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1:進路



 カーン……カーン……。

 ルルドラ宮殿の敷地にある学舎の鐘が鳴りだした。


 キュウ・ベガレットは教室に向かって走っていた。学舎内を駆け足で移動する事は規則により禁じられているが、遅刻となるか否かの瀬戸際だ。王宮学舎は特に時間に厳しく、三回遅刻をすれば一日の休みと同等に扱われてしまう。

 無人となった廊下を全力疾走で駆け抜け、角を曲がったところでキュウは何かにボウン! と跳ね飛ばされた。


「おや、べガレット君。おはようさん」


 尻餅をついた彼に丸い手を差し伸べたのは担任のヌイモン学師だ。膨らんだ腹肉をさすっていることから、どうやら腹にぶつかってしまったらしい。


「ごめんなさい……!」


 キュウは跳ね起きるとぺこりと頭を下げて教科書を拾った。


「君が遅れるなんて珍しいねえ。寝過ごしたのかい?」

「いえ……」


 慌てて手にした教科書を背に回したが、逆に不審に思われたらしい。


「――見せてごらん」

 

 おっとりしながらも有無を言わせぬその口調に、仕方なく教科書を差し出す。

 受け取ると、ヌイモンはパラパラとページを繰った。


「……酷いねえ。ズタズタじゃないか」


 ページの多くが切り取られ、生ゴミにでも漬けられていたのかツンと鼻につく匂いがする。


「心当たりはあるのかい?」


 ヌイモンの問いかけに返事ができず、キュウは黙って俯いた。


 ルルドラ学舎の生徒達は皆学生寮に住んでいる。規律正しく禁欲的、平等の精神を学びダーナン国を担うようにとの理念からだが、いかに同じ制服を着て簡素な教室で学ぼうとも教師の目の届かぬ場では既に格差ははっきりしていた。貴族や富裕者がそれぞれに腹を探りあい、派閥を作り、弱者は強者に媚びへつらっている現状だ。

 キュウのような数少ない一般市民は特に立場が悪い。下級貴族達にとってていのいい憂さ晴らしとして扱われている。

 ただでさえ途中入学は珍しいため、初めから目を付けられていたのだ。

 表立って教師の目が届く場所では何もされないものの、見えない場所では物を隠されたりしょっちゅう足を引っ掛けられたり馬鹿にされたりといった嫌がらせを受けている。


 そういった仕打ちを受けても、キュウはできるだけ感情を顔に出さぬように気を付けていた。黙々と授業を受け、課題をこなして日々をやり過ごす。

 同じ組のラメリルが何かと気にかけてくれるのだけが救いだった。


 大丈夫だ。初めからこうなるであろうことは、既に教わり知っていた。

 負けないと、ジェイスにそう約束した。



 * 



『――チュリカ・べガレットは終身監視を選んだ』


 そう話す男の脇には美しい女性が控えている。


『キュウ・べガレット。お前にも二つの選択肢を与える』


 威風堂々と立つ黒マントの下から二本の剣が覗く。くしけずられた金髪はたてがみのように後方に流れ、父の図鑑で眺めた獅子を思わせた。


『知らぬ子供に罪は無い。これは補助の申請である。

 一つ。国営労働教院で仕事をしながらの学習。成人の暁には条件の良い労働先を紹介する。これは姉がいたことも俺と関わった事も全て忘れることが条件となる』

『えっ』


 思わず声を漏らしてキュウは顔を上げた。

 見下ろす瞳は澄んだ水面みなものように揺らがない。


『一つ、ルルドラ学舎の徒となる。教院とは違い学習に遅れが出れば平民は即刻退学処置となる。生徒からの風当たりは厳しくくだらぬ嫌がらせを受けるだろう。脱落した場合その後の面倒は一切みない』

『……学舎に行けば、チュリカに会えるの?』

『居続ける事ができるのならな』

『ジェイスとは?』


 返事は無かった。だが見下ろす瞳が逸らされることもまた無い。


『おれ、学舎に行く』


 ウィスプで収穫祭があった夜。襲われかけた自分を助けてくれたのはアスクだった。彼はチュリカが危険な目に遭っていると教え、自分とジェイスが助けるから待っているようにとかくまってくれた。


