V:二人の未来
日が暮れ始めた頃、俺達は帰路につき、食堂街に通じる、人の少ない道を歩いた。
「いや〜、今日は楽しかったですね!俺、あんな大きな剥製、初めて見ました!ドラゴンってやっぱりすごいんですね〜!」
そう言ったベルは、まるで先ほどの恐怖を隠すかのようにルンルンと俺の前を歩いていた。俺はそれがどうしても気になって、彼の明るさに付いて行けず、俯いてしまっていた。
ベルはそれに気づいて立ち止まり、少し屈んで俺の顔を覗いた。
「そんな顔しないでくださいよ…俺はこの通り無事ですから」
だが俺は拳を握りしめ、静かに言った。
「それは…たまたま運が良かっただけかもしれないだろ」
「えっ?」
「さっきみたいなことは…珍しくない。賞金稼ぎ同士の取り合いや喧嘩は、よくあることなんだ」
そう…本当に、よくあることだ。俺が浮かれていたせいで、忘れてただけ。
「だから……もう…俺とは関わらない方がいい」
自分で言いながら胸が苦しくなる。でも、こうするしかないんだ。俺の気持ちなんかより、ベルの安全の方がよっぽど大事なのだから。
ベルの瞳や表情が、一気に悲しみに染まった。それを見て、心がズキッと痛む。
「何言ってるんですか、ヴォルグさん…!関わらない方がいいなんて、そんな—」
「お前、さっき死ぬとこだったんだぞ!警察があと一歩遅かったら、一体どうなってたことか…」
「だからって、ヴォルグさんと一緒にいちゃいけないことはないでしょう!」
「俺といたら、また同じことが起こるかもしれねえだろ!」
俺は今すぐベルを抱きしめたい気持ちをグッと堪え、彼に背を向けた。
「俺一人じゃ…お前を守れねえ。お前を危険に晒すのだけは、絶対に嫌なんだ。だから…」
「ヴォルグさん…」
俺は辛さを隠すために笑みを浮かべ、最後に一度だけ、ベルの方を向いた。
「じゃあな、ベル。これからも頑張れよ」
ベルは何かを言おうと息を吸ったが、その言葉が放たれる前に、俺は彼と反対方向に歩き始めた。苦しい。全身に棘が刺さっているような気分だ。立ち止まりたい。引き返したい。けど…
俺は涙を堪えながら、振り返らずに進み続けた。
さようなら、俺の初恋。どうか、俺のいない所で、幸せになってほしい。
———
二週間後。
「あぁ〜、疲れた…何なんだよ、あのミノタウロスは…マジで死ぬかと思ったぜ…」
いつも通りの茶色い革ジャンを着ていた俺は、そうやって独り言をブツブツ言いながら、コンビニ袋を持ってベンチに座った。百獣堂に通わなくなってから、独り言が増えたような気がする。
背負っていた剣を隣に置き、袋からツナマヨおにぎりを取り出し、無表情で食べ始めた。味がしないな。最近は何を食べても美味しいと感じられない。しかも、あっという間に食べ終わってしまう。空腹ではないが、満腹でもない。何のための食事なのだろう。
おにぎりを食べ終え、しばらくぼーっと遠くを見つめた後、袋からタバコのパッケージを取り出した。前に彼が買ったのと同じ銘柄だ。俺はタバコを一本咥え、ライターで先端に火をつけた後、ため息と共に煙を吐き出した。そして、無意識に横を向き、ベンチの空白を見つめた。
あの夜、この場所で、彼は俺と一緒に一服していた。俺はそんな彼と連絡先を交換して、嬉しくなっていた。そういえば、LANEの連絡先も消したんだった。彼との繋がりを、完全に断ち切るために。
俺はまた深くため息をつきながら、ベンチにもたれて上を向き、タバコを指の間に挟んだまま、腕で目を覆った。
ベルに会いたいな…もう一度、彼の優しい笑顔が見たい。彼が作ったどんぶりを食べながら、彼と雑談がしたい。あの鈴の音のような声で、彼に名前を呼ばれたい。
ダメだ。考えていたらキリがない。忘れなければ。この感情も、思い出も、全部捨て去らなければ。
でも…やっぱり痛くて、虚しい。どうしようもないくらいに。だって、ベルだけが、俺のつまらない人生を明るく照らしてくれていたのだ。それを失った今、俺は何のために生きていけばいい?
