1日〜2日
はじまり
男は溜め息交じりのタバコの煙を大きく吐き出した。
虚ろな目に映るのは、某アニメ作品が題材となったパチンコ台。
これでもか、と言わんばかりの演出で見事にはずれを引いてしまった。
上皿の玉ももう少ない、男はポケットの中から財布を取り出すと、最後の千円札に手を伸ばした。
(これが最後、これが最後)
心でそう言い聞かせながら、玉貸しサンドの投入口へ夏目漱石を入れようとした瞬間、携帯のバイブが震え出す。
とりあえず千円札を無造作にポケットの中にねじ込むと、携帯を取り出し画面を確認した。画面には『母親』と発信者が表示されていた。
なんだ、と期待はずれの着信をそのままにして、ポケットの中からくしゃくしゃになった千円札を取り出すと再び玉貸しサンドの投入口へ入れる。
パチンコ台に目線を移して、ハンドルを握ったが、パチンコ玉は出てこない。目線を左上に移すと、逆さまになったくしゃくしゃの夏目漱石が寂しそうに男を見下ろしていた。
男はいらつきながら千円札を両手で伸ばす。自分の重さで耐えられなくなったタバコの灰が、伸ばしていた夏目漱石の顔に落ちた。
くわえていたタバコを灰皿でもみ消すと、千円札の上の灰を振り払った。
ふと目に留まった夏目漱石の顔が今の自分を笑っているように感じられた男は、再び溜め息をつくと財布の中に千円札をしまい、ハンドルを固定していたパチスロのメダルを引っこ抜くと、パチンコ店から外に出た。
耳に残るパチンコ店の騒音に、寂しさを感じながらポケットから携帯を取り出し、着信履歴から『母親』を選ぶと、発信ボタンを押した。
数回のコールの後、聞きなれた母親の声が男の鼓膜を振るわせた。
「もしもし」
「何だった?」
「ごめんね、バイト中だった?」
少し言葉に詰まる。
「ま、まあ」
「そう、で、もう終わったの?」
「終わった」
「じゃあ、ご飯家で食べるわね?」
「ああ」
「準備しとくから、早く帰って来なさいよ」
「わかった」
男がそう言うと母親は「気を付けてね」と電話を切った。
もうそんな時間かと、携帯の画面を見ると午後六時三十分過ぎだった。
自転車の鍵を開けるとまたがり、ペダルをこぎ進め男は帰路へとつく。
秋の風が少し冷たく男の頬を撫でた。
かぞく
家に帰ると、良い匂いが胃袋をくすぐった。今まで寝ていたんじゃないかと思うくらい大人しかった腹の虫が元気に騒ぎ始める。
ダイニングには、見慣れた顔が三つ。父親、母親そして弟。それぞれが一つの食卓を囲い箸を進めていた。男が帰ってきたことを確認すると母親は箸を止める。
「おかえり」
「ただいま」
「手を洗ってうがいしなさいよ、その間に用意しとくから」
このやり取りは、小学生の頃から変わらない。男は黙ってうなずくと洗面所で手を洗いうがいをした。
再びダイニングに戻ると、自分の席には、ご飯と箸が置かれていた。男は黙って席に着く。
茶碗と箸を持って食事を始めようとすると、母親が声をかけてきた。
「バイト、疲れた?」
「少しね」
男は無愛想に答える。
「そう、今は大変な時期だと思うけど、頑張ってね」
「うん」
母親の真っ直ぐな応援に、心の中が痛んだ。
男の名前は斎藤春樹、今年で二十四歳になる、定職には就かずバイトをしたり、パチンコをしたりしている自由人。いわゆるフリーターだ。最近の言い方をすればニート。家にこもっているのが嫌いで、毎日ふらふら目的はないけれど外に出ていた。
「しかし、そろそろ決まった仕事をしてみないか」
父親が淡々と春樹に諭し始める。
「いつまでも、このままじゃダメだってことはわかっているだろ」
春樹は無言でご飯を口に運び続ける。
「聞いたか、同級生の雅一君、警察官になるんだってな。立派じゃないか」
