一章 人生の選択 2
ゴーズダリアン王国の王都『ゴズダーン』では、明確な四季を感じることはできない。
それでもサマンの収穫が終わり、秋の収穫祭から新年の祝い事準備がはじまる時期にもなれば、風の冷たさは身に染みる。
そんな寒さのなか、ジェスラ・ババンギ・ダンは一つの岐路に立たされようとしていた。
ウルマ歴四八九年。上級学校生活もすでに四年、年齢も十五歳に達し、来年の春には卒業を迎える。
問題は卒業したあとだ。
進学か就職か。
迫る選択に、ダンは容易く就職を選んだ。
理由は簡単、金の問題だ。
ジェスラ家の中でもババンギ筋は元から裕福ではなかった。さらに父が早々に他界しての母、兄、姉の四人家族。当初は生活費だけで精一杯の財政状況だった。そんな貧乏生活が数年続いたあと、若くして商売の才を発揮した兄と、少々裕福な家に嫁いだ姉のお陰で、金の問題は解決を迎えようとしていた。
しかし家族の苦労を目の当たりにしてきたダンは、これ以上、彼らの世話になるのは耐えられなかった。ダンは丁重に彼らの援助を断り、独立を目指すべく就職組に入った……まではよかったのだ。
「なにがしたいんだ、ぼくは」
ダンを阻んだのは、様々な就職情報と己の優柔不断であった。
見れば見るほど、知れば知るほど、ダンは迷いに迷い、何日も考え込んでは次の就職情報に取り組む過程を三ヶ月は続けていた。
お陰で就職進路相談室はダンの部屋と認識されはじめていた、昨日。
転機は訪れた。
見かねたユジーンが助言してきたのだ。
「君はまったく取り柄のない人間だ。商売の才もない。勉学も底辺。真術の成績も芳しくない。いわゆる、クズだ」
「そ、そこまで言いますか」
「しかし君、少しはできるんだろ?」
「なにが?」
「これさ」
そう言って差し出してきたのが、各種の武闘系職業の募集要項であった。
「ユジーン、お前はぼくに死ねと言っているのか?」
「いいや。ただ君に向いていると思ってね」
「でもなぁ、そういう肉体労働はなぁ」
「贅沢を言うなよ、クズ」
「クズって。心痛いなぁ」
「痛む前に決めたまえ」
「うーん、決めると言っても、こうも多いとなぁ」
冒険者組合員募集から、兵士募集や傭兵隊員募集、または武装配達人、海軍の『海の男にならないか』などなど。選ぶのに困るほどの情報に頭を抱えようとしたさなか、ユジーンが一枚の募集要項を差し出してきた。
「君にはこれがちょうど良いだろう」
「どれどれ。ほう、守護警士かぁ」
「昔、なりたいとか言ってなかったか」
「まぁ昔はね。なにしろ地元の英雄じゃないか」
守護警士、アスラタとも呼ばれる職業は、主要な都市にのみ配置される警邏系の兵士である。王都を守り住民を守る地域密着型の兵士は、王都の住人にとって一番頼りにされる存在であり、子供たちにとっては身近な英雄でもあった。
しかし年を追うごとに入ってくる情報から、守護警士の過酷な任務状況を知るや否や、子供たちはさらなる人気職へ憧れの目を向けるようになる。ダンもまたその一人であった。
ダンの浮かない反応を見てか、ユジーンが睨んでくる。
「不満があると?」
「まぁちょっとは」
「君が言える立場だと?」
「そ、それは」
「いいか、君は選べる立場じゃないのだ。それによく見ろ、この条件を。ほかの職業よりも収入は良いし、なにより死亡率が少ないだろ」
示された数値に、ダンは渋々うなずく。
たしかに給料はそこらの職業よりも二倍はいい。死亡率も軍隊絡みや、配達人絡みよりも圧倒的に少なかった。
「そして考えろ、現在の情勢下を。たぶん、来年あたりにこの国は、シュベンターク帝国へ宣戦布告するぞ」
「そんな雰囲気は、あるね」
「雰囲気じゃなくて、たしかだ。そうなれば戦争だ。まだ守護警士のほうがいいんじゃないか。一般兵よりも、他の職業よりも、生き残る可能性が高く、誰かを守る力もある、違うか?」
畳みかけるユジーンに、ダンは無言で何度もうなずき、もう一度要項を見返し……しばらくして間抜けな声を上げた。
「あ」
「あ、じゃないだろ。君にはこの道しかない、理解したまえ」
「いや、理解はしたんだ。条件いいなとも思ったし、やっぱ昔憧れていたし。でもさぁユジーン、君はここをちゃんと見たのかい」
「どこをだ」
