表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
月の戦姫と金星の浮遊都市  作者: 川越トーマ
11/27

ビーナスシティ最高会議

 ビーナスシティの最高意思決定機関である「ビーナスシティ最高会議」は市長のほか、各行政委員会の委員長により構成されていた。

 専用の議事堂などはなく会議は市庁舎の会議室で行うのが常だった。場所はビーナスシティ地下居住区の一角だった。

 一般家庭が貯水池のすぐ横にあるのに対し、市庁舎は一般家庭とは道路を隔てた向かい側で窓が一切なかった。会議室は実用一辺倒で床はビニールクロス敷き、机と椅子は淡い自然な色合いの木製の大量生産品だった。

 ビーナスシティは地球の国連加盟各国が宇宙開発のために出資して設立した宇宙開発公社により研究施設として建設された。

 入植が進み、ある程度自給自足が可能になると、こまごました運営に宇宙開発公社が直接関与するのは非効率だとされ、研究委託費用が支払われるほかは原則、自治に委ねられていた。

「各行政委員長には、お忙しいところ急遽集まっていただき感謝する。実はこのビーナスシティ上空で戦闘が行われ、片方の勢力が亡命を希望して空港に強行着陸してきた。まずは、亡命希望者のメッセージを聞いてもらおう」

 海獣のように肥満した温厚そうな雰囲気のジェームズ・ニコル市長が、そう切り出した。

 会議室の隅に座っていた市の職員が機器を操作し、録音されたメッセージを再生した。

『我々は月からの亡命者である。無期限の停泊許可、当面の必要物資として六〇〇食分の食料と六トンの水の補給を望む。水と食料は状況に応じ追加補給に応じて欲しい。こちらの身の安全が保証されない場合、または要求が受け入れられない場合、この浮遊都市の内部でミサイルが爆発する恐れがある。賢明な判断を願う。回答期限は八時間以内だ』

 会議室内に流れたのは傲慢な感じのする若い男の声だった。

「図々しい奴らだな」

 白髪交じりのプラチナ・ブロンズで、ジャガイモのようにゴツゴツした感じのセルゲイ・チェレンコフ環境・生活基盤委員長が呆れたような口調だった。

「何様のつもりだ!」

 漆黒の肌で総白髪、いかにも頑固そうな雰囲気のアナクレト・ンガビ食料委員長は怒りの声を上げた。

「では状況を把握することからはじめよう。ラクロワ先生、参考人の女性は我々の質問に答えられそうかね」

 ジェームズ・ニコル市長が、ロの字に配置された会議テーブルの後方に設けられた参考人エリアで、ストレッチャーに横たわっているサーシャ・グリンベルグを指し示した。

 参考人エリアには、サーシャのほか、彼女の付き添い看護師のニーナ・ラクロア、サーシャを救助した地表探査船の船長グスタフ・エンゲルス、同副長のマリアーノ・バルディーニ、乗組員のリュウ・ハオユー、ナグリ・ユウジが座っていた。

「長時間に及ばなければ大丈夫でしょう。医師としての所見を言わせてもらうと彼女よりもそこで眉間にしわを寄せて座っているナグリ治安・防災委員長の方が問題だと思いますよ。彼は三日間の絶対安静です」

 メガネをかけた落ち着いた雰囲気のアレクサンドル・ラクロワ衛生・福祉委員長は、横に座っているナグリ・ケンイチロウに視線を向けた。

「そうです。無理しないほうがいいですよ」

 ケンイチロウの斜め前に座っていたファリダ・モハマド学術・教育委員長は心から心配しているように見えた。

 彼女はメガネをかけた小柄な女性で宗教上の理由からスカーフのような布で髪の毛を隠していた。

「大丈夫です」

 ケンイチロウは声を絞り出したが、ちっとも大丈夫そうではなかった。

「まあ、彼の所管事項でもあるから少しの時間頑張ってもらおう。会議への参加は彼のたっての願いでもあるしな」

 ジェームズ市長はケンイチロウを一瞥するとサーシャへの質問を開始した。

「脱出カプセルでここにやってきた君の名前、所属、目的を教えてくれ」

「私の名はサーシャ・グリンベルグ。ルナ人民共和国の市民で革命組織に所属している。逃亡を図ったルナ人民共和国元大統領ライリー・アレンを捕らえるため、人民軍所属の宇宙護衛艦エラトステネスに同乗して金星軌道までやってきた。アレンが乗っていると思われる大統領専用機アルテミスは大気圏突入能力を有し、この浮遊都市に強行着陸したが、エラトステネスには大気圏突入能力はない。仕方なく私は脱出カプセルを使用して、ここに来た」

