ようやく俺は誰かにキラワレル決心を付けた(微笑)
放心したまま暗くなるまで河原に居た俺は携帯が何度か鳴って、やっと現実に引き戻された。長い走馬灯でも見てきたような気分だ。
帰りの遅い俺を心配して自宅から電話が入ったようだ。
――――かえろ…う。
そうして帰り道を辿った時だった。
俺の家の前に彼がいた。
チャイムを押そうとしては止めてを繰り返し、その場を落ち着かなく歩き回っている少年が。
俺は一瞬、目を疑った。
――本当に、本当に彼だろうか?
――自分の頭がおかしくなったのではないか?
仙太郎にとって転校は俺と離れ、人間関係を整理する良い機会の筈だ。
俺なんて、もう自分を見放しそうだ。
「………………っ仙太郎?」
彼の体がびくりと跳ねた。おそるおそるという形でこちらを見た彼は、しかし俺の顔を見た途端に何もかも忘れてしまったように慌てて駆け寄ってきた。
「どうした!? 何があったんだ!? 鍵!?」
「……髪かぁ?」
「も、そうだけど。なんで泣いてるんだ! ぁ、ぁ…………。僕、来ちゃダメだったか?」
俺は仙太郎の肩を借りた。
「っ…………。もう、会えねーと思った…………。ひどい親友でごめんな」
「……鍵。会えないって。そんなの会いに来てくれればいいじゃないか!」
俺だって、行くつもりだったんだよ!
「…そうだ。今日は誤解を解きに来たんだよ」
「…………ああ」
仙太郎が俺を自分から引き離してポケットを探る。
そして気合いを入れるように大きく深呼吸してから、勢いよく言った。
「いいか、鍵。僕はこういうショートヘアーの子の方が好きなんだ。性格も友達思いですっごく優しいんだぞ!」
ばっと俺の目の前に写真を突きだした仙太郎は言ってやったぞ! というように息を荒げていた。
それは昨日、雪乃野さんが身分証に使った写真と同じものだった。
「えっと、この子?」
仙太郎が指差したのは肩までの髪をした輪郭の丸い、女の子だった。
「ああ。先輩の雪乃野雫さんだ」
俺は目を見開いた。
俺の知っている雪乃野さんはその逆端に写っているもっと髪の短い少女なのだが。
慌てて俺はその子を指した。
「この子は?」
「ん? おんなじクラスの朝霧九重さん? ああ、そうだ。一昨日、学校休んだから心配してたら、こっちに来てたんだって? 夜に電話をもらって鍵と話したってこと聞いたけど、鍵、誤解しすぎだからな!」
「……ぉう。聞いた……ごめん」
いつまでも元気を取り戻さないからだろうか。目の前で仙太郎がおろおろし始めた。
「いや。分かってくれたなら良いんだ。鍵、本当にどうかしたの? もしかして、九重さんとなにかあった? 雪乃野先輩は九重さんが行ったのを知ってたみたいだ。彼女がなにかしでかす前に帰った方が良いぞって冗談だと思ってたんだけど」
「ずっと、小学校の頃からお前が不安な気持ちで俺といたこととか……聞いた」
あっという声を出した後、仙太郎は地面にしゃがみ込んだ。
「仙太郎…………?」
「なんだ。ぇ……、九重さん、そんなこと言っちゃったのか」
「言ってくれれば、俺だってもっと変わろうとしたのに」
「言えないよ。言えなかったよ・・・。僕なんかが・・・迷惑だ」
「そんなことねぇ。言って欲しかったよ。仙太郎は俺にとってすっごい、大事な友達なんだよ。僕なんかが、っていうなよ。ちゃんと、大切にしたいから、言ってくれ。俺は仙太郎ほど他人の気持ちなんか分からないんだ」
「そんなの僕にだって分からないんだけど」
俺たちは二人して黙り込んでしまった。
「…………そうだ。その朝霧さんだけど、ずっと、雪乃野雫だ、って名乗ってたんだけど」
「ああ。先輩、自分の名前を九重さんに託したって」
「え?」
「鍵、僕と仲直りしてくれるかな?」
「っ、お願いします」
俺はそれから仙太郎に急かされて自分の部屋に入った。
「僕だけの歌なんだ」
彼はCDをデッキにセットして、スタートボタンを押した。
「……………………!」
