6日
きっさてん
「で、店長は何してたんですか」
映画館の向かいの喫茶店の中、春樹は店長を問い詰めていた。
あの後、春樹と真奈美は、無事オリオンシネマに滑り込んだ。
二人並んで、指定された観覧室に向かう途中、入口の防音扉を少し開け、中を覗く人物が、目に入った。
春樹は溜め息をつき、真奈美は声をあげた。
「春樹さん、あれって、もしかして……」
「ああ、間違いない、店長だ……」
(やっぱり、来たか)
春樹は頭を抱えた。
視線を感じた店長は、ゆっくりと振り返り、春樹達を見た。
「いやぁ、斎藤、鈴木、偶然だな〜」
店長は、愛想笑いを浮かべる。それを、春樹は黙って睨みつけた。
店長は、春樹の見えないプレッシャーに圧され、たじろぐ。
「斎藤、目が笑ってないぞ」
「目だけじゃないんですけど……」
春樹の冷たい言葉が、店長に突き刺さる。
そのやり取りを見ていた真奈美は、春樹の脇腹に肘を打ち込むと、腕を引っ張った。
「春樹さん行きますよ、映画、始まっちゃいます」
「ああ」
春樹は脇腹を押さえながらそう言うと、店長を横目に、防音扉を押し開ける。
店長との擦れ違い様に聞こえた「尻に敷かれてるじゃないか」は、とりあえず無視した。
真奈美が選んだ映画は、某漫画が原作の『ともだち』が出てくる、第一弾だった。
映画が終わり、室内が明るくなると、春樹は隣に座っている真奈美を見る。ちょうど春樹を見た真奈美と、目が合った。
照れ隠しに目線を逸らしたその先に、春樹は店長を見つけた。
「あっ」
「どうしたんです……あっ」
春樹の目線の先を、目で追った真奈美は、同じ様に声をあげた。
春樹は大きな溜め息をつくと、真奈美を見た。
「どうする?」
「しかたないですね……」
春樹の問いに、肩を竦めながら真奈美は言った。
「とりあえず、シメます」
(あれ、こんなキャラだったっけ)
真奈美の意外な言葉に、春樹は一人で驚いた。
「で、店長は何してたんですか」
春樹の問い掛けに、店長は小さくなりながら答えた。
「探偵ゴッコ」
呆れるより早く、言葉が出る。
「馬鹿ですか? 店長、もう三十二でしょ」
春樹の声が喫茶店内に響いた。
ウェイターの目線が春樹に集まる。
その視線に気付き、春樹は恥ずかしそうに、頭を下げた。
冷静だった真奈美は、紅茶のカップをテーブルに置きながら、冷ややかに言った。
「二人とも、子供です」
(え、店長とひとくくり?)
春樹は心の中で溜め息をつく。その時、とあるアニメの主題歌が、流れ始めた。
どこかで聞いた事のある音楽。春樹は、頭の中の検索エンジンを起動すると、ほんの一、二秒で該当が一件出てきた。
(あ、パチンコ屋で聞いたやつだ)
真奈美は、ゴソゴソとポケットから携帯電話を取り出すと、電話に出た。
「もしも〜し、どうしたの?」
春樹と店長は顔を見合わせ、意外そうに微笑んだ。
時々、受話器から相手の声がこぼれる。真奈美の声のトーンから推測すると、相手は女友達のようだ。
春樹はゆっくりと、自分のコーヒーに口をつける。
「ちょ、ちょっと、え、そうじゃないから」
真奈美は、急に顔を赤らめながら、立ち上がった。
周囲を気にしながら、真奈美は『ごめんね』とジェスチャーをすると、喫茶店の外に出た。
春樹と店長は、揃って息を吐き出すと、肩の力を抜いた。
「何で、他人の電話で俺達が緊張してんだろ」
店長が呟く。
春樹は心の中で同意したが、言葉には出さず、話題を変えた。
「それより店長、あの着メロ何でしたっけ?」
店長も気になっていたのか、すぐに話題に食いついた。
「俺も気になってたんだよ、どっかで聞いた気がして」
「パチンコ屋で聞いたような……」
春樹が思い出そうとしても、なかなか出てこない。
「パチンコ? スロット?」
「どっちだったかな」
曖昧な記憶で、春樹は鼻歌を歌った。
それを聞いて、店長は歓喜の声をあげた。
