一
月華は申しわけなく思っていた。
誰に対してかと問われれば、五ヶ月ほど前、日程としては短く、道程としては長い間を共にした年上の〈妖術師〉、リュートに対してである。
なぜ彼に申しわけなく思わなければならないのか。それには先日の話をしなければならない。
始まりは、〈緑小鬼〉の軍勢を退け、〈自由都市同盟〉との同盟が正式に成ってから一週間たってからの話である。
その頃アキバでは、来月に行う祭の準備でいつも以上にぎわっていた。出店するギルドは商品造りに奔走し、主催である〈円卓会議〉もてんてこまい寸前――あくまで寸前であるあたり、逆に当日の忙殺が予想される――だったが、〈D.D.D〉とリュートのギルド〈ファミリア〉はのんびりとしたものだった。
前者は当日の役割が見回りのみで更に〈緑小鬼〉の処理が一段落したから、後者は希望者以外は出店せず客として祭を見て回ろうと話がまとまったからである。
ここまででは、月華が申しわけなく思う部分は無い。問題はこの後だ。
きっかけは、蒼月ができた暇を修行に使おうと言い出したことだ。
それ自体は別段おかしいことはない。蒼月はここ最近、更なる一歩へと進むため技を磨きたいと言っていたし、日々これ修行が座右の銘のような青年である。言い出したことはむしろ当然だと言えるし、月華も同行する気でいた。いつの間にかホムラも立候補し、気付けばりリアも着いてきて――問題はここからだった。
残りふたりのメンバーをどうするかである。
もはや確認するまでもまでもないことだが、〈エルダーテイル〉におけるパーティは最大六人編成である。現在四人。できるならあとふたりほしいところだ。
しかし、問題は誰に頼むかである。
最初に上がったのはフィンとザジだった。しかし、ふたりとのレベル差は月華や蒼月、ホムラの半分ほどである。リリアのように技術によってある程度無視できる差ではない。そもそもザジは〈大地人〉だ。生が一度きりである以上、一定以上の危険がある場所にはまだまだ連れていけない。その辺りは〈大地人〉だからより、やはり実力差の問題なのだが。
では、この間の〈緑小鬼〉との大規模戦闘で組んだ面々だろうか。だが、彼ら――クロッド、アシュラム、ルイのことである――は三人であるため、どうしたってひとりあぶれてしまう。そもそも三人が三人とも、別々の用事で付き合えないというから、どっちにしたところで無理なのだが。
ならどうするべきか――悩んだ末に四人の脳裏に現れたのは、ミナミからアキバまでの道程を共にした〈妖術師〉、リュートの姿だった。
しかし当初、彼女達は彼を誘う気は無かった。たびたび彼のギルドにお邪魔してはいるが、理由も無く彼を再び遠征に連れ出すほど彼女達も図太くなかった。少なくとも月華、蒼月、リリアの三人は。
三人は。
ひとりだけ、いた。理由も無く他のギルドの年長者――その上リュートはギルドマスターである――を連れ出すほどに図太い自由人が。
「リュートさん連れて来たった」
そう言ってリュートを〈D.D.D〉のギルドキャッスルまで引きずってきたホムラを見た時の月華達三人の気持ちは筆舌しがたい。あまりの衝撃に膝を着いたというから、ある程度推し量れようものだが。
さて、ほとんど強制的に魔法攻撃職が見付かったところで問題は最後のひとりだったが、これはすぐに解決した。リュートの娘が共に来ると主張したためである。
もともとリュートのギルド〈ファミリア〉は、彼と彼の娘が中心になって運営しているギルドだった。親子でエルダーテイルを始めたふたりは、現実世界でのリュートの部下――リュートは現実世界では小さな会社を経営しているらしい――でこのゲームをしている者達と共にアットホームなギルドを目指しており、そして実現化していた。〈大災害〉直後でも新人プレイヤーを受け入れたりPKから守ったりしていたようだ。月華達が初めて彼らのギルドを訪れた時、そのほのぼのとした空気に感化され、ついのんびり長居してしまったのもむべなるかなというところだろう。
