表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
まちのできごと  作者: N
9/14

 マチさんは片方の眉をちょっとしかめた。二つの意味で驚く。マチさんが非日常的な顔を見せたことと、その程度の顔しかしなくていいのかということ。フランベルジェがなぞった跡を、トマトのような赤がベタリと覆った。まるで貼り紙のように。

 マチさんは、上から吊られた人形のように、クラクラよろめいた。頭は力なく回り、あたしを見た。目が合った。

 その時――

 心の中で「マチさん」と呼ぶことしかできなかった。

 たぶん、驚きすぎたせいで。

 マチさんを見て「マチさん」と呼ぶ。なんていう単純な言明。

 だけどあたしは、この時、分かったんだ。問答無用で分かった。嬉しいくらい分かった。マチさんの全部が。

 授業で習ったけど、パスカルという教科書の太字の人物は、「人間は考える葦である」などと言ったそうだ。今ならパスカル氏の気持ちにもなれる。あたしは人間全体のことは知らないが、皆野マチという女の子一人についてなら言える。「この人がマチさんだ」と。

 剣の刃がギラリと返った。二度目の斬撃が浴びせられた。マチさんの体に、大きな×印が穿たれた。

 間髪入れず剣が引かれた。突き刺さった。ズブズブズブー。根元まで。二人の影が一つに重なった。

「待って! さやきさん、やめて!」

 今更ながらに叫んだ。あまりにも遅すぎた。だがなぜ、あたしは今まで叫びすらしなかったんだろう? 分かっている。あっという間だったから。「やめて」と叫んだら、本当になってしまう。マチさんが斬られたことが。さやきさんが斬ったことが。

 さやきさんは、剣を強く握り、体を傾けた。突進した。屋上の縁。

 さやきさんは剣を手放した。

「おまえなんて、消えればいいのよ」

 屋上から、マチさんは蹴り落とされた。

 こちらに向き直るさやきさん。掃除の罰当番の後みたいに機嫌は悪そうだ。うつむいていた顔を上げた。顔半分が血で染まっている。

 あたしは、引き返して来たさやきさんと入れ違いに、屋上の縁に向かった。

 玄関先にマチさんが寝ていた。

 静かな風景だった。受取人不在の荷物が置かれているようで。

 おなかに剣が刺さっていた。でも、それも気にしていないみたいに、マチさんは目を閉じていた。

 痛いのも忘れてしまうくらい、眠たかったのかな。

「さすがの逸材ですね。流れるような処分でした。いつもよりスマートでした」

 あたしの傍に、牛氏が立っていた。

「使ってください。ここで涙を流すのは損かと思いますが」

 ハンカチを差し出した。男なのにハンカチを携帯しているのか。でも、借りておこう。

 ……?

 ハンカチを取ろうとしたあたしは、手に力が入らなかった。いや、体じゅうの力が重力と仲良くなったようで、地べたにひっついているだけだった。

「あああああ。うわああああああ」

 言葉にはできなかった。わめいているだけで精一杯だ。なんでなんだ。でもせめて心の中ではちゃんと言葉にしよう。ごめん。マチさん、ごめんよ……。あたしはどうして謝っているのだろう。あたしは、あたしなりに、ちゃんと努力したじゃないか。自宅でアイスキャンデーを食べたりしていたわけじゃないだろ。さやきさんにマチさんが襲われないように、うろうろながらも、立ち回っていたじゃないか。ていうか、立ち回ったのが悪いのか。あたしが屋上から顔を出さなきゃ、さやきさんには見付からなかったよね。

 ……でも。マチさんはきっと、あたしの不注意ミスを気にしちゃいなかったと思う。それどころか、あたしのことを許してくれてさえいたと思う。

 おそらく、マチさんは未来を知っていた。

 だから、あたしが不注意ミスするのも知っていて、黙ってさやきさんに斬られて、

 あたしを見て、笑ったんだ。

 少しだけ、本当に少しだけ。

 錯覚だったかもしれないけど、あたしにはそう見えた。

 ああ、だからなおさら、か。だからあたしは、謝りたくなったのか。ごめんよと。

 溜め息が出た。

 あたしは歯を食いしばった。さやきさんを睨み付けた。ハンカチを捨て、走った。これを実演するのは初めてだろうな。さやきさんが実演してたのを見たことがあるだけだ。

 グーパンチで、さやきさんを殴った。

 さやきさんは無言で膝をついた。

 効いているのかどうか知らないけど、構うことはない。やらなきゃ気が済まなかった。

 まだ気は済まない。まだ、まだ、まだ。二発目を叩き込もうとする。

 ひらりとかわされた。今度はあたしが地面に這った。

 分かっていた。

 いくら殴ったって、それと同じ数か、それ以上の数を殴りたい気持ちになるんだってことは。

「やったわね。……覚えといてあげるわ」

 さやきさんは血の混じった唾を吐いた。それは自分の血かい。それともマチさんの返り血?

