五
連絡を受けた月華と☆なゆた☆が謎の狼達と対峙したのは、蒼月、リュートと出入口で合流してすぐだった。
道なりにまっすぐ走れば、すぐにホムラとリリアの背中を見付けることができた。どうやらホムラが前に出て、狼達を一手に引き受けているようだ。
月華は狼達のタグを確認して、眉をひそめた。
狼達のエネミー名は、確かに〈復讐狼〉になっている。トライファングは勿論、その他のエリアでも聞いたことの無い名前だった。
それだけなら、新パッチで追加された新エネミーと思っただろう。だがこの狼達は、確かにさっきまで普通の〈狼〉表記だったのだ。それがなぜ新しい名前に変わったのか、全く検討がつかなかった。
「ホムラ!」
蒼月が鋭い声を上げると、ホムラはおう、と大声を返した。
月華はほっとする。現状追い詰められているように見えるが、ホムラはいつも通りだ。見たところリリアも落ち着いているようだし、少なくともこの場を切り抜けることは可能だろう。
月華はほっとして、兄がヘイトを集めやすいよう、走る速度を緩めた。
その横を、走り抜ける影がひとつ。
蒼月ではない。チャイナドレスと着物をかけ合わせたようなクロスアーマーは、☆なゆた☆のものだ。
「なゆたちゃん!?」
──何を考えているんだ、あの娘は!
月華は愕然とした。
まだ蒼月はヘイトを集めていない。〈復讐狼〉という未知のエネミーが相手である以上、まずセオリー通りに対処して相手の出方を見るべきである。
そうでなくとも、パーティの戦闘方針は蒼月が壁としてヘイトを集めてから月華と☆なゆた☆で撹乱するという形を組んでいるのだ。彼女が特攻したら、☆なゆた☆にヘイトが集まってしまう。
「〈ワイバーン・キーック〉!」
月華の驚愕は知るよしも無く、☆なゆた☆はいきいきとした表情で〈復讐狼〉の一体に己の膝を叩き付けた。
「ホムラ君、大丈夫!?」
振り返ってホムラに笑いかける☆なゆた☆の表情は、自分がしたことがどういう意味か解っていない。ホムラが唖然と見返した理由も、理解していないだろう。
「何をやっているんだ!」
蒼月は叫びながら、遅れて戦線に飛び込んだ。そのまま、無防備な☆なゆた☆の背中に飛びかかろうとした〈復讐狼〉を斬り飛ばす。
吹き飛んだ相手に頓着することなく、蒼月は二刀を構え直した。
「〈火車の太刀〉!」
蒼月の刀の一振りが、彼が半円に回ると同時に振るわれる。刃の切っ先は、〈復讐狼〉達の身体を何度も薙いでいった。だがダメージは少ない。傷自体は一定以上の深さを与えたが、数が少なかったのだ。
だが、蒼月の攻撃はこれで終わりではない。一方の刀を振り終わると同時に、もう一方の刀を逆に振るったのだ。
〈火車の太刀〉は本来、円形に回りながら刀を振るうことで周囲を斬り裂く特技である。だが蒼月は自身が二刀流であることを生かし、二振りの刀をそれぞれ一方向に半円で振るうことで〈火車の太刀〉を成立させた。そうすることで対象を限定させ、更に手数を増やすことで、標的が増えると威力が分散するという〈火車の太刀〉のマイナス点を可能な限り減らしたのだ。
蒼月と〈復讐狼〉のレベル差は、依然大きい。たちまち四匹が地面に沈んだ。
残りは、六匹。
「狼共、来い!」
蒼月が刀を構えて声を張り上げると、〈復讐狼〉の視線は彼に全て集まった。
蒼月のこの行動は、ただの気勢ではない。〈武士の挑戦〉という、ヘイト操作特技である。これによって、ホムラやリリア、☆なゆた☆のヘイトを一気に自分へ集めたのだ。
そんな蒼月を補助するために、ホムラは彼に障壁をかける。リリアは特技〈シフティングタクト〉をホムラにかけ、前線に立っていた彼の特技再使用時間を早めた。
遅れて参加した月華は、特技を使わず〈復讐狼〉を斬り付けていく。リュートは後方で、いつでも魔法が使えるよう杖を構えていた。
そんな中、☆なゆた☆は。
「〈ワイバーン・キック〉!」
ただひたすら〈ワイバーン・キック〉を繰り返していた。
