5:見物
「姉ちゃーん、こっちこっちー」
「俺のが先だ!」
「酒が零れちまったぞ! 布巾持ってきてくれ!」
「あーい」
手伝いのリリアンが布巾でテーブルの上を拭いた。
「おいっ、オレはあっちのねえちゃんに頼んだんだぞ!?」
顔をしかめた客に対し、ふんっ、とリリアンは鼻を鳴らして腰に手を当てた。
「おあいにくさま! この店じゃあたいらが客を選べないのとおんなじで、あんたらも店員を選べないんだよっ!」
『あっちのねえちゃん』ことレイアスト・ウィンスラーは、蜂蜜色のたっぷりした髪を高い位置で結い給仕用エプロンで接客をしていた。くるりと身をひるがえす度にエプロンのレースが揺れ波打つ髪がきらきらと光る。彼女が注文を取りに行った席では男達が話しかけようと争い合い、だらしなく目尻を下げていた。
アスクは慌てて人波をかき分けていくと、レイアの前に立ち塞がった。
「副っ……何してんすかこんな所で!」
「ああ、来ていたのかアスク。今夜は豚肉のピカタと揚げじゃが芋がおすすめだぞ」
「おすすめしている場合じゃないでしょ!? 何でそんなカッコしてんすか!」
「似合うかい? 本当は簡素な型の方が好きなんだが」
ぴら、とレースを持ち上げ首を傾げて微笑んでみせるレイアの姿を、男達は皆ふにゃふにゃになって見惚れている。
「あー、はいはい、似合います。つーか、似合い過ぎるから問題なんですってば。
こんなところで目立ってどうするんすか!」
ひそひそ声で注意をするアスクの胸をレイアは人指し指で押した。
「私は等価交換による労働をしていただけだぞ?」
「……いつ。誰と、何処で、なーにーに首を突っ込んだんすか」
どうやらサウスがいないと自分がしっかりせざるを得ないらしい。
目の前の上司は隊長とはまた別な意味で奔放なところがある。
「とにかく、このままじゃ悪目立ちですって。今すぐ引っ込んで――」
「「ねえちゃーん、ただいまァ!」」
説得しようとしたアスクの前を二つの頭がひょこひょこと割り込んできた。
「おかえり。どうだったかい?」
「うん! おら達、いっぱい回ってきたぞ!」
「いろいろ聞いてきた!」
きゃっきゃっとはしゃぐ双子とレイアを前に、アスクは頭を掻きつつ呟いた。
「……あのー。もしかして交渉相手って、こいつらの事すか?」
「ったく、そういう事は事前に相談してからにしてくださいよ。隊長と合流するまではできるだけ目立たないようにしておいてもらわねえと……」
ブツブツと小言を呟く部下の横でレイアはまかない飯を食べていた。
最後の客も帰ってしまい、マイティ・ルーサ達は炊事場にていつも以上に大量の皿洗いをしている。レイアも手伝おうとしたのだが、
「あんたのおかげで今夜は客がたんまり来たんだ」
と、先に食事を摂らせてくれたのだ。
先に食事を済ませたアスクは麦酒をあおりながらパキリと薄いつまみを折った。粗挽き麦粉を使った生地に乾燥無花果や木の実にかび付きのチーズを乗せ刻んだチーズを振って焼いてあり、歯ごたえと香ばしさが酒に合う。
「演芸劇場の為に金を工面していたらしい」
レイアが食べているのは今日のおすすめだった豚肉ピカタと揚げじゃが芋のつけあわせだ。どちらもそれぞれ隠し味に異なる香辛料が使ってあるため臭みがなく柔らかい。
「彼らに入場券分の金を払うと約束して仕事をしてもらった。代わりにこちらの穴を私が塞いだというわけだ」
「……ガキに細かい聞き込みなんてできるんすか?」
受け取った調書をめくるアスクに、
「君は知っている筈だが」
とレイアはワインで口を湿らせて答えた。
