白兵戦
宇宙護衛艦エラトステネス艦長のアントニオ・エストラーダ少佐は艦の留守を副長兼操縦士のキム・ギソン大尉に任せると、自ら三人の士官を引き連れて大統領専用機アルテミスに向かった。
アルテミスは船尾に命中したミサイルのために大破し、通信システムを含む大半の機能を失っていた。
サーシャ・グリンベルクが通信端末を所持しているはずだったが革命組織の内部連絡用に設定されており、モハド・ノラザンが死んだ今となっては連絡を取り合うことはできなくなっていた。
軍司令部からの情報を反芻すると、改めてモハド・ノラザンと彼の背後にいる宇宙開発公社に対する怒りがエストラーダ少佐の胸にこみ上げてきた。
宇宙開発公社の謀略の中身を整理すると、こんな具合だった。
まず、宇宙資源の独占支配を復活させるためにルナ人民共和国を経済的に追い込んだ。
次に、貧困を原因に政府に不満を持った者たちを反政府組織として育成・支援した。
さらに、革命を成功させるために人格者であったウラジミール・ミリャ国防大臣を謀殺した。
その事件を利用して人民軍を騙した。
騙した人民軍の兵士も邪魔になれば始末した。
そんな宇宙開発公社の思惑など全てぶち壊して青天白日の下に晒してやるとエストラーダ少佐は決意していた。
そのためにもライリー・アレン元大統領を宇宙開発公社の思惑通りに殺してしまうわけには行かなかった。
彼は国防大臣謀殺事件の証人のひとりとなりうる人間でもあったのだ。
だが、ライリー・アレン元大統領を捕らえ、国防大臣謀殺事件の証人とした後、どうするのかは頭の痛い問題であった。
ルナ人民共和国の独立当初はともかく、ここ数年の彼の統治能力はまるで評価に値するものではないことは、反政府勢力のみならず衆目の一致するところだった。
国防大臣謀殺事件の真相がわかったからといって、ライリー・アレン元大統領を復権させる気が軍部にないことも命令の中身から推測できた。
いずれにしても、軍司令部の命令を遂行し、ライリー・アレンを生かして捕らえるためには、人間が直接アルテミスに乗り込み、調査する必要があった。
「艦長、エアロック付近に亀裂があります。あそこから中に入れそうです」
装甲歩兵の装備一式を完全に装着したアネット・バロー中尉がヘルメット内部に設けられている通信機で、エストラーダ少佐に話しかけてきた。
少佐に付き従っていた士官は、他に副操縦士のリヒャルト・ベッカー少尉と索敵担当補助のシンディー・キャンベル少尉だった。
分厚い装甲を施した装備のために四人は大柄な鎧武者かロボットのような姿になっていた。
手にはレーザー光線を発射する銃身の比較的短い小銃タイプの銃器を携えていた。
四人はエラトステネスのエアロックを出て推進剤を噴かしてアルテミスに向かっていた。
アルテミスとエラトステネスは速度を同調させてランデブーしていたのでお互い静止しているように見えたが実際には秒速三〇キロを超える速度で地球に向けて航行していた。
惑星間空間では確率は低かったが、漂っている岩石のかけらや金属片と接触すればやわらかい簡易宇宙服は簡単に引き裂かれてしまうだろう。
また、アルテミスに搭載されているミサイルの誘爆やアルテミス乗員による攻撃も考えられた。
エストラーダ少佐は自分と部下の安全のため、装甲歩兵のフル装備で救助に向かう判断をしていた。
「エアロック付近の亀裂から艦内に入る。ベッカー少尉、内部を確認せよ」
エストラーダ少佐は一行の中で最年少の男性士官に声をかけた。
「内部を確認します」