「わかった。わかったぞ斎藤。聞いたのはCMだよ。まだ店には入ってないやつだ。……えっと、何だっけな……」
そこまで言うと、店長は頭を抱えた。そんな店長を見下ろしながら、春樹は記憶を遡った。
パチンコ関係のCMを思い出した時、不完全な答えが見つかった。
「なんとかセブン……」
春樹から零れた言葉で、店長は覚醒した。
「そうそう、なんとかセブン」
結局、店長の覚醒も答えも、不完全だった。
少しの間、春樹と店長が『なんとか』の部分に振り回されていると、真奈美が電話を終えて戻って来た。
頭を抱える、二人を見下ろし、真奈美は言った。
「何やってるんですか? 二人とも」
真奈美の声に、春樹と店長は、必死の形相で真奈美に詰め寄った。
「「さっきの着メロ、何のやつ?」」
二人の声が重なる。真奈美は戸惑いながら答えた。
「え〜っと、なんとかセブン」
(あ〜不完全……)
春樹と店長は、揃ってテーブルの上に突っ伏した。
かえりみち
「結局、あの喫茶店で四時間か……」
春樹は隣を歩く真奈美に言った。
辺りはすっかり暗くなり、街灯の明かりが煌々と輝いていた。
店長の「外も暗いから、鈴木さんは斎藤に送ってもらいなさい」の一言で、春樹が真奈美を家まで送る事が決まった。
店長の発言が、真奈美を心配しての事か、ただのお節介なのかは、わからなかったが、春樹は店長の尾行を警戒しながら、進んでいた。
「でも、本当に楽しかったですね」
(確かに、楽しかった。あんなにはしゃいだのは、大学以来だった)
春樹は、しみじみと感じた。
「楽しかった。あんなバカ話したのも、久しぶりだし、騒いだのも、大学以来かな」
真奈美は二、三度頷くと、意地悪く言った。
「春樹さんも店長も、本っ当、子供ですよね。途中なんて、小学生のケンカより酷かったですもん」
春樹は、店長とのやり取りを思い出し、恥ずかしくなった。
「あれは、店長が先に始めたから……」
必死に言い訳をしようとする春樹が原因なのか、思い出し笑いなのか、真奈美は、いきなり笑い出した。
なんだか、自分が笑われているみたいで、春樹の中に、恥ずかしさが溢れ出す。いつもの癖で、春樹は頭を掻いた。
一通り笑い終わると、真奈美は春樹に言った。
「うらやましいな、店長と春樹さん」
春樹は意外な言葉に戸惑いながら、真奈美に聞く。
「えっ、どこらへんが?」
「どこって、とっても仲が良いじゃないですか」
(言われてみれば、そうかもしれない。年が離れてるのに、そんな気遣いや、見下しがない。対等に話せる仲だよな)
春樹は初めて、店長の存在が、大きい事に気がついた。
「確かに、仲良いかも」
「私、友達とあまり騒がないから、羨ましいな……」
真奈美の言葉で、春樹は、喫茶店での真奈美を思い出した。
(電話の時は、俺達よりはしゃいでたような……)
「そんな事ないんじゃない、電話が架かって来た時とか……」
春樹の言葉に、真奈美は顔を赤らめた。
「あ、あれは…………友達にからかわれて……」
「どうして?」
真奈美は、即答しそうになった言葉を飲み込むと、咳ばらいをしながら言った。
「秘密です」
春樹には、真奈美の、その仕草が、たまらなくかわいく見えた。
春樹は『抱きしめたい』という感情を、押さえ込むのに必死になった。
心臓が爆発しそうになりながら、春樹は言った。
「まぁ、でも、そんなに羨ましがる事ないよ。だって店長だし。それに、騒ぎたいんだったら、俺が一緒に騒いであげるよ」
自分の気持ちを伝えたかったが、今の春樹には、これが精一杯だった。
春樹の言葉を聞くと、真奈美は急に立ち止まり、春樹の方へ向き直った。
「春樹さん」
「はい」
真奈美の声に、春樹は緊張してしまう。
「今日は本当に、ありがとうございました」
真奈美は軽く会釈する。
「本当に楽しかったです。……でも」
(え、でも?)
