一章 人生の選択 3
決闘の知らせは瞬く間に校内へ知れ渡った。
お陰で、その日のダンは就職進路相談室からそそくさと退出し、人目に気付かれぬよう学生寮へ戻る羽目になる。しかし、すでに情報を得ていた寮生らにダンは捕まり、決闘前夜はダンの無謀と冥福を祈る祝賀会で貴重な時を潰されていく。
なんとか学生寮秘匿の一品、ハスワラ酒だけは拒み続けて飲まずに済んだものの、朝まで騒がれてしまい、ダンの体調は芳しくないまま、決闘当日の朝を迎えることになる。
そんなダンに、精神的な圧迫もやってくる。
登校時の女生徒から注がれる冷たい視線。いつもならまったく無視される存在のダンが、やたらと注目を浴びてしまう。しかも、どれもが好意的な眼差しではない。その中でも最たる者が声を掛けてくる。
「ちょっと、いいかしら」
呼びかけにしては好意を一切感じない声に、ダンがびくびくしながら振り向くと、金髪をそよ風に靡かせた、あのジェッカー・コース・ウララが腕組みして睨んでいた。
あまりのことに無言で何度もうなずいたダンは、ウララの導くまま校舎屋上へ上がり、二人っきりになったところで責め立てがはじまった。
「今頃、どういうことかしら」
「ど、どうって」
心臓の鼓動が早鐘に変わるのを実感しつつ、ダンは青い瞳を見て続けた。
「決闘ですか」
「当たり前でしょう。さあ答えて。なぜ今なの」
「それは、そのぉ」
本当のことを言えるわけがない。
友人にそそのかされた、なんてなぁ。
目の前にいる、静かな怒りに包まれたウララに言っても、理解してもらえるとは思えない。さらなる怒りを引き出すだけだろう。
ならやっぱり。推薦を得るためと言うべきか。
元々の目的でもあるのだが、これを言ったとして、彼女がどう反応するのかは今の段階では予測がつかない。
どうする、ダン。
自らに問いかけると同時に、厳しく睨むウララが軽くため息を吐いて話しはじめた。
「今はね、大事なときなの。大会までもう一ヶ月と言ってもいいくらい迫っていて、みんな必死なのよ。ほかの人たちだって、私たちを気遣ってそっとしておいてくれている。なのに決闘だなんて。しかも今頃よ、あなたの神経を疑うわ」
こ、これは……きつい。
睨まれて、なおかつ神経を疑われる。その相手がウララなのだ。
戦いを前にして、この壁はでかいぜ。
あまりの精神攻撃にダンが無言でいると、ウララはさらに話しを続けた。
「コオルタは笑っていたわ。べつに嘲笑とかでなく、楽しそうに。彼、とてもいい人でね、氏族なのに奢ってなくて、誰に対しても穏やかな人よ。まとまりの悪い私たち五剣士をうまくまとめてくれる。私たちには必要な人だわ」
こ、この流れも……きついを通り越すね。
まるで愛の告白、その前座だ。というよりも、コオルタのことをウララがどう思っているのか、はっきりしたと言ってもいい。
ぼくは、なにも言わぬまま玉砕ですか。
笑いたくなる衝動を抑えつつ、ダンは震える声で先手を打った。
「つ、つまりウララさんは、ぼ、ぼくに負けろと」
「負けろ?」
小首を傾げての復唱は、一瞬の安らぎを感じさせた。
しかし彼女の返事に、ダンは一気に叩きのめされることになる。
しばらく考え込んだウララは、唐突に涼やかな声のまま笑い声を上げ、軽く腹を押さえて片手を振った。
「違うわよ、というか、あなた勝つ気なの、コオルタに? あり得ない、信じられないわ。やっぱりあなたおかしいよ」
「そ、そうですか」
短く答える声すら、ダンは絞り出さねばならなかった。
ダメだ、すげぇ泣きそう。
歯を食いしばり、震える両手を握りしめる。それでも足は震えっぱなしだ。そんなダンに無情なる声が追い打ちをかけてくる。
「私が言いたいのは、こんな茶番はやめて欲しいってこと」