まだ少年の面影を残す大柄の士官は、生真面目に敬礼すると推進剤を強くふかし、エアロック付近の亀裂に一番先に取り付いた。
「非常灯は生きています。脱出カプセルが見えます。亀裂は広さ数メートル四方の部屋に続いています。特に人影は見当たりません。突入します」
「気をつけて」
赤毛の女性士官キャンベル少尉が心配して声をかけた。
ベッカー少尉はそれに右手を上げて答えた。
彼は油断なく小銃タイプのレーザー銃を構えながら器用に推進剤をふかしてアルテミスの中に入っていった。
「よし、続け」
ベッカー少尉が無事に着いたことを確認すると、エストラーダ少佐、バロー中尉、キャンベル少尉の順で船内に入っていった。
船内は薄暗く四人は背中合わせに立つと周囲に注意を配った。
「先ほどの攻撃は当方の手違いだ。謝罪する。我々は君たちを救助に来た。生存者がいたら応答してくれ」
エストラーダ少佐は、宇宙服に内蔵されている小型通信機で呼びかけた。
相手もルナ人民共和国軍の制式簡易宇宙服を着用していれば通信が可能なはずだった。
「我々の死亡を確認しに来たか。残念だが全員生きている!」
聞き覚えのある声がヘルメット内部の通信装置を通じて流れてきた。
サーシャ・グリンベルクの声だった。
脱出カプセルの陰から装甲歩兵が現れ、推進剤をふかして突進してきた。
手には特殊合金製の軍刀を下げていた。
エストラーダ少佐は反射的にレーザー小銃をサーシャに向けた。
その瞬間、センサーがアラートを発し、上のほうからレーザーエネルギーが襲い掛かってきた。
「全員散開!」
エストラーダ少佐は装甲の一部をレーザーエネルギーで焼かれ、あわてて推進剤をふかした。
装甲強化服といえど、長時間レーザーエネルギーを照射され続ければ、穴を穿たれ気密が破られる。
そのエストラーダ少佐の隙をつく様に、突進してきたサーシャの特殊合金製の軍刀が横なぎに一閃された。
エストラーダ少佐はとっさにレーザー小銃で身体を庇ったが、激しい衝撃とともに両断された。
「宇宙開発公社の手先め!」
エストラーダ少佐の横にいたベッカー少尉はサーシャに向けて咆哮を発すると、軍刀を振り回して体勢を崩していたサーシャに対し、レーザー小銃の銃把をハンマー代わりに叩きつけた。
空気があれば凄まじい衝突音が発生しただろうが、衝撃を感じたのはサーシャとベッカー少尉の二人だけだった。
サーシャは衝撃で独楽のように回転をはじめたが、その回転を利用して軍刀を振り回し、ベッカー少尉に切りつけた。
装甲の一部が剥ぎ取られ、中の簡易宇宙服がむき出しになった。
回転エネルギーは軍刀による破壊エネルギーに変換され、サーシャの回転はおさまった。
この一連の攻防の最中、バロー中尉はキャンベル少尉とともに、上方からエストラーダ少佐を狙撃した別の敵に向かって行動を開始していた。
二人が推進剤をふかして飛び上がると、簡易宇宙服姿の二名の敵が脱出カプセルの上に腹ばいになり、バロー中尉、キャンベル少尉に向けてレーザー銃を乱射してきた。
レーザー光が装甲を掠めたが、バロー、キャンベル両名は推進剤を全開にして構わず突進した。
射撃の様子から相手は素人だと判断したためだった。
レーザー銃で装甲歩兵を相手にする場合、レーザーの照射時間を長くして同じ場所に浴びせ続けないと装甲を貫通することはできない。
慌てているせいもあるのだろうが、簡易宇宙服の敵はそうしたセオリーを無視して実体弾を発射する銃器を扱うように引き金を引いていた。
二人の正体は恐らくアレン大統領一派の人質になっていた金星人だろうと想像された。
であれば特に殺す必要のない相手だった。