辛うじて前線の蒼月や月華、ホムラに攻撃をすることは無いものの、〈復讐狼〉をひたすらそれだけで攻撃する姿は、周囲のことをどれだけ考えているのか疑問に思える有り様だった。
「なゆたちゃん、特技抑えて!」
「えー、でもこの方が確実に〈狼〉倒せるし」
「相手はただの〈狼〉じゃない。力任せでいったらどんな弊害があるかっ」
さすがのホムラも声を上げて☆なゆた☆を制止しようとした。だが☆なゆた☆はどこ吹く風で〈ワイバーン・キック〉を使い続ける。再使用制限もあるため、完全な連撃ではないものの、せっかく蒼月に集まったヘイトが☆なゆた☆に集まり始めた。
確かにこのやり取りの間で二匹の〈復讐狼〉が沈んだ。だが同時に、戦線が乱れそうになっていた。
「っ、リュートさん、今!」
「解った! 〈オーブ・オブ・ラーヴァ〉!」
☆なゆた☆が言うことを聞かないと判断したホムラが、リュートに指示を出す。リュートは即座に用意していた魔法を放った。
たたでさえレベル差がある上に、すでに手負いのところに溶岩の塊をぶつけられれば、未知のエネミーと言えどひとたまりも無い。残った四匹全て、地面に倒れてそのまま動かなくなった。
「やったー、勝ったー!」
無邪気に喜んでいるのは、☆なゆた☆だけだった。
後の面々は未知のエネミーに不気味さを覚え、同時に勝手な行動を起こした☆なゆた☆への不信感で何とも言えない表情を浮かべていた。
特にリュートは、自分の娘をいつにない厳しい眼差しで見つめている。
「さすがお父さん! 凄かったね、今の魔法!」
「……どういうつもりだ、なゆた。何であんなことを」
「? あんなことって、どんなこと?」
「どうしてみんなと協力できないんだ。いくらレベル差があるとはいえ、油断したらどうなると思ってるんだ。しかも相手は未知のエネミーなんだぞ」
リュートが静かに、だがやや語気を荒げて☆なゆた☆に問いかける。だが☆なゆた☆は不思議そうに父を見上げるばかりだ。
──この娘は、現状を全く理解していないんだ。
月華は戦慄した。
先の発言や今回を含む戦闘での行動は、それらがどう影響するか理解していないがゆえのものなのだ。考えが及ばないのか、そもそも考えていないのかは不明だが。
なぜそうなったのか全く解らない。だが最初から感じていた違和感は、これが理由だ。あるいは今を現実だと認識していないがゆえに、何をしても大丈夫なのだと思っているのかもしれない。
確約など、あの日に全部、失われてしまったというのに。
リュートは娘を未知の生物でも見るかのように見つめた後、それでもなお言葉を重ねようとした。ほかの面々は、もう関わりたくないと言わんばかりに距離を置く。
だが、それらは全て、一瞬でかき消えた。
「っ、何、この音……!?」
突如響き渡った。雷鳴のような音。それが獣の唸り声だと気付くのには、時間はかからなかった。
地響きにも似た巨大な足音が聞こえてきたからだ。
息を詰める一行の元に、確実に近付いてくる足音。唸り声もまた、同様に近付いていた。
「兄さん、これ……」
「……おそらく、親だ」
蒼月に答えるように、それは姿を現した。
灰色の体毛に身を包んだ巨躯、禍々しく輝く黄金色の瞳、開かれた大きな口からはぬらぬらとした巨大な牙。
それは一見、巨大な狼に見えた。〈魔狂狼〉によく似た、動物という枠を外れてしまった魔獣だ。
だがその全身の細部は、その魔獣という枠すら壊していた。
灰色の毛皮から覗く金色の目玉、同じく毛皮の間から突き出ているのは獣の脚──それらが身体中のあちこちに付いている。
隅々に。
くまなく。
まんべんなく。
それはもはや、狼などではない。
狼を模した、何かだった。
硬直する〈冒険者〉達を前に、"それ"は咆哮する。雷鳴や地鳴りどころではない、地獄の奥底に住む悪霊の絶叫のような声。
表示された"それ"のタグは〈恩讐の悪狼〉と書かれていた。