第1話 朝礼
「では形だけでも面接をしようかの。」
穏やかな口調で俺に語りかける老人の容姿は何一つ変わってはいなかった。ただ一つ、顔全体を覆う奇怪なマスクを除いて。
「確かに形だけでもやっておくことが大切ですが…しかし、失礼ですが師匠、そのマスクは一体…」
育ての親として見て来た顔が見慣れないマスクで覆われているのは少し気になるものがあった。彼ならば誰にも気付かれずに妖術で顔を隠すことも出来るにも関わらず、そうしない理由も気になった。
「ああ、これかの。儂ならば化かすことも出来ようが、それではここに暮らす者達を裏切ることになると思うての。『家族』…じゃからの。かと言うて何も隠さんでおると怖がる輩もいるじゃろう。しからば原始的な手段をとるまでよ。」
ほっほっ、と笑いながら彼は答える。 なるほど、家族を怖がらせない且つ顔を隠せる方法が仮面というわけか。『家族』とは彼らしい言葉を使う。とても良い言葉だ。
「さてさて、質問は以上かの?では…といいたいところじゃが、訊くことがないわい。ほっほっ。」
本当に風のような方だ。この人にまともについて行っていた昔の自分を褒めてやりたい。
「そのまま送り出すのもなんじゃから、学園の説明だけでもしようかの。手紙で少しは伝えたが、この学園は傭兵を育成しておる。育成といっても、彼らの中には既に客をつけても良い域に達している者たちもおるがな。ここまではええかの?」
大体は把握できた。ここにいる生徒達の中にはもう生徒の域を超えた者までいるようだ。
「では続けるぞ。教員は生徒達をAからEのクラスに分けておる。もちろん、Aの方が力として上じゃぞ。クラスAにもなると先程も言ったように客をつけてもいい程じゃ。彼らは1つの団として責務…つまり傭兵業じゃな。これをやってもらっておる。担任、副担任を隊長副隊長とする小隊じゃの。そして、お前に見てもらうのは…クラスSじゃ。」
クラスS…傭兵として一人前のクラスがA…その上ということか。
「私のような若輩者にそのような大役が務まるでしょうか、師匠。私は…」
彼が挙げた右手に言葉を遮られる。
「心配は無用じゃ。この10年間、お主はどれだけこの世界で名を馳せてきた。並大抵の者にはできん。もう傭兵を知るものの中でお主の名を知らんものはおらん程ではないか?」
ほっほっ、と笑いながら彼は自慢げに話す。やはり弟子の名が聞こえてくると嬉しいものなのだろうか。
「早速明日には朝礼でお主の就任の挨拶じゃ。気を引き締めて臨んでおくれ。次は宿舎に案内しよう。自分の家があるならそこから出勤しても良いが…」
彼の元で修行していた時は住み込みで勉強させていただいていたが、今は放浪の身。家など持ったことはない。宿舎があるならば住まわせてもらいたいものだ。
その旨を伝えると彼は頷き、宿舎へと私を案内した。歩き続けた疲れが溜まっていたようだ。休息を取り、明日に備えることとしよう。
私の生徒達は一体どんな子達なのだろうか。そんなことを考えながら深い眠りへと落ちていった。
「今日は諸君らに紹介したい先生がおる。新しく赴任された先生じゃ。」
私は今、東日学園の朝礼というものに参列している。学園中の生徒達が1つの場所に集まると1つの軍隊のようだ。いや、寧ろ軍隊なのか。
「彼にはクラスSの副担任を任せる。では岩崎先生、一言お願いしたい。」
師匠、いや校長から紹介に預かり壇上に上がる。
「今、紹介に預かった岩崎哲也だ。まだまだ若輩者ではあるが、少しでも諸君らの活躍の糧となるよう精進する。よろしく。」
通り一遍の挨拶をしながら、自分が受け持つ生徒達の顔と体つき、傷などを確認する。私は師匠から医学をも学んでおり、見たものの特技や弱点、最たるものは使用する武器まで分かる。私の名前を聞いて嬉しそうに飛び跳ねている生徒達ならそこまで可能だ。残念ながら私が受け持つクラスSの生徒達は笑顔と目を輝かせる程度だったが…
挨拶を終え壇上から降りようとした時、師匠…いや校長の右手に遮られる。
「岩崎先生、どうもありがとう。聡明な諸君らならもう分かってはいるとは思うが、岩崎先生はこの世界で名を馳せた傭兵の1人だ。彼は自分の力でその名声と信用を勝ち取った。ならば、ここでもそうあるべきではないか?」
校長…何を考えているんだ?嫌な予感しかしないが、こういう予感というのは大抵当たるものだが…
「ということでクラスSの諸君。君達には岩崎先生が信頼に当たる先生かどうか確認する義務がある!であれば、やることは分かるな?では始めぃ!」
当たった。見事に悪い予感が的中した。まだ顔を見て数十分しか経っていない奴らと刃を交えないといけないのか。しかも彼らは相当な手練れであると思われる。
「大丈夫じゃ。お主なら軽く遇らえるであろう?」
きっと校長は仮面の下で悪い顔をしているのだろう。というより仮面が笑顔になっているからその通りなのだろう。どういう仕組みだ。
「先生、考え事ですか?」
背後から甘い声が聞こえる。暗殺系の子か。気配を感じさせないその身のこなしは天晴と言うしかない。もう「信頼確認」は始まっているのかと心の中で独り言ちて答える。
「まぁなぁ…君みたいな愛らしい女の子に殺されるのならば本望かなって。えーっと…」