その気になれば簡易宇宙服など簡単に切り裂くことができた。
「おとなしくしろ、我々は救助に来たんだ!」
バロー中尉は、レーザー小銃の銃口を向けながら相手に呼びかけた。
相手はルナ人民共和国の簡易宇宙服を着ており通信は可能なはずだった。
しかし、返事はなかった。
ユウジとハオユー、サーシャの三人は、宇宙護衛艦エラトステネスから四人の装甲歩兵が接近中であることを知ると、アレン親子を連れ脱出カプセルのあるエアロック隣接のブロックに向かった。
ユウジたちが降伏したにもかかわらず、エラトステネスがミサイル攻撃をしてきたことを考えると、彼らが生き残るためには敵を全員返り討ちにし、エラトステネスを乗っ取るしかないとユウジたちは考えた。
サーシャの情報によればエラトステネスの乗員はサーシャを除いて七名、この艦にやってきた四名を奇襲で葬れば、残りは三名になるので、希望は持てると考えた。
三人はアレン親子を脱出カプセルの中に押し込むと、脱出カプセルの上と下、二手に分かれて身を潜めた。
アルテミスの損害状況を考えると装甲歩兵の進入経路はこの場所しか考えられなかった。
ユウジもハオユーも戦闘訓練を受けた兵士ではなく、装甲歩兵の装備も一名分しかなかったので、近接戦闘は戦闘訓練を受け実戦慣れしたサーシャが担当し、ユウジとハオユーはサーシャの援護射撃をすることになった。
「二人とも無理はしないでくれ」
「サーシャもね」
「すでに充分無理してるから、いまさらだよ」
サーシャ、ユウジ、ハオユーの3名は二手に分かれる直前、ヘルメットをくっつけて言葉を交わした。
奇襲を成功させるため、通信装置のスイッチは切っていた。
サーシャは囮を兼ねるため、先に通信装置のスイッチを入れるらしいが、ユウジとハオユーが再びスイッチを入れるのは奇襲が成功した後と決めていた。
心臓が押しつぶされるような不気味な静寂が続き、やがて、一人の敵が船内に入ってきた。
ユウジは息を呑んで様子を見守った。
攻撃を開始するのは四名全員がそろってからだ。
実際には大した時間ではなかったが、本当に四名揃うのか、四名揃う前にこちらが発見され、奇襲の効果がなくなるのではないかと、ユウジは不安にさいなまれた。
やがて残り三人も船内に入ってきた。
出入りに使う亀裂からフロアまでの動線からはユウジとハオユーは発見しづらいはずなので、おとなしくしていれば奇襲は成功するはずだった。
ユウジとハオユーは慎重に四人の侵入者に銃を向けた。
ユウジがレーザーライフル、ハオユーが拳銃タイプのレーザー銃だ。
火薬で銃弾を発射する軍用拳銃もハオユーは所持していたが、無重力状態では扱いが難しいため使用しないことになっていた。
脱出カプセルの上から様子を伺っているとサーシャが動き、四人のうちの一人がサーシャに銃口を向けた。
ユウジはサーシャに銃口を向けた相手に対して無我夢中で引き金を引いた。
レーザーエネルギーは敵兵に命中したように見えた。
敵兵はサーシャに向けて銃を撃つことはなかったが、大したダメージを受けている様子もなく、ユウジの攻撃から身をかわすように動いた。
他の敵兵もそれと同時に一斉に散開した。
ユウジは自分の息遣いしか聞こえない不思議な静寂の中にいた。
自分も戦闘の只中にいるはずなのに銃声も爆発音も、剣戟の響きも聞こえなかった。
薄暗いくせにやたらコントラストのきつい不思議な無声映画を静かな部屋で見ている気分だった。
現実感が希薄で、緊張が薄闇の中に解けてしまいそうだった。
そんなユウジに向かって二名の兵士が推進剤をふかし、急速に近寄って来るのが見えた。
