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1:はじまり

「ダーナンの旅人たち」http://ncode.syosetu.com/n7050z/ の続編かつ完結編です


 その少女が目覚めるのは、いつも決まって同じ夜だった。


 生臭い泥に浸かったような眠りの中、誰かに優しく頬を撫でられ

『――おいで』

 と声がかかるのだ。


 手を伸ばし、少女は枕元の短刀を探りながら立ち上がる。眠る仲間を起こさぬよう忍び足で天幕を出ると、足場の良くない砂利道をでき得る限り急いで歩いた。

 そう、ときめきは刹那。僅かな時も無駄にはできない。


 不意に、リン……と風が音を立てた。人にはただのそよ風でも、少女にはそれが問いかけなのだと分かる。


『お前は私と踊れるのかい?』


 ――もちろん。


 声を出さずに応えつつ、鼻と耳、それから肌にかかる風を頼りに少女は歩く。


 やがて、小川の前に出てくると彼女は屈んで瞳に手を入れ、ぐうっと指に力を込めた。

 目玉が二つ、ころりと手に落ちる。

 少女はそれを冷たいせせらぎに浸すと、充分な時間を取ったのち、窪んだ穴に嵌め込み直した。

 ゆっくりと瞼を押し上げながら、腰に手をあて抜刀する。


 月明かりの下、抜き身の刀を振りかざし舞うその顔は、歓喜と陶酔に満ちていた。




* * * * *




「釣りをちょろまかすようなぁ真似をしたのは、一体どっちだい!?」


 脂の乗った身体を揺すりながらマイティ・ルーサは大声を上げた。

彼女の目の前で肩をすくめているのは双子の少年、ベネとゴルゾだ。すぐに垂れる鼻水をせっせと袖で擦るため、二人はいつも赤い鼻をしていた。


「おいらぁ、知らねェよ」

「おらも知ンね」

「お前達じゃなかったら誰が盗めるってんだい!」

「ルーサ」


 しれっとした応えに「阿呆!」と雷が落ちる。


「自分ちの金を自分で盗む馬鹿が何処にいる! 正直に白状しないと今日は一日は飯抜きだよ!」


 二人はあからさまにうろたえだした。育ち盛りの彼らにとって食事を抜かれてしまうのは世の終わりに等しい拷問だ。


「ベネが取った!」


 ゴルゾの早速の密告に、


「ゴルゾが誘ったァ!」


 負けじとベネも言い返した。


「……そうかい、やっぱり二人でやったのかい」


 腕を汲んで仁王立ちになり、ルーサは低い声で勧告した。


「――どちらも一日飯抜きだ」




「くっそー、もっといい方法ねェかなァ」


 小石を蹴りつつベネが呟き、


「まだまだ全然足ンねぇな」


 とゴルゾは布袋を出して中身を見た。数枚の硬貨はどれも屑銭に等しく、全部かき集めたところで目標には程遠い。


「なあ、この調子じゃ集める前に終わっちまうぞ」

「だ、なァ……もっとてっとり早く稼がねェと」


 腹を押さえてぼやきながら二人は丘から夜の街並みを見下ろす。


 二人の少年が暮らすこのチェルレアーンの街はダーナン国の中央よりやや西のグルジア地方にある。流通の経由地として発展した街で、総人口は住人よりも移動途中の商人の割合が多いとされている。実際、マイティ・ルーサの切り盛りする『がやがや亭』はいつも様々な装束の男達でごった返していた。


「なァ……ルーサにねだって」

「ダメだ」


 ベネの提案をゴルゾは速攻却下した。


「これ以上甘えらンね。置いてもらってるだけじゃなく、おら達を通学させてくれてンだぞ」


 膝を抱えて溜め息をつき、二人は街の中央にある『がやがや亭』の看板の明かりが消えるのを眺めた。営業時間は終わり、ルーサや手伝いのリリアンが今頃遅い夕食を摂っていることだろう。そういえば、今夜はシチューだと言っていた。ルーサの作る鶏ももシチューは絶品だ。コトコトと時間をかけて煮込んだ香草野菜のスープを使うため、独特の不思議な味わいがある。それから、シチューに浸して食べる手作りのパンがこれまた実に美味いのだ。ぱりっと焼きあがった皮は引きちぎると香ばしい香りがして幾らでも食べられてしまう。このパンとシチューを食べるのがチェルレアーンでの楽しみだと話す客もいる程だ。


 ぐう、と一際大きく腹が鳴った。どちらの腹の虫なのか分からぬ程、育ち盛りの少年達は飢えていた。


 おーい。


 空腹による幻聴が、何処からか小さな声が聞こえる。


 おーい。


「何だ、ベネ」

「おいら、何も言ってねェ」

「――おいっ、そこでじっとしてろ! 動くんじゃねえ! ガキがこんなとこで何やってる!」


 突如荒々しい蹄音と共に焦った声が降ってきた。少年達が振り返って見上げると、外套を羽織った若者が馬から飛び降り近付いてくるところだった。後方からもう一頭、軽快な足取りで馬が近付いてくる。


「どうしたんだアスク。いきなり道を外れて」

「あ、すんません副長、崖っぷちに子どもの姿が見えたんで」


 頭を掻きながらアスクと呼ばれた若者は該当のフードを取った。中から現れたのは少年とも取れるような幼い顔立ちだ。


「おい、こんな夜遅くに出歩くんじゃねえ。もう2、3歩前に歩いてみろ、真っ逆さまに転落するぞ」


 革手袋を外しながら説教し始めた若者に、


「おら達、いっつもここに来てンぞ」


 とゴルゾは唇を尖らして反論した。


「うるせえ、ガキが口答えするんじゃねえ! 慣れてるからって慢心してんのが一番危ねえんだよ」


 乱暴な口調で説教しつつ青年は子達の身体を引きずって安全な場所まで戻した。


「いいか。こんな夜遅くにどちらかが落っこちてみろ! どうやって助けを呼ぶ、どうやって状況の確認をする!