「今までも私は敵を作ってきたわ。バカらしいから、もうやめていたの。おまえが久し振りよ。だから言ったじゃない。……学校では目立ちたくないって」

 さやきさんは自動再生みたいに言った。

「私が憎かったら、命でも狙えばいいのよ。無能力の凡人が私に挑んでも結果は見えてるけど。そういう奴らをかわいがるのは私の趣味よ」

 さやきさんは乾いた笑いを放つ。


「まあまあ、ご両人。真剣になりすぎませんよう。上杉さんにはコレをどうぞ」

 牛氏が間に入った。ぶ厚い本を開き、あたしに差し出した。さっき牛氏が読んでいたモノのようだ。

「〝未了台帳〟というモノです。この町の未来の出来事が記されています」

 なんだ、未了台帳か。言われなくても知ってる。マチさんの仕事道具である。

 あれ? どうして牛氏がマチさんの道具を持っているの?

 疑問を唱える暇もなく、あたしの目は台帳のページに吸い寄せられた。

 そのページには、今日起こるイベントがすべて記されていた。

 ――もちろん、たった今起こるまで、未来のイベントだったものも含めて。

「何と書いてあります?」

 うるさい。

 悪いけど検索の邪魔をしないで!

「皆野マチ」という単語を探しながら読む。自然にそうしていた。

 あった。

 目ぼしい箇所を拾い読んだ。

 

〈天箒さやきは皆野マチを襲撃する。〉


〈上杉里美はこれを防ごうとするも、防ぐことはできない。〉


〈天箒さやきは所持せる剣にて皆野マチに斬撃を与える。このうち二度目の斬撃は致命傷となり、皆野マチは死亡する。〉


〈天箒さやきは当該家屋の屋上西側より皆野マチを落下せしめる。〉


「どうです。お分かりでしょうか? 皆野マチ氏の死亡は予め定められていたのですよ。そしてその通りになりました。運命に従ったとでも言うべきでしょうか? マチ氏が運命を受け入れていたならば、われわれがとやかく言う必要はありません。ご両人も険悪な雰囲気を作る必要は無いのですよ?」

 牛氏は偽善的に微笑んだ。

 彼が裏でいろいろ動いていることは分かったが、なぜ? なんのために? ……いや、そんなことではない。

 あたしが言いたかったのは、「違う」ということだ。

 マチさんは、「運命を受け入れた」んじゃない。

 それしかできなかったんだ。史士は自分の未来に介入できない。

「マチさん、あんた、悪趣味だよ。こんなイベント、楽しくない。面白くないよ。あたしが見たいわけないじゃないか……」

 息を吐くように泣き言が口をつく。こういう局面も人生にはあるんだな。あたしはまだ高校生なのになァ。


 でも、萎えている一方で、あたしは明晰に閃いた。

 今、あたしが見ている物は、未了台帳。

 ここには未来のイベントが記されている。

 それなら、今からは何のイベントが起こるだろう? 

 ――いや、きっと起こってくれるはずだった。

 一発逆転。

 起死回生。

 そう、文字通り、起死回生のイベントが。

 マチさんは、面白いイベントが起きると知ったから、あたしを自宅に招待してくれたはずだ。「イベントが発生する。だから、私の家に」と。そう言ってくれたのを覚えている。いつも通りの眠たげな目を覚えている。

 イベントがここで終わり?

 そんなの信じられない。

 そうよ。まだ続きがあるでしょ? 続きは台帳に書いてあるわよね? 

 まだイベントは続くよね? 終わった瞬間、マチさんに駆け寄り、抱き締めちゃうようなイベントが残っているのよね? 

 生き返ってくれるよね。マチさんなら、生き返れるよね。

 あたしは台帳を舐めるように見た。

 宝くじの束を握り、当選番号を見る人のような思いだった。

 どうか、奇跡的なイベントが記されていますように。



 無かった。

 どこまでも。

 何ページめくっても。


 たとえば、適当に抜き出す。


 