「ほら、ここ。試験資格の欄、新卒者・学生は学校の推薦を得ることってさ」
「あぁそこならちゃんと見たし、理解している」
大したことではない、とでも言う風にふんぞり返るユジーンにダンは眉をひそめた。
「ユジーン、君は肝心なところで抜けているよ」
「ほう、どこがだ」
「推薦だよ推薦。ぼくが学校から推薦されると思うか? ぼくは思わないね。情けないけど」
「珍しい、君がそこまで聡明だとはね」
「あのね、ぼくはそれなりにわかっている子ですよ」
「ならもうちょっと、推薦が受けられるような活動なり勉学なり、励んでおくべきだったな」
「勉学は致し方ないにしても、部活動は君に責任があるんじゃないか、ユジーン」
「どこがだ」
すまし顔で答えるユジーンが、ダンの怒りに火をつける。
こぉのクソ呆けがぁ。
心で罵りながら、ユジーンを指差し責め立てる。
「ユジーン、君だろうが、王女愛好同盟なんてつくって、無理矢理ぼくを引き入れて。王家の行事があれば何度も連れ回しただろ。お陰でなんの活動もできずに、ぼくの評価は底だよ底、低よりも下の底だよ、活動欄は」
「底とは、君の担任は見る目がないね」
「そうかもしれん。って違うだろ」
「違わないね。君はあの同盟のお陰で、王家に関する知識を得ただろう。かなり膨大にだ」
「それは、そうだが」
「いいか、その知識はいずれ君を助ける。予言しておこう」
「予言されてもね。底は底だ。推薦なんて得られないね」
投げやりに答え、手にした守護警士の募集要項を手放そうとしたとき。
「待ちたまえ、ダン」
「なにをだ、ユジーン」
改めて相手を眺めると、ユジーンは両手を組み合わせた上に立派な二重顎を乗せ、不敵な笑みを浮かべて告げてきた。
「夢を投げるのをだ」
「夢?」
「憧れともいう。そういうのは人生において大事だ。違うか」
「ま、まぁそうだと思うが」
「なら、あきらめるのはまだ早すぎるのだ」
そう言ってユジーンは別の紙を投げてくる。
ちらり見ると『第三五五回新春学生統一剣術大会』なる文字が躍っていた。
「剣術大会、あれか」
「あれだ。王都の上級校だけでも三〇校。さらに二大衛星都市、北方のカンダストと、南のリアラサルトから二〇校と十五校が参加。合計六五校による学生最大の催し物だ。この意味がわかるか、ダン」
馬鹿でもわかる。
これだけの大会だ。出場するだけでも、活動欄の評価は最高値の『最』へ上がるだろう。となれば守護警士資格試験への学校推薦も得られる可能性が高くなる。
でもな。
「わかるんだけどさぁ。これに出られるのは限られた生徒だけだぜ」
「あぁ限られた生徒だけだ」
ユジーンは喉を鳴らして笑い、こう続けた。
「なにも全校代表の個人戦だけが大会ではない。これには団体戦の『五剣士』がある。そっちならば、どうだ」
「どうだって言われても、たしかもう決まっているだろう」
個人戦にも登録されている、筆頭剣士ジェッカー・コース・ウララを中心に、神速のニルム・トウィン・コオルタ、幻惑剣のテオ・マーク・ナフュー、怪力大神ことハバル・マル・ウイッシュ、仁剣二刀使いのシスイ・ナウム・モーリア、以上の五名がセミサ上級学校代表の五剣士であり、どの人物も非の打ち所がない成績を収めているらしい。
「たしかに決まっている。しかしダン、君は忘れているな」
「な、なにをかな」
「この五剣士には決闘条約があることを」
「そういえば」
大会一ヶ月前ならば五剣士の誰かに挑むことができる条約がある。勝てば相手の五剣士としての地位を得ると共に、大会参加も許可されるのだ。ちなみに挑戦された五剣士に拒む権利はなく、先代が卒業したあとの新生五剣士が結成されてから十回ぐらいは決闘騒ぎが起きている。
でも誰も勝てなかったよな。
それだけ今の五剣士の強さは他の生徒と一線を画していた。
「ここまで言えばわかるだろう。ダン、君は決闘するんだ」
「そ、そうなりますか」
「大会までまだ一ヶ月弱ある。期限は余裕だ。なら挑戦するしかないだろう」
「ま、まぁやらないよりかマシですが」
「なんだ、乗り気じゃないな」
「そりゃそうだろ。決闘だぜ、しかもあの五剣士となんて。気分も滅入るというものだ」
「ほう、気分が滅入るだけか」
ユジーンが眼を細めて睨んでくる。
なにがあるってんだ。
