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17/25

親友だから・・・・・・

 翌日、朝方にやっと眠りに落ちて、起きた時には日は高く上がっていた。

 カーテンを開けて伸びをする。

 ふと、下を眺めた俺は絶句した。

 昨日の少女が家の前に立っていた。

 今日は確か十二時頃に来る予定だったと思うのだが、まだ二時間はある。ずっと待っているつもりだろうか。

 仕方なく、俺は着替えて外に出た。

「おはようございます、雪乃野さん」

「あ、ああ。おはよう」

 雪乃野さんは少し決まり悪そうに目を泳がせた。

 その目の下の隈がとても気になる。一体、いつから外に居たんだ。

「ふぁー」

「大丈夫ですか?」

「全然駄目だ。超ハッスルしてない」

「ああ、やっぱり地元じゃないと落ち着きませんか? それで眠れなかったんじゃ……」

「夜中にお前が仙太郎のとこに行ったんじゃないかと気になって、ここに始発で来てしまった」

「何やってんですか!? ずっと、ここに居たんですか!?」

「あ? 駄目だったか?」

「当たり前です! 下手したら通報されますよ! ストーカーとかと間違われてしょっぴかれますよ!」

「しょっぴか……?」

「警察に捕まるって意味です!」

 雪乃野さんはやっと俺が大声をあげている理由が理解できたようだった。

「しまった。ここは地元ではないのにな」

「……ぁ」

 そうか。俺にとっての常識が雪乃野さんにとっても常識だとは限らないのだ。…………本当に? え?田舎って人んちの前に何時間いても大丈夫なの??

「最近、仙太郎の家の前で何時間も立っていることが多かったからな」

 仙太郎ぉぉおおお! 逃げて! 超逃げて!

「今日は千歳真理子に会いに行こう」

 俺のわたわたした頭が冷めた。



 千歳真理子の家を実は俺は知っている。とは言っても、彼女が好きだから調べたのではない。俺はそこそこ交遊関係が広い方なので、元クラスメートの家くらいなら、誰や彼やと話しているうちに自然と入って来てしまうだけだ。

 しかし、勝手に他人に吹聴しないだけの配慮は持ち合わせているし、この時間に彼女が家にいないのも知っている。

 俺たちの学校の近くにある塾に彼女は通っていて、そこは土曜日も午前はやっている。千歳さんと同じメニューで勉強しているそこの塾生が、ゴールデンウィークも塾があると嘆いていたので、今日も恐らくまだ勉強中だ。

「千歳さんに何の用があるって言うんだ」

 俺のみではなく、彼女も巻き込むつもりなのか。

「お前は大きな思い違いをしている。その勘違いを正すために彼女が必要なんだ」

「ちゃんと聞くから、そんな風に焦らさずこの場で今言ってくれ。」

「いや、千歳真理子に会わなくては言えない」

「会わせないぞ!」

 ふん、と雪乃野さんはそっぽを向いた。

「なら、勝手に調べる」

「ちょっと待て!」


「幸福の糧が天から降ってくるのを見て、僕はそれをお椀型にした手のひらの上に乗せようとした。けれど、それは僕の上をすぎるばかりで、僕が手を引いてきた人までもそれを手に入れることはできなかった」


 突然、雪乃野さんは言った。

 そして彼女はこちらを見た。

「痛い」

 俺ははっとして掴んでいた彼女の腕を離した。

「仙太郎は似てるんだ。そうやって言っていた人と。その人は私達にとって大切な人だった。そして今仙太郎は私達の大切な人に成り行く途中なんだ。笑っていて欲しいと思うのが当たり前だろう」

