八
蒼月の二振りの刀が円を描くように舞い、その優雅さとは裏腹に〈恩讐の悪狼〉へ苛烈な連撃を加えていく。
先の戦いによって幾つか潰れていた大量の目玉が、更に量を減らしていった。太い喉から苦悶の声が漏れ、鋭い爪が蒼月に襲いかかるが、彼はそれを回避し、時に受け流していく。
遅れて駆け付けた月華とセバスは、〈恩讐の悪狼〉の背後に回り込んだ。
セバスの〈ドラゴンテイルスウィング〉が〈恩讐の悪狼〉の脚を払い、その体勢を崩す。飲み物系アイテムを消費して自身を僅かだが強化する特技、〈ドランクモンキー〉で幾重にも上乗せされた威力は、〈悪狼〉を吹き飛ばしはできないものの、大きな身体を傾がせることに成功した。
そこに畳みかけるべく、月華は双刀を振るう。崩れた脚を狙った〈ブラッディピアッシング〉は、〈恩讐の悪狼〉に体勢を直す隙を与えない。
「〈エナジーフラクション〉! 〈サーペントボルト〉!」
そうして初手から動きを封じられた〈恩讐の悪狼〉に、リーゼのふたつの魔法がかけられた。
〈エナジーフラクション〉は相手の弱点属性に応じて攻撃魔法の属性を変える特技、〈サーペントボルト〉は束になった雷を打ち出す特技である。後者は本来見た目通り雷属性の魔法なのだが、先にかけた〈エナジーフラクション〉の影響で属性は変化した。
「弱点判明。そいつは氷に弱いぞ!」
ホムラがそう声を張り上げながら印を結んだ。その印をリーゼに向けると、一瞬青白い光がリーゼから漏れだし、すぐさまかき消える。ヘイト減少の魔法、〈物忌み〉だった。
その隣でリリアが〈剣速のエチュード〉を奏でる。その効果を受けた蒼月の再びの斬撃に、〈恩讐の悪狼〉の身体が揺らいだ。
だが、その程度で悪狼は倒れない。そうでなければ先の時点で倒されている。
〈恩讐の悪狼〉は咆哮を上げた。ただの威嚇ではない。はっきりとしたバッドステータスを伴った一撃だった。
「ぐ、うぅっ」
月華達前衛が身体を硬直させた。筋肉が脳の命令を拒絶し、骨がぎしぎしと音を立ててきしむ。
これが、先の戦いの時に戦列を崩壊寸前まで追い詰めた特技だった。
〈瘴気の咆哮〉というこの技は、咆哮自体が物理的なダメージを持っているが、何より強力なのが発動前の特技を強制キャンセルさせ、五秒間スタン状態にするという効果である。
その範囲は広く、後衛であるホムラ達にも効果を及ぼす。更に事前にバッドステータスを軽減、無効化するアイテムや装備品、特技を使用したにも関わらず、全員がスタンになったことからこの効果は百パーセント発揮されるようだ。障壁さえもこの効果はすり抜けるらしく、蒼月もダメージは無くとも硬直状態に陥った。
五秒。それは戦闘においては致命的な時間である。
動きを可能な限り鈍らせられた〈恩讐の悪狼〉だが、動けないわけではない。逆に動けなくなった月華とセバスを振り払うように爪で薙ぎ倒すと、蒼月に牙を突き立てようとした。
〈障壁〉に阻まれたことにも意に介さず、何度も噛み砕こうとする〈悪狼〉に、蒼月はスタンが解除された瞬間刀を振るう。
顔に付いた目玉のひとつを潰すと、〈恩讐の悪狼〉は低い絶叫を上げながら飛び退いた。
その間に月華とセバスもスタンが解除されたため、体勢を整える。後方ではリリアが〈シフティングタクト〉で蒼月の再使用時間を短縮させる。〈瘴気の咆哮〉でキャンセルされた特技は、システム上は使用済みとなるため、次に使うのに時間がかかってしまうのだ。そのため、直前に行おうとしていた戦略を練り直さなければならない。
ホムラは腰の刀を抜き、自身も前に出た。
「〈鈴音の障壁〉っと」
「ありがとう」
ホムラは鈴の音と共に蒼月の障壁の耐久度を増加させた。
礼を言った蒼月の後方に立ち、ホムラは言う。
「前には出たけど、あくまで支援だけだかんな。そこんとこよろしく!」
「知ってる──よ!」
蒼月は振り下ろされた〈恩讐の悪狼〉の爪をさばき、逆に斬り付けた。後退する〈悪狼〉を追いかけ、更に刀を振るう。
それに紛れるように、月華が背後から斬り込む。
「〈デュアルベット〉!」
双刀から放たれた二連撃は、〈悪狼〉を二度揺るがす。そこから更にセバスが滑り込むような動きで〈悪狼〉の懐に潜り込んだ。
「〈タイガーエコーフィスト〉!」
放たれた拳から伝わった振動が、波紋状のエフェクトとして〈悪狼〉の全身に伝わる。〈悪狼〉は気に止めずに蒼月へ噛みつこうとするが、障壁にはばまれ、あるいは蒼月自身に回避され、うまくダメージを与えられない。
その間に、エフェクトはダメージとして〈悪狼〉の身体を震わせた。
"ぐるおおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!?"
思わぬダメージだったそれに、〈悪狼〉はのたうつ。そこから更に、ホムラが刀を振るった。
「〈白蛇の凶祓い〉!」
刀が直撃した瞬間、ホムラに障壁が付与された。攻撃と同時に防御の術をかけられる、前線に立つ〈神祇官〉の技である。〈恩讐の悪狼〉のもとより蓄積していたダメージが、それによって四割を切ったとホムラは確信した。
──まだいけるか? それとも、そろそろ来るか?
