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月の戦姫と金星の浮遊都市  作者: 川越トーマ
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協力依頼

 ビーナスシティの「地上」部分は暖かい光に包まれていた。

 ドームの外は常に激しい風が吹き荒れていたが、ドーム内は常に穏やかで静かだった。

 その時間帯は『夜』と定められていたため、地上には他に人影はなく、ひっそりと静まり返っていた。

 ユウジは貯水池の近くに設けられた出入り口から奥の森に向かってサーシャの乗った車椅子をゆっくりと押した。

 サーシャは穏やかな表情を浮かべながら、ビーナスシティの緑にあふれる景色に見入っていた。

「このビーナスシティは実験都市なんだ。遠く離れた恒星系に何世代もかけて旅する移民宇宙船のあり方を研究するために作られたらしい。だから基本的には自給自足だ。空気も水も食料も地球からの輸入なしに暮らしている。もっとも機械類や洋服、食糧でもぜいたく品は生産できなくて結局輸入しているけどね」

 サーシャはユウジの話を黙って聞いていた。

「ビーナスシティのもうひとつの役割は金星のテラフォーミングなんだ。二〇世紀の昔から金星の大気中で藻類を繁殖させて光合成を行い、二酸化炭素ばかりの大気を酸素を含んだ大気に改造するっていうプランがあったそうだけど、光合成に必要な水が圧倒的に足りなくて実行には移されなかったんだ」

 水田の景色が終わり、朝方ユウジたちが作業したトマト畑になった。

「でも、五〇年位前に大彗星が金星に衝突するっていう出来事があっただろ。あれで彗星の核に含まれていた水が金星に大量に供給されたから、チャレンジしてみようってことになったんだ。彗星が運んできた水は地表の温度を冷やすには至らなかったけど、藻類の繁殖はできるかもしれないということになったらしい」

 車いすを押しているユウジにはサーシャの表情は見えなかった。

「ということでビーナスシティができてから二〇年間、せっせと貯水池で養殖した藻類を金星上空に散布しているんだ」

 相手の表情が確認できない不安で、ユウジはいつになく多弁だった。

「君を救助した地表探査船アノマロカリスで金星の大気や地表の様子を観測しているんだけど、残念ながら今のテラフォーミングのやり方じゃあ、あと一〇〇年たっても人間が地表で暮らせるようにはならないらしい」

 やっぱり、こんな硬い話つまらないかなとユウジは思った。

 ユウジは歩みを止め、車椅子の正面に回りこんだ。サーシャの反応を知りたかった。

「目的は科学の最先端だけどシティの中はすごく田舎だろ? 俺、生まれは地球らしいんだけど、その頃の記憶はないんだ。物心ついたら親父とここで暮らしていた。だから他の場所のことはよく知らない。ネットワークで得た知識しかないんだ。君のような異国のお客さんはとっても珍しいんだ。君のいた月はどんなところ?」

 ユウジはまじまじとサーシャを見つめるようなことはせず、トマト畑の先に見える背の高いトウモロコシ畑を眺めながら、独り言のような静かな口調でサーシャに話しかけた。

 サーシャはちょっと考えてから言葉を返した。

「こんなに広い耕作地はない。食料はほとんど輸入に頼っているからな。地下のドーム内はビルに埋め尽くされていて人が多い。こんなに広々とした静かなところで誰かと二人きりになるようなことはない」

「そうか……」

 二人きりという言葉でユウジの鼓動は高鳴った。

「ここは気持ちのいいところだな」

 サーシャはその美しい横顔にすがすがしい表情を浮かべた。

 自分の住んでいるところをほめられてユウジも悪い気はしなかった。

「月や地球で行ってみたい場所はいっぱいある。でも長く暮らすにはここはいいところだ。静かだし平和だし、それに食べ物は新鮮だ」

 サーシャは自分たちと大して年齢も違わないのに戦いの日々を送っていたらしい。

 ユウジには想像ができない環境だった。

「食べ物に不自由しないのはいいことだな」

「よかったら、ここで暮らさないか」

 ユウジは自然に口をついて出た自分の発言に驚いた。

 聞きようによっては口説いているように聞こえる台詞だった。

「それもいいかもしれないな。しかし残念ながら、私には為すべきことがあるのだ」

 サーシャの台詞には寂しげな響きがあった。

「革命後の月でやると決めていることがあるのか?」

 どんなに頑張っても大統領専用機がビーナスシティを出発する前までにサーシャが金星の重力に適応して荒っぽい任務につけるとは思えなかった。

 それに、サーシャが何をしても、また、しなくても元大統領が人民軍や革命組織に捕らえられるのは時間の問題だと思われた。

「私には一〇歳違いの兄がいた」

 サーシャは遠い目をして違う話を始めた。

「兄は母や私のために一生懸命働いていた。貧しかったが、それなりに幸せだった」

 父親はどうしたんだろうと思ったが、それは聞かないことにした。

 ユウジも父親の機嫌が悪くなるので母親のことは聞かないことにしていた。

「ここ数年、食糧価格は高騰し、私たちはいつもお腹を空かせていた」

 そう言えば、そんなニュースを聞いたような気がした。何年も続いていたという認識はなかったが。

「兄と私が食糧を買出しに行った帰り道、反政府デモに出くわした。別にデモに参加していたわけじゃない。沿道で見ていただけだ」

 サーシャの語り口は淡々としていた。

「治安警察がデモ隊に突入した。大混乱になった。私たちは逃げようとした。警官の一人が食糧の入った袋を持っていた兄を捕まえ、それを見せろといった。兄は抵抗した。やっと手に入れた食糧だ。食糧が奪われれば私も母も飢えてしまうからだ。ここではそんなことはないのかもしれないが月では食糧が手に入らずに餓死する人がいるのだ」