 俺はぐっと拳を握った。

「会えば……」

 俺は――嫌いだ。

「君が千歳さんに会えば……」

 俺は自分が嫌いだ。

「仙太郎は笑うのか?」

 仙太郎のためなら何でもしそうな自分が嫌いだ。



 千歳さんの塾が終わったところを狙うため、俺たちは塾の前のファーストフード店でお昼を食べることにした。

 互いに自分の分を頼み、向かい合って席に着く。

「はあー」

「うぐっ。どう゛ぉした? げんぎ……バクッ、がない………………ん……………………んん!」

 雪乃野さんが苦しそうに喉を押さえ始めた。

「ちょっ! なにやってるんですか! 水! 水飲んで!」

 しかし、上手くコップも掴めないようなので、俺は彼女の背を何度か叩いてやった。

「……ん。……はあ。ぜぇ、ぜ。村瀬君、元気がないようだが、どうしたっ? はあ、はあ」

「そんな息切れしてる人に心配されるほどではありません! しゃべりながら食べるから詰まるんですよ」

「思い返せば、昨日のお昼にスパゲッティを食べたあと、お前と話していた時に飲んだ一杯のコーヒーが最後の食事だった」

「腹ペコですねー、そりゃあ!」

 本当にこの子何してるんだ。

「夢中になってるとよく食べるのを忘れてしまうんだ」

 雪乃野さんはぐいっと水を飲む。

「別にお前を悪役にしようとしているわけじゃないんだ。そんなに千歳さんを紹介したくないなら、自分でなんとかするから、ほっといてくれ」

「ここまで教えた後じゃもう遅いだろ。それに、これはそれだけの溜め息じゃないんだ」

「ん? というと?」

「……昔っから……なんですけど」

「ああ……ぢゅる」

「俺は――仙太郎に重きを置きすぎるんです」

「とてもそんな風には見えないぞ。服も髪も適度にコジャレているし、お前の顔は誰かに嫌われて生きてきたようなしみったれた顔じゃない。それに仙太郎に聞いた限りじゃ、友達も大勢いるそうじゃないか」

「そうですね。俺は嫌われるのが怖い。すっげぇ、怖い。考えただけで吐きそうになる。だから、人の顔色を見て、あっさりと意見を変えてきました。だからこそ、広く浅い友人関係も持ってる。でもそれを仙太郎だけが見破ったんだ。その日からどれだけ友達がいても、ずっと俺にとって仙太郎は唯一なんです。でも、それじゃいけないってちゃんと分かってるんですけどね」

 俺は自分の髪を摘まんだ。

「下手な色に染まっているでしょう? 金髪から染め直したばかりなんです」

「なんだ。ってきり、都会の人はみなスーパーサイ○人と同じ髪色で生まれてきて、それを隠すように黒で染めているのかと……」

「なんでですか!」

「開国後、外人来た、いっぱい」

「だから、都会人はみなハーフだと!? しかも何で急に片言!?」

 いけない、いけない。冷静にならなくては!

「俺の元の髪色は黒です。仙太郎が居なくなったのがすごく堪えて、あいつの転校後に金髪に染めて、深夜にライブハウスに通い詰めて、不良にガンつけられて、和解して、その人たちのバンドに誘われたんで、ゲスト出演したんですけど、髪を緑に染めてほしいと言われて辞めたんです」

