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3:解雇通告



 ヤナが落下した瞬間、場内から一斉に悲鳴があがった。音楽は鳴り止み、女性は金切り声を上げ顔を手で覆い、男性は子供達が見えないよう頭を下げさせて固唾を飲んだ。



 だが、次の瞬間、天幕は安堵のため息に包まれていた。



 一人の道化師が疾風の如く舞台に飛び出し、彼女を受け止めていたからだ。



 高所から落下したため、受け止めた衝撃は相当なものに違いない。だが、道化師はまるで小鳥でも扱うかのように軽々とヤナを抱いていた。


 彼は大袈裟な仕草で頬ずりの真似をすると、そっと地面に彼女を降ろした。

 アヒルが鳴きながら歩くような仕草で少女の周りを一周する。まるで、飛べないカナリアを新しい仲間とでも思っているかのように。


 ヤナの前に屈み込むと、道化師は何も無い指先から、ぽん、と赤い花を生み出した。

 ぽん、ぽん、ぽん。あとからあとから花が生まれ、あっという間に大きな赤い花束が出来上がる。


 子供達の歓声に、会場は活気を取り戻した。指揮者の合図に楽隊が構えを取り直し、物悲しい調べが流れだす。



「……ヤナったら、何してるんだよー」

「今度こそちゃんと飛びなー」

「おいで、ヤナー」


 小鳥役の団員達の呼びかけにヤナは顔を上げ、宙を見た。

 道化師がうやうやしく彼女の銀髪に赤い花を挿し、その背をとん、と軽く叩く。


 少女は歩き出す。

 縄梯子を手に取ると爪先をかけ、するすると天辺まで登ってゆく。


 花束を持った道化師は愉快な動きで飛び跳ねながら観客席に向かって花を投げ、ヤナを見上げて両手を掲げた。



「……っくりしたァ……本当に落ちたかと思ったぞ」

「あの道化師すげぇなぁ、にいちゃん!」


 興奮しきった双子達が隣を見れば、アスクが拳を握り締めつつ腰を浮かせたことろだった。


「――おい。お前ら、ちゃんと最後まで見ていけよ」


 呟くと、串肉の残りをゴルゾに渡し、アスクはさっさと天幕を出ていってしまった。


 ベネとゴルゾは互いに顔を見合わせたものの、ヤナがブランコに手を掛けると、たちまちそちらに夢中になっていった。





「……大丈夫か?」


 滑り止めの粉袋を差し出しながら、ブランコ乗りの団員が小声で尋ねてくる。ヤナは頷き、滲んだ汗を粉袋で吸い取った。


 本番中に転落するなど、これまで今まで一度も無かった事だ。


 今日は何かがおかしい。いつもならここには来ない『彼ら』がずっとちりちりとまとわりついてくるため、どうにも心がざわついて仕方がない。

 万が一に備えた命綱は、留め方が甘かったのか転落途中で外れてしまっていた。


 ――もしもまた、失敗したら。


 駄目だと思いつつ想像してしまい、鼓動が早まる。

 静かにゆっくりと息を吐くと、ヤナはブランコの持ち手を握り、地上から見上げている男の姿を想像した。

 抱きとめられた瞬間の、香煙草の匂いを思い出す。


 ヤナは梯子を蹴ると、空中に飛び出した。大きく身体をしならせて風をきり、勢いよく前後にブランコを揺らしながら振り幅を広げていく。


「ヤッ!」


 向かいからの掛け声に、盲目のカナリアが空を飛び、宙を舞う。


 ガシッ! 

 両手が受け止められた衝撃と共に、ジャーン! とシンバルの音が鳴り響いた。


 わあああっ。

 沸き起こる歓声の中、カナリアは鳥籠の止まり木へと幾度も舞い移っていった。

 




 


 人けの無くなった演芸劇場は、がらんとしていて物悲しい。宣伝旗や食べ殻が爪先や補助ステッキに当たりカサカサと音を立てる。


「ヤナ、団長が呼んでるわよ」


 団員達と後片付けをしていると熊使いのエメリットがやってきてそう教えたため、ヤナは一人で本部天幕へと向かっていた。


 演目直後に呼ばれるのは初めての事だった。失敗をした事で注意を受けるのだろうか。厳しい説教の後、しばらくは減給となるかもしれない。


 ち、ちち。

 小さなあぶくが耳元で爆ぜる感覚に、ヤナは眉をひそめる。


 ああ、まただ。また、『彼ら』が何かを訴えてくる。


 おかげで今日は気が散ってしまったのだ。力の湧き出る川辺とは違い、彼らがこの賑やかな空気の中で何を教えたがっているのか分からないというのに。


(静かに……!)


