去年の第一次冷涼高校戦争
僕が高校二年になって転校した学校はとても良い学校だった。僕は人間関係を作るのが下手だけど、すでにこのクラスの友人たちとは身内のような気安さがある。元がみんな仲良しのクラスであったので最初はお邪魔虫のような気もしたのだけれど、そんなことを頭で考えるより前に輪の中に巻き込まれてしまっていた。本当に居心地のいい場所だ。
「髪フェチー、そこのペンキ投げてもらえるか」
「ペンキ缶なんか投げられないよ! 君、頭からかぶりたいの!?」
こちらへ来てから僕に急速に広まった髪フェチ疑惑以降、髪フェチ呼びがスタンダードになってしまった。本当は舞上仙太郎というのだけれどね、僕。時々、髪と略称で呼ばれることもある。神みたいな響きなのに神々しい感じが全然しない絶妙さがポイントだ。
「男たる者、それぐらいのことでグチグチ言いはしない。さあ、投げろ」
変わり者の爽君がそう言って手を広げたので、仕方なく歩いて傍に持っていく。
「はい」
「おおう。助かった」
僕はついでに彼が書いている絵をのぞき込んだ。下絵の時から見ていたので何を描くのかは分かっていたが、この配色の絶妙さは爽君だ。彼の見た目もそうなんだけど絵の構図や色遣いみたいなところは繊細なのに、どうしてこうも塗り方みたいな内面が男らしいのだろう。
「どうだ」
「うん、やり直し」
これではとても看板にはならない。
文化祭というイベントがこの冷涼高校では七月に行われるらしい。生徒が主体となって学校を解放し、地元の方々とのふれあいを高めるのだとか。農産物の即売やお父さんバンドの披露なんてのもあるらしい。外には舞台ができつつある。で、僕らは何をやるかという話だ。
その話し合いの一部始終は暇なときに回想してしまうほど驚きだ。
*
「じゃあ、候補から挙げていくか」
そう言ったのは学級委員で生徒会長の鳥羽君だった。
「お化け屋敷はどうだ」
「ええー、あれ大変だよね、準備」
不満が聞こえた。
「じゃあ、模擬店とか?」
「テーブルの確保ができないらしいよ。誰が持ってくるの?」
「コーラス」
「三日間も??」
なかなか、大変そうだ。
それでも四つ、五つと意見が挙がり、それを副学級委員の氷室安子さんが黒板に書いていく。
「これぐらいか。ほかに何かあるか?」
「あの、でも。割と反対の声が多くない、鳥羽君?」
個人の声も拾いたいと回ってきた鳥羽君に聞いてみた。反対の声を聴かないような彼の態度は少し僕の眉を曲げさせる。
「ああ、そうだな。仙太郎には言ってなかったな。ちょっと待ってろ」
鳥羽君は黒板の前に戻っていった。
「みんな、聞いてくれ。反対の声が多いのはよく分かってる。だが今更だが改めて言うぞ。反対意見は重要にしない。やれない理由を探すよりやれる理由を探そう!」
人を率いていける人間のはっきりとした主張だった。
「すごいな」
「あれ、生徒会選挙の時の演説で言った公約なんだよね」
隣の席の九重さんが教えてくれる。
「ああいうのは男から見ても憧れるよね。本人には言わないけどさ」
前の席の虎君はふうとため息を吐く。
しかしこのクラス一番の曲者はずっと静かだった割に、そのままで終わらせるようではなかった。
「じゃあ、ここはセオリー通り、女装喫茶でもやろうか」
クラスがにわかにざわめく。基本的にノリがいいクラスなのでこういう遊び企画は好きなようだ。しかし、反対意見ももちろんある。
「おい、三毛」
その筆頭はさきほどまでかっこよかったはずの鳥羽君だった。意見者である七々瀬君をぎろりと睨んでいる。それが楽しいのか、彼はにたにたと笑いながら鳥羽君を見た。鳥羽君の方はなんとなくだけれど、七々瀬君の方は彼がどうやら猫のような三毛という名前が好きではないようなので、僕は直接三毛君とは呼ばない。見た目は優形で美形の少年だ。少女漫画の表紙とか飾っていそうな睫の長い整った顔をしている。それに女性でもあんまり見ないくらい長く髪を伸ばしていて、今日はポニーテールだった。