 起こってからじゃ遅えんだ。ちったあ親の気持ちになって考えてみろ」

「すまない、口は悪いがこれでも君達の心配をしているんだ」


 馬上からもう一人が慰めるように声をかける。落ち着いた物腰だが若い女性の声だった。


「よかったら君達を自宅まで送っていこう。一緒に乗っていくかい?」


 少年達は驚いて顔を見合わせた。馬なんて生まれてこのかた乗ったことなどない。


「……た、タダでか?」


 恐る恐るベネが尋ねると馬上の主は頷いた。


「あ、いや、そうだな、では交換条件といこうか。良かったら我々にチェルレアーンで食事の美味い店を教えてくれないか。こんな遅くでも開いているなら助かるのだが」

「そンなら一番いい店を知ってらあ!」


 ゴルゾが叫び、手を叩いた。


「マイティ・ルーサの『がやがや亭』っていったら、ここらじゃちょっと有名だぞ! 店は終わった時間だけど今日はシチューの日だったから、おら達が言やあ食わせてもらえる」

「シチューか。それはいいな、冷えた身体が温まる」


 女性は頷くと馬から降り、ベネを手招きして呼ぶとひょいっと抱き上げた。


「アスクはもう一人の方を頼む。悪戯するんじゃないぞ。

 ――では少年、店まで案内してくれないか」


 ふわりと届いた甘い香りに、ベネはどきまぎしながらもこっくりと頷いたのだった。



 不意の来客にもルーサは嫌な顔をしなかった。


「よかったよかった! 今夜は鳥ももシチューをたんと作っていたんだよ。まだまだ残っているからしっかり食べてっておくれ!」


 彼女が湯気の立つ大鍋を抱えて食堂に現れると、大テーブルに座るアスクの腹が勢い良く音を立てた。同時に、下がって見ている少年達の腹もその合唱に加わる。


「君達、食事は?」


 女の問いかけに少年達はうなだれ、それを見たルーサは苦笑した。


「この子達は悪さをしたんでね、罰として一日食事抜きにしてるんだ」

「ああ、成程」

「それじゃあ仕方ねえなあ!」


 注がれたシチューの香りが部屋中に広がる中、客人二人は食前の祈りを済ませると遅い晩餐をとり始めた。麦酒とシチュー、それから籠に盛られたパンと分厚いチーズ。簡単な食事ではあったが、飢えた子達にとって、その光景は見ているだけで辛いものであった。


「何ぼさっとつっ立ってるんだい! お客さんの迷惑になるよ! 食器を拭きあげたらさっさと部屋にお戻り!」


 ルーサの厳しい声に二人はうなだれ、洗い場に向かった。


「――なかなかしっかり教育をされてある」


 麦酒の杯を手で抱えて女性客が微笑んだ。後ろ一つで編みこんだだけの髪、かっちりと襟元まで引き上げた男装を持ってしても、彼女が類まれなる美貌の主であることは隠しようがなかった。


「あの子達はねえ、血こそ繋がっちゃいないけどあたしの家族だよ。元は労働教院の子だ」


 ルーサの言葉にガツガツと貪っていたアスクの手が一瞬止まる。


「一昨年夫に先立たれてから、何とも侘しくなってねえ。子どもに恵まれなかったから、ああ、そんじゃいっちょ子育てでもしてみようか! ってまあ、そういうワケなのさ」


 けどねえ。


 洗い場の方を見ながらルーサは少し寂しげに微笑む。


「そろそろ引き取って一年になるけど、あれが欲しい、これをしてくれって一度も言ったことがないんだよ。

 ま、ガキの我が儘なんざきいてやるつもりはないけどね!」


 カラカラと笑うと「そういや地下に燻製肉があった」とルーサは奥に引っ込んでいった。


「ふほひ(少し)は、のふぉひほく(残しておく)、へひへふかえ(べきですかね)?」


 忙しく手を動かし口いっぱいに頬張ったままアスクは向かいの女性に問う。彼女は頷くと、匙を動かした。


「そうだね。子どもの腹がそこそこ満たされる程度には残しておくべきだろう。今夜は早めに切り上げておくか。

 しかし、このシチューは素朴ながらなかなか味わい深いな。気に入ったよ」

「ふくちょー、もぐ……、が気に入るって、相当ですね」


 ごくん、と飲み込むとアスクは感心したふうに呟いた。目の前に座る上司はその美貌にそぐわずしっかりと食べ、なかなかの食通でもある。


「うん。隊長も気に入りそうな味だ」

「たいちょーかあ……今頃何してんスかねえ」

「まあ、チェルレアーンに来ているのは確かだからね。

 心配せずともじきに会えるさ、君がいるのだから」

「え、俺のカン、あんまアテになんないッスよ!?」


 素っ頓狂な声を上げた部下に対し、ちぎったパンで皿を拭いながら副長と呼ばれた女は「いいや」と楽しげに答えた。


「――君がこれまで隊長の行方を、一度たりとて見逃したことがあったかい?」


 


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