二
だいぶ間が空いてしまいました……
トライファングに訪れたのは理由が二つある。一つはアキバの近くであること。その気になればすぐに帰還できる距離は、有事の際に対応することが可能であることを意味する。パーティの半数はギルドの幹部、あるいは代表だ。いざ何かあって不在では手遅れになってしまう。
特に〈D.D.D〉は〈円卓会議〉の一員である。その幹部の末席ともなれば、するべきことは多い。急に仕事が入ることも想定された。勿論、帰還呪文という手もある。が、一日に一回しか使えない以上、よほどの緊急性が無ければ使うべきではないという判断もあった。
もう一つは、トライファングのクエストは前衛職のためのものが多いという点である。
今回、メインとなっているのは蒼月、月華の修行だ。そのために実地訓練を行うことが目的であり、それならただ漫然とエネミーを倒すよりはクエストで制限、条件を付けて行った方が訓練になるのでは、と考えたのだ。
トライファングを選んだ理由は以上なのだが、後々に起こる事件のことを考えると、彼らは選択を誤ったのかもしれない。勿論、その事件に遭遇したことを不幸と捉えるなら、の話であるが。
先頭を走る蒼月に、ホムラは〈禊の障壁〉をかける。続いて☆なゆた☆にもかけようとしたのだが、本人に大丈夫! と力強く言われてしまい、思わずその手を止めた。
憮然としたホムラに、リュートが申し訳なさそうに声をかけた。
「すまない。もしもの時は頼む」
「はあ、まあ、本人がいいってんなら無理にかけませんし、リュートさんがそう言うならそーしますけど」
ホムラは納得いってない様子で頷いた。
後ろのそんな会話に、月華は困り顔になってしまう。今向かっている戦闘はそこまで難しいものではないだろうが、この調子ではいざ強敵と戦うことになった時、何か齟齬を起こしそうだと感じたのである。勿論、一緒に行う初めての戦闘だし、これから徐々に軌道修正していけばいいのだが――
「ぜ、前方一キロメートル、敵影発見です! 数はなな、七つ、〈狼〉ですっ」
「〈狼〉? 〈魔狂狼〉じゃなくて?」
「ふ、普通の狼、だと思う。でも、傭兵さんの話、が確かなら……油断、しないでっ」
リリアの上げた警告の声に、月華は頷いた。ふと上げた視線の先で、蒼月と目が合う。彼とも頷き合い、素早く双刀を抜く。
「接敵まで五、四、三、二、一――零!」
リリアの宣言を受けて、蒼月と☆なゆた☆は目の前にまで近付いた狼の群れに躍りかかった。
―――
到着早々、一行に声をかけてきた傭兵は、とある商隊の護衛のひとりだった。トライファングに商売をしに来た商人に雇われたのだが、街に着く直前、前述した狼の襲われたのである。
ただの狼の群れならば、〈大地人〉の彼らでも対処できた。手練れの傭兵が六人――レベルにして15から20程度だが、〈大地人〉としてはかなりの腕である――きちんと連携を取れば、狼の数匹など普通は問題無かったはずだった。
だが、狼達は普通ではなかった。
かの獣達は、通常の狼より強力だったのである。
まず、単純にレベルが上がっていた。とはいえほんの一、二レベルほどである。しかし、単体ならともかく集団で僅かでも上がっていれば手強くなるのは自明の理だ。
もともと敵性エネミーとしての狼は、集団行動を基本としたモンスターだった。分類は普通の動物だが、現実世界でも脅威を持った生き物だったため、その集団行動の厄介さも含めて〈エルダー・テイル〉でも初心者にとってはなかなかに強敵として設定されていたのである。
それでも、レベルもあってかきちんと連携と作戦を立てればそこまで強力では無かったのだ。それが、僅かばかりでも難易度が上がってしまった。
そしてもう一つ。本来ではあり得ないことであり、それが傭兵が〈冒険者〉に救いを求めるきっかけだったのだが、それを聞いて、月華達は非常に戸惑った。
その狼達は、毒を持っていたのである。
毒――とはいえ、体力を減らすタイプのバッドステータスではない。毒として分類するならば神経毒、すなわちマヒを引き起こすものだった。
〈エルダー・テイル〉におけるマヒというバッドステータスは通常、数秒から十秒にかけてあらゆる行動を不可能にさせるものである。時間は瞬きほどだが、発動直前の特技をキャンセルさせ、数瞬でも無防備状態が続くという、状況によっては致命的なバッドステータスである。
〈エルダー・テイル〉の戦闘は、秒単位で行われるものだ。数秒の空白がどれだけの痛手か、熟練になればなるほど理解している。
結果として、傭兵達は絶対絶命の危機に瀕することとなった。
ひとりが助けを求めて街に入り、すぐに月華達と出会えなければ、全滅していたかもしれない。
横たわり、あるいは座り込む傭兵達を横目に、蒼月は力強く踏み込んだ。
目の前には黒に近い灰色の狼。普通の狼に見えるが、通常のそれより僅かばかり大きい気がする。それでも、〈魔狂狼〉に比べると可愛らしいほどだ。気後れするような体躯ではない。
そのまま、特技などを使用することもなく胴体を斬り裂いた。
レベルが上がり、麻痺追加攻撃を得ていると言っても内実はただの〈狼〉に過ぎないその個体に、90レベル〈冒険者〉の一撃を防ぐ手立ては無い。真っ二つになった〈狼〉を省みること無く、蒼月は他の〈狼〉達に刀を向けた。
