたんでしょう?」
フォルティナの物言いからすると、運命に選ばれたと言うには御大層な事情で自分はここに連れられてきたようだ。
「……ないわけじゃないけど……」
魔法や異能力、それらを駆使した世界で縦横無尽に活躍する、なんてのは確かに好きだ。ただそれは異世界転生物が流行りで接する機会がそれだけあるというのもある。しかも、この頃は作り手の願望てんこ盛りなので、距離を置こうとしていたところだった。それにもっと言えば、自分は救世主として召喚されるより、英霊を召喚してみたい。
「だからといって、いざ実際にやれって言われると……」
どうしても面倒を感じて尋斗は渋って見せる。
「なんで、よりによって……」
「あ、大事なこと忘れてた」
どことなく、わざとらしい調子で、フォルティナはぽんと手を叩く。
「実は、あなた、死んでないのよね」
「え?」
「あちらでは生死を彷徨っている状態なの」
「嘘っ!?」
「本当よ」
フォルティナは尋斗の眼前に新たな光景を出現させた。
ベッドに寝かされていた自分の姿があった。医療機器が弱々しく反応していて、傍らには沈痛な面持ちの医師と看護師がいた。少し離れた場所に、十河佳澄がいる。痛ましい姿になっている自分を、目を真っ赤にして見詰めていた。
「ちょ、ちょっと、戻して。今すぐにあっちに戻して!」
尋斗は戻れる道はないかとあたふたと闇に包まれた周囲を見渡す。
「いいけど、そしたら、あなたは助からないわよ」
「な、なんでっ!?」
「だってぇ、そもそもそんな状態だから、呼び寄せることができたのよ」
転生者という存在の前提条件を考えれば、当然といえば当然である。でも、異世界転生ものには、現実世界での死が必須条件ではない作品だって、沢山あるではないか。
「言うことを聞いてくれるなら、助けてあげてもいいわよ」
「無条件で、助けてくれないんですか……?」
「そのために呼び寄せたのだし、そうではないとしても、奇跡を行うのは簡単ではないの」
「もし、断ったら……?」
尋斗は恐る恐る尋ねてみる。
「あちらの世界のあなたは死を迎えるわ」
フォルティナはあっさりと半ば予想した答えを返してきた。
そうして、尋斗の瞳を覗き込んでくる。
「どうしても、嫌と言うのなら、私としても無理強いはしたくないわ。その場合は、せっかくだから、特別の選択肢を与えてあげる。一つは、元の世界に戻ってあちらの理に従う。もう一つは、こちらの世界の人間として生まれ変わる。勿論、その場合は何もかも忘れて、新しい人生を送ることになる」
ただし、とフォルティナは尋斗の足元を見透かしたような笑みを浮かべて続けてきた。
「当初の目的に応じてくれるなら、話は別」
「どういうことですか?」
「特別に、私が女神の力を行使して、あちらの世界のあなたに奇跡を授けるわ」
「ということは、助かるっ!?」
「ええ」
食いついてしまった尋斗に、フォルティナはゆっくりと頷いてきた。
「どうする?」
尋斗は、映された光景を今一度、見た。まだ間もないのだろう、家族の姿はなかった。
医療関係者以外でいるのは、十河佳澄だけだ。それまで、彼女のことを遠く眺めるばかりで、ろくに接点がなかったのに皮肉なものだ。
死の間際にはそれまでの人生が走馬灯のように蘇ると言うが、落ち着いた場所にいるからか、そんな状況にはない。ただ、こうして振り返ってみると、面白味も眩しさもあったわけではないが、中断して何もかもゼロからやり直したいと思うほどひどいものでなかった。
「はい、やります」
尋斗は短く決意を述べた。もう少しカッコいい言葉が出てきたいいのだけれど、この状況で前向きな気持ちになれる言い回しが出てきてくれない。
「あなたの決断に、感謝と祝福を」
にっこりとフォルティナは微笑んで歓迎してくる。
「それじゃあ……」
「ちょ、ちょっと待って」
「なに?」
「確認しておきたいんだけど、転生するのはいいとして、大丈夫なんだよね?」
「ああ、心配無用よ。この世界の言葉は理解できるようになっているし、風土病対策もばっちりの健康体で送ってあげるから」
「それだけじゃなくて」
「何? まだ条件があるの? 全くもう贅沢ねえ」
どことなくわざとらしくフォルティナは言ってくる。
「だって、魔王より強い相手を倒さないといけないんでしょ? なら、そのためのチート的な能力はちゃんとあるんだよね?」
