4:見えぬもの
「――この子達を城に!?」
鍋をかき回していたマイティ・ルーサは、動きを止めて振り返った。皿を下げていたベネとゴルゾもぽかんとした顔でレイアを見ている。
「勿論、無理にというわけではありません。本人達の意思を尊重した上で結論をいただければと思っています。彼らはまだ未成年ですから保護者であるルーサさんの承諾をいただきたく伺った次第です」
レイアは懐から銀文字で身分を記した札を取り出し、ルーサに見せた。
「ルルドラ宮殿に出仕している者のみに発行される正規札です」
ルーサは札文字を確認してから、レイアの顔をじっと見た。
「……長年こんな仕事をやってきたからねえ、なんとなくただの旅人じゃないのは分かってはいたんだが。あたしゃてっきり、あんたらが役人じゃなくて――」
言いかけて、ルーサは首を横に振った。
「いや、この札は本物だ。余計な事を言って悪かったね。
ベネ、ゴルゾ、あんた達、都に行く気はあるかい?」
二人は顔を見合わせた。
「……お、おら、行かねェ……」
ベネの呟きに、ゴルゾもこくりと同意する。
「あんたら、本当にそれでいいのかい?」
ん、と双子は頷いた。
「分かりました。最初に言った通り、我々は無理強いをするつもりはありません。いずれまたチェルレアーンを訪れた際には、こちらでお世話になると思います。
それでは。夜分失礼しました」
踵を返しかけたレイアを、「待ちな」とルーサは呼び止めた。
「あんたら、いつまでここにいる予定だい?」
「明朝出立です」
「そりゃまた急だねえ。よし、そんなら明日はここで朝飯を食っていきな。
店を手伝ってもらったり演芸劇場に連れていってもらったりと、何かと世話になったからねえ。勿論、奢りだよ」
「マジで!? っしゃあ!」
指を鳴らしたアスクの頭をレイアはぺしり、とはたいた。
乳色の朝もやが立ち込める中、がやがや亭は既に人が出入りしていた。日が出ているうちに少しでも距離を稼ごうとする旅人も多いため、開店と同に入ってくる客も多い。だが冷え込みの厳しいこの時期は他季に比べていつもより客入りは静かだった。
深平皿を棚から取り出し並べながらも、双子達はそわそわと落ち着き無く戸口の方を見ていた。キィと扉が動く度、そちらに目をやり嘆息する。その繰り返しを、鍋を掻き回しながらじっとルーサは見ていた。
やがて、約束通り彼らが店にやって来た。
「はよーッス……」
白い息を吐きながら寒さに赤鼻となったアスクが入ってくる。その後に入ってきたのが例のガラス瞳の少女だったため、ベネとゴルゾの目がこれ以上ないほどに大きく見開かれた。
少女に続き、大柄な中年男性が入ってくる。彼が入った瞬間に店の空気が僅かに変わった気がしたのは気のせいだろうか。ぼさぼさ頭に不精髭、外套を脱げば中に着ている服も洗いざらしの適当なものを選んでいる感じだ。
最後に髪を一結びにしたレイアが入ってくると、厨房に向かって会釈をした。
「ほれ、持って行きな」
ほかほかと湯気の立つ深皿が手渡され、双子達はそれらをトレイに乗せて運んでいった。今朝は彼らが来た夜と同じ、鳥もも肉と香草のシチューだ。本来朝には出さないのだがルーサの計らいでそうなった。
熱々のシチューと焼きたてのパンを積んだ籠を置きながら、双子達はちらちらと少女の顔を盗み見た。彼女は表情無く座っていた。服装も少女自身も薄い色をしている為、喉に巻かれたストールの留め具がぴかぴかと派手に目立って浮いている。
厨房に戻ってきた二人にマイティ・ルーサはトレイを指した。
「客が少ないうちに食ってきな」
トレイにはシチューとパンがそれぞれ二皿乗っていた。客の少ない時間帯にベネとゴルゾはこうして店で食事を摂る。今朝はいつもより早めだが、4人の事が気になる今は好都合だった。
ベネとゴルゾは彼らがいるテーブルの一つ向こうの席に着いた。香草シチューは彼らの好物だ。だが、今朝はせっかくの特製シチューだというのに、さじを口に運んでも味がよく分からない。
「――の街道を通れば短縮可能で――」
「こいつ一人じゃ馬には――から、後で――」
4人の話し声(実際には少女は無言だった)が、途切れ途切れに聞こえてくる。彼らの椅子の横や下には膨らんだ旅用の大きな背負い袋が置いてあり、コート掛けには上等のフード付きの幅広外套が掛けてあった。いかにもこれから旅立ちますといった雰囲気だ。