 ヤナは強く念を送ってみた。だが、意思の疎通ができないのは向こうも同じだったらしく、ちりちりとした騒がしい気配は一向に収まってはくれなかった。



「よう」


 本部天幕前には重量挙げのノエがいた。いつも公演終了後は彼も一緒に片付けをしている筈なのだが。

 体格のいいノエがここに立つのは、団長が中に人を入れたくない時と決まっている。


「団長、来ました」

「入れ」


 しゃがれた低い声と共に天幕の入口が持ち上がる音がした。中に入って立ち止まると、ヤナはこっそり気配を探った。

 奥の机の方に演芸劇場の代表であるパッチェス・ロナードがいる。それとは別に、一、二……それから、もう一人いるのだろうか。

 ばさり、と後ろで幕が下りた。


「こっちに来い」


 外に漏れてはならぬ話なのだろうか。言われた通りに歩を進めると、重々しい調子でロナードが告げた。

 

「――ヤナ。今までご苦労だったな。

 今すぐ荷物をまとめて、ここにいる彼らと共に行け。お前の雇用は今日で終いだ」


 突然の解雇通告に、ヤナは呆然とした。


「…………あ、の」


 思わず口が開く。


「ちょ……と、まって」


 普段喋らぬように心掛けているいため、咄嗟に滑らかに口が動かない。


「たしかに、失敗、した。でも、今度は」

「勘違いするんじゃない」


 ロナードは言葉を遮った。


「お前が失敗した事は関係無い。ここにいるのは国のお偉いさん方でな、お前をいたく気に入られて一緒に城に連れていきたいそうだ」

「……そんな」


 ヤナは唇を震わせながらロナードに詰め寄った。


「ここにいたい。なんでもする」


 ロナードはヤナの首からスカーフを取ると、その手を取って喉に触れさせた。


「お前、このまま残ったところでどう生きていくつもりだ。声は低くなり喉仏が出始め、そろそろ誤魔化しが効かなくなっているだろう。その点、この方々は事情をご存知だ、お前を守ってくださるだろう。

 儂はな、団員達かぞくを食わせなきゃならん。国に楯突いてあいつらを路頭に迷わすわけにはいかんのだ」


 ヤナの膝が、かたかたと細かく震えだす。


 本当に、ここから追い出されてしまうのだろうか。本当に?


 今の今まで、自分は一生をこの演芸劇場で過ごすのだとばかり思っていたのに。


「――君にとって悪い話ではないと思うよ」


 女性にしては少し低めの声の主が、穏やかな口調で話しかけてくる。


「ルルドラ王宮の敷地内にて、君は一定水準以上の教養を身に付ける事ができる。礼儀作法や国の歴史、数術といった基礎的な学問から身を守る為の武術まで、何でもだ。欲しいものがあれは大抵のものは手に入るからいつでも言いつけてくれて構わない」


 ちりちりちり。肌に触れる『彼ら』の囁きが、一段と激しさを増していく。


 嫌だ。

 行きたくない。


 行きたくない……!



「……ヤナ。儂を、困らせないでくれ」


 ロナードの言葉に苦いものが混じる。


 ヤナは握り締めていた手を落とすと、力無く呟いた。


「……はい……わかり、ました」

「そうか。行ってくれるか」

「……はい」

「すぐにでも出立されたいとのことだ、準備をしてくれ」

「では私も共に手伝おう。ああ、この場合はアスクの方がいいのかもしれないな」

「俺っすかぁ?」


 女性の言葉に、不満げな声で若い男の声がぼやいた。


「しゃーねえなぁ、ほら、行くぞ」

「アスク、手ぐらい引いてやったらどうだ」

「やですよ、ヤローと繋ぐ趣味はねえ。ほれ、うじうじすんな、さっさ動け」


 ばしん!と背中を叩かれて、ヤナはけほっ、とむせた。





* * * * *





「――いつか、この日がくる事は分かっていたよ」


 天幕の中、ロナードは疲れきった声で呟いた。

 ヤナとアスクが出ていった今、残る二人は大机の前に立っていた。


「あんた方に渡しておきたいものがある。これを」


 伸ばされた手に渡ったのは、つるりとした白いひと振りの剣だった。柄と鞘に何も装飾の無いそれは一本の象牙でできていた。鞘を抜くと曇り無き刀身の両面には紋章が掘られている。


「あの子はな、拾われた日の事を覚えておらん。乳離れしたばかりの頃だったからな。

 だが儂は今でもあの夜の事を昨日のように覚えとる。

 茂みを挟んだ血の海の向こう、川に身体が浸かった状態で凍えていた目玉の無い子供を見つけた時には、驚きに息が止まりそうだった。倒れていた者達は金目の物はむしり取られていたものの、いかにも身分の高そうな身なりでなあ。

 儂は一人で馬に乗り、王都から戻る途中だった。子供を放っておくわけにもいかず連れ帰ったところ、そいつが身体にくくりつけられていたというわけだ。

 あんたらにはよく分かるんだろう? その価値が」


「――ああ」


 剣を手にした男は、ぱちんと刀身を鞘に収めると頷いた。


「パッチェス・ロナード。性を偽らせて彼を匿い、これを保管してくれていた事に対して礼を言う。後ほど相応の報奨金を授けよう」


「……それは、どうも」

 

 呟くと、演芸劇場の長は机上で指を組み合わせ、眉を歪めて目を閉じた。




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