「……勿論、そのための対策は、一応、用意しているわよ」
「何? 今の間は、何?」
「別に大したことじゃないわよ。ただ、元々制約があるところで、前に送りだした人間たちにあれこれ与えたせいで、与えるにしてももう限りがある、みたいな話なだけだから」
「え、何それ!? ひょっとして、残りかす的な能力しかないってこと?」
「それは何でも極端よ」
即座に否定はしてくれるが、フォルティナの表情には気まずさが漂いどこまでも説得力がない。
「とにかく細かいことは心配しないで。ちゃんと頑張ったなら強くなれるはずだから、多分、ね。というわけで、さあ、心機一転、地上世界へ行くわよっ!!」
「ちょっと待った! 説明は大事だから」
「そんなもの、習うより慣れろよ! もう時間はがないわ。いつまでもここにいられるわけじゃないの。ほら、もう契約したんだからっ!」
「契約って、何も……」
「両者の合意は契約よ、それに、てい」
フォルティナは尋斗の指を手早く掴むと、いつの間にやら取り出した書類に押した。
「あっ!」
「知ってるわよ、あなたたちの世界では書類式の契約が強い効果を持つのよね」
女神が勝ち誇って宣言したのを合図に、尋斗の身体が強烈な力で背後へ引っ張られ出した。
振り返れば、ぽっかりと穴が開いていた。奥にはこちらの世界の地上世界であろう景色が見える。
「さあ、行ってらっしゃい!」
「た、たんまっ!」
強引すぎる展開と異世界への本能的な警戒感から尋斗は逃れようとするが、背後からの力によって前のめりに体勢を崩してしまう。
「こ、こら、何するのよっ!?」
フォルティナが女神らしからぬ動揺した声を上げた。
尋斗が夢中で伸ばした手が彼女のスカートの裾を掴んでいたのだ。
「離しなさいってばっ!」
「い、嫌だぁ!」
「女神に逆らうっていうのっ!?」
「女神って言うなら、女神らしく必要なものをちゃんと用意してくれっ!」
「下僕の癖に、生意気よっ! 最近の引き籠りニートは、これだからイヤなのよっ!」
「俺は引き篭もりニートじゃない。っていうか、いつ下僕になったんだ!?」
「こっちで戦う決めた時点で、あなたは私の下僕なのよっ!」
などと口論している間に、掃除機に吸い寄せられるがごとく尋斗の身体は宙に浮いてしまっていた。
「離しなさいって言っているでしょ、女神の天罰食らわすわよ!」
フォルティナの声に焦りの色が混じる。尋斗の身体を容赦なく引っ張っているのはただの風ではないようで、十歩も離れていないフォルティナはまさしくどこふく風であった。だが、尋斗がスカートを掴んだことで影響下に入ったようで、女神の身体も一緒になってずるずる引き込まれている。
「こうなりゃ死なば諸共だ!」
「生き返れるって言っているでしょ。そのための転生だって。だから、手を離しなさいってばっ!」
「なら、旅は道連れだ!」
駄女神にしてやるっと余裕があれば叫んでいたところだった。
「何が、なら、よ。や、辞めて! スカートが捲れるじゃないのっ!」
その言葉に、尋斗が怯みを覚えなかったわけではない。さすが女神と言うべきか、見事な美脚である。脚に特別なフェチを抱いている尋斗ではなかったが、目と鼻の先でかなり際どい角度での露出に、平素であれば年相応に動揺していた。だが、今はそんなことに構っていられる場ではない。
いっそのこと、捲ってやる。スカートの中身を晒しながら、一緒に堕ちろ。
ほとんど自棄になりながら、尋斗はフォルティナのスカートを掴む手に一層の力を込める。
「本当にだめぇ……だって、私、履いてないもの」
唐突に耳元への女神らしからぬ小悪魔的な囁きは、尋斗にとって不意打ち極まった。
怯んで手を離してしまったのか、隙をつかれて振り払われたのか。気付かぬうちに、尋斗の手はフォルティナのスカートから離れてしまっていた。
瞬間、反動かフォルティナのスカートが舞い上がる。
いやん。
などとの声は、本当に彼女のものだったのか、尋斗の思いこみが作りだしたものなのか。それを確認する間もなく、視界は白く染まっていき、尋斗は猛烈な勢いで見えない力によって引っ張られて行く。
「うああああああああああああああああああああああああああ」
情けない悲鳴を上げながら尋斗は穴の向こうに広がる異世界へと放り投げられる。
かくして、八瀬尋斗は異世界に転生したのだった。