エピローグ
「ねえ、ハオユー。ユウジくんは、やっぱり行っちゃうの?」
ニーナとハオユーは二人きりで金星の浮遊都市ビーナスシティの空港の展望室にいた。
滑走路上には金星と地球を往復する定期連絡船が停泊しているのが見えた。
全長六〇メートルほどのデルタ翼の宇宙船で、先日停泊していたルナ人民共和国の大統領専用機アルテミスとどことなく似たフォルムだった。
しかし、アルテミスと大きく異なるのは、レーザー砲の砲塔やミサイル発射管などはないことだった。
あの事件の時、ユウジとハオユーが乗っていたルナ人民共和国軍の宇宙護衛艦エラトステネスは二人が乗艦した四日後に輸送艦や強襲揚陸艦を従えた増援部隊とランデブーした。
増援部隊は本来の目的がなくなったため、そのほとんどが月に引き返すことになったが、一隻だけは新たな任務が与えられることになった。
それはユウジとハオユーの金星への送還だった。
二人はアルテミスに良く似たデザインの強襲揚陸艦プトレマイオスに移され金星に帰ってきた。一ヶ月ほど前のことだった。
「そういうことは自分で確かめればいい」
ニーナの質問にハオユーは素直には答えなかった。
彼にしては珍しくゆっくりとした物言いだった。
「知ってるんでしょ、教えてくれればいいじゃない。なにさ勿体つけちゃって!」
赤い髪のニーナはそばかすの目立つ頬を膨らませた。
年齢の割りに幼く見えた。
「ニーナさん、想いを伝えるためには自分で言わなきゃだめでしょ」
ハオユーは胸にもやもやする思いを抱きながらも、精一杯笑顔を浮かべて優しく言った。
「はぁ、偉そうに……ハオユーは月の女性に心を奪われなかったの? サーシャさんの他にも美人の軍人さんがいっぱい居たそうじゃない」
ニーナはかわいらしい小動物のような瞳をハオユーに向けて、彼の目の奥の表情を読み取ろうとしているようだった。
「何でか奪われなかった」
美人の軍人がいっぱいいたなんて情報を誰から聞いたんだろうとハオユーは思った。
確かに、金髪碧眼のアネット・バロー中尉や赤毛のショートカットのシンディー・キャンベル少尉は、一般的な基準で見ればそれなりに美人だった。
しかし、彼女たちはハオユーの好みではなかった。
ハオユーの好みは小柄でかわいらしくて人懐っこい……
「へえ。スケベなくせに」
ハオユーが甘い感傷に浸ろうとした瞬間にニーナの毒舌がハオユーの心をえぐった。
「ひどい言い草だ。いたく傷つく……そうだな、多分もうすでに俺の心は誰かに奪われちゃってるからじゃないかな……」
しかし、ハオユーはすぐにダメージから回復すると何気なく気障な台詞を口にしてみた。
「へっ?」
意表をつかれてニーナが目を白黒させた。
「ん? なんでもない。ともかく俺はここに居たいんだ。ユウジと違ってね」
ハオユーは急にドキドキしだした自分に気づいて、思わず黙っていようと思っていたことを口走ってしまった。
「そうか。やっぱり行っちゃうんだ。ユウジくん」
案の定、ニーナはがっかりしたような表情を見せた。
「あれっ? 俺、今、口滑らせた? だめだよ、ニーナ、自分で想いを伝えないと一生後悔するよ。きっと」
ハオユーは心の中に矛盾する二つの気持ちを抱えていた。
そして、片方の気持ちを隠してニーナとそしてユウジの友人としての言葉を選んだ。
「いいの。別にユウジくんだけいれば幸せってわけじゃないから。三人一緒に過ごす日々が永遠に続けば、とっても幸せだったけど。そういうわけにもいかないからね」
ニーナはそう言うと、ハオユーに飛び切りの笑顔を見せた。
「ニーナさん、それはどういう……」
ハオユーは困惑した。
ニーナの反応は言葉も表情もハオユーが想定したものとは違っていた。
「じゃあ、またね、ハオユー」
ニーナは元気に手を振ると、ユウジを待つことなく去っていった。
二人がここに来たのはユウジに会うためだったはずなのに。
「ユウジ、やっぱりいくのか?」
ナグリ・ケンイチロウは大きなリュックを背負った息子に声をかけた。
ぎっくり腰は完治したらしく、大柄で筋肉質の身体は背筋がピンと伸びてさらに大きく見えた。
岩のようないかつい雰囲気のケンイチロウだったが表情はどこか寂しげだった。
「ごめん、父さん」
息子のナグリ・ユウジは視線を落としてつぶやくように答えた。
ルナ人民共和国軍の強襲揚陸艦プトレマイオスで帰ってきたときにはユウジはケンイチロウに滅茶苦茶に怒られた。
サーシャを大統領専用機アルテミスに乗せるなどという、最悪の場合、ビーナスシティの住民すべてを危険に晒すようなことをしたからだった。
敵対行動の報復としてビーナスシティがミサイル攻撃に晒されてもおかしくはなかったのだ。
散々怒った後、ケンイチロウはユウジを抱きしめて泣いた。
無事に生きて帰ってきてくれて、うれしかったからだった。
そんな父親の姿を見たことのなかったユウジはびっくりした。
ほんの一ヶ月前のことだった。
父親の気持ちを考えれば、ユウジがこれからやろうとしている行動はひどいものだった。
政治情勢の安定しないルナ人民共和国に一人で出かけ、サーシャの無事を確認するというのである。
おまけに彼女の安否が確認できるまで帰ってこないとも言っていた。
最悪の場合、月で仕事を見つけ暮らしながら彼女を探す計画だった。