「なんだ。グレようとして失敗したのか」

 ほんと、遠慮という言葉を知らない子だな。

「まあ、そういうことです。仙太郎以外とも本心で語って本当の友達を作ろうってずっと思ってたのに、実際はなにも変わってない」

 仙太郎のこととなると、いきなり現れた少女にしょうもない恋ばなをし、好きだった人を厄介事に巻き込む手伝いもしてしまう。

「自分の不甲斐なさに溜め息がでます」

 しかし雪乃野さんはともすれば異常にも映るだろう、俺の仙太郎への依存に特に目立った反応はしなかった。

「別に私はそれが独りよがりでなければ憧れるくらいだぞ」

 そう、肯定してくれさえした。

 ただ、独りよがりというところに刺を感じたのは、俺の被害妄想だろうか。

 そうして話しているうちにも塾の玄関から目を離さないでいると、ようやく彼女は現れた。

 千歳真理子は澄まし顔をツンと上げて、一人で素早く歩いていく。

「あ、行っちまう!」

 俺が言った時には雪乃野さんはファーストフードのごみを捨てて、入り口から出るところだった。

 走って後を追うと立ち止まる千歳さんの背が見えた。

 その前に立ちふさがる雪乃野さんを彼女は訝しそうに見やる。

「何、あなた?」

「私は舞上仙太郎の今の友人だ。彼からの伝言を預かってきた」

 罵倒が飛び出すのだろうな、と俺は肩をすくめて身構えたけれど、千歳さんは短く――そう、と言うだけだった。

「場所を川原に移そう。見せたいものがあるんだ」

 千歳さんはわずかに、だけれど震えているようだった。

 その首がこくりと頷く。

「という訳だ。行くぞ、村瀬鍵」

 千歳さんがこちらを振り返る。彼女の目を見たのは久し振りだった。

 雪乃野さんが先陣を切り、俺と千歳さんがその後を歩いて川原に向かった。

 十分ほどで土手に出ると、雪乃野さんはその草の斜面を下って川辺まで下りていく。

 俺たちも続いて川原に出た。

「見せたいものって?」

 千歳さんが雪乃野さんの背に向かって叫ぶ。

 雪乃野さんはゆっくりと振り返り……。

「嘘よ」

「はあ!」

 思わず俺も声が出た。

「じゃあ、何で川原に来たんだ!」

「川原は青春の聖地じゃない。それにここでなら、一目を気にせず多少は騒げるでしょう」

 そこで違和感に気付いた。先ほどまでと異なる雰囲気を雪乃野さんから感じる。素に戻ったというような。

 それは突然だった。

 パチン。

 弾ける音がした。

 止める間もなかった。

 雪乃野さんが大きく振った手がしなり、その平手が千歳さんの頬を襲った。

 驚愕の表情で千歳さんは頬を押さえる。それからやっと状況が分かった様で彼女は猛然と怒り始めた。

「何すんのよ!」

 雪乃野さんはふんと鼻を鳴らす。

「今のは仙太郎の分!」

 怒り心頭の様子で雪乃野さんは続けた。

「あなたは仙太郎の最後の拠り所を奪った。仙太郎はあなたの恋を応援したのに、それを裏切ったんだから!」

「違う! 千歳さんは悪くないんだ!」

 俺は横から叫んだ。

 雪乃野さんはキッとこちらを睨みつける。

「そうよ! 一番悪いのはお前よ! 千歳さん、それからこれが私の気持ち」

 雪乃野さんはもう一度千歳さんに向かっていくのが見えた。

 千歳さんは傷付いた表情で動かない。

 俺は雪乃野さんの腕を掴もうとした。

 しかしその手はあっけなく宙を掴む。雪乃野さんの動きが予想と違うものだったからだ。

「よく頑張ったね!」

 雪乃野さんは千歳さんを抱きしめていた。

「よく耐えたね! あなたが置かれた立場を私は知ってるよ」

 俺は固まってしまった。

 雪乃野さんに抱かれ、放心した様子の千歳さんの目から涙が一筋流れ出た。それは二筋になり、三筋になり、途切れなくなった。

「仙太郎君、もう怒ってないよ。昨日ね、ここで分かったことを電話したら、どういうことだったか、彼は事件の真相が全部分かったって。仙太郎君、言ってたよ、千歳さんに悪いことしたって」

「違う……。違う! あなたの言う通り、私が舞上君を裏切ったんです」

 俺は泣く千歳さんと慰める雪乃野さんを前に、茫然と立っていた。

「どういうことだ」

「千歳さん、話すよ。もう、終わりにしよう」

 こくんと、千歳さんは頷いた。

 雪乃野さんはそれを見て、俺にズバリと言った。

「千歳さんは正真正銘あなたのことが好きだったのよ」

「はあ!」

「大体、罵倒するような子、どんな美人でも普通に嫌なやつでしょ! 可愛いなって思ったのは、千歳さんが照れた素振りでも見せてたからじゃないの? まあ、これは私の推測」

 雪乃野さんは一拍置く。

「ずっと、ずっとあんたと千歳さんについて考えてた仙太郎は追い詰められた千歳さんの強行にやっと気付いたの!」

「言ってる意味が……」

「千歳さんはあんたが好きだと三学期の初めに仙太郎に告白した。千歳さんは恥ずかしがりやであんたの前では変なことを口走ってしまっていたけど、協力を仰いだ舞上君にだけは素直に何でも話せた」

「何で?」

「仙太郎があんたが無理して人に合わせる人間だって見抜いたように、千歳さんについても罵倒することで自分を守っている子だって気づいたからよ。だから、千歳さんも仙太郎を拠り所にしていた」

 あっ、と息が詰まる。

「あんたは仙太郎君に告白を進められるようになった。千歳さんの話しを仙太郎君から聞くことが多くなった。当たり前よ。仙太郎君は千歳さんに協力していたんだから」

 ――告白してみたら? 案外、上手くいくかもよ。

「でも、あんたはあんたのことについて話して笑っている二人を見て、誤解した。仙太郎君と千歳さんは両想いだと思い込んだ。でも、真相はあんたと千歳さんが両想いだったから、千歳さんを諦めるというあんたを仙太郎君は引き留めた。けど、勘違いをしたままのあなたはどうした?」