春樹の箸が一瞬止まる。雅一とは大学を卒業してからいつも一緒に遊んでいた同級生だ。最近姿を見ないと思っていたら、就職活動してたようだ。何か置いてけぼりにされたみたいで、少し寂しくなった。
父親の言葉はまだまだ続くが、春樹の耳には届かなかった。淡々と箸を進め、満腹とはいかないがこの場から逃げるように「ごちそうさま」と言うと茶碗と箸を流しに片付け自分の部屋に飛び込んだ。
春樹は、無造作に転がっているテレビのリモコンを拾うと電源を入れた。ポケットからタバコと携帯を取り出し、冬になればコタツへと変わる小さな机の上に置く。そしてタバコを一本咥えると火を点け肺の中に煙を満たした。
しばらくボーっとテレビを見ていると、部屋の戸をたたく音とともに弟が部屋に入ってきた。
「兄ぃ、今日はどうだった?」
弟の名前は、斎藤冬也。春樹の六歳下の十八歳で現役の高校生、今年受験だというのに特に勉強をしているそぶりは見せない。本人いわく「大丈夫、勉強なんてしなくてもなんとかなるさ」だそうだ。
春樹は、今日の戦績を冬也に報告した。
「それはそれは、残念だったね」
冬也はそう言いながら、机の上のタバコに手を伸ばした。
「一本ちょうだい」
春樹は、黙ってうなずくと、ライターを渡した。
まだ様になってないタバコの吸い方、その姿を見ながら春樹の顔に笑みがこぼれる。
「明日はバイトが入ってるんだった?」
冬也の煙交じりの問いかけに、春樹は携帯のスケジュールを開きながら答えた。
「昼からだな、コンビニのバイトがある」
「じゃあ今日は遅くても大丈夫だ」
「おいおい、学校は?」
「大丈夫、まだ若いから」
冬也はそう言いながら、ゲームの電源を入れた。
であい
時計の針がてっぺんを回り日付が変わった時には、冬也は春樹の隣でゲームのコントローラーを握ったまま寝息を立てていた。
春樹は冬也を抱えると、弟の部屋に運び布団の上に寝かせると毛布をかけてやった。電気が消えていることを確認して、静かに「おやすみ」と声をかけると自分の部屋に戻る。
つけっ放しのゲームの電源を切り、チャンネルをニュースに切り替えると、腹の虫が騒ぎ出した。
(晩飯、中途半端だったからな、ラーメンまだあったかな)
春樹は、ダイニングにラーメンを探しに移動した。
家の中は寝静まっており、電気はすべて落ちている。春樹は誰も起こしたくないと電気もつけず手探りでラーメンを探し、戸棚の中からカップラーメンを見つけると、電気ポットでお湯を入れ自分の部屋に戻った。
机の上にカップラーメンを置くと、その上に割り箸を置く。春樹は、時間を確認するために時計を見たが、それよりも早く机の上に転がる砂時計を見つけた。
(ちょうどいい、これではかるか)
この砂時計には見覚えはなかった、何分が測れる物か考えることをせず、きっと三分だと思い込んで春樹は机の上に立てた。その瞬間、体に寒気が走る。反射的に振り返るとそこには見たことのないスーツ姿の男性が立っていた。
一瞬のことで何が何だか理解できない春樹の頭中に広がったのは、多くの疑問と、恐怖。
(何だ、こいつ。泥棒か? さっきまではいなかったじゃないか)
恐る恐る口から出た言葉は、震えていた。
「だ、誰だよ、おまえ」
スーツ姿の男は、瞬きもせずにゆっくりと、春樹の目を見て話し始めた。
「私は、死神」
その言葉を聞いて、春樹の頭の中はますますパニックになった。
(自分のことを死神? 泥棒じゃなくて、危ない奴じゃないのか? 早く警察に電話を……)
春樹は、机の上の携帯を取ろうとするが、慌てていたことと恐怖から、何度も落としてしまう。
「私は、死神。泥棒でも、危ない奴という者でもない」
春樹は、スーツの男の言葉にはっとし、ゆっくりと男を見上げた。
「ましてや、警察に電話をする必要もない」
淡々と発せられた言葉は、春樹の心を読んでいるかのようだった。
(心を読まれてる?)