「茶番」
思わず口をつき、ダンは力いっぱい目を閉じた。
「そうよ、無駄でしょ。意味もない。彼にとってなんの価値もない。もしも万が一、この決闘でケガでもして大会に支障を来したら? もしも出られなくなったら? 彼のこれまでの努力は無に帰するのよ。その権利が、あなたにあって?」
ありはしない。それはわかっている。
彼女が、ダンが勝った場合を言っていないのもわかっている。
だが勝てば、同じ結果が待っているのだ。
ぼくに奪う権利はない。でもこの決闘は……茶番じゃないんだ。無駄でもないんだ。
震えがぴたりと止み、萎えていた気力が熱い鼓動となって体中を駆け巡り、ダンの思いをつぶやかせる。
「人生の、選択なんだ」
「は?」
目を見開き、理解しかねているウララにはっきりと言った。
「この決闘は、ぼくにとって人生を左右するものなのです。それは向こうも同じでしょう。ならば心はもう決まっているはずです。それが決闘というもの、違いますか」
「ち、違わないけど」
「けどじゃない」
押し殺した声で吠え、うろたえるウララを睨み、言い切った。
「決闘なんだ。真剣勝負なんだ。勝つか、負けるか。奪われるか、死守するか。そういう意味合いがあるからこそ、決闘なんだ。そしてこの決闘は、五剣士にとって当然の定めのはず。それを茶番だとか、無駄だとか、けなす権利があなたにあるのですか、五剣士の一人なのに!」
最後は声を荒げて正論を、思いを叩きつける。と同時にダンは見てしまう。ウララが言い返せずに唇を噛んで視線を逸らしたのを。
やべぇ。
ダンはあわてて、深呼吸を三回ほどしてから話を続けた。
「すみません、言い過ぎました」
丁寧に謝ってみたものの、相手からの返答はなかった。
嫌われたね。さようなら、我が初恋。
自嘲気味な笑みを浮かべ、ダンは両手を挙げて伸びをした。そして鬱屈した思いを垂れ流すように愚痴りはじめた。
「いやぁぼくもねー。こんなことになるとはまったく、思いもよらなくて。なにしろすべて友人が、って違うな、腐れ縁の幼なじみ、うーん、それよりも悪友ってのが合うかなぁ。まぁそいつがね、いろいろお膳立てしてくれまして」
言いつつウララの様子を探ると、視線は険しいものの無視しているようではなかった。
まぁ言うべきことは、言っておきますか。
心を決め、ダンは愚痴を続けた。
「就職先を迷っていたぼくにも問題があるのですが。見かねた友人が示唆してくれまして。とりあえずやりたい職業が見つかったわけですが、それには資格試験があり、なおかつ上級校の推薦がいるという。ま、そういうことで、今回の事態になったわけです」
長々と話したわりに、ウララは黙ったまま聞いていた。
そしてゆっくり息を吸い、ため息を吐いて彼女は言った。
「あなたにも、退けぬ理由があるわけね」
「ええ、退けません。ここまで舞台を整えてくれた友人のためにも、自分の人生のためにも退くことはできないのです」
「そう、決意は揺るがない。わかったわ」
ウララは目を伏せて歩きだし、ダンの隣を過ぎ去っていく。
あぁほんとにさようなら、心の姫君よ。
黒い制服の上を金色の髪が風に揺れる。遠目からたまに眺めていた後ろ姿だ。しかしもう見ることはあるまい。
これが最後だ。
そんな思いで見送っていると、昇降口へ向かう途中で彼女は立ち止まった。
「先ほどの非礼はわびます。でも、いくらあなたの決意が強くとも、コオルタには勝てませんよ」
「肝に銘じておきます」
即答に、ウララの姿が揺れた。
しかし彼女は一度も振り向くことなく、無言のまま屋上をあとにした。
一人残ったダンは、薄い雲がたなびく空を見上げながら、こみ上げてくる衝動を抑え込むのに必死だった。