涙を堪え、しばらく同じ姿勢でいると、突然、誰かがベンチに座る音がした。
「タバコ…一本もらっていいですか?」
俺は腕を顔から離さずに、もう片方の手でパッケージを差し出し、おう、とだけ言った。
隣に座った人物は、どうも、と言ってタバコを受け取った。
その時、俺はようやく気づいた。この声は…俺がずっと聞きたかった、彼の…
腕を離し、バッと横を向くと、そこにはやはりベルがいた。いつものブルーグレーのジャケットを着ていた彼は、ライターでタバコに火をつけ、フゥと煙を吐いた。あの時と同じように。
彼は俺を見て、小さく微笑んだ。
「…探しましたよ、ヴォルグさん」
「ベル…!?お前…なんで…!?」
「俺の質問に先に答えてください」
その表情と声は、ひどく落ち着いている。怒っているのだろうか。当然だ。あんな急な別れ方をしてしまったのだから。
俺は何も言い返せず、ただ黙って俯いた。
「…どうしていなくなっちゃったんですか?お店にも来ないし、LANEしても全く応答がないし…心配したんですよ」
「…前にも説明しただろ。お前を守るために—」
「わかってます!でも…何か別の方法があったはずでしょう?一緒に話し合えばよかったじゃないですか」
「それは…」
ベルは膝の上で拳を握りしめ、少し泣きそうな顔をした。
「関わらない方がいいなんて…勝手に決めないでくださいよ。一人で抱え込まずに、もっと俺を頼ってほしかった。ヴォルグさんの力になってあげたかった。それとも…俺はそれくらいの存在だったってことですか?」
「違う!」
俺は咄嗟に大きな声で言った。まずい。また感情が溢れ出ている。せっかく忘れようと思っていたのに。
「大事だから…幸せに生きてほしかったから、離れたんだ。だって…賞金稼ぎの俺がずっと一緒にいたら、迷惑だろ。お前には、あの店があるんだし—」
「お店はもう畳みました」
俺はその衝撃的な発言に再び目を丸くし、えっ、と呟いた。
「ヴォルグさんのいない百獣堂なんて、ちっとも楽しくありませんから。あ、家もお店の2階なので、引っ越す予定です」
「お前…なんてことしてるんだ!お前の料理を望んでる客は、他にもたくさんいるんだぞ!」
「ヴォルグさんがいなきゃ、何の意味もありませんよ!」
そうやって、今までで一番大きい声を出したベルに、俺は驚いていた。なぜそうまでして、俺と一緒にいたがる?いつもの暮らしを捨ててまで、俺を追いかけようとするなんて…俺みたいな、穢れた人間を…
すると、ベルはクスクスと笑い出し、手で顔を覆った。
「あーあ…俺、すごく自分勝手になっちゃったなぁ……恋をするって、こういうことなんだ…」
俺はピタリと固まった。今のは、俺の聞き間違いか?いや、確かに恋って…
そしてベルは俺の方を向き、頬を赤らめながら、少し恥ずかしそうな笑みを浮かべた。
「好きですよ…ヴォルグさん」
数秒間、時間が止まったような気がした。俺は無意識に呼吸を止め、瞬きもせず、豆鉄砲を食らったような顔でぼーっとベルを見つめていた。
そして、徐々に頬を赤く染める。
「え…えっ…今、好き、って…」
「はい。好きです。恋愛的な意味で」
「お…お前が…俺を…?」
「はい。だから…」
ベルは俺の方へ手を伸ばし、タバコを持っていない方の手をぎゅっと握った。彼の美しい目に、涙が溜まっていく。
「もう…どこにも行かないでください」
これは現実か?俺は今、夢を見ているんじゃないのか?まさか、ベルから先に告白されるなんて…こんなにも必死で俺を求めてくれるなんて…
胸がいっぱいになり、泣きながら笑い出すと、ベルは目を丸くした。
「ヴォルグさん…!?」
「いや…わりぃ……嬉しすぎて、つい…」
俺は袖で涙を拭い、ベルに真剣な眼差しを向けた。
「ごめんな、ベル…勝手にいなくなっちまって。俺も…すげえ寂しかった。ベルと一緒にいるのが、一番楽しくて、幸せなのに…」
「ヴォルグさん…」
俺はタバコを地面に落とし、靴で火を消した後、両手でベルの手を握り、しっかりと彼の目を見て伝えた。ずっと胸の内で声を上げていた、この想いを。
「ベル…俺も、お前のことが好きだ。ずっと好きだったんだ。初めて会った時から、ずっと」
ベルは数秒間固まった後、フッと嬉しそうに笑った。
「…知ってます」
「え…っ!?」
「ヴォルグさんが俺に気があるってことは、前からなんとなく気づいてましたよ。いつも目逸らすし、顔も真っ赤になるし…」
恥ずかしさのあまり、耳までブワッと赤くなった。
「え…あ…そ…れは…」
「でも…直接伝えられると、すごく嬉しいです。両思いだって確信はなかったし、いなくなった時は、結構不安になりましたから…」
「ベル…」
そして俺は、何も考えずに両手をベルの頬に当て、彼と唇を重ねた。彼も一瞬驚いたようだったが、そっと目を瞑り、俺を受け入れてくれた。
「…嫌、だったか?」
ゆっくりと唇を離した後、静かな声で尋ねると、ベルは優しく笑いかけてくれた。
「いいえ」
俺達はそのままもう一度口付けを交わし、互いの愛を確かめ合った。少し冷たい風が吹いていたが、ちっとも寒さを感じなかった。ベルの温もりが、俺を包み込んでくれていたから。顔を離した後、俺達は数秒間見つめ合い、そして笑い合った。
「なんか…お店の後片付けを手伝ってもらった時を思い出しますね」
「そういや、お前、これからどうするんだ?本当に店、辞めちまうのか?」
「う〜ん…また知り合いに出くわすか心配なら、一緒にどこか遠くへ行きませんか?そこで新しいお店を始めるのもいいと思うんです」
「賛成だ。俺もそこで働くことにするよ。賞金稼ぎはもうやめだ」
「えっ…いいんですか?」
「元々そうするつもりだったさ」
ベルはフフッと笑って立ち上がり、ジャケットの内側から取り出した携帯灰皿でタバコの火を消した。
「じゃあ、俺が持ってる料理の知識を徹底的に叩き込む必要がありますね」
「ははっ…そりゃ、大変な修行になりそうだ」
俺達はそうやって、これからの計画を立てながら、一緒に歩き出した。手を繋ぎ、歩幅を合わせ、ゆったりと。