身構えつつダンは答えた。
「だけかって。それ以上になにがあるんでしょうか」
「勝てない、と思うのが普通だろ」
「わかった。勝てない。負けるよ」
さらっと流したつもりだったが、今度はユジーンのほうに火がついたらしい。
いきなり机を叩きつけ、二重顎を振るわせて吠えた。
「今更遅いぞ、ダン。君の人生だ。そしてこれは人生の岐路、もっと真剣になるのだ。それに私は知っている。君が隠れてこそこそ修練を積んでいることをね」
気圧されるもダンは苦笑いを浮かべた。
「修練って、普通に練習でしょうに」
「しかし隠れてこそこそは当たっている。しかも君はまったく本気を出したことがない、違うか」
「出してますよ。普通に」
「まぁ深くは追求しないさ、そのまましらばっくれていろ。どうせ舞台は整っているんだ。君はもう逃げられやしないのだ」
「……なんですと」
小首を傾げてしばらく考え、ようやく事の次第を理解したダンは目を見開いてユジーンに掴みかかった。
「ま、マジですか」
「マジだ」
「い、いつ」
「明日の昼だな」
「ち、近! ってそれよりも、相手は誰だ、相手は」
「大丈夫、君の大好きなウララじゃないよ」
「あ、当たり前だ、つかどさくさにまぎれて変なこと言うんじゃないよこの子豚が」
「ふっ、青いな」
「青くて悪かったな。というか答えろ、相手は誰だ、相手は。そこが肝心なんだから」
「じゃぁこの手をどけたまえ。息苦しくて仕方ない」
「わ、わりぃ」
無我夢中だったためか、ユジーンの太い首を絞めていたらしい。
手を離し、椅子に座り直して問い直した。
「で、相手は誰なんだ」
「申し分ない相手だ。こいつを負かせば、誰も文句は言わないだろう」
「……すげー嫌な予感してきた」
「なら君は勘が鋭いほうだ。よかったな」
「良くない、良くないぞ! というか誰なんだ。いい加減教えろ」
「いいだろう。相手はあの『神速』ことニルム・トウィン・コオルタだ」
二番手だ。
あの五剣士のなかでもまとめ役であり、筆頭剣士であるジェッカー・コース・ウララの次席にあたる剣士。まことしやかに囁かれる噂によれば、ウララが英雄ジェッカーの血族であるがため、筆頭剣士の座を譲ったという。それだけ、コオルタの実力は評価されているのだ。
たしかに彼を倒せば誰も難癖つけないだろうが。
問題は勝てるのか、だ。
そして『勝って良いのか』という問題もダンにはあった。
師匠の定めた掟に反することは……。
眉をひそめて押し黙るダンに、ユジーンの笑い声が聞こえてくる。
「なんだよ、ユジーン。笑い所じゃないぞ」
「いやね、急に君が真剣になるからさ。それだけ、嫌な相手だったかい」
「どうだか。まぁウララでなかったことだけはありがたいね」
「無論だ、あんなの相手にしても意味がない。今回は君が推薦を得られる状況になる、それだけが目的なのだから」
「だったらほかにも居たんじゃないか?」
「弱い相手を負かして、皆が認めると思うか」
「他の連中、弱いわけないだろ」
「しかし残りは甲乙つけがたい。まぁあの中で練習試合の成績が悪いのは女好きナフューだけだ。あんなのに楽勝してもな」
銀色の長髪をなびかせ、健康的な赤銅色の肌を持つナフューはコオルタ以上に女生徒の人気は高かった。ダンも遠目に見たことはあるが、あきらかに女性受けする顔をしていた。
ナフューか。絶対、やりにくいだろうな。
勝ったら全校の女子生徒を敵に回すだろう。だがそれ以上に、妙に戦いたくない雰囲気を持っていた。
「ま、今はそれよりも、だな」
肩をすくめ、ダンは天井を仰ぎ見た。
「どうだ。勝てそうか」
「ユジーン、そういう質問は舞台を整える前に言ってくれ」
「今となってはだろ」
「たしかに。ならユジーン。君はどう思っているんだ。この決闘の行方を」
「私は信じているからな。君の強さを」
「根拠は」
「言わぬが花だ」
「またまた。ほんと、へんな奴だよ、君は」
「それを言うなら君もだ、ダン」
「あっそ。変人同士ってか。たまりませんねぇ」
天井に向かってため息を吐き、ダンはゆっくりユジーンへ向き直った。
「さて聞かせてもらおうか、ダン。勝てるか」
一拍の間を置き、ダンは不敵な笑みを浮かべ、日頃口にしない言葉を吐き捨てた。
「勝つ」