現実世界では高校生であるという彼女は、この年の少女にしては珍しく父親にべったりだった。ミナミから戻ってきた時に、まっさきに父にタックルをかましたことは月華達の記憶に今なお焼き付いている。そんな彼女が、父の行軍に着いていこうとしないはずがない。
私も行くー! と主張した彼女の名前は☆なゆた☆と言う。職業は〈武闘家〉で、なゆたというのは本名らしい。それに☆を付けたのが〈冒険者〉としての彼女の名前だった。
そんな形でなし崩しで決まったパーティだが、次に問題となったのが戦闘での方針である。
現在のメンバーは、大別すると戦士職と武器攻撃職がそれぞれふたり、魔法攻撃職と回復職がひとりずつである。攻撃役と補助役、回復役は簡単に決まったが、問題は前衛だった。
もしどちらかが〈守護騎士〉であれば、悩む必要は無かったかもしれない。だが、蒼月と☆なゆた☆は両者とも撹乱を得意とするスタイルの前衛だ。ふたり同時に撹乱すると、場合によっては味方にまで混乱を招くかもしれないし、ふたりの意識に齟齬があれば、自滅の可能性もある。
これは、蒼月が敵を引き付け、☆なゆた☆が敵の動きを制限するということで話はまとまった。
それらが決まったのが、つい昨日のことである。
「本当、ごめんなさい」
月華は何度目か解らない謝罪を、リュートにしていた。
明日の出発に向けての買い出し中である。今回行く場所は比較的近場であり、飛んでいけば一時間もかからない。しかし、それは準備を怠る理由にはならなかった。必要なものを買い込むのは〈冒険者〉として当然の行いであり、旅の用意もまた当たり前のことである。
その役割を担ったのは月華とリュートであり、月華はことあるごとにリュートに謝っていた。
はたからみれば、美しくも凛々しい女性が、くたびれた風貌の男にひたすら頭を下げている様子である。何とも奇妙な光景だった。
「いいよいいよ、気にしないで。ホムラ君の自由っぷりは今に始まったことじゃないし」
「う……そう言われると、何も言えませんけど」
リュートの人のよさそうな苦笑に、月華は返す言葉を見失う。彼の言う通り、ホムラの奔放さは昨日今日発露したわけではない。まさしく今更である。
「でも、いくらなんでも強引過ぎますよ。顔なじみって言っても、リュートさんは別のギルドの人なんですから。リュートさんもご迷惑だったでしょう?」
「……うーん」
月華の言葉に否定も肯定もせず、リュートは唸った。腕でも組みそうな雰囲気だが、あいにく片腕は買物袋で埋まっている。
「どうなんだろうな。ギルドマスターとしてははっきりと迷惑と言うべきなんだろうが……個人的にはそこまでじゃないんだよなあ」
「え?」
「君達とミナミからアキバまで一緒に旅をして、現実化した戦闘をこなして、その他もろもろのこまごまとしたことひっくるめて、なんだけど――けっこう楽しかったんだよね」
年甲斐も無くね、と、リュートは照れ臭そうに微笑んだ。
「だからというわけではないだろうけど、実は〈緑小鬼〉とのレイド、参加できなかった時は悔しかったんだ」
リュートは対〈緑小鬼〉軍戦では後方支援に回っていた。これはリュート自身がというより、彼のギルドがそちら向きだったからである。〈ファミリア〉は互助ギルドだが、どちらかと言えば生産系寄りだった。彼以外のメンバーのほとんどが戦闘経験の浅い面々であり、90レベルになっていない者も多かった。
それはしかたがないだろうと月華は思う。あの時戦闘の中心になっていたのは〈D.D.D〉や〈黒剣騎士団〉などの戦闘系ギルドであり、戦闘にあまり縁の無い〈冒険者〉は前線の支援をしていた。適材適所である。
しかし、それで納得していない人間も、少なからずいた。それはリリアやリュートのような、力不足を憂う者達である。
力だけで選別されたのではないと、彼らも解っている。支援も立派な仕事であり、そうして支える者達がいてこそ戦線は保てたのだということも理解しているのだ。
