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蒼き草原の獣 -黎明の時-  作者: 沢井 淳
三章 新たなる絆
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三章 新たなる絆 1

 街の巡回を終えてベスタ署へ戻ってきたメーベルを待っていたのは、ちょっとした人だかりであった。

 市民用の受付でたむろする職員や、苦情申し立てしてきた市民も混じった熱い討論に、メーベルと部下である双子守護警士ユベ、ラベの三人が様子を伺いに近づいたところで、一人の老人が気付き話しかけてきた。

「おいおいメーベルちゃん、大変だ」

「なにがでしょうか、ナイジムさん」

 頭髪と別れて数十年のナイジム老人は、大きくなった額にしわを刻み、

「いやね、メーベルちゃんが結婚するらしいんだ」

「はぁ?」

 本人が呆気にとられていると、

「隊長、寿退官なされるんですか!」

「そこでハモるな! というかしません! ほんとどうして」

 部下に吠え、ナイジム老に詰め寄ろうとした矢先に、人垣のほうから耳にしたくない声が聞こえてきた。

「さーってどれどれ?」

 人だかりの山から、女性がにょっきりと立ち上がる。

 日焼けした肌に、赤銅色の短髪が特徴的な守護警士、ベスタ署の三番隊に属するフォボス・ドリッツェ・ココが茶封筒を手にしてのぞき込んでいた。

 あれは、まさか。

 過ぎる予想が最悪なものだと判断した直後だった。

「うーん、汚い字だこと。で、なになに? 顔は悪くないけどこいつはダメだ、もうちょっと男を見る目を養え、つーか未だに付き合う程度で決闘なんて言ってんじゃないのよ、アンタより強い男なんて世界にゃいないつーの、さっさと気付いていい人見つけな。幸福の使者より」

 大声で棒読みしたココは、哀れむように眼を細めてメーベルを見た。

「アンタ、苦労してんだねぇ」

「してない! というよりそんなの書いてないでしょうが!」

「それが書いてるのよ、ほら」

 茶封筒を表にし、見せつけてくる。

 住所はベスタ署であり宛名はメーベルの名が刻まれている。しかしその隣にびっしりでかでかと、読み上げた内容が見慣れた字で記されていた。

 な、な、なにぃやってんのよぉぉぉミィヤァァン!

 血の気が引き蒼白となるなか、ココがくるっと茶封筒をひっくり返し、

「あぁでもこれ差出人の名がないわぁ。幸福の使者ってのはあるけどさぁ。これっていたずらかねぇ」

 茶封筒を振り、かさかさとした音を聞いてココは尋ねた。

「ねぇメーベル。これ確認してあげよっか。前にもあったっしょ? アンタ宛の狂信的な恋文みたいのがさ。コイツもそんな感じがぷんぷんするのよね」

 茶封筒が掲げられ、皆の視線が一気にメーベルへ集中してくる。

 どのような答えを口にするのか興味津々なのだ。

 なにしろ答え如何によっては、書かれた文面の信憑性が上がるからだ。

 コォコォめぇ。わかっていて、わかっていてぇぇ。

 たしかに前にもあった。しかしココが親切で言っているわけじゃないことは、痛いほどよくわかっていた。現に目が輝いている。頬が楽しそうに歪んでいる。

 そういう人なのよね、あなたって。

 深く、限りなく深いため息を吐き、メーベルは強い意志を込めてココを睨んだ。

「遠慮しておくわ。だから、渡しなさい」

 すっと手を差し出すメーベルにまわりの人だかりがどよめくも、すぐに静まっていく。当てられたのだ。メーベルの静かなる怒りからあふれ出す精神波動が人々の恐怖心を煽り、黙らせる。

 だが肝心のココは薄笑いを浮かべ、

「ほう。じゃコレ、本物なのね?」

「答える理由はないわ」

 絡まる視線が相手の真意を探っていく。

 母親以外で唯一苦手としているココであるが、今回は退くわけにはいかない。中を見られたら、またあらぬ噂を立てられるのだから。

 さぁ。渡すのよ、ココ。

 増していく怒りが眉を力ませる。対するココは不満げに口元を歪め、

「面白味のない子だわね」

 持っていた茶封筒を手首のひねりだけで飛ばしてくる。

 弧を描いて飛来するそれをメーベルが手にしたとき、ココが高らかに宣言した。

「とにかく確定よ! 我らベスタ署の問題児、いや麗しの姫君にようやく春が来たってことがね」

「な、なに言って」

 いきなりの展開であわてる合間に、各方々から自然に拍手がはじまり、祝辞が飛んでくる。

 ど、どうしてぇ。

 次第に頬が熱を帯びてくる。自分でも赤くなっているのがわかり、なおさら熱くなっていく。

 そんなメーベルに構わず、ココはさらに声を上げた。

「皆、今日は祝杯をあげようではないかぁ」

「おぉぉ」

 湧き上がる雄叫びに、メーベルの理性は軽く吹っ飛んだ。

「だぁまりなさぁい!」

 魂の一喝が、あたりの声という声を失わせる。

 一気に静まりかえった署内で、メーベルはありったけの音量で吠えた。

「あぁるわけないでしょ、あぁるわけっ! 違うのよ、なにもかも、違うっつってんでしょうがぁ!」

 じりじり後退し、皆を睨みながら受付を出て、階段を視界に捉えたとき。

「いい。絶対に! 絶対にぃ違うんだからぁ!」

 捨て台詞を残したメーベルは階段を最上階である四階まで駆け上り、守護警士課を抜けて四番隊の隊長室へ滑り込み、誰もいなくなったことを確認して、がくっと肩を落とした。

 やってしまったぁ。

 階段を登っている時点で怒りは収まり『私なに駆け上ってんの』という状態であったが、止まることもできずに隊長室へ駆け込んでしまった。

「はぁ。私らしくないわ」

 ココが絡むとどうしても冷静さが失われてしまう。

 しかも今回はネタがネタだった。

 まったく、いらぬ手間を。

 よろよろと整理整頓された部屋を進み、応接用の長椅子に腰掛けたメーベルは茶封筒を改めて眺めた。

「ミヤン、あんたって子は」

 微笑んだあと、すっと笑顔を消して封を切った。

 これでしょーもない情報ばかりだったら、わかってるんでしょうねぇミヤン。

 昔なじみの首を絞める、そんな光景ばかり思い浮かべながらメーベルは数枚の資料に目を通した。

 そしてざっと見終わってから、メーベルはぼそっとつぶやいた。

「でかした」

 唐突に立ち上がり、メーベルは窓際へ寄った。

 春が近づく晴天のもと、ベスタの白い街並みを見やりしばし考え込む。

 資格試験……良い機会だわ。

 微かな笑みを浮かべ、うっすら反射する自分の姿を見てうなずいた。

「あいつを使ってみるか」

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