 サーシャはストレッチャーに横たわったままだったが、よどみなく答えた。

「グスタフ君たちが彼女を救助したんだね。彼女の証言に間違いはないかね」

「彼女が一人で金星に降下してきたという話は間違いないです。我々は救難信号をキャッチしカプセルを回収しました。我々が回収しなければ死んでいたでしょう」

「大統領専用機には一体何人乗っているのかね。また、性能についてもわかる範囲で教えてくれ」

「アルテミスの定員は五名、現在何人乗っているかは不明だ。全長八〇メートルで大気圏突入能力を有しステルス能力も高い。加速能力は宇宙護衛艦エラトステネスと同等かそれ以上、武装はミサイル発射口四門、パルスレーザー砲四門、電磁誘導砲は装備していない。航続能力は二ヶ月程度。一方残念ながら宇宙護衛艦エラトステネスは補給なしに一ヶ月以上航行することはできない」

 サーシャの説明に全員が聞き入った。

「そもそも、あなたはたった一人でどうするつもりだったの?」

 商工業委員長のレイラ・ファウが見下すような口調で口を挟んだ。

 つややかな長い黒髪と真っ赤なルージュが印象的な女性だった。

「装甲強化服でアルテミスのエアロックを破壊。内部に侵入して、アレンを捕獲または処刑するつもりだった。体調さえ万全なら直ちに実行するつもりだ」

 市長と六名の委員長は溜息をついた。

「よかったね実行できなくて。一歩間違えば大惨事だよ」

 参考人席でハオユーが大きな声でつぶやいた。

「そこ、私語は慎むように」

 環境・生活基盤委員長のセルゲイがハオユーをたしなめた。

「そもそも水や食料は供出する余裕があるのか?」

「強盗にやる食料はない」

 市長の問いに、ンガビ食料委員長はにべもなく答えた。

「賞味期限切れ間近の非常用食料があと二〇〇〇食ほどあります」

 ナグリ治安防災委員長が声を絞り出した。

「ああ、昨日、一人三食分配られた奴ね。あれ、おいしくないのよね」

 レイラ・ファウが納得したように言った。

「水については六トン供出しても直ちに生活に困ることはありませんが、正直、水はとても貴重なので脅迫に屈して供出したくはありません。酸素は金星の大気から光合成で得ることができますが水はいくらあっても十分ということはありません。余計な水があったらテラフォーミング用に金星の大気中にばらまきたいくらいです」

 セルゲイが水についての質問に答えた。

「脅迫に屈して要求に応えれば、相手は調子に乗って要求をエスカレートさせるに違いない」

 ンガビ食料委員長は強硬に主張した。ジェームズ市長は首を振った。

「サーシャ君、衛星軌道上の宇宙船は今後どうする予定かね?」

「私が降下するとき宇宙護衛艦エラトステネスに同乗していた革命組織のリーダーは、この浮遊都市ごとアレン元大統領を抹殺すべしと主張し艦長と言い争っていた」

「頭おかしいのか!」

「冗談はやめてくれ」

 委員たちに混じってハオユーも悪口雑言を並べていたが今回は注意されずにすんだ。

 市長は手を挙げて委員たちの発言を制した。

「その後、衛星軌道上の護衛艦から何か連絡は?」

「私の無事を確認する連絡はあったが、その後の指示はない」

 ジェームズ市長は深い溜息をついた。

「我々としては他国の政治紛争に巻き込まれてビーナスシティの住民を危険にさらすわけにはいかない。補給に応じる条件としてアレン元大統領には速やかに出て行ってもらうしかないと思うが諸君の意見はどうかね」

「助けを求める相手に救いの手を差し伸べなくてもいいのですか?」

 ファリダ・モハマド学術・教育委員長が亡命者に対する一般論を口にした。

「武力をもって脅迫するような奴らは保護の対象外だと思いますがね」

 セルゲイが今回の事案に即して回答した。

 ファリダも含め六名の委員長は皆うなづいた。

 うなづいた上でナグリ治安・防災委員長が口を開いた。

「市長の言うとおりではありますが問題はどうやって自発的に出て行ってもらうかです。補給を認めたからといっておとなしく出て行くとは限りません。また、残念ながら我々には強制的に彼らを排除する手段がありません」