 ジェイスなら、きっとチュリカを助けてくれる。


 そう信じてキュウは待ち、そうして実際に彼らは姉を助けてくれたのだ。


『一度行けば逃げることは叶わんが』

『おれ、逃げないよ』


 学舎に入った平民には現11高官になった人もいると聞いている。

 だから自分も高官となりいつか必ず姉を助けると、そう決めたのだ。



 * 




 教科書や私物はいつも鍵付きの大木箱の中にしまった。美しい彫刻が印象的で、頑丈で大きく、立派な鍵が付いている。入学の前に匿名で送られてきたものだ。

 おかげで物を隠される事はほとんど無い。だからつい油断してしまったのだ。

 教科書を開いたまま眠っていて、気付いた時にはもう消えていた。散々探し回り、ようやく廃棄場で発見した。


「犯人を探さねばなりませんねえ」


 ヌイモンの言葉に、慌ててキュウは首を横に振った。


「おれ、大丈夫です」

「いいえ、見逃すわけにはいきません。仕置きもまた大切な授業」


 事を荒立ててほしくない。

 きっと、もっと大きな仕返しがくる。

 それが退学に繋がるようなことになってしまえば、チュリカとは。


「――ふぅン。こんな事するヤツ、どこにでもいるンだな」


 ひょこ、とヌイモンの脇から顔が出た。自分と同じくらいの年頃の、赤鼻の少年だ。


「お城の学舎御殿には貴族様ばかりがいるって聞いてたんだけどなァ。

 なぁんだ、おらが行ってた学舎とたいして変わらねェのなぁ」


 反対から同じ顔がひょこんともう一つ飛び出した。


「あっ! もしかして、アンタが『キュウリ』?」

「ベネ。キュウリじゃなくてキュウだ」

「あれ、そうか。なァんかキュウリ食いたくなったな」

「あー、塩ふってパンに挟ンで食いてえな。はあ、腹減った」

「寝坊しちまったから食ってねェもんなぁ。やっぱルーサが起こしてくれねェとダメだな」

 

 やいのやいのと話しだした少年達を、ぽかんとした顔でキュウは見ていた。

 かなり強い訛りだが地方出身の平民だろうか。数少ない平民出の生徒達の中にこのように目立つ子達はいなかった気がするが……。


「ああ、ちょうどいいですねえ。

 べガレット君、休み時間にでも彼らに学舎内を案内してください」


 ヌイモンはにこにこしながら少年達を並ばせた。


「君と同じく、今日よりここで学ぶ生徒達ですよ」

「ベネだぁ!」

「ゴルゾ!」


 元気に手を挙げた二人の赤鼻からタラリと鼻水が垂れた。





* * * * *





 やはり、ジェライム・トライストという男は苦手だ。


 ルルドラ宮殿の敷地内を彼の後ろから付いていきながらヤナは内心もやもやしていた。補助用ステッキで足元を確認しながら初めての道を歩む。舗装されているのか穏やかな道ばかり続くため緊張感はさほどない。

 香煙草に加えて整髪用の油だろうか、すっきりとした香りが加わり風変わりな匂いとなり鼻に届く。先を行くその足取りは堂々と落ち着いていて、隙がない。


 城に到着するまではのんびりとしただらしない中年だったくせに、登城後に再会するとがらりと気を変えていた。


 知る度に不可解になる。

 


 ダーナン国首都ルルドラにある王宮では城を中心として敷地内に12の塔が配置されている。頂点であるロウの塔を始点とし、ウィス、ペア、スゥ、ヌム、サー、ヤーン、メア、スィー、リツ、ハチ、ミィのそれぞれ12の月と同じ名で塔は呼ばれ、同名の官位11人の補佐官の待機塔でもあった。

 5時の方角にある『サー』の塔。階段を上り通された客間に足を踏み入れると、ひゅうっと陽気な口笛が聞こえた。


「うぉおいっジェライム! お前毎度毎度どうやってこんな子ばっかり見付けてくんだよ!

 いやー、この前の気の強え姉ちゃんもなかなかタイプだったが、今度はまたえらいべっぴんさんだなー! 

 よしっ、次回の視察は俺も同行するわ! そろそろ本気で嫁さんを探さねえと枯れちまうからな!」


 うわっはっは! 豪快に笑う男に向かって「男だ」とジェライムが教えた。


「……っ、はぁああっ!? 嘘だろぉおっ!?」


 男は目を丸くしてジェライムの隣に立つヤナを見た。赤褐色の髪に浅黒い肌をしたジェライムよりも一回り大柄なその男は、ティ・グ・サーという5月の名で呼ばれる官位の男で、名をオスターという。


 言われてからまじまじと見ても、オスターにはヤナが少女にしか見えなかった。

 長くまっすぐな銀髪に雪のように白い肌。閉じられた瞼の下には髪と同じ透け色の睫毛が縁飾りのように長く伸びている、繊細な作りの顔立ちといい、どこからどうみても神秘的な雰囲気漂う女の子だ。


