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憎悪コミュニティ

作者: 神宮司亮介

 直人は、仕返しできない男だった。

 小学校の頃、殴られたことに腹を立て殴り返した結果、友達に怪我をさせたことがあった。直人は自分が悪いと思わなかった。殴ってきたのは、友達が先だったから。しかし、怪我の程度で善悪は決定され、直人は友達に怪我をさせた小学生のレッテルを押された。

 それ以来、感情を押し殺し周りに気を使うことで上手に生きる、どこにでも居そうな男になっていた。

 ただ、「仕返しは悪」という心はあの日以来変わっていない。そのせいで、同僚に濡れ衣を着せられ、仕事のミスを直人のせいにさせられても、上手く反論ができなかった。何を言ったって、無駄な気がしたからだ。

 しかし、直人が黙りこんでいるのは、決して気が弱いからという理由だけではない。むしろ、この気の弱さが必要な場所に、直人は存在しているのだ。

 そう、インターネットの世界にある、とあるコミュニティの中で。



     - 憎 悪 コ ミ ュ ニ テ ィ -



 このコミュニティでは、いくつかの制限の範囲内であればひたすら、胸に抱えている不満や嘆き、苦痛を訴えることが出来る一種のSNSサイトだ。登録時の心理テストの結果で選ばれた者しか入ることは出来ないが、潜在的なユーザーは10万人を越えているとも言われている。直人もまた、そのコミュニティの住人だった。



「悔しい、あいつ、ちょっと口が回るからって俺のせいにしやがって」

 カタカタとキーボードの音に重なってモニターには文字が浮かび上がる。今、直人は今日あったことをこと細かく記述していた。

 このコミュニティの最大の魅力、それは「個人が体験した出来事の映像化」である。仕事終わりの格好のままに書いているのも、出来るだけその日あったことが鮮明に思い出せるうちに書き出し、映像化されたものを視聴したいという思いの現れだ。

 さらに、この動画にはコメント欄や評価欄がある。動画に共感したときには、「憎悪」ボタンを押すようになっている。その数が多ければ多いほど、動画への共感があったことになるため、このコミュニティの中では重要な情報発信の手段となる。直人も日々の苦悩を形にすることで、一部の界隈では人気にもなっていた。

「俺にはこれしかない、これしかないんだ……」

 動画が作られる期間は丸1日。その間は普段のストレスをぶちまけるように、嫌な記憶をメッセージにする。上司の愚痴や給料の低さへの不満などを書く。そしてそのコメントにもまた、「憎悪」の共感が待っている。 直人はこうして、思いの丈を叫ぶようになっていた。すぐに返ってくるコメントに頷き「そうでしょう?」と返す。直人のアカウントを登録する人数は間もなく、千人を越えようとしていた。



 翌日、直人が仕事から帰ると、憎悪コミュニティからのメールが届いていた。そこには『動画が完成いたしました』の文字。口角をあげ、直人はメールを開きそこに記載されているURLをクリックした。

「その書類は、金子君が作ったものです」

「え、俺はただコピーを……」

「金子……いい加減仕事を覚えろって言ってるだろ!?」

「は、はい……」

「ったく、同期だってのにこんなに差がつくものか……渡部はこんなに頑張っているのに……お前には呆れたよ……」

 本当にあったシチュエーションを、俳優が演じてくれている。直人は拳を握りしめながら、俳優たちの台詞に何度も頷いた。

 こうして動画は作られ、多くの人へ配信されていく。早速この動画にも「憎悪」ボタンを押された数が急増し、コメントも寄せられた。もちろん、殆どが同調を示すものだ。「こんな奴最低だ」「上司も全然わかってくれていない」「こんな経験僕もしました」等と。

 酒の当てはそれで十分だった。苦い味が口の中に広がると共に、目頭も熱くなっていく。感動はこんな形でも得ることが出来る。直人はその想いで画面を下へとスクロールさせていく。

 そこで、手が止まった。

 直人は一通のメッセージに目が止まった。

『僕はもっと嫌な経験したことありますけどね』

 ごくたまにだが、こんなメッセージを送られることがある。不幸自慢なのかもしれないが、特に人気が出たアカウントには、このようなメッセージを残すアカウントが多いと言われている。ある意味、人気者の仲間入りかとも直人は思ったが、すぐにその意識は薄れていった。

 直人は自然とキーボードを叩く。メッセージが入力され、送信のボタンを押す。

 そこで突然、画面に警告の文字。そこには『そのメッセージは他人を傷付ける場合があります』と書かれていた。

「傷付いたのはこっちだぞ!」

 応答のない画面に怒りをぶつける。しかし、直人はすぐにその警告画面を消すことが出来なかった。

 というのも、この憎悪コミュニティの中にはいくつかのルールがある。そのうちの一つが「他人の憎悪に反論しない」というものである。もちろん、動画や日々の愚痴にはもちろん、それに宛てたメッセージへの返信ですら、意見を否定することは禁じられている。

 ただ、これはあくまでもコミュニティを円滑に運営するためのものであり、実際のところこのルールを無視しているアカウントは少なくない。かくいう直人も、少し考えたうえでメッセージを送信する。



【貴方の嫌な経験と一緒にしないでください。私の方が、もっと辛い経験をしています】



 ***



「なあ、お前ってもうちょっと景気よく出来ないのか」

 直人の嫌いな男である渡部は、直人の向かいの席でカレーを食べている。直人はうどんを無言ですすり、スマートフォンを覗いていた。もちろん、コミュニティのメッセージ欄を。

「一応俺たち同僚じゃん? そろそろ仲良くしたいんだけど」

 彼とは一応、一年前にこの会社へ入社した同僚ではある。社交性のある彼は社内でも気に入られているが、その陰に隠れて直人はすっかり、「出来ない奴」のレッテルを貼られていた。