ホムラは〈悪狼〉を見上げて内心呟く。
クエストボスの大抵がそうだが、一定以上ダメージを受けると、ステータスが上がったり特殊な特技を使うものがいる。〈恩讐の悪狼〉もそのうちの一体ではないかと考えたのだ。
こちらのHPも相応に減っているが、ほぼ問題無い。ある程度の攻撃には耐えられる。ヘイトも蒼月に集中しているし、障壁ももう少し耐えられる。壊れても張り直す準備は万端だ。
ホムラは油断はしていなかった。ただ、心には余裕があった。全員〈D.D.D〉という見知った、実力を保証されたメンバー。ホムラでなくとも安心するだろう。
だが直後、その余裕は消し飛ぶことになる。
"ぐるおおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉ"
大気を震わすおぞましい咆哮。再びの〈瘴気の咆哮〉に、全員の動きが止まる。再び激しい攻撃が始まるかと思いきや、〈恩讐の悪狼〉は、予想外の行動を起こした。それこそが、ホムラが警戒していた特殊な攻撃だったのである。
もっとも、それそのものは攻撃ではなかったが。
──なんだ、あれ……
ホムラを含め、その場にいた全員が絶句した。
全身に存在する〈恩讐の悪狼〉の目玉。それが三つ落ちたと思うと、膨張し始めたのである。
白目部分が盛り上がり、そこから獣毛が生えてくる。膨張は次第に四肢の形を取り、目玉の周囲は狼の頭に変化した。瞬く間に、目玉は三匹の一つ目の狼へと変化したのである。
先に上げた咆哮以上の恐ろしい変化に、バッドステータス以外の意味でも動けない。だが、その一つ目狼達の本当の恐ろしさはその後だった。
一つ目狼──〈瘴魂狼〉というタグを持つそれらは、〈恩讐の悪狼〉に対峙し、かつもっともヘイトを集めていたはずの蒼月を無視して、もっとも後方の、かつヘイトを集めていないはずのリーゼに迫ったのである。
「なっ……!?」
リーゼは身を強張らせるが、それ以上動けない。未だ麻痺のただなかにいる彼女では、〈瘴魂狼〉の牙や爪を逃れる術は無かった。
リーゼの華奢な身体に鋭い牙が食い込み、爪が白い肌を斬り裂く。障壁を張られていない彼女は、それらを防ぐ手立ては無かった。
「っの」
ホムラは無理矢理身体を動かそうとした。だがバッドステータスは気合いで解除できるものではない。それでも、脳内で使うべき術式を組み立てる。
身体が動くようになった瞬間、ホムラは魔法を解き放った。
「〈勾玉の神呪〉!」
炎のような赤い勾玉が一体の〈瘴魂狼〉の足元に浮かび上がり、その身体を覆うようにダメージを与える。だが、そうして足止めできるのは一体だけだ。内一体にリリアは槍を振るうが、それでも最後の一体が残る。
「〈雲雀の凶祓い〉!」
その一体へ、ホムラは刀を振るった。更に返す刀でその首を斬り飛ばす。
「な、何でヘイトが低いはずの私に……!」
リーゼは痛みをこらえて顔を歪めた。彼女に回復魔法をかけながら、解らない、とホムラは呟く。だが、仮説が無いわけではない。
「こいつら、ヘイトが低い相手を優先して攻撃するんだ。〈恩讐の悪狼〉とは逆に!」
「じゃ、じゃあ、ヘイトを上げれば攻撃、されない……!?」
リリアは〈瘴魂狼〉を柄で殴り飛ばした。地面を転がった〈瘴魂狼〉はすぐさま体勢を立て直し、向かってくる。
間に身体をねじ込んだホムラは、その突進を刀で受け止めた。
「それを親の方が許してくれるんならな」
〈瘴魂狼〉の奥では、〈恩讐の悪狼〉が蒼月、月華、セバスを相手に猛威を振るっているところだった。
後衛三人の支援を受けられないため、三人は一転して苦戦を強いられている。〈恩讐の悪狼〉自体はヘイトが一番集まっている蒼月を集中的に狙っており、リーゼを含めた後衛に来る様子は無い。
逆に言えば、リーゼ達のヘイトが上がれば〈恩讐の悪狼〉はこちらに向かってくることになる。その上〈瘴魂狼〉はまだ三体残っている。首を斬り飛ばされた一体も、首はそのままに徐々に距離を詰めていた。
状況と相手の特性を分析し、ホムラは声を張り上げる。
「リーゼちゃん、俺に〈エナジーウェポン〉頼む! リリアは俺が特技を使った後〈カーテンドロップス〉っ」
ホムラは言いながら刀を構え直した。そこにリーゼの〈エナジーウェポン〉がかかり、その直後に特技を発動させる。
〈エナジーウェポン〉が上乗せされた〈犬神の凶祓い〉による強烈な斬撃が、頭の無い〈瘴魂狼〉のHPを一気に減少させる。その直後にリリアの〈カーテンドロップス〉によって高まったヘイトは大幅に減った。
ヘイトの減ったホムラに〈瘴魂狼〉の二体が群がるが、すぐさま〈露払い〉による行動阻害で近付くことはできない。
「ホムラ!」
月華が大声を上げるが、ホムラは大丈夫だっ、と張り上げ返した。
月華とセバスのHPはかろうじて半分残っている状態で、蒼月にかけられた障壁はすでに消え去っている。回復する余裕もかけ直す暇も無かったのだ。
「蒼月達はそっちに集中してろ。すぐにフォローすっから!」
「っ……。頼むよ!」
月華は一瞬顔を歪め、〈恩讐の悪狼〉に集中する。
ホムラもまた、月華達を助けるために目の前の三体に向き直った。