彼らは見目がよく、皆それぞれに華があった。なかでもぼさぼさ中年男は一見地味な格好に見え、その実不思議な存在感がある。店にいる数少ない客達もちらりと彼らに目をやっては、どういう関係なのかを気にしている様子だ。
双子達は、そっと小さく息をついた。
多くを望んではいけない。今の暮らしに感謝をせねば。
「――ま、馬は3頭でいくとして、だ」
中年男が椅子を後方の脚だけでギィコギィコと浮き立たせるると、ぐいんと背を反らすようにしてベネとゴルゾの顔を見た。
「お前らぁ、どうする」
ぶぼっ、と同時にシチューが吹き出る。
「な、なな、な……」
木さじを咥えたままうろたえていると、中年男はにやりと笑った。
「一緒に来るか?」
底抜けに明るい瞳に今映っているのは、自分達だけだ。
「行く!」
気付けば揃って、店に響き渡るような大声で返事をしていた。
「ははは! そうか――っとおっ!?」
笑いながら反った男は、そのまま勢いよく音を立ててひっくり返った。慌てて助け起こそうとするレイアの向かいで、「いい年こいて……」とアスクがぼやく。
ぼうっとしていたベネとゴルゾは、我に返ると厨房を見た。マイティ・ルーサが前掛けで手を拭いつつ、自分達の方へとやって来る。
「あ、あの……」
「ち、違うンだ、おいら……」
「――行ってきな」
ルーサの口調はぶっきらぼうだった。
「けど、店が……」
「ここはね、あんたらが来る前からあたしとリリアンだけで切り盛りをしてたんだ。今更元に戻ったところで何も困りゃしないよ。
全く、めんどくさい子達だねえ、行きたいのか行きたくないのか、どっちなんだい!」
勢いよくテーブルを叩かれ、双子達は飛び上がった。
「――いっそのこと、教院からもう一人引き取るってのはどうだ? そうすりゃ、子供も救えて店も助かるだろ」
パン籠に手を伸ばしつつアスクが提案する。
「あんたらには関係ないことだ、口出ししないでおくれ。
さあ、何をもたもたしてんだい、付いて行くつもりならさっさと準備をしな!」
慌ててシチューをかきこむと、ベネとゴルゾは階段を上っていった。
「……いいのですか。それで」
レイアの問いかけに、ルーサは鼻を鳴らした。
「いいも何も、こうなるだろうってことは分かってたのさ。
あの子達の人生はあの子達のもんだ。広い世界を見たかったら、思う存分見てくりゃいい。人の顔色ばかり伺ってるようじゃあ、ろくな大人にゃなれないからね。
――よろしくお願いしますよ」
最後の台詞は中年男に対してだった。
頭を下げた母親に、男は笑って小さく頷いた。
チェルレアーンの馬場停にて、ジェイスと名乗った中年男とレイア、アスクの三人はそれぞれ慣らし乗りをしていた。
馬貸家は先払い制で一定期間もしくは馬場停のある区間単位で馬を貸す商売である。組合が共通発行している証文を見せ、移動距離と貸出日数を差し引いて精算をする。馬は金がかかるため、富裕層の道楽や仕事の早便等で利用されているのが常だ。
ベネとゴルゾは明るい日差しの下で見る馬の美しさに見惚れていた。と同時に、並び座っている銀髪の少女を意識せずにはいられない。ガラスの瞳を持つ彼女は演芸劇場で呼ばれていたヤナという名で違いなかった。
話しかけてみようと何度も口を開きかけては、結局そのまま黙り込む。そわそわと何もできずに困っている二人の姿を、ヤーン隊の三人は馬上から眺めていた。
「いい加減、男だって気付かねえもんですかねえ……」
「綺麗な子だからね、黙っていれば誰もが女性だと信じるだろう」
「いやいやー、誰もが、ってこたあないっしょ! どうせ最初から気付いてた人がここに、ね、隊長!」
「んがあ?」
大あくびをしながら振り返ったジェイスに、「……何でもないっスー」とアスクはげんなり顔になる。
本当にこの上司は、どうしてこうも落差が激しいのか。
『――お前、俺に似ているよ』
拾ってもらった日の言葉は、アスクにとって励みであると同時に枷だ。どこまで追いかけても決して越せぬ相手だと知っている。悔しいが彼女が惚れたのもよく分かる。
分かるのだが。
(間を取るっつー選択肢は無いのか? おっさん)
仕事に本気になった時の上司には威厳がある。ひとたび称号符を掲げれば相手は逆らえずに膝を付く。黒装束姿で剣を振るうその様は剛毅さと鋭さに加え色気をも兼ね備え、同性ながらゾクゾクする。
国に散らばり警邏や貴族・役人の癒着や不正行為を調べて制裁する、国王の影。