「どうしたの、康ちゃん?」
「女装喫茶だと? お前漫画の読み過ぎで現実との区別が出来なくなってきたんじゃないか?」
「嫌だなー、そんな訳ないよ。それに、そういうけなし方は生徒会長としてどうだい? いいと思うのかな?」
「そ、それは・・・」
「できないという意見は重要じゃないんだったよね?」
「ああ・・・」
僕はその攻防を見ながら、おろおろした。鳥羽君、もっと頑張れ。
「鳥羽君が言いくるめられていくね」
「まあ、いいんだよ。あの二人はそれでも仲がいいし、お互いがお互いを制しあってるって部分が大きいからね。あの二人をさ、かつてばらばらの組にした年があったの。何が起きたと思う?」
虎君が聞いてきた。
「さあ、何か悪いことが起こったの?」
「悪いなんてもんじゃない、最悪だよ。絶対王政と恐怖政治みたいなものをリアルで見てるみたいだった。どっちもいじめ問題なんか片鱗も見せないし、全部有能な彼らがやってくれるから表面的にはなんの問題もないんだけど、自分でなにかしようって気になっても全く手が出せないんだよね。それに人間って誰かがやってくれるって分かった途端に手を抜君だよ。それでも、何も問題ないからさぼり癖が付いちゃって、生徒だけじゃなくて先生にもね。なんかぬるま湯にでも浸かってる気分だった」
九重さんの言葉に虎君が頷く。
「そのぬくぬく感が授業にも出ちゃって、みんなどどどっと成績が下がったよね」
「で、鳥羽君も七々瀬君も放課後勉強会みたいなのをクラスメート全員に強いて、そのせいで反感買って」
「クラスは四散!」
九重さんと虎君は二人で笑いあった。
「そこ、うるせぇ」
鳥羽君からお叱りの言葉が飛んでくる。
「そうだ、できるようにすればいい。普通の喫茶店ならだれもトラウマを持たずにできるだろう」
「ちぇ」
黒板に喫茶店の文字が何の冠詞もなく書かれる。
「じゃあ、多数決取るぞー」
そういう鳥羽君の一言の後、僕らのクラスは喫茶店になった。
それにしても七々瀬君も捨身の意見で鳥羽君をからかうなーと驚いたものだ。女装喫茶なんてものに決まったら自分だって女装しなくちゃいけないんだぞ、と。
*
生徒会と風紀は学校全体のことについての話し合いで忙しいらしく、鳥羽君と七々瀬君は文化祭の準備時間はいつもいない。
他のクラスメートも調理班は調理室にという具合にそれぞれの場所に行って支度をしている。今教室にいるのは僕と爽君とどうやら料理には向いていないらしい朝霧さんだ。三人で文化祭用の看板を一人一つずつ描いていた。
「どうかしたの?」
朝霧さんがやって来て、あちゃーという顔になる。
「うん。どんまい」
彼女は僕の肩に手を置いてくれる。どんな風になるか楽しみにしていた僕の気持ちを彼女は分かってくれたらしい。
しかし、爽君は不服そうだ。
「どんまいとはなんだ。そしてかけるならかけるで励ましの言葉は俺に来るのではないか、九重」
「ありがとう、朝霧さん。少し元気がでた」
「スルーか、この俺をスルーするのか!?」
「爽君、うるさい。まさかここまで色を塗るのが下手だなんて思わなかったわ」
あ、しょぼーんとしてしまった。
爽君をへこませすぎたように感じたので、少し話題を変える。
「まあ、とりあえず時間もまだあるし、ゆっくりやっていこう」
朝霧さんも頷く。
「ほかの子もまだやってるしね。私たちは作業が早すぎたくらいだわ」
「みんな、忙しそうだよね。特に、七々瀬君、ちょっとやつれてない?」
