宇宙へ
大統領専用機アルテミスはジョシュア・アレンの操縦でビーナスシティの滑走路をゆっくりと動き始めた。
滑走距離を確保するため、いったん滑走路の一番後ろに下がった。
「畜生、ハオユーとユウジを返しやがれ!」
グスタフ・エンゲルスが大声でわめきながら、滑走路内を移動するアルテミスを走って追いかけた。
「船長!」
マリアーノ・バルディーニはそんなグスタフを追いかけ、後ろから羽交い絞めにした。
生身の人間が全長八〇メートルの宇宙船をどうこうできる訳がなかった。
「畜生! マリアーノ! アノマロカリスだ!」
「はい?」
「アノマロカリスで離陸を阻止してやる! いくぞ」
「はい!」
グスタフはマリアーノを振りほどいて探査船専用ドックに向かって走り出した。
どうするつもりかはわからなかったが、マリアーノもグスタフに従って走りはじめた。
ニーナは補給作業終了のタイミングを見計らって管制室を訪れた。
計画が無事に終了したかどうか心配だったからだ。
サーシャの件がばれていたら一緒に怒られようという気持ちもあった。
しかし、状況はニーナの予想を遥かに超えていた。
管制室はパニックに陥っており大人たちは皆青い顔をして右往左往していた。
ニーナがびっくりして佇んでいると父親のアレクサンドル・ラクロワがニーナを見つけて駆け寄ってきた。
「ああ、ニーナか。大変だ。ユウジ君とハオユー君が人質にとられた」
ニーナは一瞬すべての音が聞こえなくなったような気がした。
「うそ!」
ニーナがようやく搾り出せたのは、その一言だけだった。
「2人はあの中にいる」
アレクサンドルは追い討ちのように言葉を継ぎ足した。
「どうして……」
何がなんだか分からなかった。サーシャがいなくなり、また元通りユウジとハオユーとニーナの毎日が戻ってくるはずだった。
アレクサンドルは、ふとニーナが一人でいることに違和感を感じた。
「ん、ところでサーシャさんはどうした? 病室か?」
ニーナは一瞬ビクッとしたような素振りを見せ、押し黙り、しばらくしてから父親の視線に耐えかねたように口を開いた。
「おとうさん、ごめんなさい!」
「どうした? 何かあったのか?」
アレクサンドルの心の中で悪い予感が急速に膨れ上がった。
「サーシャさんは多分あの中です」
ニーナは震える手で窓の外をゆっくりと移動している大統領専用機を指差した。
顔色は真っ青だった。
管制室の大人たちの視線がニーナに集まった。
「馬鹿な、一人で行動できないだろう! 彼女の状態じゃあ」
アレクサンドルは彼にしては珍しく声を荒げた。
「手引きしたのは、ユウジか」
ケンイチロウの声は不思議と落ち着いていた。
「はい」
ニーナはこっくりとうなづいた。その瞬間涙が溢れ出した。
「皆さん、すまない」
ナグリ・ケンイチロウは深々と頭を下げた。
息子の軽率な行動でビーナスシティ全員を危険に晒したことに対する父親としての謝罪だった。
サーシャはダンボール箱の中で異常に気づいていた。
ユウジとハオユーの話し声はよく聞き取れなかったが機内放送は良く聞こえた。
ユウジとハオユーが人質として機内にとどまっていることは理解できた。
可能であればひと暴れして二人を解放したかった。
『くっ、残念だが身動きが取れない』
金星の重力に抵抗して段ボール箱を突き破ることはできなかった。
装甲強化服を着ていれば話は違ったのだろうが梱包の都合で装甲部分は別のダンボール箱の中だった。
彼女は簡易宇宙服姿で体を丸めており、元々の予定では金星の重力の影響を受けなくなってから活動を開始することになっていた。
サーシャはしばらく重力に抵抗してもがいていたが簡易宇宙服を着用していることもあり身体は鉛のように重かった。
やがて疲れきりサーシャは機会を待つことにした。
予想通り大統領専用機アルテミスが宇宙護衛艦エラトステネスの追撃を振り切り、金星の重力圏を離脱して慣性航行に入れば二人を解放するチャンスはあるはずだった。
「金星上空を周回中の宇宙護衛艦に告げる。本機には金星の住民二名が乗船している」
ジョシュア・アレンは宇宙護衛艦エラトステネスに向かって呼びかけた。
あまり期待できなかったが人質が有効に機能すれば御の字だと思っていた。
「ええと、彼らにとって我々は人質としての価値があるんでしょうか?」
ジョシュアの横に腰掛けていたユウジはどんよりとした表情で質問した。
中央コントロールルームには三人分のシートが用意されており、中央にジョシュア、右側にユウジ、左側にハオユーが座っていた。
席の間隔は広く、手を伸ばしても相手に触れることはできなかった。
さらに三人の真後ろにはライリー・アレンが防弾ガラス越しに座っており、レーザー銃を構えていた。
「さあな……補助エンジン全開、ブレーキ解除、アルテミス発進!」
エンジン音が急速に高まりシートに体が押しつけられた。
大統領専用機アルテミスは猛スピードで滑走路を疾走しはじめた。