それが、目の前で瞼をこすりあくびする、ジェライム・トライストの正体だ。
(だからさ、もーちょいなんつーか、普段もそれっぽくしてりゃいいのによ)
どちらが本当の姿なのか。どちらも演じてみせているのか。
アスクには上司の真意が分からない。
ただ、だらしなく見える時でさえ女にモテているのが、なんとも腹立たしい事実だった。
慣らしを終え、各々荷を背負う。
「さて。誰が誰を乗せていくかだが――」
ジェイスは言い終えないうちに、腰を抱えるようにしてヤナの身体を持ち上げた。
「ヤナ、俺の馬に乗るか?」
「隊長って、見た目良けりゃ野郎でもいいんスね」
「……えっ」
アスクの台詞にベネとゴルゾは馬上の少女を見た。レイアがぽん、と肩を叩き、「彼女は男だ」と二人に教えた。
「え、えええええぇっ!?」
「はいはい、お前ら乗れ乗れー」
出会った夜と同じくベネをレイア、ゴルゾをアスクが馬上に乗せると、6人は旅立った。
「あの……」
太い腕が自分越しに伸びて手綱を握っている。香煙草の匂いが鼻をくすぐり、温もりに緊張する。こくりと喉を鳴らすと、ヤナは思いきって声を出した。
「よ、りた……場所……」
普段喋らずにいると、一言発するだけでも勇気がいる。おまけに蚊の鳴くような小さな声となり、最後まで言い終えることすらできなかった。
「あ、あの……!」
いつもならそこで諦める。けれど、これだけはどうしても叶えてほしかった。
「ん?」
「よ、寄りたい、場所、あって」
「うん」
「あの、そこ、行ってほしい、です」
「そうか」
言えたことにほっとしていると、ぽんぽん、と頭を撫でられた。この年になってもこういった事をされるのはジェイスだけだった。
場所を言おうとしたヤナは、ちり、と馴染みある音を聞いた。
ち、ち ちりちりりり
「……ここ、何故……」
「寄りたかったんだろう?」
ジェイスが馬から降りると、ぐいっと抱き下ろしてくれた。
「ゆっくりお別れしてきな。こっちは奥で休憩している」
せせらぎが耳に入ってくる。自分を呼ぶ小さな声が聞こえる。
ヤナはゆっくりと歩き出す。ずっと馬に乗っていたため、なんだかおかしな歩き方になる。けれど、補助ステッキを使わずともこの場所は歩ける。彼らが教えてくれるから。
川辺に着くと、ヤナは素足になり水に足を浸けた。とたんに、あぶくのような小さな声が、はっきりと囁き声となる。
『行かな……で』
『ここ……いて』
夜に聞く声に比べ、随分と幼い調子だ。
(――また来るから)
なだめてから、水をひとすくいして口に浸ける。沁み渡る冷たさと共に、ますます声がはっきりする。
『本当? ヤナ』
『また来る?』
『一緒に踊ってくれる?』
(うん。だって、いつものことでしょう。別れても、また会える)
ヤナは心で囁くと、瞳をくり抜き、しばらく水に浸けてから目に入れた。馴染むまで待ってから、ゆっくりと瞼を開く。
闇の視界にただ一つ、たくさんの光の粒がふわふわと水の上や自分の周りに浮かんでいるのが見える。
幼少時よりそうだ。普通の人には見えないものをヤナが感じる場所がある。
彼らは皆驚くほどにヤナを慕う。踊れば一斉に大騒ぎしながら喜び、共に舞う。
彼らと共にいるひとときだけがヤナの幸福だった。ガラスの瞳に映る、ただ一つの存在。言葉なくとも通じ合い、何をせずとも受け入れてくれる大切な仲間。
『ヤナ。仲間と一緒だ』
『強い!』
『嬉しい!』
(うん、これからね、彼らと共に――)
『強い! 嬉しい! こんにちは!』
『強い! 嬉しい! こんにちは!』
突如、光の粒が弾け笑いあいながら大騒ぎをはじめた。
賑やかな反応にヤナが戸惑い、立ちすくんでいると、
「そろそろ気は済んだか?」
ジェイスの声がすぐ傍から聞こえた。
きゃあきゃあという声はますます大きくなり、目に映る光の粒は一つにまとまりながらぐんぐんと膨らんでいく。呆然としたままそれを眺めていると、
「じゃ、行くかぁ」
のんびりした声と共に、腕を掴まれた。ぐいぐいと引っ張られ水から離れながら、ヤナは振り向いた。
『行かないで! 強い人!』
『ここにいて! 強い人!』
大きな球体となった光がぐにゃぐにゃと形を崩しながら何かに変わろうとしている。それを見届けようとする前にヤナの身体は抱き上げられ、視界を遮られた。
「げ、あいつらもう乗ってるじゃねえか。行くぞ!」
逞しい胸の中で揺られながら、ヤナは、さよなら、と呟いた。