だが、それでも己の力量を省みずにはいられない。自分は彼らと共に戦ったと言えるのかと悩まずにはおれない。
それは彼らの弱さではなく強さだ。誰かを助けたいと望み、そのために強くなりたいと願い、一番に何をすべきかと考える。貪欲とも取れる向上心は、月華が他人を好ましいと思う時のポイントの一つだった。
「だからこうして、強くなるためのクエストに声をかけてもらって嬉しかったんだ。まあ、多少強引だったがね」
「あ、あはは……」
「だから、気にしなくていい。そもそも大人の私が出し惜しみして、年下の子達に借りを作りっぱなしっていうのは格好悪いからね。情けないところも色々見せてるし」
リュートは遠い目をした。月華もまた、初めて彼と会った時のことを思い出して何とも言えない笑みを浮かべている。
確かにあれは情けなかった。絶対に正面切って言えないが。
「まあ、その、何て言うのかな。明日の冒険はよろしくというか……ごめん、言葉がうまくまとまらない」
「いえ、気にしないでください」
月華はポニーテールを揺らして笑った。何のてらいもない、穏やかな笑みである。
月華も、彼の言いたいことをきちんと言語化はできない。だが彼の伝えたいことは、何となく理解した。
きっと仲間達も、理解してくれるだろう。
「こちらこそよろしくお願いします」
そうして、一行は簡単な打ち合わせと念入りな準備を済ませ、旅立つこととなった。
目指すは精霊域:トライファングである。
―――
精霊域:トライファング。旧世界では埼玉県秩父市の三峰山に当たる。〈エルダーテイル〉ではチチブに連なる山々の奥にある聖域と、そのふもとにある山の入口にある門、そこを起点とした門前町のことを指していた。
ここが聖域と設定されているのは、旧世界では山の頂に神社があったからだろう。この世界でも旧世界でも、狼がどこかしらでキーワードになっている。旧世界では狛犬の代わりで、こちらでは〈狼牙族〉の〈神祇官〉が廃墟だったトライファングを復興したという伝承が残っている。
「門が牙を剥いた三匹の狼に見えるのが名前の由来なんだが――ゲームの時は思わなかったが、結構迫力あるなあ」
重厚な印象を持つ門の前で、蒼月は誰ともなく呟いた。
トライファングの門前町に着いたのはまだ朝と言っていい時間だった。アキバからトライファングへは〈鷲獅子〉と〈蒼天竜〉で来ている。現実世界では秋葉と秩父は一時間半で到着する。ハーフガイアプロジェクトで距離が半分になっている上に直線距離で来るとなれば三十分とかからない。朝早くに出れば、当然着くのも朝である。
「もうちょっと遅くてもよかったんじゃね? 俺眠いー」
ホムラが言葉通り眠たげな声で抗議の声を上げた。もっとも、気怠げな雰囲気はいつものことである。
対し、蒼月は苦笑を返した。
「こういうのは、例え近くとも早く出ることがいいんだよ。何ごとも迅速に、だ。遅くていいからってゆっくりし過ぎてると、いざという時に遅刻したりするぞ」
「むぅ……真面目だよなぁ、蒼月は」
ホムラは肩をすくめた。その様子に、月華は少し笑う。
今更な話であるが、蒼月とホムラは性格などが対照的である。
生真面目で規律を守り、大人びた雰囲気を持つ蒼月。マイペースで考えを読ませず、どこか子供っぽいホムラ。どちらが人間として優れているかなどという比較は誰もしないが、一緒にいることが多いふたりを正反対の性質だと評する人間は〈D.D.D〉内に多く存在した。
ふたりの間に挟まれることの多い月華だったが、女性であることもあって、ふたりの比較の引き合いに出されることはほとんど無く、また彼女自身は第三者の目線でふたりを見比べることも多々ある。
だから、ふたりの会話に特に口出すことなく見守っていた。リリアとリュートも同様で、話はそのまま立ち消え、別の話題に移行するかと思われたがーー
「ホムラ君の言う通りです、蒼月さんは真面目過ぎますよぉ」