「……凄ぇな、言われても女にしか見えん。

 ん、ああ、二人共ぼーっとつっ立ってないで、そこの椅子に座れ」


 ジェライムはソファに腰掛けると、懐から香煙草を取り出しながらヤナに尋ねた。


「煙は苦手か?」


 ややあって、首が小さく横に振られる。

 ジェライムは咥えかけていた煙草を元の箱に戻し入れた。


「――煙が入ると鈍るか」


 煙草の煙自体は我慢できる。昔から団員達もよく安物の煙草を吸っていた。

 ただ、その匂いの強さに鼻と舌がしばらく麻痺するだけだ。

 

「今までは慣れで生活できていただけだ。

 気遣ってもらうのを待たず身を守れ」


 ジェライムの言葉に、ヤナの眉間に僅かに皺が寄った。


 気遣ってほしいなんて欠片も思っていない。

 身の回りのことくらいちゃんと自分でできる。


「――あぁ、成程な。べっぴんさんは見えねぇのか」


 スプリングの軋む音と共に顔を覗き込まれたのが分かった。夏の日差しを思い出す匂いだ。


「俺はオスター、この塔の管理人だ。

 よろしくな、べっぴんさん!」


 分厚くタコだらけの掌に包まれ、ヤナは両手をぶんぶんと振り回された。


「……おいジェライム、べっぴんさんはもしかしてニニアラと一緒か?」

「いや、話せる」

「ふぅん……」


 じろじろと無遠慮な視線と妙な間が居心地悪い。


「――もしかしてよ。

 アンタ、『かわいこちゃん』と呼ばれる方が良かったか?」

「……い、いえっ。

 あ、の、ヤナ。ヤナと、いいま、す」


 慌ててヤナも自己紹介をした。


 これから言葉でのやり取りが増えるのかと思うと不安だ。

 日常会話を普段耳で聞いてはいるが、咄嗟に口が動かない。何を話していいのか分からない。


 ちゃんと会話の練習をしなければ。

 でも練習とは一体誰と何をどうやればよいのだろう。


「ふぅん、『ヤナ』か。やっぱ女みてえな名前だなー。

 おいジェライム、二二アラもこっち連れてきていいか?」

「よろしく頼む」

「おう!」


 オスターが出ていき、部屋はしん、と静かになった。


「――ヤナ」


 ジェライムがいつもよりほんの僅かに声をひそめて呼びかける。


「サー・オスターと、彼のペアである『十一月ダ・ラ・ミィ』。

 いいか、彼ら以外の者に君が男だと悟られてはならない。虚をつく武器はできる限り隠し持っておくことだ。

 君は彼らから様々な事を学べ。

 ヤーン隊は人が足りない。短期間で仕上がってくれる事を期待している」


 案内された先が城の重要人物の塔。

 しかもこれから世話になるのだという。

 高官ともなれば何かと忙しいだろうに、そんな方々に自分が勉強を教わってもいいのだろうか。

 不思議に思いつつ、ヤナは別れた双子の友人達の今を想像した。


 今頃、彼らも自分のように何処かの塔に案内された頃なのだろうか。


「いよっ、待たせたな! 連れてきたぞー!

 俺のパートナーのミィ・ニニアラだ!」


 豪快な声のすぐ後ろでシャララ……、とさざなみのような音が起こった。


「いいか~ニニアラ、先に言っておくがな。

 このべっぴんさんはァ……男だっ!」


 シャララララン!?

 軽く薄いものが驚いたように騒がしく擦れあった。


「だーよーなー!? 俺も驚いた! 

 ……あーはいはい。なるほどな、確かに精霊っぽいわ。

 ああ、ヤナ。ニニアラはな、喋る事ができねぇんだ。代わりに筆談と音を使う。まー、俺は付き合い長いからな、何言いたいのかだいたい分かるんだわ。

 ちょいと意思の疎通に時間かかるかもしれねぇが、11官の中では一番気立てが良くて付き合いやすいぞ!」


 シャン。

 音と気配で、二二アラがこちらにお辞儀をしたのが分かった。

 ヤナが真似をして頭を下げていると、シャラララァ……と擦れあう音が高い位置から聞こえ、弧を描くようにして移動していった。


「菓子が気になるんだろ? 食いたいなら手の届くこっち側がいいぞ」


 どうやら二二アラはオスターに抱き抱えられて移動したらしい。


 ガガガシャ!! ガシャシャシャッ!!


「ハァ~? んだよー、大丈夫だって、見えてねーって! っせえなぁ……」


 カ、カシャシャシャン!


「いや、『子供扱い』って……。オレはそんなつもりでやったんじゃねえぞ!? そんなずるずるした長い裾踏んでまたすっ転ぶ姿見るのがしのびねえ――ごがァッ!?」


 ドンガラガッシャーン! 

 凄まじい衝撃音と同時にオスターの呻き声が響いた。


(彼女が一番、気立てがいい……)


 先行き不安だ、とヤナは思った。 



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