考えられなかったが、もしやという思いが頭の中に広がる。
「その通りだ」
期待通り、予想していた通りの答えが男から返ってきた。
高校、大学と理数系だった春樹は、納得するしかなかった。どのように心を読んでいるにしろ、現に結果が出ている。認めざるをえなかった。目の前の男が普通の人間ではなく、限りなく本人が言う通り『死神』に近い存在であることを。
「理解が多少ではあるが、できたようだな」
死神は、春樹の心を読んで『やっと第一段階修了だ』と言わんばかりに大きく溜め息をついた。
「さて、少し落ち着いたようだな」
内心は未だパニックになっているのだが、春樹は強がりながら「ああ」と答える。
「では、本題に入ろう。私がここにいるわけだが」
(この死神が、もし本当の死神だったら考えられることは一つだよな。命を取りに来た……)
「概ねその通りだが、多少の誤解があるようだな」
心を読まれながらの会話に春樹は戸惑いながらも、対峙する相手が本物である確信を強めていった。
「誤解? 命を取りに来たんじゃないのか?」
「私はただの立会人だ、命が尽きるその前に現れ、その人物の最後を見届ける」
「じゃあ、今すぐ死ぬわけじゃないんだな」
「その通りだ」
「じゃあ何時死ぬんだ」
春樹のその言葉に死神は、すっと手を伸ばし机の上の砂時計を指示した。
「その砂がなくなった時、命も尽きる」
これがいわゆる死の宣告かと、さらさらと落ちる金色の砂に目を奪われて動くことができない。春樹は、思い出したかのように、死神に問い掛けた。
「後どれくらいで砂はなくなる? 砂がなくなったらどうやって死ぬんだ?」
死神は、凄い勢いで問い掛ける春樹の言葉を受け流し、淡々と答える。
「どれくらいでなくなるかは、わからない。死因についてだが、人それぞれだ。病気で死ぬもの、事故で死ぬもの、殺されるもの、様々だ」
春樹は砂時計を見つめ直し、あることに気がついた。
「無駄だ、例え砂時計を逆にしたり、横にしたり、破壊したとしても、砂の流れは止まらない。破壊すれば、命の尽きる目安さえもわからなくなってしまう。大切に扱ったほうがいい」
心の中に少し浮かんだ希望が、言葉に発する前に消えた。これを現実として受けとめなければならない。春樹の心の中には、絶望が広がった。
「さて、私はこれで失礼しよう」
唐突に死神は、立ち去ろうとする。それを見た春樹は、意外に感じた。死神は、常に自分の傍にいて監視しているものだと。漫画だったらきっとそうだ。
「私も忙しい身なんでね、そんな一昔前の様にはできない」
溜め息混じりに死神がつぶやく。一瞬人間らしい一面が覗けたせいか、少し親近感がわいた。
「何か用があるのならば、心の中で私を呼んでくれ。すぐにとは言えないが、呼びかけに答えよう」
そう言い残すと、死神は壁を通り抜け消えていった。
しばらくボーっとその姿を追いながら、春樹はその場にへたり込んだ。タバコを手に取ると、ゆっくりと火を点けて、自分がまだ生きている感覚を確認した。
カップラーメンはスープを全て吸い、見事に伸びていた。腹の虫も戸惑っているのか、もう声をあげることはなくなっていた。
ふと、砂時計に目がとまる。試しに砂時計を逆にしてみたが、砂は重力に逆らって上に向かって落ちていた。
かくにん
次の日、春樹は朝早くから病院にいた。待合室の長椅子に腰掛、手を合わせ祈るように座っていた。
昨日のことがまだ納得できない春樹は、まず自分がどうやって死ぬかの確認に病院に来ていた。
自分では考えられる全ての検査を受けた。血液、レントゲン、脳ドックなど、それらを受けて今は結果待ちの状態だ。遠くのほうから、自分の名前を呼ぶアナウンスが聞こえた春樹は、指定された診察室に入った。
「どうぞ、おかけください」
中年の医師は、レントゲンなどの検査結果を見ながら唸っていた。
「斎藤さん」
医師は、カルテから目を離さず春樹の名前を呼んだ。
「はい」
「今回の検査結果ですが、特に異状はみられませんね」
死ぬと言われている春樹にとっては、素直に受け取ることはできなかった。
「本当ですか」
「ええ、血液の値も正常値ですし、レントゲン、CTともに異状はみられません。健康ですよ」
「そうですか」
安堵の溜め息が、無意識のうちに漏れる。
「いやぁ、関心です、こんなに若いのに定期検診だなんて、早い段階でしたらほとんどの病気が治ります。是非ともこのまま習慣づけてください」
「わかりました」
春樹は愛想笑いを浮かべながら診察室を後にした。
(病気では死なない、か……)
検査料金を支払い携帯の画面で時間を確認した、バイトの時間だった。
ばいと