手先が器用なアスクが労働教院時代にさせられてきた仕事は泥棒やスリといった犯罪に関わるものであった。成功しなければろくにまともな食事も摂らせてもらえない。教院の子供達は悪条件下の労働でも固いパンを齧りスープを啜るために黙って働かねばならなかった。今でもアスクは自分の身体が小柄なのは栄養不足のせいだと恨んでいる。
自分がいたのは特に悪質な教院だったのだと今では分かる。だが当時は与えられた仕事をして上手くいかなければ鞭が飛ぶ、その日々が自分の世界の全てであった。そしてそれはどの子供達にも共通した認識だ。
上司はあの双子が労働教院出身だと訊き、仕事を与えた。
あの子達は必死で役に立とうと奮闘してきたことだろう。成果が出せなければ人間の屑だと、そう教えられる場なのだから。
ぽん、と肩を叩かれ、書面から顔を上げる。
「――たぶん、今夜も出るぞ」
目線を合わせて階段を見れば、手伝いの終わったらしい双子達がそわそわと顔を見合わせ頷き合っているところだった。
「さて、そろそろ退散しようか」
がたり、と椅子から立ち上がるとレイアは食器を重ねて厨房へ持っていき、アスクは慌てて残った麦酒を飲み干したのだった。
その少女を初めて見た夜、少年達は妖精が現れたのだと信じた。それほど、彼女の姿も舞も神秘的だった。
もう一度この目で確かめたくて待ち伏せをし、何度も姿を目にするにつれ、ようやく彼女が自分達と同じ人間なのだと納得した。
長い銀髪の少女は今夜もいつもと同じように小川の脇に屈みこむと、目玉を取り出して水に浸した。そうして再び嵌め込むと、抜刀した小刀を手にくるくると踊りだす。月明かりの下で踊る彼女の足取りは聞こえない音を拾っているように躍動的で、見惚れているうちにどこか知らない場所へと連れて行かれる錯覚に陥るのだ。
少女の開いた目には芯が無かった。きらきらと月光を浴びて瞳が輝くのはおそらくガラスで作られた義眼だからに違いなかった。舞う度に手首に巻かれた布の花から流れる透かしの入った多彩な長帯がとろけるような動きで回る。そのふわふわした虹を切り裂くように短刀が動き、目の離せない幻想を作りあげているのだった。
ひとしきり舞い終えると、少女は短刀を鞘に戻し手首の花を腰袋にしまった。そうして小川の水をすくって飲むと、盲目とは思えない足取りで去っていった。
はあ、と少年達は溜息をついた。彼女が訪れて去るまでの間、二人はいつも息をする事すら気を付けて気配を悟られないようにしていた。人がいると気付けば彼女はきっと踊らないであろうと、そう信じていたからだ。
「――成程、魅了されるのも分かる」
降りかかった呟きにぎょっとして双子は顔を上げた。
帰ったと思っていたレイアと少年が自分のすぐ傍に座っているではないか。
「いやー、すげえ。いいもん見してもらったわ。なんつーの、この世にあらざるものっていうの? そんな感じだったなあ!」
ばしっと同意を求めるように背を叩かれ、ベネがけほっとむせた。
「なんでここにいンだあ!?」
ゴルゾの悲鳴に「あーあれだ、お前達が危なくないよう、見張っといてやったんだ」といい加減な口調でアスクは答え、双子の首根っこを掴んで立ち上がらせた。
「さーて、行きましょうか副長」
レイアからの返事は無かった。
「副長?」
「――アスク。明日は役所を休め」
「えっ」
「この子達の保護者として、我々も演芸劇場へ行くぞ」
「はいぃ!?」
何でそうなんの!? と呆れた声を上げる部下と歓声を上げる少年達を背に、レイアは目を細めて少女が消えた先を見ていた。
「……そうか。だから、チェルレアーンだったのか」
呟きは冷たい風に乗って消えた。