 重苦しい沈黙が会議室に流れた。

 ある者は目を閉じて考え込み、ある者は周囲に視線をめぐらせた。

 参考人エリアの人間も皆押し黙っていた。

「あのう、発言してもよろしいでしょうか?」

 そんな沈黙を破ってユウジが恐る恐る手を挙げた。

「ユウジ、お前はただの参考人だ。黙っていろ」

 ユウジの父親であるナグリ治安・防災委員長は視線を向けることなく息子を制した。

 視線を向けなかったのは腹を立てたからではなく、単に腰が痛くて身体をひねることができなかったからだった。

「何かアイデアがあるなら聞こう、言ってみたまえ」

 ケンイチロウの発言をさえぎり、ジェームズ市長がユウジの発言を許可した。

「こんなプランはどうでしょう。月から補給をかねた援軍がまもなく到着し衛星軌道上の護衛艦と合流する、大気圏突入能力を有する艦艇も援軍には含まれているという情報を元大統領側に流すんです」

「そんな事実はない」

 ユウジの発言をサーシャは即座に否定した。

「その通りです。でも問題はそれを聞いた元大統領側がどういう反応を示すかです。取り囲まれ逃げ場がなくなる前に、ここから出ていくんではないでしょうか? それに援軍を派遣するのは当然の対策ですので早いか遅いかの違いで事実になることだと思いますが」

 委員たちはうなった。

 ユウジのプランに落とし穴はないか検討しているようだった。

 問題は嘘が見破られた場合だった。思いもかけない報復をされる恐れがあった。

 沈黙を破ったのはサーシャの携帯端末から発せられた電子メールの着信音だった。

 サーシャは携帯端末を覗き込んで驚きの表情を浮かべた。

「ユウジの発言は事実になった。数日のうちに護衛艦のほか、補給艦、強襲揚陸艦を含む援軍が到着する。君は聡いな」

 サーシャはストレッチャーの上でユウジに視線を向け微笑んだ。

 微笑むとサーシャはさらに美しくなった。ユウジは頬を赤く染めた。

「ビーナスシティからの退去を条件に要求を呑もう。月からの増援部隊が接近しているという情報も流す。それでどうかね」

「異議なし」

 市長の決断に委員全員が力強くうなづいた。

「では次の課題だ。アレン元大統領との交渉窓口と補給作業の責任者を決めたいと思う。まず、交渉窓口はナグリ治安・防災委員長にしたいと思うが異議はないか?」

「異議なし」

 市長の議事進行の手際は見事だった。

 ナグリ・ケンイチロウ本人も含み全員が賛同した。

「作業責任者は、グスタフ君、乗りかかった船だ君がやりたまえ」

「はあ?」

「作業員は好きに徴用して構わない。諸君、異議はあるかね?」

「異議なし」

 残念ながら腰を痛めて自由に動けないケンイチロウに現場指揮は任せられない。

 市長は強引に厄介ごとをグスタフ・エンゲルスに押し付けた。

「だと、ユウジ、ハオユーよろしくな」

 グスタフはそれをさらにユウジとハオユーに押し付けた。

「へっ?」

 ハオユーは目を丸くした。ユウジはあきらめたようにうなづいた。父親の分までがんばらなければいけないと思った。

「今回の事件の概要について市民には市長である私のほうから一斉配信メールで報告する。また、危険回避のため、今後関係者以外、空港への立ち入りは禁止する」

「ひとつお願いがある」

 サーシャが発言を求めた。

「いいから君は静養していたまえ。これにて閉会する」

 市長はサーシャの発言がきな臭いものであることを予測して彼女の発言を封じた。サーシャはムッとした表情を見せた。

 最高会議が終わった後、サーシャや各行政委員長たちを帰して、市長、ケンイチロウ、グスタフ、マリアーノ、ハオユー、ユウジの六人で実務的な打ち合わせが行われ、補給作業のスケジュールや人員配置などが決められた。

 最も重要なことは援軍が到着する前に補給作業を終え、元大統領に退去してもらうことだった。

 強襲揚陸艦と大統領専用機がビーナスシティの空港で戦闘を行うような事態になったらビーナスシティもただではすまない。

 幸いサーシャの情報によれば援軍の金星到着にはまだ四~五日かかるようなので二~三日でけりをつければ問題はないはずだった。

 水の搬入方法は相手と詰める必要があるとしても食糧六〇〇食分はユウジとハオユーの二人もいれば充分という結論に達した。

「私はビーナスシティの治安・防災委員長を務めるナグリ・ケンイチロウだ。ビーナスシティを代表して諸君らに回答を伝える」

 早速、その場で元大統領側にビーナスシティからの回答が伝えられた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