七々瀬君、破天荒で人をからかうことが好きで好きでたまらないって感じの子なのに、あれで意外に責任感は強いし、周りにも気を配れるいい子なんだよなあ。忙しそうなのに、実はすでに一度、このペンキを倉庫から持ってくるときに手伝ってもらっている。去年も使ったから、俺なら場所を知ってるって。気遣いが完璧だ。
「あんなに忙しくする必要あるの?」
爽君は少し悲しそうな顔をした。
「三毛は、責任を感じているんだと思う。去年の文化祭を後一歩のところで台無しにしてしまいかけたからな」
「そうなのよね」
七々瀬君が今日配っていたビラには冷涼高校間近になり気の緩んでいるところで事件に巻き込まれないように注意をすること。トラブル防止のためにも寄り道をせず帰り、もし何らかのトラブルに巻き込まれたら校外のことでも相談してほしいという旨が書かれている。
「これと関係があるの」
「まあな」
「それだけじゃなかったってことも知ってほしいけどね」
朝霧さんは一泊置いてから話始める。
「私のクラスには妖精が出たわ。外国のおとぎ話を元に妖精さんって呼んでるの。貧しい靴やのおじいさんのために毎晩妖精さんが作りかけの靴を完成させてくれたってお話。去年、私たちのクラスは準備が終わらないまま本番当日になったの。係りだった子たちは暗澹たる気持ちで」
「九重、暗澹とはなんだ」
「んん? ああ、見通しがつかなくて悲しい気持ちになってたってこと。でね、学校に来たんだけど、そしたら縫いかけのテーブルクロスや途中やりだった教室の飾りつけが全部終わってたの。みんな目を丸くして驚いて、でお礼を言いたくてやってくれた人を探したんだけど見つからなかったんだ。それで、妖精さんがやってくれたって言ってるの」
「へーえ」
僕は素直に感心した。そんな人がいるなんて。
「だが一番大きな事件、いや事件になりそうだったものはやはり、七々瀬三毛絡みなんだ。とはいっても、三毛が全面に悪いわけじゃない。
もともとは人助けから始まっているからな。ここから山一つ越えたところに西北弓ヶ丘という高校がある。男女比率7対2のその学校の男子学生はよく他校の生徒にちょっかいをかけているという噂があった。とはいえ、去年までは噂だけだった。彼らが山を越えてくることはなかったからな。しかし、だ。去年とうとう弓校、西北弓ヶ丘高校の略称だが、まあ、そこの不良が山越えをしてはるばるちょっかいをかけにきた。乱暴に腕を掴まれた女子生徒が悲鳴を上げているところに出くわした三毛は、相手をぼこぼこにした。それはもうぼこぼこにした。やたらめったら殴りつけられて、不良は伸びた。まあ、それでもやり足りなさは残るが、こと恨みを買うという点ではやりすぎた。下っ端のお礼にと、上級生のボスが学際に乗り込み、七々瀬三毛を出せ、と怒鳴り散らした」
僕は息をのんだ。爽君は身振り手振りを加えながら、迫真に迫った声で言うので、その臨場感に当てられて、握りしめた手が湿り気を帯びてきた。
「彼らは通りがかりに模擬店から商品をもぎ取り、生徒を恐喝して金を取り、準備に時間をかけた飾りや道具を容赦なく壊していった。三毛は青くなって震える生徒の前に一人立ちふさがり、自分が七々瀬三毛だと名乗り出た。すぐさま、乱闘騒ぎが起こりそうになった。そこに康太が割って入ったんだ。まあ、あのまま乱闘になれば三毛は高校を辞めなければいけなかったかもしれんな。攻めてきた相手方のリーダーは康太と旧知の間柄、弓校の剣道部大将権藤照義だった。相手の言い分を聞きながら、康太は挑発したりなだめすかしたりしながら、なんとか自分たちに都合のいいように話を持って行った。彼らは剣道で勝負を付けることになった。それは学校祭中ということもあって他校生徒の親善試合という体裁がすんなりと通り、表向き弓校生はその選手と応援で来ていることになった。