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蒼き草原の獣 -黎明の時-  作者: 沢井 淳
二章 分相応の実力
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二章 分相応の実力 8

 ダンは構えを正眼に変え、相手の出方を伺う。

 それでもユトリアの動きに変化は見えない。

 やるしか、ないな。

 精神波動が邪魔するも、相手の剣筋は見えている。

 勝機はある。

 五感を研ぎ澄ませ、相手の鼓動を感じろ、さすれば我は獣へ至る。

 心を、決めろ。

 己に言い聞かせ、緊張と鼓動が最高潮に達した、その瞬間だった。

『逆らうな』

 突然耳鳴りの如く聞こえた声にダンは目を見張り、進める足先が鈍った。

 それが隙だった。

 雷神と称えられた英雄ジェッカーを彷彿させる速さでユトリアが間合いを詰め、一撃を振り下ろしてくる。

 ダンは受け止めることもできず、かろうじて右へ倒れるように避けるも、迅速な二撃目が跳ね上がってくる。

 冗談じゃない。

 微かに木剣を当てて軌道を逸らし、ダンは倒れる勢いのまま横っ飛びして間合いを開けた。即座に体制を整え正眼に構えるも追撃はなく、ダンは荒い呼吸を整えつつユトリアを睨む。

 ユトリアは余裕の笑みを浮かべ、木剣をゆっくり上段へ構えていく。

 こりゃ、やばいな。

 聞こえてしまった師匠の声が切っ掛けか、徐々にまわりの歓声が耳へ入ってくる。試合開始から静寂は打ち破られていたのだろうが、極度の集中が客の声や陣営からの声援すら聞こえなくしていたのだ。

 それが今ではジェッカーを称える歌すら聞こえてくる。

 集中が乱れたなぁ。でも一番問題なのは師匠だ。まだぼくは……。

 歯を食いしばるなか、またも声が聞こえてくる。

『本気を出すな』

 実際に聞こえているわけではないはずなのに、深く淀んだ響きを持つ声は、どこかで聞いた覚えがあった。しかし思い出そうにもはっきりとは浮かばず、なにもかもが靄に掛かったかのようにおぼろげだ。

 そんなにぼくは、勝っちゃいけないのですか。

 問いかけるも答えはない。

 妄想だと決めつけ、頭振って払おうとするも声は『勝つな』と何度も木霊はじめる。

「どうした、お前はそこまでか」

 試合はじまってから沈黙し続けていたユトリアが揺さぶりを掛けてくる。それだけ流れが彼女の物となっている証拠だ。

 勢いにのってるね。となると次が最後。

 わかっていても言い返す余裕がダンにはない。

「できる奴かと思ったが。どうやら分相応の実力らしい」

 吐き捨てたユトリアが、間合いを気にすることもなく突き進んでくる。

 真っ向勝負か。

 ダンは正眼に構えたまま動かず、相手の出方を見極める選択を取った。

 右か左。それとも正面?

 迷うなか、ユトリアの精神波動が膨れあがると同時に飛びかかってきた。

 歯ぎしりし、動きを追う。

 猛然と振り下ろされる剣筋は、正面。

 なおも聞こえる『勝つな』の声を聞きながら、ダンの意志は固まった。

 我は獣へ至る! ぼくは勝つ!

 血が沸き立ち、筋肉が躍動し、ダンの身体が一気に右へぶれた。

 空振りするユトリアの一撃。

 目を見開く彼女を視野に入れつつ、ダンは払うかのように木剣を相手の脇腹へ叩きつける、まさにそのとき。

 身体が硬直した。

 何者かが身体を押さえたかのような、不自然な硬直だ。

 ありえない。あっていいはずがない。

「な、なぜ」

 思わず口にした直後、ユトリアの切り返した木剣がダンの左腕と脇腹にめり込み、なぎ払っていく。

 自由を奪われたのは、ほんの一瞬だった。

 だがユトリアはわずかな隙を見逃すような剣士ではない。

 見事な一撃だった。

 勢いを殺そうと自ら飛び退くも、衝撃は深く、左手の握力が戻らない。

 ダンは右手一本で木剣を構えたが、勝負はついたも同然だ。

「そこまで!」

 主審メーベルの制止に、歓声が引きはじめる。

 そしてあたりが静寂に包まれ出したころ、メーベルが西陣営へ右手を挙げ判定を下す。

「勝負あり。勝者、ジェッカー・ローズン・ユトリア。レイヨリオ校、一勝」

 負けたか。

 敗北には慣れているのに、今去来している焦燥感と虚脱感はダンにとって新鮮すぎた。だからか、歓声が再度上がっていることに気付かぬまま軽く礼し、うずく左腕を押さえて陣営に戻ろうとすると、

「お前は最低だ」

 背後からの罵倒に、ダンは振り返ることなく微笑んで円形の闘技場を進んでいく。

 しかし前方から、次鋒のウララが舞台へ上がってくる。

 なにか言うべきだよなぁ。

 思うも、口を開く気力が湧いてこない。

 そんなダンに構うことなくウララは歩を進め、すれ違いざまに小さく囁いてきた。

「最低だ」

 たしかに。

 あれだけ言ってこのざまだ。

 しかも勝てる機会がありながら、打ち込まなかった。掟があろうと、知らない者が見れば勝ちを譲ったとしか見えないだろう。相手にも味方にも、最低の行為となった。

 終わったね、今度こそ。

 こみ上げる衝動を抑え、ダンは苦笑いのまま闘技場を下り、味方の陣営に戻ることなく表舞台をあとにする。

 ただ、心の奥底に灯った思いを携えて。

 ぼくは……破れないのか、掟を。

 聞こえてくる歓声を背に、ダンは一人歯を食いしばり、暗い通路を去っていった。

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