あの後、サーシャの消息はわからなくなった。
ユウジは毎日、ネットワークから配信されるニュースでルナ人民共和国の状況をチェックしていたが、国防大臣殺害事件の実行犯であるサーシャの話題は出てこなかった。
国防大臣殺害事件の犯人として報道されていたのはモハド・ノラザンで、すでに処刑済みという扱いだった。
革命組織は、リーダーのリン・パオ氏をはじめ主だった人間はすべて宇宙開発公社との関係を暴露され、失脚、投獄の憂き目に遭っていた。
さらに、元大統領のライリー・アレンは、無実の人民を虐殺するよう指示した罪で終身刑を言い渡されていた。
結局、ルナ人民共和国で権力を握ったのは軍部で、恐らく殺害された国防大臣ウラジミール・ミリャの理想とはまるで違うと思われる軍政が布かれていた。
治安警察組織は解体され、軍警察が治安維持を担当していたが、やっていることは治安警察と大して変わらないらしかった。
変わったのは人民のほうで、信じていた革命組織が宇宙開発公社の傀儡であったことに幻滅し、過激な反政府活動に参加しなくなっていた。
そうした政局全体はわかったが、サーシャ個人に関する報道は皆無だった。
ユウジは、サーシャのその後を知っていそうなエストラーダ艦長に宛ててルナ人民共和国軍にメールを送り続けたが、すべて無視されていた。
サーシャの安否を確認するための選択肢は直接月に行くことくらいしか残っていなかった。
「帰って来いよ。いつか必ず」
玄関口で父は息子を見送った。
散々反対したが息子の決意は固かった。
もう、そろそろ息子の判断を尊重しなくてはいけない年頃だと、父は最終的にはあきらめた。
「いってきます」
息子はそう言うと玄関口で父に向かって深々と頭を下げた。
「ユウジ、ニーナが気にしてた」
空港の展望室でハオユーはユウジに会った。
親友の出発を見送るためだった。
今までは何をするにも二人一緒だったが、今回、ハオユーにはユウジと行動を共にする気はなかった。
「そっか」
ユウジは、ハオユーから視線を外すと、短く応えた。
「えっ? それで終わり? そっけなさ過ぎるよ。ユウジ!」
ハオユーはユウジの腕を引っ張ると無理矢理ユウジの顔を自分のほうに向けた。
「ハオユーがいるから安心さ。ニーナのことはよろしく。落ち着いたら連絡する」
ユウジは、ハオユーに笑顔を向けた。
ハオユーは頬を染めるとうつむいた。
「サーシャの無事が確認できたとしたら、その後はどうするの?」
ハオユーは溜息をつきながらユウジにたずねた。
こんなやり取りは、ここ二週間近く毎日のように繰り返してきた。
「帰ってくるさ」
言外にサーシャと一緒にという言葉が隠れていることをハオユーは知っていた。
しかし、ユウジのそんな一方的な思いをサーシャが受け入れるとは限らないとハオユーは思っていた。
第一、サーシャは国家的な陰謀の真っ只中にいた人物だ。
無罪放免されているはずがなく生きている可能性も低いと考えていた。
「確認できなかったら?」
歴史の闇に葬られたのであれば生死の確認すらできないことも想定された。
「確認するまで頑張るつもり」
ユウジの声は、どうしてそんな声が出せるのかと思うくらい清々しかった。
「ユウジには関係ない世界の話なのに」
正直、ユウジにはどこにも行って欲しくはなかった。
ハオユーはうつむきながら力なくつぶやいた。
「彼女と出会っちゃったからな。関係なくはない。俺の大切な人生の一部だよ。みんななかったことにして、忘れて暮らすことなんかできないさ」
ユウジの心の中に、サーシャを抱きかかえたときの感触がよみがえっていた。
簡易宇宙服を通して感じる彼女の身体は、柔らかくて、細くて、軽かった。
サーシャの顔がユウジの左側の頬のすぐ近くになり、ぬくもりと息遣いを感じたあのときのことを。
『ありがとうユウジ。為すべきことが終わったら、いつかきっと、ここに戻ってくる』
ユウジの耳元でささやいたサーシャのあの言葉をユウジは今も信じていた。
「ユウジは騙されやすいからな。ユウジには悪いけど、あの子がユウジに接近したのは復讐の道具として役に立つと思ったからだ」
ハオユーは思い切って思っていることを口に出した。
このタイミングでこんなことを言ったら、ユウジが怒り出して二人の友情にひびが入るかも知れないと思った。
でも、どうしても言わずにはいられなかった。
「いや、そんなことないって」
ユウジは怒ったりはしなかった。
「いや、絶対騙されてるって」
ハオユーは思わずムキになった。
「絶対絶対、違う」
ユウジもムキになって言い返した。
「子供みたいだな」
ハオユーは幼いころ二人で口喧嘩をしたときのことを思い出して、思わず吹きだした。
「ていうか、彼女が俺のことをどう思っているのかは問題じゃないんだ。俺が彼女のことを心配しているだけだ。ハオユーだって、こういう気持ちはわかるはずだ」
ユウジは、ハオユーの目の奥を覗き込んで微笑んだ。
「わかった。これ以上言わない」
「じゃあね。ハオユー」
「じゃあな、ユウジ」
二人は手を挙げて挨拶すると、ユウジはハオユーに背を向け、地球への定期連絡船に向かって歩き始めた。
ハオユーはその後姿が見えなくなるまで見送っていた。
きっと、すぐに帰ってくると信じて。