ただの攻撃で仲間を屠った蒼月に、狼の敵愾心は集まる。このまま仲間と共に一気に片付けようと蒼月が考えていると――
「〈ワイバーンキック〉!」
突如、〈狼〉の一匹が吹き飛んだ。
蒼月の脇を走り抜けた☆なゆた☆が、膝蹴りを放ったからである。
「なゆたちゃん!?」
唖然とする蒼月を尻目に、☆なゆた☆は拳を構えた。
「さあかかってきなさい、狼さん! 私が相手よっ」
まるで少年漫画のような台詞に、蒼月は状況を忘れて天をあおぎたくなった。
明らかに闘志満々の〈冒険者〉相手に、野生動物特有の臆病さを持つ〈狼〉達がどんな行動を取るか目に見えたのだ。
蒼月はしかたなく大きく踏み込み、刀を振り上げた。近くにいた〈狼〉の身体が宙を舞い、血を撒きながら落下する。
だが、すでに〈狼〉達は動き始めていた。くるりと方向転換し、木々が密集している方へ駆けていく。
蒼月はすぐに〈飯綱斬り〉を放つが、それで捕捉できるのは一匹だけだ。残りの三匹は森に消えていく――
「〈オーブ・オブ・ラーヴァ〉!」
駄目元で駆け出そうとした蒼月の脇を、赤く燃え上がる球体が通り抜けた。複数のそれは誤ることなく〈狼〉達に直撃する。
火球によって残らず倒れた〈狼〉達を半ば呆然と確認した後、蒼月は追い付いてきた仲間を振り返った。
「リュートさん、助かりました」
「いや……あれで全部かい?」
「はい。討ち漏らしはありません」
蒼月が言うと、リュートは安堵のため息をついた。
更に後から追い付いた月華達は油断無く周囲を見渡していたが、しばらくして襲撃はもう無いと判断したらしい。ふと力を抜く。
ただひとり、☆なゆた☆だけが不満げな表情をしていた。
「お父さん、何であんなことするの? わざわざ追い討ちかけなくてもいいじゃない」
「……おまえ、さっきの話を聞いてなかったのか」
リュートは呆れ顔で振り返った。
「さっき走りながら打ち合わせしただろう、〈狼〉達は殲滅させるって」
「…………」
☆なゆた☆は気まずそうに視線を泳がせた。やはり聞いていなかったらしい。
それでも、反論んを口にすることは忘れなかった。
「どうして狼を全部倒さなくちゃいけなかったの? 逃げてくれるなら手間はかからないし、倒しても経験値にならないのに」
「おまえも聞いただろう、あの〈狼〉達の特徴を」
リュート穏やかに娘に言い聞かせる。
「あんなものを逃がして、また被害が出たらどうする。〈冒険者〉はともかく〈大地人〉にとっては、ただでさえ手強い〈狼〉が更に厄介になったんだ。それに、今倒した〈狼〉達が全てとは限らない。仲間を呼ばれないように、この場で倒してしまわねばならなかったんだよ」
はたして理解したのか否か。
☆なゆた☆は複雑そうな顔でうつむいた。
そんな娘に困った顔をした後、リュートは振り返った。
「〈大地人〉さん達の様子はどうかな」
「それならだいじょーぶ」
ホムラはしゃがみこんだ体勢から立ち上がった。その足元では傭兵達がよろよろとしながらも起き上がろうとしている。
「回復かけたから。HP満タンにしたし、しばらく休めば歩けるんじゃね?」
「そうか、よかった」
ほっと弛緩空気が流れ、今度こそ一同は完全に気を抜いた。
蒼月は仲間の顔を見回し、微笑む。
「じゃあ、とりあえずトライファングに戻ろうか。ずっとここにいても危ないし」
ごく自然な動作で傭兵のひとりを背負った蒼月。月華も別の傭兵に肩を貸している。リュートはしゃがみこみ、傭兵のひとりの顔色を確認しながら声をかけた。
俺もやるべきかね、とぼやくホムラの横で、リリアが傭兵に手を貸していた。
―――
傭兵達を無事雇い主の元に連れていき、やっと人心地着いたと思った月華だったが、どうにもそうはいかないことになってしまった。
傭兵達の雇い主である商人――名はジーンと言うそうだ――の話によると、どうも最近、あの〈狼〉達がトライファング周辺にはびこっているらしい。
そのような話はアキバには届いておらず、驚いた月華達だったが、当初はまだ、〈大地人〉達でも対処できる数と強さだったようだ。〈狼〉達の体躯は最初はむしろ小さいぐらいで、レベルも2、3ほど。
それが日を追うごとに徐々に強くなっていき、気付けば今の状態になっていた――というわけである。
それは解った。解った、のだが。
「……モンスターが強くなるって、あり得るの?」
月華が思わずもらした感想は、全員の共通した感想でもあった。
〈エルダー・テイル〉において、敵エネミーのレベルは固定だ。正確には地域や環境によって振り幅はあるものの、エリアの適正レベルに合わせたものでしかない。
特定クエストのボスが特定条件下で強くなること、何かしらの付加スキルを得ることはあっても、成長することは無い。
だが、現実として〈狼〉達のレベルは上がり、謎のスキルまで得ている。
「どうなってるんだ……」
蒼月は頭を抱え、隣でリリアが不安げに視線をさ迷わせている。ホムラは無表情で腕を組み、リュートは眉をひそめていた。☆なゆた☆さえも、その顔からは気楽さが抜けている。
ここは自分達が知る〈エルダー・テイル〉の世界ではない。
解っている。解っていた。解っていた、はずだ。はずだった。
それでも、常識として、当たり前として、敵は敵のまま、変化の無いままだと考えていた。
その当然が、音を立てて崩れている。崩れていく。
それがどういう意味を持つかは、現状誰も解らなかった。