「まぁ嬉しい!アイカですわ!私の名前はアイカ!けど先生、そんなこと微塵も思ってないですわね?」
彼女の腕から私の首の右側へと鋭い一撃が放たれる…いや左か。首を捻って攻撃を躱し、彼女の腹部へと蹴りを入れ、沈める。
「なんという腕だ…もう化け物級だぞ。」
とても一般兵には太刀打ちできんレベルだろう…
「そんな化け物を軽々しく沈める先生は神話生物が何かですか?」
壇下から声をかけられる。神話生物とはまた面白い返しをする子もいたものだ。
「そんなとこだ。龍にでもなれるぞ。」
無理だ。なれない。そんなことができるのは師匠ぐらいだ。しかしジョークにはジョークで返してやるのがウィットに富んだ大人というものだ。
「君らの腕は壇上から確認済みなんだよ。だから遠慮なくかかってこい。私が君らの信頼に足る教師だと証明して見せよう。」
「なんと!やはり岩崎先生は噂通りの方ですね!では胸をお借りするつもり…でッッ!」
斬撃。1つではない。瞬時に3つ4つ…これだけの斬撃を一瞬で生み出せるのは過去の日本の文献や創作物でみた、物干し竿と揶揄される長刀を持つ武士か惑星を落とせるソルジャーしかしらない。彼らはファンタジーの世界の住人で…つまり絶対ではないが現実では不可能に近い。となると…
「複数人の攻撃か。大事だ。数の暴力は戦場では正義と化す。そのチームワーク大切にな。」
そう教えながら彼らの攻撃をこちらの刀で、はたき落とし気を失わせる。よく見ると全員よく似た顔…3つ子か何かか?深入りするのはやめておくか。
「これまでは定石通りの戦い方をしているな。偵察の後、突撃で場を錯乱しその後突入…ってな流れかな。しかし非常に精度が高い。賞賛に値する。」
一応教師らしい事もしておきたいので褒めておく。実際彼らの力は相当なものだ。これで団を結成しているのなら本当に国1つ簡単に落とせるだろう。
「となると後は突撃部隊だな。よし。力比べは大好きだ!さぁかかってこい!」
会場の奥の方から飛んでくる多くの矢を切り進みながら生徒達の群れへと突貫する…
「如何だったかの?我らがクラスSは?」
戦闘終了後、校長が俺に歩み寄る。
「素晴らしい者たちです。チームワークは勿論のこと、個々の力も非常に優秀でした。最初の1人しか名前を訊く余裕さえなかったほどです。」
率直な感想を述べる。本当に素晴らしい技術だった。久々に傷の痛みを思い知らされたほどだ。ただのかすり傷だがされどかすり傷だった。
「ほっほっ。お主は息も上がっとらんの。じゃが、お前にかすり傷をつけられるのは彼奴等しかおるまい。彼らは誇りに思うべきじゃの。しかしのぉ、お主が奴らを伸してしまったせいで授業ができん。お主の授業は明日からじゃな。今日は職員室で書類仕事をしてもらおうかの。なぁに、書類を捌くのも案外楽しいぞい。」
なんとまぁ…書類仕事とは…楽しい1日になりそうだ…
俺は職員室に半ば連行される形でついて行ったのだった。
「ああああ…結局ベッドに入れたの真夜中だよ…どんだけ書類あるんだっての。」
連行されて足を踏み入れた職員室の俺の机には山積みの書類が4束もあった。それは生徒達の評価書で、生徒達との戦闘で得た評価を書けとのことだった。しかし彼らの戦闘力が分かったと言えど、それを書き起こすというのは非常に難しい。
というわけで遅くに部屋にたどり着いた俺はまた簡単に眠りに落ちてしまい、翌朝にシャワーを浴びる羽目になったのだった。そんなさっぱりした朝に初めてのホームルームをできるのは少し幸運なのかもしれない。このクラスの担任教師であるエレナ=ハミルトンによって始められたホームルームは俺の再紹介にまで進められていた。
「それでは改めて。昨日手合わせした岩崎だ。いきなりで少々驚きはしたが、君達の持っている力、技術は大体分かった。本当に素晴らしいものだと思う。この傷は昨日君達につけられたものだが、久しく傷の痛みなど味わっていなかった。誇りに思うといい。」
どうやら「手合わせ」という言葉に教室が騒めき立っているらしい。彼らからすれば全力をぶつけたわけであるから仕方がないのかもしれない。少々言葉を誤ったか…と考えたがどうやらそうでもないらしい。全員とはいかないが笑顔で目を輝かせて隣の者と喋っている。笑顔でない生徒も俺に敵意は持っていないように見えるし、ただ真面目なだけなのかもしれない。
「静かに!」
エレナ教員の一喝で教室が静まりかえる。おお、素晴らしい統率力だ。統率力と言っていいのかわからんが。エレナ先生は腰まである長い黒髪を後ろ手に結んでいる、顔立ちの整った女性教員だ。ちなみに28歳独身らしい。綺麗な花には棘があると言うが、エレナ先生も当てはまるのだろうか。結婚できていないということは…いや、これ以上はやめておこう。傭兵という手前、結婚していないだけかもしれない。
「岩崎先生ありがとうございました。昨日の模擬戦でも先生の力は示され、君達の信頼は彼に多く注がれたことでしょう。しかし…」
しかし?と俺が首を傾げた瞬間、俺の首元にエレナ先生の長モノの切っ先が向けられる。
「私からの信頼はまだ得られていませんよ岩崎先生。宣戦布告です。」
とんでもないことを担任の先生から突きつけられたのだった。