春樹の中に不安が広がった。
「でも、まだ春樹さんに晩御飯ごちそうになってないから、次はちゃんとおごってくださいね」
良い意味で春樹の予想は、裏切られた。しかし、
「晩御飯?」
「え、忘れたんですか? 遅刻したら、晩御飯は春樹さんのおごりだって、メールしたじゃないですか」
「でも、あれは」
(あれは、勘違いだったんだし……)
春樹の心の声は、届かない。
「あれは立派な遅刻ですから」
真奈美の勢いに、春樹は負けた。
「じゃあ、また都合の良い日、わかったら連絡して」
「わかりました。うんと高くて美味しい店も探しときます」
「安くて、美味しい店だとありがたいな〜」
春樹の意見も、真奈美の耳には届かない。なんだか、体よく無視された。
「それじゃあ春樹さん、お休みなさい」
真奈美の唐突な挨拶に、春樹は戸惑った。慌て、真奈美を呼び止める。
「え、家まで送るよ」
真奈美は、フフっと笑うと、一際立派な門構えの家を指差し言った。
「私の家、ここなんです」
(お嬢様ですか、鈴木さん)
春樹は心の中で驚いた。門の表札には『鈴木』としっかり記されている。
真奈美は「それじゃあ、また、メールしますね」と言って、門の中に消えて行った。
春樹はそれを見届けると、空を仰いで息を吐いた。
微かに白い息は、もう少しでやってくる、冬の訪れを予感させた。
いしょ
春樹は、自分の部屋に戻ると、砂時計を眺めた。
ゆっくり落ちる金色の砂は、残り少なくなっている。
(残りは、一日くらいか……)
春樹はそう思いながら、タバコに火を点けた。
ゆっくりとタバコの煙りを吐き出すと、春樹は便箋に文字を書き始めた。
『冬也へ
この手紙を読んでる頃には、俺はもう、死んでいると思う。
本当は、家族みんなに書こうと思ったんだけど……
どうやって死ぬか、わからないし、自殺と間違われないよう、どうして死ぬか知っているお前だけに、この手紙を書く事にした。
上手く書けないかもしれないけど、そこは大目に見てくれ。
冬也、いきなりだけど、ごめんな。何にも兄貴らしい事してやれなくて……本当にごめん。
お前は本当に良い弟だよ。俺の自慢の弟だ!
ドラクエのレベル上げさせたり、お菓子を買いに行かせたり、他にも沢山、俺のわがまま聞いてくれて、ありがとう。
お前なら、きっと、大学進学だろうが、就職だろうが、総理大臣だろうが、何でもできるさ。
だけど、何をするにしても、後悔はしないように精一杯やるんだぞ。
俺は結局、後悔ばかりだった。
でも、最近はつまらなかった人生が、楽しくなり始めたところだったのに……残念だな。
それが原因で、化けて出るかもしれないけど、優しく迎えてくれよ。
塩とか、お札とか、準備するなよ。
歯ぁ磨けよ。
宿題しろよ。
なんてな……
色々書いて来たけど、最後に一つ、兄貴からの、お願いダー!
この先、父さんと母さんの事、よろしく頼むよ。
お前だけが頼りだからな。
それじゃあ、あの世でまた遊ぼうな。
だけど、あんまり早く来るんじゃないぞ。
沢山、土産話を持ってこいよ。
お前の話、楽しみにしてるから。
じゃあな、今まで、本当にありがとう。
お前の兄ぃ 春樹より』
春樹が手紙を書き上げると、涙とタバコの灰がポタリと落ちた。
春樹はタバコを揉み消すと、弟に宛てた封筒に、便箋を入れ、しっかりと糊付けした。