七
トライファングに降り立った〈D.D.D〉のメンバーを見て、月華は目を瞬いた。
蒼月率いる一行の中に、リーゼの姿があったからだ。
「リーゼ? 何で貴女が」
「我が主の指示ですわ」
リーゼは髪を後ろに払いながら難しい顔をした。月華もつられて顔をしかめる。
「……隊長がそれだけの事態って判断したってことか」
「月華さん達もそうお考えなんでしょう? 我が主が直接いらっしゃらないのは、その立場と、蒼月さんの顔を立てただけです」
「壁役として、少しプレッシャーがかかってきたよ」
戻ってきた蒼月は肩をすくめた。
それはそうだろう。リーゼの言葉は、クラスティの代わりをしろと言われてるも同然なのだ。〈D.D.D〉内だけでなく、日本サーバー内でもトップクラスの戦士職プレイヤー、日本最大の戦闘ギルドのマスターの代役など、荷が重く感じるに決まっている。
もっとも、肩をすくめるだけにとどめる辺り、蒼月は相当図太い。
苦笑を浮かべた月華だが、すぐに表情を引き締めて一行を見回した。
現れたのは蒼月とリーゼだけではない。ふたりを除くと、あと十八人。パーティー単位で言えば月華達含めて四組いる計算になる。人数だけで言えばフルレイドに挑める人員だ。
「確かに応援は嬉しいけど、こんなにいる? トライファングを守るにしても、一組で充分なんじゃ」
「いや、これはトライファングを守るためじゃなくて、狼達を殲滅するための人員だ」
蒼月は首を振った。
「リリアから連絡があってな、今回の狼達に関して有力な情報が手に入った」
リリアは街の住民の避難を行っていたはずだが、その間に何かあったのだろうか。
「トライファングに伝わる伝承のひとつに、今回のことに類似するものがあったんだ。記述が埋もれてたせいで、今日になるまで住民も知らなかったらしいが」
蒼月が言うには、その伝承というのは悪しき狼の話だという。身体中に狼の目玉があり、その牙と爪には相手の自由を奪う毒がある。狼に自身の能力を分け与え、またその数で自身の力を増幅する。狼が喰らったものは、そのまま悪しき狼の力になる──あまりにも現状に沿う伝承に、月華は目を見開いた。
「それ……」
「どういったトリガーか、クエストが発動してるんだ。〈ノウアスフィアの開墾〉のだろう」
蒼月は腕を組んだ。
「トライファングのクエストは幾つかあるが、今回のようなのは初めて聞くからな」
「なるほど……まだ異常事態じゃないだけまし、かな。例の狼も、戦った限りでは強いけど、レイドボスって感じじゃなかったし」
「ああ。ただ、レベルはかなり高い。戦線が維持できてなかったことを考慮しても、パーティランク八十以上はあると見ていいだろう」
「八十……」
ゲーム時代であれば、九十レベル〈冒険者〉にとって脅威となる数字ではなかった。練度が充分であれば、問題無く対処できる。
だが現実化した戦闘では、数字上は格下でも油断はできない。ゲーム時代のような戦いはもうできないし、〈冒険者〉の肉体を十全に扱える人間はまだ少ない。それは月華達も例外ではないのだ。
勿論〈大災害〉当初より動けるし、八十レベルに全く対応できないわけではない。だがほとんど未知の八十レベル以上のエネミーに対抗できるかどうかは、難しいところである。
「というわけで、勝手ながら蒼月さんと月華さんのパーティーも再編させていただきました」
リーゼは言った。
「まず、リュートさんとなゆたさんは抜けていただきます。理由は、言うまでもないと思いますが」
「……そうだな」
「そして、代わりに私とセバスさんが入ります」
「セバスさんも来てたんだ」
月華は辺りを見渡した。なるほど確かに、あっちで指示を出しているのは、見慣れたスーツである。と思ったら、全速力で突撃してきた。
「全俺会議の評決により! 助太刀に! 来た!!」
そのまま抱き付こうとしたセバスを、月華は反射的に脚で迎えた。
見事な回し蹴りは、綺麗に側頭部に入る。
やれやれと首を振る蒼月とリーゼの視線の先で、セバスがもんどり打って近くの柵に激突した。
───
「酷い……全俺会議で審議にかけられるレベル……」
「変態が変態行為しようとしてきたら、身を守るのは普通じゃねぇっすか」
しくしく泣き崩れるセバスをばっさり切り捨てたホムラは、追い討ちとばかりにその背中をげしげしと蹴った。右手が刀にかかっているのは、きっと気のせいだろう。
「……そういうわけなので、リュートさんはなゆたちゃんのフォローをお願いします」
「解った。いざという時は駆け付けるから、いつでも念話してくれ」
蒼月の言葉に頷くリュートの顔は、疲れきっていた。
☆なゆた☆の方は宿屋に引きこもったきり、出てこない。扉は鍵を閉められており、外から声をかけても念話をしても答えないらしい。気配がするからいなくなったわけではなく、異変が起きているわけでもないようだ。もっとも、外を狼がうろついている以上、空を飛ぶ手段が無い☆なゆた☆が安全に戻るためには死に戻りしか無いのだが、それも無さそうだ。
「すまないな、娘が迷惑かけて」
「……追い討ちをかけるようで心苦しいんですが、ああなる前に何とかできなかったんですか」
