煙々羅の過去噺
俺は煙の妖怪らしい。
気付いたら妖怪になっていて
お香の匂いと線香の匂いが大好きだ。
ところで吉原というのをご存知だろうか?
昔はそれはそれは独身の男が集ってきた場所だ。
吉原遊郭に俺はよく顔を出していた。
あの頃はまだ見える者も少数派であるがいたのだが
少しだけ仲良くなった女の子がいたのである。
花魁道中を煙管の煙に混ざって見ていたとき。
傘持ちの男の隣に立つ花魁、館の御職。
その禿として働いていた、娘の源氏名は「小梅」と言った。
小梅は実家が商人の家系らしく
女癖の悪い父親が買った遊女が小梅を孕んだという。
しかしまだその遊女で遊び足りなかった父は小梅を殺めようと企んだ。
それを知った母である存在が、吉原遊郭で遊女になることを逃げ道として示したという。
まだ幼い小梅に遊女の仕事内容は厳しく、まだ見習いだ。
事前に学ばせられる先輩遊女のあられもない姿を見ては吐き気を抑えていた。
気持ち悪くて気持ち悪くて、それを自分もやるのかと思うと怖くて堪らない。
そう言って俺に泣きついてきた。けれど俺には実体がない。
わざわざ、お香を買って俺を呼ぶのだ。この子は。
禿時代に与えられる小銭では一番安いものしか買えない。
当然、俺もあまり好きじゃない雑多なものがいっぱい混ざったお香だった。
でも呼ばれてると思うと、来てしまうのだから仕方ない。
この匂いは、今の時代では嗅ぐことはない。
あの時代、お香が最も流行していた頃にこそ売られた安物の粗雑な品。
それが、今思うとたまらなく恋しくなる。
小梅は、禿として成長して立派な遊女になった。
夜な夜な俺を呼んで泣きつくこともなくなり、別の男に縋った。
そして間男ができて、夜逃げをしようとした小梅を俺は止めようとして声を荒げた。
ダメだ、殺されるぞ。
遊女が吉原から出たらどうなるか、知っているだろう。
小梅の前で煙の姿で俺はらしくないぐらい必死になって声をかけた。
少しは耳を傾けてくれると思った。
久し振りの再会で足止めぐらいは出来ると思っていた。
――――しかし小梅の双眸に俺は映っていなかった。
小梅は、妖怪を見ることができなくなっていた。
大人に、なってしまっていた。
*
それから小梅は静かに消えていった。
名前と一緒に存在までもが、煙のように消えていった。
まるで、最初から存在しなかったかのように。
俺は、人はいずれ俺らを見られなくなることを知った。
俺も、また、大人な妖怪になった日のことだった。
――――「煙々羅の過去噺」Fin.