春樹は、息を切らせながらバイト先のコンビニへ飛び込んだ。
同僚の「いらっしゃいませ」を横切り控室に急いで入ると、上着を脱ぎ捨て、制服に着替えた。
春樹のドタバタを聞き付けたのか、店長が呆れた顔で控室に入って来る。
「どうした斎藤、確変が止まらなかったか?」
店長は、意地悪く言った。見た目は同い年くらいだが、実際は三十過ぎの男性。趣味がパチンコだから春樹とは話がよく弾んだ。
「別に、そういう訳じゃないんですが……」
さすがに『死神が来たんで病院に行ってました』なんて言えない。
「そうか、まあ遅刻の理由はパチンコにしておくから」
店長は、からかう様に笑うと店の方へ戻っていった。
春樹は呼吸を整え制服の襟を直すと、店の方へと出て行った。
レジには春樹と同じバイトの鈴木真奈美が暇そうにあくびをしていた。鈴木真奈美は、十九歳でとても愛嬌が良い。別段かわいいというわけではなかったが、春樹は密かに恋心を抱いていた。
(もしこんなことを考えていたら、死神には筒抜けになるのか)
春樹は、複雑な顔をして、頭を掻いた。その姿を見た真奈美が膨れっ面で「遅いですよ、春樹さん」と、春樹を指差しながら言った。
「ごめん、でも暇そうだったから、俺必要なかったんじゃない」
「暇じゃありませんでした。とっても忙しかったんだから。ねっ店長」
真奈美は棚卸している店長に急に話を振った。それに店長は力なく「暇だったよ」と返した。
「それは、店長がサボってたからでしょ」
真奈美は声を荒げる。春樹はそれを見ながら声を出して笑った。
「とにかく、私はちょっと奥で休憩してきます。二人とも、しっかりと仕事してくださいよ」
そう言うと真奈美は、控え室の中に入っていく。その姿を見届けると春樹は溜め息をついた。そして、棚卸作業中の店長に向けて声をかける。
「鈴木さんのほうが店長っぽいですよね」
「んん、俺もそう思う」
店長の軽い返答に噴出しそうになりながら、春樹はおでんの具をかき混ぜた。
(どうなんだろう)
春樹の中に疑問が一つ浮かんだ。
(こんなに元気でやっているのに、本当に死ぬんだろうか?)
昨日よりずいぶん落ち着いて物事が考えられるようになった春樹は、昨日のことを思い出していた。
(不思議な体験だったのは間違いないけど、いまいち実感がわかない。どうなんだろう、もう一度死神本人から説明してもらおうか? 念じれば来てくれるって言ってたけど……どうなんだろ)
春樹が物思いにふけっていると、入口付近に人影が見えた。マニュアルどおり春樹は客に対し「いらっしゃいませ」と挨拶をする。そしてまた考え事を始めた。
(もし本当に死ぬんだとして、このまま仕事をする必要あるのか?)
もう春樹の頭の中は、想像と現実がごちゃ混ぜになっていた。自分が死ぬなんて信じられない。死神がいるなんて信じられない。春樹の中で、その二つがぐるぐると回っていた。
「死神はいる」
カウンター越しに聞こえてきた言葉に、春樹はびくっとなった。ゆっくりと声のした方を見ると、昨日と同じスーツを纏った男性がそこにいた。死神だ。
「いらっしゃいませ」
春樹は反射的に口を開いた。
「客じゃない、死神だ」
「お弁当は温めますか?」
「用があるから呼んだのだろう?」
「千円からお預かりします」
「おい、違うのか?」
「おつり三百六十五円になります」
「もう、帰るぞ」
「ありがとうございました」
これが現実逃避というやつなのだろう、春樹は突然の死神の訪問に気が動転してしまった。立ち去ろうとする死神を春樹は「ちょっと待って」と呼び止めた。
「何だ、今度は」
死神はゆっくりと振り返る。それにあわせて春樹は一つの疑問を死神にぶつけた。
「あんたは、本当に死神なのか?」
死神はまじめな顔で答える。答えはわかっていた。
「私は死神だ」
春樹の望んだのはここから……
「じゃあ証拠を見せてくれ」
相当の証拠を突きつけられたら、納得せざるを得ない。だから納得できる証拠を見せてくれ。
「いいだろう、ついて来い」
ちょっと肩透かしを食らったような感じだった。
(えっ、そんな簡単に証拠があるんだ)
「ある。が、ここでは見せることはできない。だからついて来い」
「今、バイト中なんだけど」
「時間が合わんと見せられんぞ」
死神の言葉に意を決した春樹は、奥で棚卸をしている店長にも聞こえるくらい大声で「店長、早引けします」と言い放った。
春樹は店長の「了解」の声を聞かずに、自動ドアを通り抜け死神の後についていく。
残ったコンビニ内には人感センサーのピンポーンという音が響いていているだけで、客の姿は誰一人いなかった。
