六
ここなら主人公になれると思っていた。
☆なゆた☆というユーザーネームは、本名から取ったものだ。藤原那由多。それが彼女の名前だった。
ネットゲームは〈エルダー・テイル〉以外はやったことがない。ただ、テレビゲームぐらいなら何度か経験がある。
その全てが名前変更ありのゲームで、その全てで主人公の名前を自身の名前にした。
主人公願望。彼女がゲームをやる理由は、名付けるならそう表されるものであろう。
彼女は平凡な日常に飽き飽きしていた。両親も友達も大好きではあったが、当たり前過ぎる彼らに内心失望していたのも事実だった。
自分はもっと凄いのに、誰も気付いてくれない。こんなに頑張っているのに、誰も認めてくれない。
そんな不満が、彼女をゲームに逃避させた。
ゲームの中では、誰もが認めてくれる。正しく評価してくれてる。
頑張ってレベルを上げれば、どんな強敵にだって勝てるし、それが正義なのだとみんなが理解してくれる。
ゲームの中の人々は賢明だ──彼女は嬉しく思うと同時に、哀しくもなった。
──どうして現実の人達はゲームの人達みたいに私をちゃんと見てくれないんだろう。
そんな鬱々とした気持ちを抱えていたある日、父が〈エルダー・テイル〉というオンラインゲームのユーザーであることを知った。
平凡だったはずの父がなぜだか身近に感じて、彼女は嬉しくなった。そして父にねだり、自身も〈エルダー・テイル〉に飛び込んだのである。
〈エルダー・テイル〉の中の彼女──☆なゆた☆は明るく可愛いみんなの人気者。やること全てが正しく、強いためにみんながついていく──そんな風に思いながらプレイしていた。
──実際は違った。実態はかけ離れていた。
レベルは上限の九十まで上げていたものの、装備は見た目優先で高レベルのクエストに行くには何もかも足りなかった。
プレイ技能も全く身に付いていなかった。彼女のプレイヤーとしての実力は初心者に毛がはえた程度だった。
人気者なんてとんでもない。彼女の空気を読まない言動はたびたび問題となった。父のリュートが取りなさなければ、彼女は致命的なことをやらかしていただろう。
結局のところ、彼女は初めから現実が見えてなかったのだ。
ゲーム時代から、自分と同じ〈冒険者〉が実在する人間であると実感できていなかった。
今も、まだ。
───
結果だけ言えば、惨敗だった。
突如現れた巨大で不気味な狼のような何か。月華達は、それに対して必死で戦った。
最終的に追い返すことに成功した。一定以上HPを減らすと撤退する習性があったのか、戦闘の末に自ら森の中へ帰っていったのである。
だが仲間の被害は甚大だった。
誰も彼も未知のエネミーとの戦闘でHPもMPも半分以上削られ、武具もぼろぼろになってしまった。おまけにバッドステータスも幾つも付いていて、早急に治療と修復をしなければ次に相手をした時、今度こそ全滅するだろう。
特に酷いのは蒼月だった。
パーティーの壁役として攻撃を受け止め続けた蒼月は、戦闘が終わった時にはHPが一割以下になっており、MPも底を尽きかけてていた。しかし彼の活躍がなければ、月華達の状態はもっと酷いものになっていたはずである。この場で全滅もありえたはずだ。
逆に、ほとんど無傷な人間がいた。
「……これで解っただろう」
リュートはずっと後方でうずくまっていた娘に向けて呻いた。
「ここはゲームの中かもしれないが、これはゲームじゃない。現実なんだ」
「そ、そんなわけない!」
☆なゆた☆は座り込んだまま、震えながら否定した。顔には貼り付いた笑みがあり、月華達は冷たい眼差しをその顔に向ける。
「だって、死んでも生き返るじゃない。さっきのだって、結局ただのデータでしょ? なのに何でそんな必死に戦うわけ? 意味解んない!」
「意味解んねーのはそっちだろ」
