秘剣転生2
「何だこれは」
甲高い叫び声が部屋に響く。
「おお、剣士殿。確かに混乱するのも無理はないこと。これには深い事情がございます」
白髭が何やら話しているが、虎梧はかまわず素早く周囲を確認する。まず自分の周りを囲むように燭台が四柱、その外側に面妖が七と白髭が一、出入り口は真後ろにある。よく見ると、白髭達の面相は彫が深く、そして鼻が長く高い。以前父母に連れられ長崎で見た異人と共通する特徴があった。ここは異人の館の中で、自分は下人とするべく売り払われたのかもしれない。とにかくここを脱する必要がある。今一度手足に力をこめてみると、まだ違和感は残っているが先程よりは大分感覚が戻っている。身につけていた大小は見当たらず、奇妙な長着の他に持ち物は何もなかった。
「――そういった訳で、我々は剣士殿のお力をお借りしたく……剣士殿?」
虎梧は後ろを向いて燭台をむんずと掴むと真正面の面妖へ向かって投げ飛ばすのと同時に走り出す。燭台が腹にめり込んでのびた面妖を飛び越え扉を蹴破ると、そこは床から天井まで石造りの一本道だった。壁には等間隔で行灯がかかっていて、少し進んだところで曲がり角になっているようだ。高さは七尺程であまり広くはない、ここは地下にあるのかもしれない。とりあえず走るしかない、後ろからは白髭の叫ぶ声が聞こえた。角を曲がってしばらく行くと正面には上り階段があり、右手にまた扉がある。急いで階段を駆け上がると、広い空間に出た。大きく開いた扉からは外の景色が見えている、ここは玄関だろうか。異国風の調度が並んでいて、この建物が異人の館であることは明らかに思えた。
そのまま外へ飛び出すと、館は森に囲まれており正面には整えられた道が見える。このまま行けば白髭達も容易に自分を追えるだろうが、先に街道へ出てしまえば人目にもつくし、手荒な真似はできないだろう。そう考えて、道沿いに走っていくとじき街道が見えてきた。人がいればここがどこなのか聞ける。自分が今どういう状況にあるのかを早く把握する必要があった。こんなことに時間をとられてはいられない、己にはやることがある。
街道へ出た虎梧は目を疑った。確かに人は往来しているがそのことごとくが長い鼻をしており彫が深い、異人であった。そして行き交う車を引いているのは馬である。ここがどこかは明白であった。異国にまで連れ去られたとあっては、誰も己を助けはすまい。かすかに白髭達の追う音が聞こえて来る気がする、急がなくてはならない。
街道の右手の方から馬が車を引いてくるのが見える。虎梧は森に身を隠すと、拾った石を走る車めがけて投げつけた。驚いた連中が車の中から下りてくるとすかさず走り出し、輓具を引きちぎると素早く馬にまたがり腹を一発蹴り飛ばした。すると馬は悲鳴をあげてそのまま駆け出していった。
しばらく走り続けたところで、急激な空腹感と疲労感を覚えて体から力が抜け始めた。意識が朦朧としていく。ここで眠るのは明らかにまずい、いやもしかしたら全ては夢で起きたら己は元通りに、いや――。
食欲をそそる匂いがする。目を覚ましたのは寝台の上だった。傍らには机が、その上には皿から湯気が立ち込めており、また椅子に男が座っている。身の丈六尺はあるだろうか。黒髪は短く刈り込まれており、やはり鼻が高い。年の頃は三十ほどに見える――父上よりは少し若いな。
「眼が覚めたか。自分の名前はわかるか?ここがどこかは?痛いところはあるか」
男はそう言うと、己の腕を取って曲げて伸ばして、頭や腹をつついたりした。
「痛い、痛いやめろ」
「骨折してはなさそうだな。君は私の目の前で落馬して街道の端に転がっていた、体中が痛いのは当たり前だ。落馬する前から意識がなかったようだが、自分の名前はわからないのか?どこから来たんだ」
一瞬ためらったが、白髭達とは関わりがなさそうである。わざわざ異国の人間を拾って介抱するような奴だ、事情を説明して助けを乞う方が良いかもしれない。
「椅子部、椅子部虎梧だ。尾張は中島、神戸村より参った」
「イスベル・トラーゴか、女王と同じ名だな。しかしオワリという地名は聞いたことがない」
「異国なのだ。見ればわかるだろう」
男は要領を得ないといった顔をした。
「いや……まあいいか。私はカハール、ここで医者をしている。普段は村の連中を診ているんだが、君のような少女を拾ってきたのは初めてだよ」
ここで、白髭の元にいたときから意識的に無視してきた問題がある、向き合う必要があるだろう。
「鏡を、貸してもらえるか?」
カハールから受け取った手鏡に映っていたのは肩まで伸びたぼさぼさの栗茶色の髪、瞳は同じ栗茶色で薄桃の唇はぷっくりと膨らんでいる、そして高い鼻を備えた顔にはところどころに痣がある、そういう見知らぬ異人の女の顔だった。
「誰だ、これは」