「千歳さんに告白を……」

「してないでしょ。逆にあなたが千歳さんを振ったのよ!」

「なに言ってるんだ!」

「あなたこう言ったわよね。千歳さんを呼び出して、仙太郎が好きなんだろうって言ったって。これは告白じゃないわ! 好きだって言って玉砕するのを恐れたあなたは仙太郎君を引き合いに出して、勝手に一人で区切りを付けただけなのよ。好きな人に呼び出されて舞い上がっていた千歳さんが馬鹿にされたと殴ったって仕方ない! しかも、千歳さんは苦しい立場に立たされた!」

 少女の口から飛び出す言葉はまるで刃物のようだった。

 一言ごとの鮮烈な攻撃に胸が抉られる。

「どうやって千歳さんを呼び出したか知らないけれど、それは少なくとも何人かには知れ渡っていた。からかい半分にあなたの告白を見ようと集まった人たちが廊下にいた。千歳さんはその人たちにあなたを叩くところを見られてしまった。本人を抱き締めながら言うことじゃないけど、千歳さんは人付き合いが得意な方じゃない。ろくな弁明も出来ずに、彼女はクラスの人気者に告白されて、それをひっぱたいて振った女になった。クラスメートからの責め立てはきつくなった」

 俺は千歳さんを見た。

「……そうなのか? そうだったのか?」

 千歳さんはこちらを見ようとしない。胃の不快感が高潮する。

「あなた、次の日のクラスの様子に変わりはなかったって言ったわよね。手形があって、それでなんにも聞かれないなんて、そんな馬鹿なことがあると思う? 聞かれないのはもうその時点でクラスの全員が千歳さんがあなたを叩いたって知っていて、標的を千歳さんにッ絞ったから。だから、下手にあなたに何かを言うことを避けたとは思わない?」

 雪乃野さんは千歳さんの背をぽんぽんと叩く。

「でもあなたもさ、理由が出来たらここぞとばかりに狙われるようなことしてちゃ駄目だよ」

「うう……」

「まあ、私もそんなのしょっちゅうなんだけどね。イヒヒヒ」

 俺はだけど! と、食らいついた。

「だけど! 千歳さんは仙太郎に告白した! そうだろう? 仙太郎が好きなんじゃなかったら、どうしてそんな真似をするんだ!」

「可哀想な女になるためよ」

「え?」

「みんなの中で千歳さんは村瀬鍵を振った高飛車な女になった。それでいじめられた彼女は、自分も振られることでみんなの気持ちを和らげることにした。そしてそれをより効果的に演出するために、自分が張り倒してまでして村瀬鍵の告白を退けなければいけなかった理由を考えた。それは案外身近にあった。村瀬鍵の親友舞上仙太郎を好きだということにしよう、そう考えた。ちがう? 千歳さん?」

彼女は信じられないことに、こくんと頷いた。

 ――ああ、でもそうすると、すべてに辻褄が合うのだ。

「あの日……。村瀬君の頬を叩いた次の日、学校に行くとクラスの子たちの陰口がひどくなってて、村瀬君を慕ってる子たちに教科書やノートをビリビリに裂かれて……。下駄箱には虫の死骸が入れられてた。怖くなった……。今まで人に嫌われたって全然平気だって思ってたのに……。無理だった。舞上君に振られるのは簡単だったよ。それに突き飛ばしてくれたから、私はちゃんとこっぴどく振られた可哀想な子になれた。ザマーミロって思われた。女って怖いね。それでぱったりと嫌がらせが止んだの。嘘みたいに」

 千歳さんは雪乃野さんの体からその身を剥がした。

 そして頭のてっぺんが見えるほど深々と俺に向かって頭を下げた。

「ごめんなさい!」

「違う! 俺の方こそ許してください! ごめんなさい! 本当にごめんなさい! そんな、そんなことになってたなんて!」

 ――知らなかったんだ!