「ったく、前のこと根に持ってるのか……? あれは悪かったよ、でも、まさか何も言わないって思わなくてさ、お前が」

 こいつといると本当に腹が立つ。直人は無視を決め込んで、コミュニティを覗き続ける。

 このコミュニティには、アカウント同士にしかわからないようにメッセージを送ることが出来る機能も備えられている。そのため、仲良くなったアカウントとのやり取りは愚痴を言い合う場所とは別に設けられているのだ。

 直人はそこへ逃げ込んで、いつもお世話になっているアカウントへメッセージを送ろうとする。

 しかし、直人の指はそこで止まった。

 画面に広がるのは『このアカウントは消去されました』の文字。

 ただ、このコミュニティでこのことは良くある。確かに、ある程度繋がっていたアカウントが消えてしまうと、少し寂しさも感じるが。

 そこで直人は他のアカウントを探す。もちろん、仲良くしているアカウントは他にも存在している。このコミュニティでは個人の思想を否定されることはない。だから、社会の常識で測られることもない。ありのままの自分で居られる。それが楽しいのだ。

 そんな姿を、渡部は「またコミュニティか」と投げ捨てて席を立った。もちろん、そのことに直人は気付かない。



 ***



 あれから、親しくしていたアカウントは殆ど消去されてしまっていた。

 もともとこの機能は最近使うようになって、話していたのは10人程度だったが、もう殆どがこのコミュニティを去っていた。

 寂しさと同時に、直人はこのコミュニティへ少しずつ疑問を抱くようになる。と言うのも、普通なら運営している会社なり団体があるはずなのに、このコミュニティは誰が運営しているかよくわからないことで、ネットでは議論になっている場所もある。

 直人は珍しくコミュニティを離れ、この憎悪コミュニティのことを調べ始めた。

 ほとんどはこのコミュニティの悪口で、特別見る価値のないページばかりだった。こうしているうちにも一日は終わってしまう。無駄な作業をしてしまったと溜息が出かかった。

「何だこれ……」

 ページを消してしまおうと思ったその時、一番下のリンクが目に留まった。

『憎悪コミュニティが年間三万人の自殺者を輩出している!?』

 吸いこまれるように、直人はリンクをクリックした。



 そこに書かれていたことは、とある企業がマーケティング目的で作ったSNSサイトであること、そして本来の目的であった「愚痴を吐き出す場所」が変化している事、そして、このコミュニティに依存していたユーザーのアカウントが消える数が、ここ数年は万単位であること。

 10万人突破の文字が踊る中、このコミュニティから100個近いアカウントが消えていく。憎悪の塊は確実に、コミュニティにいる人間を蝕んでいた。

「やめよう……ここに居たら、おかしくなる」

 直人はその日から、コミュニティを見なくなった。



 ***



 しかし、一週間も経つと直人はストレスに耐えきれなくなっていた。仕事のストレスはもちろん、言葉を堂々と吐く場所があのコミュニティしかなかった直人にとって、我慢していることもストレスになっていた。

 直人は仕事から帰って早々、憎悪コミュニティに逃げ込んだ。

 思い思いの丈を叫び、動画の申請を行い、それでは耐えきれなくなって直人は今までのことを全部書き始めた。小学生の時、運動神経の悪さを馬鹿にされたこと、親に成績の悪さを指摘され好きだったゲームを売られたこと、高校の時に好きだった女の子に気持ち悪いと言われたこと。全部全部、書き殴った。

 そして、誰も俺のことなんかわかってくれない、と。

 こんなに苦しい気持ちを表現したというのに、直人は口元を緩める。

 これだけ書けば擁護してくれるコメントが返ってくる。そう信じて、直人は画面を見つめ続けた。



 しかし、どうしても目に留まるのは、反論のコメントばかりだった。

『私にだってそれくらいあった』

『そんなことで落ち込むもの?』

『何かお前って甘いよな』

『今頃アフリカでは貧しい子供たちが死んでいる』



 何でこんなことをいちいち送って来るんだ。直人は頭に血を上らせると、キーボードを激しく叩いた。そして勢いに任せて、エンターキーを押した。

 しかし、またしても広がる警告の文字。さらに今回は前と違っている。

『そのメッセージには当コミュニティで禁止されている言葉が含まれています。このメッセージを送る場合、相当の処分がなされる可能性があります』

 直人はもちろん、このこともわかっていた。それでも、メッセージを送信する。



【俺はもう、死にたい】



 そのメッセージが送信されると、また警告の画面が現れた。

『あなたは「死」を連想させるメッセージを投稿したため、当コミュニティの入会条件を破棄したとみなし、アカウントを消去させていただきます』



 このコミュニティで、『死』と言うワードは禁じられていた。そして、この言葉を使うということは、コミュニティの退会を意味していた。こうなってしまうこともわかっていながら、直人は書いてしまった。そして、アイデンティティの場を失ってしまった。

「誰も俺の事なんて、わかってくれない」

 そう言って、直人はパソコンの電源を切り落とした。



 ***



「あいつまさか死ぬとは思わなかったな」

 渡部はホールの喫煙所で煙草を吸いながら、黒い喪服を着てスマートフォンを眺めていた。

 その向こうには、『憎悪コミュニティ』の文字。

「俺だって、昔はいじめられたけど……まあ、ダメなやつはどこ行ったってダメだよな」

 煙が部屋の照明に溶ける。消えたアカウントへ向けた『僕はもっと嫌な経験したことありますけどね』のメッセージを、渡部は消去する。

「……俺も、ここに居るのはやめよう」

 電源を消し、渡部は立ち上がる。あのコミュニティで彼に同調していたアカウントの住人たちで、直人の死を知っているのは、渡部しかいなかった。

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