ホムラはかすれ声で言った。すでにMPが尽きかけているため、その顔は青白い。
「これがゲームだって言うんなら、さっきの奴に何で狼達の時みたいに特攻しないんだよ。真っ先に逃げたくせに、それぐらいやれよ」
「だって気持ち悪いじゃない。私ホラーゲーム苦手なの!」
「はっ……まじサイテー。リュートさん、ほんとにあれあんたの娘? 人としてナイわ。俺あーゆー女、生理的に無理」
「ひ、酷い……何でそんなこと言うの?」
「酷い? そりゃおまえの頭ん中だろうがよ」
ホムラがここまで言うのは珍しかった。顔にはいつもの笑みが戻っているが、目は全く笑っていない。嘲りを含んだ瞳は、名前に反して冷えきっていた。
「何で……ホムラ君、私のこと好きじゃないの? だからこんな酷いこと言うの? 私何もしてないのに」
「……もーやだ、こいつ。俺もう会話しねー」
ホムラはとうとう会話を放棄してしまった。そんな彼の様子に内心同意しつつ、月華は髪をかき上げた。
「とにかく、町に戻ろう。HPMPもそうだけど、装備や道具もまずい。もう一度〈D.D.D〉に連絡して、応援を呼んでもらった方がいい」
「ぱ、パーティーの、メンバー?」
「も、あるけど、装備を修復しないと次の対応ができない。布装備はともかく、金属鎧や武器の手入れはこのメンバーじゃできないからな。どの道素材が無い」
「たし、かに……特に蒼月さん、今のままでまたあの狼が来たら……」
リリアは震え上がった。次こそ全滅するかもしれない、その可能性におののいたのだろう。
「念話は私がするから、リリアは全員の装備と道具を確認して。できればそれを表にして解りやすくしてほしい。〈筆写師〉じゃなくてもそれぐらいはできたよね」
「う、うん、問題、ないよ!」
リリアは町へ歩きながら自分の装備と鞄を確認し始めた。ほかの面々も自分の状態を確認しながらそれに続く。
ただひとり、☆なゆた☆だけが座り込んだまま、背を向けるパーティーを呆然とした表情で眺めていた。
───
ギルドへの連絡を終えてから、月華達はあわただしく動き回っていた。
まず月華は町の周囲の確認へ向かった。幸い狼は全て引いていたものの、どこかに潜んでいたり、柵の綻びから侵入する可能性があるために怠るわけにはいかない。それで一番機動力のある月華が向かうことになった。
蒼月は一旦アキバに戻った。〈D.D.D〉に連絡した際、直接報告と必要物資を取りに来てほしいと連絡があったのだ。戻る際に装備を修復できる〈冒険者〉を連れてくるとのことである。予定では一時間で戻ってくるつもりらしい。
リリアは町の住民達の避難のために動いていた。向いていないと思いきや、意外にもてきぱきと手はずを整え、つっかえながらも言葉を尽くして住民を守ろうとしているようである。リュートは彼女のサポートに回り、リリアが対応できない対応をしている。
ホムラはひとり、宿屋でMP回復に努めていた。次の戦いの時、〈神祇官〉であるホムラがMP不足で回復やダメージ遮断を使えなければ今度こそ全滅の憂き目に合う。なら少しでも多くMPを回復させておかなければならない。それに〈D.D.D〉からの連絡を受ける役目も担っているため、ほかのことに忙殺されるわけにはいかなかった。
だがホムラの性格上、何もしないというのは退屈この上無い。
なのでサブ職業〈裁縫師〉で前々から作っていたものを縫い始めた。
ある程度進めたところで、部屋に誰かが入ってきた。
「や、ホムラ。何してるの?」
やってきたのは月華だった。ホムラに近付き、手元を覗き込む。
「やっほ。これ作ってんの」
ホムラは見えやすいように布を広げてみせた。
「……着物? しかも手縫いって……え、ホムラ着物縫えるの!?」
月華は目を瞬いた。ホムラはこくりと頷く。