「畜生、間に合え!」
グスタフが地表探査船アノマロカリスを急発進させ、滑走路を塞ごうとした。
だが、間一髪間に合わなかった。
サーシャを救助したときに使用した頑丈なロボットアームを振り回したが届かなかった。
大統領専用機アルテミスはアノマロカリスの鼻先を猛スピードで走り抜け、金星の濃密な二酸化炭素の大気の中にダイブした。
大統領専用機アルテミスは、その機体の重さによりビーナスシティの滑走路から出た瞬間、一瞬高度を下げた。
翼が揚力を確保し落下を食い止めると、スピードが増すとともに徐々に上昇に転じた。
ユウジやハオユーが普段乗っているアノマロカリスとは違い、強引に大気を切り裂いて飛んでいるため不快な振動が発生していた。
最初はまるで余裕がなかったが、すぐに目の前のモニター類に視線を移す余裕が生じ、アルテミスの飛行状況がわかってきた。
自分たちの故郷である浮遊都市ビーナスシティが急速に遠ざかり、アルテミスは金星の二酸化炭素の大気を切り裂いて急速に上昇していた。
索敵用のモニターに目を転じると、遥か上空を宇宙護衛艦エラトステネスらしい物体がアルテミスと同一方向に飛行しているのがわかった。
アルテミスの後方からゆっくりと近づいてくる。
ユウジは緊張で神経が研ぎ澄まされるのを感じた。
相手には金星の人間が人質になっていることは伝えてあったが、それで攻撃をためらうとは、とても思えなかった。
サーシャの話によればビーナスシティごとライリー・アレンを亡き者にしようと図るような人たちだ。
案の定、策敵システムがアラートを発した。
「電磁誘導砲発射反応!」
ユウジは思わず叫んでいた。
「いい子だ」
ユウジが叫んだ時には、すでにジョシュアは自分のセンサーで事態を把握し、アルテミスの機体を斜めに滑らせていた。
アルテミスは砲弾をかわし砲弾は金星の地表付近で炸裂した。
「やっぱり我々には人質としての価値はなかったみたいだ」
ハオユーが放心状態でつぶやいた。
「第一宇宙速度に加速! 総員Gに備えよ」
さらに強烈なGがユウジたちをシートに押し付けた。大気の壁を切り裂いて進んでいるため、振動も激しかった。
「あなたたちは、大丈夫なんですか?」
激しい振動の中、舌を噛みそうになりながらユウジはジョシュアに尋ねた。
「なんだ?」
「月の住民は強いGは苦手なんじゃないんですか!」
「私は地球生まれだ。それに宇宙飛行士になるために耐G訓練も受けていた。この程度のGは問題ない」
ジョシュアはそう言ったがライリーの声は聞こえなかった。
先ほど『私は役に立たない』と言っていた意味がわかったような気がした。
アルテミスの加速によってエラトステネスは遥か後方、金星の地平線の向こうに沈んだ。
「正面に注意しろ。モニター最大望遠。金星を一周してエラトステネスの背後に出るぞ」
大気が薄くなり振動がやんだ。
アルテミスの艦内は急に静かになった。
金星を一周し正面に再びエラトステネスの姿が見えた。
エラトステネスは金星の衛星軌道にとどまるために速度をセーブし慣性航行をしていたが、アルテミスの動きに合わせて加速を開始した。
「電磁誘導砲発射反応!」
アルテミスはエラトステネスとは違う方向に針路を向けた。
葉巻型のエラトステネスの後部に設置された旋回式二連装砲塔から二発の砲弾が発射され、アルテミスのあった場所を切り裂いた。
「続いてミサイル! 畜生!」
ユウジは迎撃ミサイル発射システムの承認ボタンを押すとパルスレーザー砲に自動追尾でミサイルを迎撃するよう指示した。
針路を変更してエラトステネスから遠ざかっていくアルテミスを四本のミサイルが追尾してきた。
アルテミスから四本の迎撃ミサイルが発射され白い尾を引いて敵ミサイルに襲い掛かった。
爆発の中から一本のミサイルが現れ、なおもアルテミスを追ってきたが自動追尾のパルスレーザー砲で撃破した。
「初めてにしては上出来だ」
ジョシュアはにやりと笑った。
ユウジは生きた心地がしなかった。
ハオユーは目をつぶって何事かぶつぶつとつぶやいていた。
エラトステネスはすべての砲塔を旋回させ、アルテミスに向けた。
「電磁誘導砲発射反応!」
「おい、ハオユーとかいうやつ、最大加速だ!」
「わかった!」
ハオユーがレバーを倒すと先ほどよりも激しいGが襲い掛かってきた。
アルテミスの後方に砲弾がそれていった。
エラトステネスはアルテミスの速度についていけず、じわじわと引き離されていった。
ジョシュアの声も聞こえなくなった。
ユウジはジョシュアが最大加速での操縦をハオユーにやらせた理由がわかった。
先ほどのやり取りで耐G訓練を受けているから大丈夫などといっていたが、アルテミスの最大加速はやはり月の人間には耐えられないものだったようだ。
ここでジョシュアたちに襲い掛かることができれば一〇〇パーセント勝てたが、残念ながらユウジたちも強烈なGのため、ろくに身動きができなかった。