 法と正義の番人であるはずの警官に食糧を奪われる心配をしなくてはいけないこと自体がユウジには想像できない話だったが、サーシャの話に口を挟むことはできなかった。

「特殊警防で兄は殴られた。恐怖でたちすくむ私に向かって兄は逃げろと言った」

 恐らくサーシャの脳裏には当時の情景がまざまざと蘇っているのだろう。遠い目をしていた。

 しかし、悲惨な光景が頭に浮かんでいるはずなのに、サーシャの語り口は静かで淡々としていた。

「他の警官もやってきた。警官たちは兄を警棒で殴った。何度も何度も」

 サーシャは目を閉じ身体を震わせた。

「私は一言も発することができなかった。抵抗していた兄はやがて動かなくなった。食糧が入った袋は警官たちに持ち去られた」

 ユウジは何か言わなくてはと思ったが何も思いつかなかった。

「母は悲しみのあまりそれからまもなく亡くなった。私は無力だった。愛する者を誰一人救えなかった。私のような人間を増やしてはいけない。悪しき者は次の犠牲者を生み出す前に直ちに断罪しなければならない。そして、その行為は誰かがやってくれるなどと思ってはいけない。自分の目の前のことは自分の力で解決するよう努力しなければならない」

 サーシャの言葉は自分に言い聞かせているようだった。

 しかし、その内容はユウジの心の中の甘えた部分を激しく否定するような内容だった。

 ビーナスシティが平和すぎるのだろうか。

「ユウジ、君を見込んでお願いがある。食糧と一緒に私をアルテミスに搬入してくれ」

 サーシャはその青い澄んだ目でユウジを見つめた。

「どうせ、そんなことだろうと思ったよ。期待して損した」

 口の中はからからに乾いていたが何とか軽口混じりに言葉を吐き出した。

 二人きりで話したかった話題というのはこのことだったのだろう。

 サーシャの判断は正しいと思った。

 大人たちは当然反対するだろうし、ハオユーもサーシャにいい感情を抱いていないようだから恐らく反対するだろう。

 彼女にはそれがわかっているということだった。

 さきほどのビーナスシティ最高会議でサーシャが最後に発言しようとしたのも多分このことだったのだろう。

「恐らくアルテミスは援軍到着まえに出港する。そして、エラトステネスの追跡を振り切るだろう。そうなれば再度捕捉するのは難しい」

 サーシャの青い瞳は遠い思い出を語る目ではなく、目の前の戦いを分析する目に戻っていた。

「味方を信じて任せたらどうかな。今の君の状態じゃあ、大統領専用機の機内が金星の重力に支配されなくなるまで何もできないだろ? ということは味方の護衛艦が金星上空で大統領専用機の撃墜に成功した場合、君は死んでしまうんだぞ。撃墜されなかったとしても君一人だけじゃアルテミスの乗員に返り討ちにあうかも知れない」

 サーシャの主張は理解できた。

 しかし、いくらサーシャに好意的だろうと、いや好意的だからこそサーシャの計画には安易に賛成できなかった。

「宇宙護衛艦エラトステネスと大統領専用機アルテミスはすでに二回対戦している。そして二回とも攻撃をかわされた。逃げに徹した場合、アルテミスの方に分があるだろう。加速能力、運動能力、ステルス性、策敵能力でアルテミスの性能は、ルナ人民共和国軍の宇宙護衛艦を上回っている。護衛艦が上なのは火力くらいだ。一対一なら逃げられてしまうだろう。乗員に返り討ちにされる心配はしなくてもいい。アルテミスが加速を弱め、月の人間同士の戦闘になれば装甲強化服を着用した私に叶う人間はほとんどいない。それに、多分、アルテミスにはあまり人は乗っていない。また返り討ちに遭いそうになっても宇宙船を内部から破壊することで元大統領を抹殺する任務には成功するはずだ」

 サーシャにはユウジの説得に応じる気持ちはなさそうだった。

「人を殺すことがそんなに重要なことなのか? 君も死ぬかもしれないのに」

 ユウジは頭を振りながら大きなため息をついた。

「私にとっては重要なことだ。君も愛する家族を失えば私の気持ちを理解できると思う」

 ユウジは沈黙した。断るのが正しいということはわかっていた。

 しかし、サーシャの気持ちを否定することもできなかった。

「私の身を案じるのであれば私の願いを聞き届けて欲しい。残りの生涯を後悔とともに過ごしたくはない」

 ユウジの心はすでにサーシャに味方することに決まっていた。

 しかし、その一言はなかなか口に出せなかった。

「ところで、ユウジは何を期待していたんだ?」

「へっ?」

「さっき言ったじゃないか。期待して損したと」

 サーシャは真っ直ぐな目でユウジを見つめた。

「なんでもないさ」

 ユウジは自分の頬が赤くなるのを感じた。

「変な奴だ」

 サーシャはニコリともしなかった。からかったわけでもなさそうだった。

「わかった協力しよう。ただ、俺一人では君の望みを叶えることができない。他にも協力者が必要だ」

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