「そうだな……どう言っても言い訳にしかならないが、あの娘は思い込みが激しい上に承認欲求が強くてね。昔からそれで友達と喧嘩することが多かったんだが……それでも、ここまでのトラブルは無かったんだ。だが、〈冒険者〉という超人になって、何かが弾けてしまったんだと思う。どうもこっちに来てから、言動がおかしくなってしまったし、周りがどれだけ注意しても直らなかった」
「……ようは主人公願望をこじらせちまったんだろ」
ホムラがセバスを蹴るのをやめて向き直った。
「似たような奴、見たことあるよ。そいつはあそこまでじゃなかったし、ちょっと家で問題があっただけで、カウンセリングとかその問題を解決させるとかで普通に戻ったけどさ……あいつはどっちも無理だろ」
ホムラの声には、常には無い苦々しさがあった。
〈大災害〉があってこっち、多くのことが〈冒険者〉となった人々に起きただろう。☆なゆた☆のようにゲームと現実を混同したような言動の人間はミナミでも見たし、様々な要因が元でトラウマになってしまった者もいるだろう。
その心の傷や病を治す医者は、この世界にはいない。
身体の傷はポーションや魔法で治せるが、心はそんなものでは癒せない。支えてくれる誰かや、心から楽しいと思えることで楽にすることはできるし、時間がたてば自然と治癒することもあるだろうが、根深く張ってしまったものはそれだけでは取り除けないのである。
〈大災害〉を経て、環境をよりよくするためにアキバには〈円卓会議〉ができた。それによって救われた者は大勢いるだろう。
だが、それでも救いきれないものがあるのだ。
「ここでそれを非難してもしょうがないだろ」
誰もが黙り込む中、よっこいせ、とセバスは立ち上がり、肩をすくめた。
「それより、指示を頼むぜ、リーゼちゃん!」
「わ、解ってますっ」
何とも言えない顔で黙り込んでいたリーゼは、慌てて顔を上げた。
「編成はすでに済んでおります。第二から第四組は狼殲滅、蒼月さん達第一班には私とセバスさんが加わり、〈恩讐の悪狼〉の討伐パーティーとします。リュートさんはここで見張りをお願いします。異変があったら連絡してください」
「了解。パーティーの指示はどうする?」
「ホムラさんにお願いします。私は、いざという時は連絡を受け付けねばなりませんし、そこまで余裕があるわけではありませんわ」
「おっけー、任せろ」
リーゼに指名されて、ホムラは片手を上げた。
「出発は三十分後。その間に月華さん達は装備を見直してくたさい。また、第二班はそれまで街の入口で警戒を。〈復讐狼〉達の姿が見えるようなら時間を切り上げて行動しましょう」
リーゼは全員を見回した。
「最優先事項は、この街の被害を最小限に抑えること。無理は禁物ですので、消耗が激しければ一旦街に戻ってください。〈D.D.D〉から第二陣が来る予定となっておりますので。もし手が空くようならほかの班の手助けをするように。最終目標は〈恩讐の悪狼〉の撃破。これは決定事項です。よろしいですわね?」
『おう!』
〈冒険者〉達の声が力強さを持って響き渡った。
そこには、先ほどまでの憂いは一切無い。ただなすべきことを目指す戦士の姿があった。
───
トライファングの近くにある森で、戦いの火蓋が落とされた。
辺りで武器を振るう音や魔法による爆発音、狼の咆哮などが響き渡る。合間合間に〈冒険者〉達の連携の声が上がっていた。
その隙間を縫うように、月華達は走る。
月華自身が斥候となって見付けた、森の奥の朽ちた社。ゲーム時代ではいにしえの時代を演出するためのオブジェでしかなかったそれが、今は悪狼達の根城になっていた。
そこを目指してひたすら脚を動かせば、やがて巨大な影が姿を現す。
通常の狼より何倍もある巨躯、怪しく輝く金色の目、全身を覆う無数の目。それは月華達が戦った〈恩讐の悪狼〉に間違いなかった。
先の戦いの傷は癒えていないが、その分放つ威圧はより強くなっており、吐き出す息は瘴気をまとっている。漂う血の臭いは、はたして狼のものかあるいは別の生き物のものか。
それを睨み付けながら、月華は先ほどのホムラの言葉を思い返した。
──主人公願望か。
ゲーム時代、プレイヤーは全員ゲームの主人公だった。
ゲームとはそういうものだ。プレイヤーが主人公として、物語を進めていく。大勢のプレイヤーがいるMMOだって例外ではない。
だが、ゲームによく似たこの現実に、主人公はいない。〈冒険者〉は自身の冒険の主人公ではあっても、世界の主人公ではない。超人的な力を持っただけの、ただの一個人だ。
世界を救うことも、変えることもできない。そんな力を持つ者もいるかもしれないが、そんな人間は〈冒険者〉じゃなくても世界を相手に立ち向かっていけるだろう。
例えばクラスティのような。あるいは〈記録の地平線〉のシロエのような。あるいはレイネシア姫のような。
月華は違う。違うと思う。そんな大それた者にはなれないし、なりたいと思わない。
だが、そんな脇役でもひとつの街を救うぐらいはできる。そのための〈冒険者〉だし、そのための力だ。
☆なゆた☆もそれに気が付ければ、変わることができるだろうか。
そんな疑問を振り払い、月華は先頭を走る蒼月の背を追いかけた。
蒼月にホムラの〈禊ぎの障壁〉とリリアの〈舞い踊るパヴァーヌ〉がかかると同時に、蒼月は二振りの刀を振るう。それが月華達の、戦いの合図だった。