「でも、私のせいで村瀬君たちに喧嘩させてしまった!」

 悲痛な千歳さんの言葉を打ち消したのは雪乃野さんだった。

「それは違う」

 雪乃野さんは気合いを入れるように足を伸ばし始めた。

「さて。こっからが私の真骨頂よ!」

 俺は蛇ににらまれた蛙、同然だった。




 大分泣き止んで落ちつきを取り戻し始めた千歳さんを脇に、雪乃野さんは言葉の通り真骨頂を見せ始める。

「さーて。異論も出なかったところで仙太郎君の推理は終わり。でも安心しちゃ駄目だよ。ここからが私のターンんなんだから」

「これ以上、他に何があるって言うんだ…………!」

「分からない? 」

 雪乃野さんは先程までのヒステリックな調子ともまた違う悲哀の込められた口振りで首を傾げた。

「私の周りの人にはね、この人だけって人を持ってる人たちがいるの。それは幼稚園の頃からの親友だったり、一人ぼっちの寂しさを知る恋人だったり、亡くなった人を愛し続けている人だったり。だからね、私は仙太郎君が僕にも親友がいたんだって言ったとき、期待したんだ。きっと良い親友だったに違いないって。でも、あんたの行動は仙太郎君のことを考えているようには聞こえなかった。仙太郎君はそれでも良いって感じだったけど、あたしは納得がいかなかった。身近に親友の鑑みたいな人たちがいるから、あんたたちの友情ごっこを同じ親友の枠に入れたくなかった。心からの親友を見て、日増しに顔を曇らせていく仙太郎君にだんだんと辛くなった。本当の親友ぐらい、こっちで見つければいいよってそう思った」

「…………だから、君はここに来た。俺と仙太郎を引き離すために?」

「私、仙太郎君のことが好きなんです。友達として」

 少女はまたもイヒヒと笑った。

 その前で俺は言葉を失い、立ち尽くしていた。自分が頑丈だと信じていた足場がまるで蟻地獄に変わってしまったかのようだった。中央の真実が大口を開けて俺を待っている。

「あんたたちはクラスも部活も委員会も係りも一緒になったことがなかった。けど、それで一緒になることってそんなに難しいかな? クラスや部活はともかく委員会や係りくらいなら、示し合わせることができたんでしょう? でも、あんたはそれをしなかった。いや、あんたにはできなかった」

 ――そう、俺にはデキナカッタ。

「先に仙太郎君と同じ委員会に入ろうと約束しても、あんたはそれを実現する努力をしなかった。誰かと揉めて自分がキラワレルのを怖れて、役職なんかは大体決まった後で空いているものに滑り込んでいた。だから、それが仙太郎君と約束したものと被るのは難しかった。事実、被ることはなかった」

 ――ソウだ。でも……。

「……でも、俺は仙太郎にちゃんと打ち明けてた。あいつもそれならしょうがないって言ったんだ」

「そうね。あんたがそう言うなら、仕方ない。それに彼には分かっていた。二人っきりでないのなら、あんたは自分を優先しないだろうって」

「……ぇ」

「つまりよ、あんたは仙太郎と同じ委員会に例え入ったとしても他に誰かがいれば、その人とばっかり話をして仙太郎とはゆっくり話そうとしない。でしょ?」

「仙太郎は俺を嫌わないけど、みんなは違うから……」

「あんた、仙太郎をなんだと思ってるの!」

 胸ぐらを思いっきり掴まれた。

「仙太郎はあんたと同い年のあなたと大して変わらない少年よ! それがなんで分からないの? 小二の終わりに会ってから、仙太郎君の心は底知れない不安に囚われてた。なんでこの人気者の男の子は僕のところに来るんだろう。それで僕の方から話しかけに言っても、すぐに他の子のところへ行ってしまう。僕たちは友達か? 僕たちは友達か?」

 ―― 僕たち、本当に友達か…………。

「あんたと仲を深める程に仙太郎君は怖くなった。あなたを親友だなんてとても思えなかった。いや、思ってはいけないと思った。親友だなんて自分の勘違いだ。友達なのも怪しいかもしれない。思ってしまったって、どうせ彼は僕に飽きたらすぐに他へ行ってしまう」

 ――それが変わったのがあなたがギターを始めた時だった。

「仙太郎君が歌詞を考え、それをあなたがギターを弾きながら歌う。仙太郎君はやっと自分があなたにとって必要な人間になれたと実感できたのよ」

 彼は毎週のように歌詞を書き上げ、俺はそれに曲をつけ、休日は朝から晩までああでもないこうでもないと二人で言い合った。

「でもあなたの仙太郎君への扱いが変わったわけじゃない。それからもあなたは仙太郎君を自分とは違う格上の人間とみることによって蔑にしていった。そしてその歪みが大きな割れ目になってしまったのが、あなたの恋だったのよ。仙太郎君はあなたが千歳さんのことで傷つかないようにするためにいくつかのことを言わなかった。たったそれだけで、あなたは仙太郎君の言葉を信じなかった。仙太郎君は絶望した」

 不意に――頭を冷やそうと、冷たい声で言った仙太郎の背中が目の前に蘇った。

 仙太郎はあの時、怒っていたのではなかった!? 彼の言葉を信じようとしない俺に絶望していた!?