アドレナリンが急激に分泌され、頭の中がクリアーになると同時に、心臓が激しく脈打つのを感じた。
ユウジは慌てて一人の兵士に銃口を向け、レーザーライフルを乱射した。
時折装甲には命中するものの照準は定まらず、装甲にはダメージを与えられなかった。
装甲歩兵は至近に迫り、レーザー小銃の銃口をユウジに向けた。
相手は何か言っていたのかもしれない。
あるいは何も言わなかったのかもしれない。
だが、ユウジには引き金を引き続ける以外の選択肢はなかった。
彼は自分に狙いをつけているレーザー小銃に向けてライフルのレーザーエネルギーを浴びせた。
小さな的を狙うことが可能なほど、両者の距離は近づいていた。
「!」
レーザー小銃に火花が散り、敵兵が慌てて銃を目の前に持ち上げて状況を確認するしぐさを示した。
その瞬間ユウジはうつ伏せの状態から急いで身体を起こし、敵兵にタックルをかまそうと動いた。
恐らく金星のような重力下だったらユウジのタックルは成功していただろう。
それほど両者の間は近かった。
しかし、無重力下では重力の加護は受けられず素早く動くことはできなかった。
慣性の法則そのままに無防備に身体が浮き上がった。
装甲歩兵は自分の胸部に向けてタックルらしきものを仕掛けてくる白い簡易宇宙服姿の金星人に、レーザー小銃の銃把を思いっきり振り下ろした。
『ガン!』という鈍い音がユウジのヘルメット内に響き、彼の身体は脱出カプセルに頭から叩きつけられた。
ヘルメットに守られていたため痛みは感じなかったが、衝撃がユウジの脳を激しく揺すった。
一瞬何がなんだかわからなくなった。
レーザーライフルは彼の手から離れ、気がつくとハオユーが脱出カプセルの上でうつ伏せになった状態のまま、他の装甲歩兵に銃を突きつけられ、両手を掲げて『降参』のポーズをとっているところだった。
「これまでか」
そう思いながらもユウジが何の意思表示もしないでいると、彼の目の前の装甲歩兵は片手で彼の簡易宇宙服の胸倉をつかんで、目の前に持ち上げた。
「……」
目の前の装甲歩兵は、レーザー小銃を持った方の右手の指先で、コツコツと自分のヘルメットを叩く仕種をした。
何か言いたいらしい。
何となく通信機のスイッチを入れろと言っているらしいとわかった。
「何のことだ。私はルナ解放戦線の」
「その革命組織のスポンサーが宇宙開発公社だと言っている!」
ユウジがヘルメットの通信装置のスイッチを入れると、サーシャの声と聞き覚えのない男性の声が飛び込んできた。
視線を動かすと下の方ではサーシャが二名の装甲歩兵と近接戦闘の真っ最中だった。
「うそだ!」
サーシャが叫びながら特殊合金製の軍刀を振り下ろした。
武器を持っていない装甲歩兵は下がってかわしたりせず逆に一歩前に出て間合いをつぶすと、そのまま右ストレートをサーシャの腹部に叩き込んだ。
「うっ」
身体が浮き上がり後方に弾き飛ばされるサーシャに向かって、もう一人の装甲歩兵がレーザー小銃の狙いを定めた。
「殺すな!」
ユウジの叫び声が兵士たち全員のヘルメット内に響いた。
「ユウジ……」
サーシャはユウジとハオユーが捕獲されている状況に気づいた。
ベッカー少尉はレーザー小銃の狙いを定めたままだったが引き金は引かなかった。
エストラーダ少佐はバロー中尉とキャンベル少尉が二名の簡易宇宙服姿の敵を捕獲していることを確認した。
「サーシャ・グリンベルク、おとなしく投降しろ。勝負はついた」
エストラーダ少佐の声に応え、サーシャは軍刀を振り下ろすと手から離した。
軍刀は無重力の艦内を静かに漂い、床に浅く突き刺さった。