〈上杉里美は21時45分に帰宅する。〉


〈天箒さやきは21時02分に帰宅する。〉



 こんな他愛もない記述ばかりだ。

 あたしは台帳を見るのがイヤになってしまった。平凡なイベントが羅列されているだけで、何回見直しても、「マチさんが生き返る」とは書かれていなかった。


〈皆野マチは死亡する。〉


 その一行以降、マチさんの名前は台帳に現れなかった。

 何回も見返した。マチさんの名前が浮かび上がることは無かった。

 何回も、見返した。

 ページの一部分が、丸くふやけていた。

 あたしの涙でふやけたのだ。

「こんなの……。こんな台帳……」

 あたしは台帳を枕のようにして、うずくまって泣いた。

「わああああああああああああ、

 あああああああああああああ、

 ああああああああああああああああ――」

「悲しみに暮れているところ、失礼」

 いとも事務的に、牛氏があたしから台帳を取り上げた。

「借りた台帳は元の場所に戻しましょう。……そうですよね、皆野女史?」

 牛氏は幽霊にでも言うように、空気に向かって微笑した。机の上に台帳を置いた。

「牛、行くわよ。さっさとなさい」

 さやきさんがハシゴの降り口で催促する。

「あぁ、はいはい」

 牛氏はさやきさんに返答を投げ、こっそりとあたしの所へ来た。

 微笑仮面があたしに言った。

「泣かないで」

 予想もしないセリフだった。

 偽善くさい笑顔と、思いやりある言葉。

「――と言っても無理でしょうね。たしか、あなたが泣くことも、台帳には書いてありました」

「?」

「これからが、わたくしにとってのお楽しみです」

 牛氏は、むずむずと蠢く唇に人差し指をかざした。

 その瞬間。

 

 屋上がパーッと明るくなった。

 幻想的。

 いや、人工的? 機械的?

 ひとことで言うと「不思議な」景色だった。

 光球がたくさん浮いていた。

 屋上を取り巻いていた。

 光球はどれも大きくて、最低でも一メートルはあった。みんなきれいな球状で、いびつな形はしていない。色とりどりに光っている。絵の具を溶かしたように淡く光っていた。ガラス細工のように半透明で、空の星が透けて見えるほどだった。

「これは――」

「何――?」

 あたしとさやきさんの声が連なった。

 これはさやきさんの能力ではないようだ。

 なら、誰?


 ガシュッ

 

 机の上で音がした。

 台帳が無かった。

 いや、台帳と同じ大きさの穴があり、その中に収まっていたのだ。

 なに、この自動机? 

 それとも、机型ロボット? 

 どっちにしろ、いったいなに? 

 台帳が収納された穴は自動ドアのように塞がれた。元の天板になった。


 ジャキッ。


 別の箇所が開いた。中から白い物体がせり上がった。

 机と同じ白色のディスプレイだった。それと……? あたしは、浮いている球体をよけ、机に近づいた。

 椅子側から確認するとやはりディスプレイだ。

 ホワイトスクリーン。画面は真っ白である。

 これはテレビ? それとも――


 ジャキッ。

 ジャキッ。


 ディスプレイを囲む形で、左右にもディスプレイが生えた。

 グニュグニュグニュ。

 うわ。今度は何。

 天板が蠢いた。芋虫の足のようにぼこぼこと。

 キーボードの形が浮かんだ。

 普通のPCパソコン用のキーボードとは違った。キーの数が桁外れだ。キーボードの集合が、一つのキーボードとなっていた。つまり、三面をディスプレイに囲まれた台形状の部分が全てキーボードなのだ。

 気が付いたら、ディスプレイの斜め上にもキーボードが浮いていた。どんな原理だろう? というか、まるで要塞のようなこのPC(?)は、誰が使う代物なんだろう?

 コードは無いので電気が流れているとは思えないが、机はボンヤリ光っていた。起動音はしない。岩が置いてあるかのような静謐感。

「な、なによ、このふざけた景色は! 牛、おまえの仕業?」

「いいえ」

「一体なんなのよ。この風船は!」

 さやきさんは、悪夢を振り払うように、ツインのポニーテールを振り乱す。浮かんでいる光球に平手打ちを食らわせた。だけど、手は光球をすり抜ける。

「なによっ、これ! 頭にくるっ!」

 さやきさんは空を睨む。上空に定位している光球は三十個……。いや、五十個はあった。

「まさか……ッ」

 さやきさんは光球を突き抜けながら玄関側へと走る。

「……そんな! ありえない!」

 下を見て戦慄している。

「牛! どういうことよ! 皆野マチの死体が無くなって――キャア!」

 そのとき、屋上が揺れた。

 ものすごい揺れだった。

 さやきさんは尻餅をつき、危うく転落しかけた。あたしも机にしがみついた。

 

 ず・ず・ず・ずん!!

 

 まただ。この揺れは地震なんて規模ではない。地震だとしたら、この家の下に震源がある。

 ――って、下? 

 まさか。

 

 ドッバアアアン!!

 

「ひゃああーっ!」

 また激震。たまらず机の陰に伏せる。

 今見た光景を疑った。信じられないよ。

 屋上が破裂し、床のタイルが温泉みたいに噴き上がったんだ。

 こなごなの石がボコボコと机に当たった。

 土煙が収まり、あたしは机から顔を出した。

 屋上には人が二、三人通れるような穴があいていた。しかし、驚くところはそこではない。その穴が、工作機械であけたように、きれいに円形だったことだ。

 穴の傍らにマチさんが佇んでいた。

「マチさん!!」

 氷の上で回るように、マチさんは滑らかに振り向いた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