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終曲

「主!」

 三方を高い本棚に囲まれた自室に足を踏み入れると、ラキが南側に置かれた机の前に立っていた。その右肩には見事な緋色の翼を持った鳥がとまっている。

 二対の瞳が、扉の前に立つ主へと向けられる。

 不審な輝きを宿して見つめてくる瞳を主は無表情に受け止めた。中途半端に開けたままであった扉を後ろ手で閉め、手に持っていた本を手近の本棚へと戻す。

「主。何故、我は生きているのだ?」

 静かな問いかけに、しかし主は応えない。適当に本を手に取り、その細い指がページを捲る。

「理を曲げる為の代償は我が命。彼の方は意識を取り戻された。それなのに何故、我は今ここにいるのです?」

 問いを重ね、それでも彼は振り返らない。

「僕は何もしてないからね」

 主の言葉の意味が判らず、ラウとラキは共に怪訝そうな顔をする。

「僕は門を閉めていない。彼女の怪我は命に係わる程のものではないからね」

「まさか…」

 信号を無視して歩行者の群に突っ込んできた車に撥ねられた彼女は、確かに死の淵を彷徨っていたのだ。魂を繋ぎ止める鎖が切れ掛かっている事を知ったからこそ、ラウは無我夢中で主へと助けを求めたのだから。

「ラウ。お前の早とちりだ」

 パタン!と本を閉じ、主は元あった場所へと戻す。

「伝言だ。゛私の愛する人を愛してくれてありがとう"」

 呆然とした体の従者二人を残し、主は部屋を出て行く。

 ラウは(こうべ)を垂れた。その緋色の翼が微かに震える。

 兄の泣く姿を見ないようにと、ラキはただ、主の消えていった扉を見つめ続けた。





 生暖かい風が体に纏わり付く。暗い紫に覆われた空間に満ちる馴れ親しんだ気配。

 満足と無念。絶望と安堵。諦観と固執。相反する、死者の抱く想い。

 対岸を望めぬ程に広大な冥府の川の中央に造られた、彼岸(こちら)此岸(むこう)を分かつ扉。どれ程広大に見える川でも、死者が通る為の道はここだけだ。死者が迷う事無く対岸へと辿り着く為。亡者が向こう側へと渡らぬ為。この門以外の道へ一歩でも足を踏み入れれば、その魂は永遠に狭間を彷徨うことになる。

 常にその扉が開かれたままである門の上に腰掛け、抱えた片膝に顔を埋めるようにして眠っていた彼は、ふと傍らに顕現した気配に瞳を開けた。

「流石のお前も、過去を遡るには些か骨が折れたらしいな」

 笑みを含んだ声音に、しかし彼は応えない。

「あの雑踏の中に紛れ込み、娘の服を掴んでほんの僅か立ち位置をずらした。その結果、娘は軽傷で済んだ。これならば、確かに代償を払う必要はないな。魂は冥府の川を渡らないのだから」

 淡々と、傍らに立つ長身の相手は事実を語る。

 彼は顔を伏せたまま、ただ沈黙を守るだけ。

「冥府の門の番人は常に公平でなければならない。だが、お前の行為はその理に背くもの。その代償が、それだ」

 長身の影の金色の瞳が、彼の微かに震える右腕へと落とされる。錆びた鎖に囚われたその腕から滴り落ちる赤い血が、冥府の川へと墜ちていく。

 それは咎。公平であるべき彼が、その理を冒して一人の娘の時間に干渉した。それは赦されぬ事。不慮の事故もまた運命。

 彼の役目は冥府の門の番人。傍観という名の公平さ。

「下らぬ感情など捨ててしまえ」

 冷徹に吐き捨てた影の言葉に、彼は初めて顔を上げた。深緑の瞳と金色の瞳とが真っ向からぶつかり合う。

「さもなくば、いずれその命、この川の雫へと堕ちる。その血のように」

 残酷な宣託に、それでも彼は口を開かない。ただ、いつもは無表情のその顔に、穏やかな微笑を浮かべるだけで。

「…お前の人間好きは、理解出来ぬな」

 諦めたように溜め息をつき、長身の影は現れた時と同様唐突に姿を消した。

 立てた片膝に再び顔を伏せ、彼は己の右腕から流れ落ちてゆく赤い雫の音を聴く。それは命の欠片。戒めの鎖は、彼に与えられた悠久の時を削ってゆく。

「…代償なくして、得られるものなど何もない」

 彼の呟きを聞くものは、一人としていない。







 私の愛したあの子を



 助けてくれてありがとう



 優しい貴方   愛しい貴方



 どうかその心が曇ることがないように



 貴方の傍らで輝く星に



 ただ 祈っている




 終劇

ここまでお読みくださり、有難うございます。

このお話は、『天の啼く狭間で』の番外編という位置付けで、今回はラウ視点で物語を書きました。

という事は、必然的にラキ視点のお話も出てくるという事でして…。

時間を見つけて投稿したいと考えておりますので、そちらもお読みいただけると嬉しい限りです。

最後にもう一度。

『太陽と月の奏でる場所で』をお読み下さり、本当に有難うございました。

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