 胃部の不快感がさらにまして、スーと酸っぱい臭いがにおい始める。腹ん中が何かが燃えてるみてぇーに熱い。

「仙太郎君が転校して来た初日、彼のためを思って誰も言わなかったけど首から手にかけて見えるところにサムイボができていたわ。彼は極度に緊張してたのよ。でも、それも当たり前よね。自分がおよそ八年もかけて築いた親友が見送りにも来てくれなかったら、自分自身に不安を持たずになんていられない」

 ああ、違うんだ。彼を見送ることに耐えられなかっただけなんだ。

「仙太郎の繊細さはたった二週間しか一緒にいない私にもわかるわ。ましてあなたは彼が作る歌詞を何度も読んでいたのだから、気づいて当然よね!」

「ああ。知ってたよ!」

「なら、どうしてもっと知らない人たちばかりのところへ行く彼を思いやってあげなかったの‼ あなたが知る仙太郎の部屋には何があった!」

「そりゃあ、まあ。い、いろいろと」

「アルバムや日記や漫画や小説やぬいぐるみやキーホルダーやノートは?」

「あったよ!」

「それが全部ないの!」

「!?」

「何の気なしに彼の家に何人かで遊びに行ったの。あんな状態だとは思いもしなかった。彼の部屋には本当に布団と服と学用品しかなかった。部屋が狭くって置けないわけじゃない! なのに。なのに、彼は他の物は全部ここに来る前に捨ててしまったのよ! 仙太郎君にここで、この町で何があったのか問い詰めずにはいられなかった」

 そして、問い詰めた結果がこれなのだ。

 彼女は俺と仙太郎のあり方に怒りを覚えずにはいられなかった。

「いや、でもまあ問い詰めたという言い方には語弊があるんだよね。問い詰める気だった。でも、問い詰めるまでもなく、仙太郎君は気軽に話してくれたよ。あなたにも私たちにも驚くべき内容ではあったけど仙太郎君にとっては何気ない親友との思い出話に他ならなかったということでしょうね」

 もう、立っていることもできない俺に、しかし少女は追撃の手を休めない。

「仙太郎君が中学生になってから毎週毎週毎週毎週、金曜日の夜に何をしてたか教えてあげようか? 知らないでしょ? あなたが仙太郎君を特別扱いしたように仙太郎君にとってもあなたは特別だったのよ? あなた以外の人にはどうってことなく話せることもあなただけには話せなかった。仙太郎君が自分のすべてを話してしまうには、あなたは不信感を残したまま彼の近くに居過ぎた。自分がどれほど音楽に魅入られていて、あなたが音楽を始めたのがどれほど嬉しかったのか、それをあなたに伝えなかったことは、私はあなたに対する仙太郎君の最後の抵抗だったと思うよ。仙太郎君はあなたには内緒で毎週おんなじ場所でおんなじ時刻にストリートミュージシャンの歌を聴いていた」

 …………そういえば、あいつ……決まって金曜日だけは付き合いが悪かったなあ。

「よかったね、特別で。よかったね、特別で。よかったね、特別で。よかったね、特別で。よかったね、特別で。よかったね、特別で。よかったね、特別で。よかったね、特別で。よかったね、特別で。よかったね、特別で。」

「やめろおおおおおおおおおおおおおお!!」

「それはこっちのセリフよ。そんな友達止めちまえ」

俺は少女に背を向けて、叢の中に思いっきり吐いた。

 吐くものがなくなってしまっても気持ちの悪さは残って胃を荒らした。涙が目じりを伝い、体は震え、強く握りしめすぎた掌には爪が刺さって血が流れる。

「行こう。千歳さん」

 背後に聞こえた声がどれくらい前に聞こえたものなのか、わからない。

「誰かに嫌われずに生きることなんて無理に決まってるでしょう。誰かを選ぶってことは、誰かを選ばないってことじゃない。仙太郎君を選んでおいて、ほかの誰も切り捨てないなんてそんな態度をとったから、あなたは仙太郎君の友達のなり損ねになったのよ。身勝手なやつ」

 言い返せる言葉はなかった。

 仙太郎をないがしろにした。

 その言葉の意味がようやく分かった。


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