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 助手席に座っている息子は早くも自分でシートベルトを外し、ドアを開けようとレバーに手をかけていた。俺は慌てて息子を制止した。

「待て、待て。お前、隣の車にドア当てるだろ」

「当てないよ、パパ。僕がそんなドジするわけないじゃん」

「俺が開けてやるから少し待ってろ」

 不満そうに頬を膨らませる息子を残し、先に車を降りる。反対側に回り、ドアをゆっくり開けてやると、息子は素早く車内から出てきた。自動車の鍵を閉めるため、俺が目を離した隙に、勝手に駆けていってしまう。エレベーターのほうではなく、よりにもよって連絡通路のほうへ。

「あんまり離れるな、危ないぞ!」

 俺は鍵が閉まったことを確認すると、息子のあとを追った。息子は連絡通路とは名ばかりのちゃちな足場で立ち止まり、手すりをぎゅっと掴み、目を輝かせて路地を見下ろしていた。こんな場所から見えるなにが、そんなに楽しいのだろう? 賑やかな通りの喧噪が聞こえるだけで、人影もない、うら寂しい路地なのに。

 俺は声をかけようとして、はたと、息が詰まる。俺も子供のときには、今の息子のようにこの場所で足を止め、この路地を喜々と眺めたのだろうか。

 束の間、視界の中のあらゆるものの輪郭が曖昧になり、俺を取り巻く時間の流れが遡行した。その瞬間、俺は亡くなった親父であり、路地を見下ろす息子は他の誰でもない、俺自身だった。

 最後に大須を訪れたとき、親父がここで涙を流した理由!

 父はおそらく、この連絡通路で立ち止まった俺を見て、昔を懐かしんだのだ。まだ小学生、あるいは幼稚園児だった俺と一緒にこの小さな橋を渡っていた頃のことを、思い出していたのだ。父がある時期から大須へ行かなくなったのは、町の雰囲気が変わったことだけが理由じゃない。見慣れた店、通い慣れた店で消えていったものはたくさんある。客層もこの二十年ほどで、ずいぶん広がった感じがする。親父の慣れ親しんだ大須商店街は、たしかに姿を変えただろう。だが一番大きな変化は、俺が一緒に大須へ来なくなったことではなかったか? 何も言わない裏で、父は寂しがっていたのではないか? その寂しさを我慢しきれなくなって、最後にもう一度、俺とこの場所を訪れたかったのではないのか?

 一緒に行こう、と言えば良かったんだ。たった、それだけのことなのに。

「パパ、泣いてるの?」

 息子が足もとに来て、俺を心配げに見上げていた。

「なんでもない、少し、思い出してたんだ」

 目元を拭う。湿った指をズボンにこすりつけて、息子にその手を差し出す。

「お前が大きくなっても、パパと一緒に、ここに来ような」

 口を突いて出てきた言葉に、息子は破顔し、俺の手を握りながら言った。

「しょうがないなぁ。パパがどうしてもって言うなら、来てあげるよ」

 俺の手を引っ張って急かす息子と一緒に、アメ横ビルへ通じる架け橋を渡る。いつの日か、俺が父親とそうしたように。

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