「店長、春樹さん、二人ともまたサボってるんじゃないでしょうね?」
控室から顔を出した真奈美は、店内を見回すと、バンとカウンターを叩いた。
しょうこ
春樹は死神を見失わない様に、人の波をかい潜り歩みを進めた。死神が歩くラインは常に直線だった。行き交う人と肩が当たりそうだと思っても、人を摺り抜けて進んでいく。春樹はつい同じように進んでしまい、何度か肩をぶつけてしまった。
(本当に不思議だ、それに誰も死神の存在なんてないみたいに動いているよな)
春樹は通行人をかわしながら考えた。
「死神に触れ、声を交わすことができるのは、砂時計に触れた者だけだ」
頭の中の疑問は、背中越しに飛んできた言葉で解消された。しかし、疑問は次々と生まれてくる。
「じゃあ、あんたとの会話は周りには聞こえないのか」
「私の声は聞こえない、しかし、君の声は他人にも聞こえるから、周りから見れば君が一人で何かつぶやいている様に見える」
春樹は、今までの死神とのやり取りを思い出した。
(結構あったよな、その度に周りから見たら、危ない奴に見えてたわけか)
春樹の中に恥ずかしい気持ちが広がった。
「危ない奴? 私のこともそう言った時もあったな、どういう意味だ?」
不意な死神からの問い掛けに春樹は多少戸惑ったが、素直に説明した。
(危ない奴ってのは、上手く説明できないけど、何かやっちゃうじゃないかって思える人のこと)
「理解しかねるな。具体的な例えではないということか?」
(そうだな、今考えると結構アバウトな言葉だな)
「自分自身で納得されても困るな、正確に説明してくれ」
(そうだな、言い方は悪いけど、ちょっとした差別用語かな)
「くだらないな、人間だけだ。自分と比べて劣る者、異なる者を格別する。少しは賢くなってもらいたいな」
「ごめん」
春樹は何だか、自分がとても小さく思えた。
(もう使わないようにしよう)
「ふっ、賢明な判断だ」
背中越しだが死神の顔が緩んだ気がした。つられて春樹の口元も少し緩んだ。
「ここだ」
死神は急に立ち止まる。
春樹は辺りを見回した。目に映ったのは普通の交差点。人通りも疎らで、車もあまり通らない。
(ここで、証拠を見せる?)
春樹の頭に疑問符が浮かんだ。
「私が死神である証拠、それは何だと思う?」
答えは簡単だ、誰かが死ぬ姿を見せたら良い。
(ここで人が死ぬ)
春樹は急に恐くなった。今まで生きてきて、目の前で人が死ぬなんて考えたことなかった。それが今から目の前で起こる。
ここで春樹の頭の中に、一つの矛盾点が浮かび上がった。
(でも死神は、何時何処でどうやって死ぬのかわからないはず)
「確かにその通り。だが死神のネットワークと、あの砂時計で高度な予測が可能になる」
死神は微動だにせず淡々と言い放った。
「しかし、直前にならないとわからないのは変わらないが……」
死神の語尾が少し弱くなる。
「最近多い」
(何が?)
「死神を信じない人間が、証拠を見せろとせがまれる」
死神の愚痴だ。
(時代の変化が死神の世界でも問題になってるのか)
「時代のせいにしたくはないが、昔はもう少し素直に信じてもらえたんだが……」
死神の愚痴は止まらないかに見えたが、聞いたことの無い音楽がそれを止めた。
死神はスーツの内ポケットから携帯を取り出すと、通話を始めた。
春樹は死神のその姿をどうしてもサラリーマンとしか見れなかった。
「ああ、わかった」
死神はそう言うと、携帯をスーツの内ポケットにしまった。そして、春樹に向き直ると
「場所を移動する」と言いながら歩き始める。
(ここじゃないの?)
「予定が遅れている、遠くはない、二つ先の交差点だ」
死神の歩調が早くなった。いよいよその時ということか、と春樹は気を引き締めた。
死神が指示した交差点、さっきまで居た交差点とさほど変わらない。
「そろそろ時間だ」
死神の声に力が入る。その瞬間、春樹の目の前で凄まじい衝撃音が交差点一杯に広がった。
春樹の目に映ったのは、路線バスと大型トラックの衝突事故。出合い頭と言うのだろう、トラックの助手席側とバスの運転席側がぐちゃぐちゃになりながら、交差点の真ん中で二台は並んで止まっている。
春樹は開いた口はそのままに、バスの運転席だった場所を凝視していた。あちこちに飛び散った血液、あんな状態だったら間違いなく……
「即死だろう」
死神は冷たく言い放った。
その言葉を聞いた春樹は、力無くその場に座り込んだ。
(やっぱり、死んじまうのか……俺)
「私が死神だと信じてもらえたようだ」
死神は少し満足した様子で春樹を見下ろした。
誰かが呼んだであろう救急車のサイレンが遥か遠くから聞こえ始めた。