不満げな声が、別のところから上がった。
月華でもなければ、リリアやリュートでもない。当然蒼月とホムラでもない。
リュートの娘、☆なゆた☆だった。
☆なゆた☆はチャイナドレスと着物が合わさったような、不思議なクロスアーマーをまとった少女である。紅いショートヘアが特徴的な彼女は、眉を下げて蒼月を見上げていた。
「なゆたちゃん」
「えっと、別に蒼月さんのこと、否定するわけじゃないんですけど、もうちょっと気楽でもいいかなー、と思うんですよ。別に、絶対強くなるんだー、て気持ちでもないんでしょ?」
「……うーん」
蒼月は言葉に詰まった。言い負かされたわけではなく、痛いところを突かれたわけでもない。ただ、どう返そうか迷っただけである。
蒼月の真面目さは、生来のものでもあるが、何より長年の習慣によるものである。剣道場の跡取り息子として、それにふさわしい生活を家族と共に過ごしてきた結果、培われたものである。そしてその中で、自らを高めるための鍛練を怠らないこともまた、蒼月にとっては呼吸をするように当たり前だった。
それを婉曲に、言った本人もそれと気付かない形で否定されては、蒼月が返答に困るのも無理も無いだろう。
実は出会った当初から、蒼月と☆なゆた☆は噛み合っていなかった。
蒼月が真面目な発言をすれば、なぜか☆なゆた☆が否定する。☆なゆた☆本人に悪気は無く、思ったことを口にし、しかも蒼月のために言っているつもりだから、簡単に拒絶することができない。
☆なゆた☆は決して性格は悪くない。むしろいい娘だ。それはこの場にいる全員が解っている。
ただ、少しばかり空気が読めず、それが結果的に蒼月との相性の悪さに繋がってしまっていることは否めなかった。
沈黙する面々に、☆なゆた☆は戸惑ったようだった。彼女からすれば、ホムラのフォローに回ったつもりだったろうから、無理もないかもしれない。
何とか場をなごませようとしたのだろう、リュートが口を開いた時だった。
「あんたら〈冒険者〉か?」
不意に呼びかけられ、全員が振り返った。
言葉の主は、革鎧姿の〈大地人〉だった。腰に簡素な剣を帯び、両手両脚には鉄の小手と脛当てを付けた傭兵風の〈狼牙族〉の男である。
戦士のような格好の男がトライファングにいること自体は、別段おかしなことではない。トライファングはゲーム時代から〈狼牙族〉のNPCが大勢いたし、〈狼牙族〉の傭兵団の補給地という設定もあった。彼はそのひとりなのだろう。
月華は男のステータスを確認した。この世界に来てから癖として身に付いた、初対面の相手に対する行為である。
名前はリーグ、職業は〈傭兵〉。やはり〈大地人〉である。
「そうですが、何か?」
蒼月が男に向き合い、首を傾げた。一見穏やかだが、その背中には若干の警戒がにじんでいる。
一方の男は、一行が〈冒険者〉だという確証を得て、ほっとしたようだった。
頬を緩めると、突然頭を下げる。
「やっぱりそうか……頼む、手を貸してほしい!」
あまりに必死な様子に、月華達は顔を見合わせる。
旅の矢先に、何やら奇妙な雲が表れたように思われた。
お久しぶりの方はお久しぶりです、初めましての人は初めまして。沙伊です。
『ログ・ホライズン』の二次創作第三弾です。こんな駄文誰が読むんだよもっとほかにやることあるだろ馬鹿じゃないのと思いつつ、つい書いてしまいました。
今回は四巻と五巻の間の話です。〈天秤祭〉の一月前の話。〈天秤祭〉の話も書こうかと思いましたが、書きたい話があったのでこのような話になりました。
ちなみに作中の後半に出てくるトライファングという土地はログホラwikiに記載されていた土地です。原作には出てないので完全なねつ造になると思います。全ての外伝作品を読んだわけではないのでもし公式で既出でしたらどなたかその作品を教えてくださいm(__)m
次話はいつになるか解りませんが、のんびり進めていこうと思います。
では!