「話してなかったか。俺んち、呉服屋なんだ。着付けとか、着物の直しとかはある程度教えられてた」
「直し? 着物を縫えるわけじゃないのか」
「振り袖とかはさすがに縫えないよ。せいぜい浴衣レベル。でも、いつか縫ってはみたいかなー」
「そっか……じゃあこれは浴衣?」
「おう。練習用だけど」
練習? と首を傾げる月華に、ホムラは使った糸を見せた。
「これって確か……〈魔力糸〉?」
〈魔力糸〉とは低級の素材である。新人から中堅までの装備に幅広く使えるため、月華も見慣れたものだ。もっとも、高いレベルの装備を作れるわけではないため、高レベルのプレイヤーには馴染みが無いものだった。
「もしかして、新しい装備を作る練習?」
「おう。つっても今んところ、普通の浴衣しかできないけど」
「充分凄いと思う。私は生産系のサブじゃないから作れないしな……いいなあ」
「……もしうまくできたら」
ホムラは月華を見上げた。月華は首を傾げる。首を傾げると同時に耳がぴこぴこと動くのが可愛い。ちょくちょく口にしてるのに、いまいち伝わったことが無いが。
「月華にあげる」
「え? ……自分のためじゃ」
「俺のためだよ。俺のために月華にあげるの。お金取らないし、別の何かも要求しないからさ、受け取ってほしい」
「でも、それは……」
月華は視線をさ迷わせた。
月華の気持ちは何となく解る。月華はホムラの作ったものを受け取ることに躊躇しているのではない。ホムラが作ったものはホムラ自身のために使うべきだと考えているから戸惑っているのだ。
生産系のギルド所属ならともかく、戦闘系ギルドの所属するメンバーが生産スキルを使うのは、基本的に自分のためである。誰かのために何かを作るということは無いわけではないが、その間には報酬のやり取りや素材の調達などの条件がある。
だがホムラは報酬も素材ももらわず、全て自分が用意した上で月華にあげると言うのだ。月華が戸惑うのも無理は無いだろう。
「そんなに深く考えなくていいのに。プレゼントだよプレゼント」
「けどそのプレゼント、最終的に貴重な素材もりだくさんの代物になるだろ」
「うん」
「駄目だからな!」
「えー」
「えーじゃない。まったくもう……」
月華は頭を抱えた。どうやらそこに込められたホムラの気持ちは、正しく伝わってなかったらしい。
「……ま、諦めねぇけど」
ホムラは針仕事を再開して、ふと思い付いたことを口にした。
「そういえばなゆたの馬鹿はどうしたん?」
「馬鹿って……はあ」
月華はため息をついて答えた。
「リュートさんと一緒にいるよ。手伝わせるって名目だけど……あれは何もできないよ。ぼんやりと付いていってるだけ」
「勘違いに勘違い重ねてたからな。とんだお花畑だよ。世界で一番お姫様ってか? あー寒」
「……前から思ってたけど、ホムラってなゆたちゃんのこと嫌いなのか?」
「嫌い。大嫌い。お花畑思考で中身空っぽな奴なんてろくなのいないよ。俺、あんなタイプに追い回されててトラウマになったし」
「追い回されてって」
「中学の時の話だけどね。勘違い女に両思い認定されたあげく、外堀埋められかけた。まあそいつ自身が色々やらかしてたし、そもそも一度も話したことなかったから、誰も信じなかったけど」
「そ、そんな強烈なのがいたのか……」
月華の顔がひきつった。
「だから、嫌い。あいつらは世界の中心は自分だって本気で信じてるんだし。本当は関わりたくなかったんだけどなあ」
ホムラは視線を落とした。当時の嫌な気持ちがよみがえるが、即座にそれを振り払う。
「……月華も休んだら? やること終わったんだろ」
「そうさせてもらう。多分そろそろ兄さんも〈D.D.D〉の荷物と一緒に戻ってくるだろうから。じゃ、また後で」
月華は微笑んで部屋を出ていった。その姿を眺めて、ホムラはぽつりと呟く。
「あー……やっぱ好きだなあ」