向こうは都道府県大会に出場する予定のレギュラーメンバーが揃っていた。冷涼高校の剣道部のそのメンバーは先鋒御国虎、中堅鳥羽康太、大将森永爽こと俺だ。しかし、このメンバーで戦っても彼らの気持ちは収まらない。先鋒は三毛が引き受けることになった。あいつはそれまで剣道はやったことがなかったからだいぶ苦戦していたが、それでも天性の才能としか言いようのないものをもつ三毛にとって、軽い腕試しだったと思う。あいつはあの試合で何気に権藤照義に気に入られたからな」
へえ、七々瀬君は運動も得意なのか、と感心するばかりだ。
「俺はなんだかよくわからないが、人数合わせに体を貸してくれと拝み倒されて、剣道場に言ったんだが、言葉通り康太は二戦目の中堅試合で勝って試合を締めた。いつの間にか、熱き男たちの友情のような試合になり、弓校の人間は朗らかに帰って行った。これが、冷涼高校戦争のすべてだ」
一気に語り終えて疲れたのか、爽君はふぅと言ってお茶を飲み始めた。
「あの時はまだ忍先輩がいて、先輩、運動ができるような人じゃないのに、真由先輩に一番強いのは忍でしょ、って言われて、よしその試合僕も出るって言って止められていたなあ」
九重さんはそう言って、寂しそうに笑った。
忍先輩は去年亡くなってしまった人だ。僕は会ったことがないのだけれど、九重さんはその先輩のことが好きだったんじゃないかなと思う。なにしろ彼女はちょうど忍先輩が交通事故で亡くなったころに腰まであった長い髪をはさみでバッサリ切ってしまっているのだ。しかも、その忍先輩は時燈真由先輩と付き合っていたので、どこをとっても簡単に触れられる話題ではなかった。
「まあ、それでも、去年の冷涼高校の学園祭も楽しかった! 三毛や康太が企画したイベントが目白押しだったし、あんなに開放感あふれる学校祭はきっとどこにもない。俺たちだけの思い出としてこれからも永遠に残るだろう。今年からはお前も一緒だ」
僕が去年の学祭を知らない寂しさを見抜いたように、爽君はそう言って笑った。この学校には気遣いやが多くて困る。おちおち凹むこともできないや。
「ふわあ。ねむー」
グゥーッと体を伸ばしながら教室に入って来たのは七々瀬三毛君だった。
「ああ。俺もさすがにねみぃーわ。こりゃあ」
その後ろから、鳥羽康太君も入ってくる。風紀委員長と生徒会長のお帰りだ。
お疲れ様―。とねぎらいの言葉をかけながら、ははと笑い。こそっと三人で爽君が失敗した看板の前に立つ。
「なんだ。三人とも突っ立っちゃって」
「そうね。二人が帰ってきたってことは、学際準備の時間は終りね」
「お、おう。九重、髪フェチ。さあ、ホームルームの準備だ。看板を片付けて机を戻そう」
「そうだね」
三人で、一斉に同じ看板を掴んでしまった。それを怪しまない程、鈍くない二人がそれぞれに動く。
「おい、爽」
「な、なんだ。康太。俺は別になにも・・・」
「はい、見えたっ・・・て。う、うっわ」
鳥羽君が爽君の気を引いている間に、絵の見える位置に回り込んだ七々瀬君が顔をしかめる。
「このクラスにピカソがいたとは知らなかった」
「ピカソ?」
「うーん。抽象画としては優れてそうなんだけど、看板としてはまずいよなあ、これ」
「どういうことだ」
鳥羽君も絵を見て、絶句する。うん、瞳孔開きすぎてて怖いよ。
「お前、絵を描くの苦手だったんだなあ」
康太君が事実を自分に認めさせようとするように静かに呟いた。
それから、しばらく談笑しているうちに話はまた去年の冷涼祭に戻った。
剣道部がすごかったという話を聞いたので、どんな風なのか教えて欲しいと言ったら、見学させてもらえることになった。




