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月の戦姫と金星の浮遊都市  作者: 川越トーマ
16/27

別離

 ジェームス・ニコル市長以下ビーナスシティ最高会議の面々は空港の管制室に勢ぞろいしていた。

 管制室は滑走路の路面から二〇メートルほど上の場所に設けられており、大きなガラス窓からは空港の様子が一望できた。

 全長八〇メートルほどのデルタ翼の宇宙船は管制室から数十メートルしか離れていない場所に管制室に機首を向ける形で斜めに停まっていて、細部までよく見えた。

 宇宙船には窓はなくパルスレーザー砲やミサイル発射口が目を引いた。

 普段、この管制室は無人だった。

 二~四ヶ月に一度、地球からの定期連絡船が来る時以外は空港を使用するのは地表探査船アノマロカリスだけだったからだ。

 事故防止のため空港への離着陸をコントロールする要員は普段は必要なかった。

 地球からの定期連絡船が来るときに限り商工業委員長のレイラ・ファウが臨時で管制官を務めることになっていた。

「昨日の交渉の結果、ルナ人民共和国の元大統領一行は補給作業が完了次第、このビーナスシティから出て行くことになった」

 恰幅のいい市長が他の委員長たちに状況を報告した。

「腹立たしい。我々に力があれば天誅を下してやりたいところだ」

 黒い肌に総白髪のアナクレト・ンガビ食料委員長が苦々しげにつぶやいた。

「我々に力があれば、そもそも彼らは高圧的な態度をとらなかったでしょう」

 長い黒髪と赤いルージュが印象的なレイラ・ファウ商工業委員長が冷ややかな視線をンガビ食糧委員長に送った。

「彼らが高圧的な態度を取らずに救いを求めてきたのなら、亡命してきた彼らを庇護しなければならなかったかもしれません」

 ファリダ・モハメド学術・教育委員長が神妙な顔でつぶやいた。

「先ほどからエンゲルス船長の姿しか見えないが」

 アレクサンドル・ラクロワ衛生・福祉委員長が空港の様子をしげしげと眺めながら口を開いた。

「水の補給作業はグスタフとマリアーノが行っている。食糧はユウジとハオユーが食料庫にとりに行っているところだ」

 ナグリ・ケンイチロウ治安・防災委員長が作業内容を説明した。


「ニーナ、ラクロワ先生は?」

 ナグリ・ユウジとリュウ・ハオユーは食料庫ではなく病院にいた。

 台車の上には空の大きな段ボール箱が三つ乗っていた。

「大丈夫、市長さんたちと空港の管制室よ」

 ニーナの表情は明るくなっていた。

 いたずらをしている子供のように生き生きしていた。

「サーシャさんの準備は?」

 ユウジは辺りを見回した。

 恐らくサーシャ・グリンベルグは病室にいるのだろう。

 事前の打ち合わせでは簡易宇宙服に着替えておくことになっていた。

「大丈夫。もうお着替えは終わってるわ」

 ユウジはうなづくと、サーシャの病室をノックした。

「どうぞ」

 サーシャの返事を受けて病室に入ると、サーシャは背もたれを少しだけ倒した車椅子に座っていた。

 ヘルメットを膝の上に載せた簡易宇宙服姿だった。

 ユウジと目が合うと、うっすらと微笑を浮かべた。

「おはよう。眠れた?」

「4時間ほどは眠ったと思う」

「そうか、それくらい身体を起こしても大丈夫なんだ」

 普通に座っている状態に近いサーシャを見てユウジはやさしくつぶやいた。

「金星の重力にも大分慣れてきたみたい。まだ自力で歩いたりはできないけど体を起こしても脳貧血を起こすようなことはなくなったわ」

 ニーナが口を挟んだ。

 きっとしばらく金星にいればみんなと同じように生活できるようになるんだろう、ビーナスシティの森を二人で散歩したかったなとユウジは思った。

「窮屈だろうけど、君にはこの箱に入ってもらう」

 ユウジはハオユーが押している台車の上の段ボール箱を指し示した。

「あんたには箱入り娘のイメージはまるでないけどね」

 ハオユーが憎まれ口をたたいたが、あまり元気のある様子ではなかった。

「失礼」

 ユウジはサーシャに近づくと抱き起こすために彼女の背中に手を回した。

 簡易宇宙服を着ているのにもかかわらず、それほど重くは感じなかった。

 宇宙服を通して感じる彼女の身体は、柔らかくて、細くて、軽かった。

 サーシャの顔がユウジの左側の頬のすぐ近くになり、ぬくもりと息遣いを感じるほどになった。

「ありがとう、ユウジ。為すべきことが終わったら、いつかきっと、ここに戻ってくる」

 サーシャはユウジの耳元でつぶやいた。

「ああ」

 ユウジとしては、サーシャに残って欲しかった。

 しかし、それを強要したらサーシャは悔やみ続け、ユウジのことを恨むだろう。

 サーシャの望みを叶えたが故の感謝の言葉であることをユウジは理解していた。

 ユウジはサーシャを抱き上げると二、三歩移動し、段ボール箱の中に彼女を入れた。

「じゃあ、気をつけて」

 ユウジはサーシャに声を掛けた。

「じゃあな」

「気をつけてね」

 三人の別れの言葉を聞きながら、サーシャは箱の中でヘルメットを抱え、小さくうなづいた。

「みんな、世話になった。ありがとう」

 サーシャの別れの言葉が終わると同時にハオユーが段ボール箱をガムテープで密封した。

「じゃあ、ニーナの目を盗んで勝手にサーシャさんを連れ出すから」

 別れの余韻を振り払うようにユウジはニーナに言った。

 今回の行動は必ずバレる行動だった。

 自分のエゴでみんなを巻き込む手前、できるだけ、みんなに迷惑はかけたくなかった。

「わかった。私はユウジの行動に気づかなかったことにする」

「サンキュー」

「はあ……」

 元気な二人に比べてハオユーは珍しく元気がなかった。

 怒られるのには慣れているはずだったが、やはり気が進まないのだろう。

「どうしたの? ハオユー」

 ニーナが明るく訊いた。

 この一件が終わればサーシャはいなくなり、また、今までの日常が帰ってくる、ニーナはそう思っていた。

「すごーく嫌な予感がする」

 ハオユーの黒い髪はいつもどおり手入れが行き届いてつやつやしていたが、顔色は青白く、普段ぽっちゃりして栄養状態のいい印象の彼は何となくやつれて見えた。

「がんばってね。食料の搬入作業」

「ああ、そうだね。三つの段ボール箱にサーシャって名前の食料と、装甲強化服って名前の食料と、レーザーライフル及び特殊合金製の刀って名前の食料をつめなきゃいけないからね」

 ハオユーの目は泳いでいた。

「ありがとう。ハオユー」

 ユウジは思わず礼を言った。

「まったく、ユウジがこんな危険なことに手を染める奴だとは思わなかったよ」

「ごめん」

 ユウジは謝った。

 ニーナは庇えるがハオユーは庇いきれない。

 作業内容を考えれば、まさかハオユーも知らなかったと言い訳するわけには行かないだろう。

「謝んなくてもいいけど、本当に後悔しないね? ユウジ」

 ユウジは黙ってうなづいた。

 サーシャが後悔しないのなら自分も後悔はしない。

 この時のユウジはそう思っていた。

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