心臓がドキッと跳ねた。あまりの荘厳さに鳥肌さえ立つ。
――これ、本物だ。
それは聞いたことのない歌のアカペラだった。
まだ荒いところもあるが、素晴らしい声を生まれ持っている。
澄んだ声が繊細に震え、聞く人の心を共振させる。
大した設備のない空間なのだろう。小さく混じるノイズがまるで巨大な岩のように邪魔だ。
曲が終わっても、俺は立ち上がれなかった。
「なんて名前の歌手なんだ……。プロなんだろう?」
「これが雪乃野雫の歌なんだ。プロにはならない。いなか町でひっそりと歴史に名を刻むこともなく死んでいく少女の歌だ」
「……………………」
信じられなかった。
「……なるべきだ。歌手になるべきだ。こんな才能が埋もれて良いわけがない」
「でも、雪乃野先輩は自分の町を離れないって決めてるからね。多分、それもあって九重さんに名前を貸したのかな? どうせ、私はその町には行かないから好きにやって来て良いぞって。そのまま言うと、九重さんも抵抗しそうだし、私は行くことはできないが私の名前だけでも連れていってくれとか言ったのかもなあ。九重さんも雪乃野先輩の名前を使う以上は無茶もできないから抑止力にもなるし」
いや、あの子はなんの容赦もしなかった。
まるで熱した鉄のように苛烈な少女だった。
怒りの炎に鮮明に輝き、かと思えば一瞬にして冷えて青白い光りになった。
でも、そうだ。そう言えば、ぶっ叩いた千歳さんには雪乃野雫とは名乗らなかったな、最後まで。
「歌詞は僕が考えたんだ。予想以上に雪乃野先輩の声が凄すぎてもっともっとと歌詞を直してたら、ゴールデンウィークに間に合わなかった。本当は金曜日の夜に向こうを出発するつもりだったんだけどな」
仙太郎はCDをカセットから抜き取って、俺に差し出した。
「はい。鍵へのおみやげ。地方名物隠れた才能」
なんだよ、それ。と苦笑してから俺は首を傾げた。
「良いのか? お前だけの歌なんだろ」
「そうだよ。だから、これにギターの演奏をつけてくれないか。意外に雪乃野先輩も楽しみにしてくれてるんだ。色々捨ててしまったから、それを土産に向こうの家に戻るよ」
それから彼は俺に笑顔を向けた。
「鍵が親友なのって自慢なんだよ」
俺は拳を知らず、握っていた。
確かに俺は間違えていたところもあったのかも知れない。でも、やっぱり俺たちの友情はたかだか二週間のあの少女にすべて看破されるようなもんじゃないんだ。
「俺も誰かを愛してー」
「千歳さんは?」
「多分、もうごめんだろうよ」
「そうかもな」
仙太郎も否定をしなかった。
それに俺自身も彼女に罪悪感を抱きながら、好きではいられない。
弱い俺の心が震える。
止まった涙が恐怖のために溢れそうになる。
――なあ。いつもの通りに俺を許してくれるか?
「約束は守るよ。僕は君を裏切らない。だから、君は誰かに嫌われても大丈夫だ」
――本当に? 本当に?
多分、俺は究極のところ人を信じていないのだろう。仙太郎でさえも疑っている最低な人間なのだろう。
でも、最低な俺を仙太郎だけは見抜いた上で、俺であることを許してくれた。
初めて会った時に仙太郎が言ってくれた言葉が俺をずっと支えてくれていた。
それは、今もなのだ。
「だからもっと安心しなよ、鍵」
俺は小さい頃から自分を曲げて人を集めたけれど。仙太郎の気持ちを受けても、それでもそれは続いたけれど。いつまでも変われない自分が嫌いでありながらも、ずっと安住していたけれど。
だけれど、俺は今度こそ誰かを信じよう。
本当のことを言うようになれば、俺を嫌いになる人間ももちろん出るだろう。でも、仙太郎のように受け入れてくれる人もいるはずだ。そういう人がいると実感できて初めて俺はもっと仙太郎を大事にできるようになるのだろう。
前はクラスメートに気を使って行きたいときに仙太郎に話に行けなかった。
一緒に帰ろうと誘われれば、仙太郎と帰るからとは断れなかった。
それを後悔するべき記憶だと認めよう。
ようやく俺は誰かにキラワレル決心を付けた(微笑)。