III:世話焼きな友達
俺は最近、すこぶる気分がいい。なぜなら、店に来る度に、ベルに何度も名前を呼んでもらえるからだ。
「ヴォルグさん!いらっしゃいませ〜!」
「いつものですよね、ヴォルグさん?」
「ヴォルグさん、お待ちどおさまで〜す!」
俺は誇らしげに笑いながら、カウンター席でゆったりと焼肉丼を味わった。前よりもっと美味しく感じる。恋が、俺の味覚をさらに彩ってくれている。夢のような時間だ。ずっとここにいたいな…
すると突然、正面のキッチンではなく、背後からベルの声がした。
「はぁ〜、疲れた〜…」
驚いて振り向くと、いつの間にか空っぽになっていた店内で、ベルがテーブルを拭きながらストレッチをしていた。バッと自分の腕時計を確認してみると、閉店1時間前だった。まずい…浮かれすぎて、こんな遅くまで残ってしまった。これでは、ベルに迷惑をかけてしまう。早く立ち去らねば。
「あ、ヴォルグさん!お会計ですか?」
「ああ…すまない。時間を忘れちまって…」
俺はそう言いながら、慌てて財布を探した。
「いえいえ!ヴォルグさんがいてくれると、俺も嬉しいので!」
俺は目を丸くして固まった。嬉しい…?俺がここにいることを、喜んでくれているのか?それって…もしかしたら、ベルも…?
「いててて…」
俺はビクッとして我に返り、ベルの方を向いた。彼は少し辛そうな表情で、雑巾を滑らせていた右腕を揉んでいた。
「大丈夫か?」
少し近づいて問うと、ベルは無理矢理微笑んだ。
「はい…平気です。ちょっと、筋肉痛が残ってて…」
それを聞いて、心が鋭い刃物に貫かれたような感覚を覚えた。
そうか…ベルは、全ての客に満足してもらうため、常に無理をしているのか。たった一人で料理を振る舞って、たくさんの客の要望に応えて、後片付けもして……俺が想像もできないくらい、大変な仕事なのだろう。
俺も、彼の力になりたい。迷惑かもしれないが、彼の負担を少しでも減らしてやりたい。
俺は拳を握りしめて立ち上がり、ベルの方へ歩き出した。そして、彼の代わりに雑巾を手に取る。
「俺も手伝う」
ベルは驚いて目を丸くした。
「えっ!?いいですいいです!お客さんにそんな…!」
「今は…客とか、そんなんじゃなくて…」
俺は頬を赤らめ、もう片方の手で頭をかいた。
「ただの…世話焼きな友達だと思ってくれて構わねえから…」
ベルはその場で固まっていた。俺もびっくりだ。自分がベルにこんなことを言うなんて…恥ずかしくてしょうがない。でも、今は必要なことだと思ったのだ。ベルに、一人で抱え込んでほしくないから。俺を頼ってほしいから。
すると、ベルは嬉しそうに笑った。
「ありがとうございます…ヴォルグさん」
「おう…気にするな」
俺は目を逸らしたまま、静かにそう返した。
沈黙の中、テーブルを入念に拭いていると、ベルが突然尋ねた。
「ヴォルグさん…うちで働く気はありませんか?」
俺は驚きのあまり、雑巾をシュッとテーブルの端まで滑らせてしまい、前に倒れそうになった。
「は…!?」
「ヴォルグさんがいてくれると、すごく心強いと思うんです!あ、賞金稼ぎの仕事が忙しいなら、無理にとは言いませんが…」
「いや、別に忙しくはねえけど…」
「じゃあ…!」
ベルの瞳がキラキラと輝いている。俺もありがたいし、常にベルと共に働けることを考えると、嬉しくて仕方がない。しかし、よく考えなければ。ベルに雇われるということは、彼に全面的に頼るということなのだ。彼の足手まといになりたくないし、収入を横取りするようなことは絶対にしたくない。
俺は差し出された宝を必死で拒むかのように、目をぎゅっと瞑った。
「でも…ダメだ!」
「どうしてですか?」
「だって俺、料理とかできねえし…それに、お前に金をたかるようなことだけは—」
「ああ、それなら大丈夫ですよ!料理はこれから学べばいいし、お店に入るお金は、ヴォルグさんのお金でもあるんですから!」
「でも…」
「とにかく考えてみてください!俺はいつでも歓迎しますので!」
俺は深く悩みながら、再びテーブルを拭き始めた。一体、どうすればいいのだろう。ベルに快く受け入れてもらえるのは実に悦ばしいことだが、本当にいいのだろうか。こんな俺が、彼の人生の中心に踏み入っても大丈夫なのだろうか。俺みたいに、戦って賞金を稼ぐことしか能がない人間が。
———
安いアパートの、武器や魔法具だらけの狭い寝室。黒いTシャツと灰色のスウェットパンツに着替えた後、その隅にある小さなシングルベッドで仰向けになった俺は、ぼーっと天井を見つめながら、じっくりと考えた。
俺が店で働き始めたら、ベルも少しは楽になるのだろうか。逆に仕事を増やしてしまわないだろうか。そうならないよう、できるだけ自分で料理の勉強をしなければ。
そういえば、自炊したことなんて殆どなかったな。味噌汁の作り方すらわからない。貧乏だったため、賞金稼ぎとしてある程度腕を上げるまでは、いつも適当な物ばかり食べていた。味覚もかなりバグってるかもしれない。
俺は両手で頭を抱え、大きくため息をついた。何が正解なのだろう。何をしたら、ベルのためになるのだろう。わからない…わからないけど——
「あいつと…一緒にいたい」
そう呟いた俺は、拳を握りしめて覚悟を決めた。ベルと共に時間を過ごしたい。毎日彼と話して、笑い合いたい。そしていつか…彼に告白するんだ。
俺はよし、と言って横を向き、ナイトテーブルに置いてあったスマホを手に取った。そしてLANEアプリを開き、ベルにメッセージを送ろうと、画面のキーボードに親指をかざした。
さっきの誘いを受けることにした、と入力するだけだ。大丈夫。俺ならできる。これでいいんだ。これで…
しばらく固まったままだった俺は、止めていた息を吐き出しながらスマホを離し、再び仰向けになった。
ダメだ。やっぱり緊張する。こんな調子じゃ、ベルの隣で働くなんて到底無理だ。まずは俺の見方を変えなければ。彼のことを、遠く、神々しい存在ではなく、一人の人間として見れるようにならなければ。普通の友達みたいに、店以外の場所で時間を共有し、少しずつ慣れていけば、目を逸らしたり吃ったりせずに、彼と接することができるようになるかもしれない。
俺は深呼吸をしてまた横を向き、スマホを拾った。
「よう、ベル。急で悪いが、次の休みっていつなんだ?」
震える指で入力すると、1分も経たないうちに既読がつき、返信が来た。
「ヴォルグさんこんばんは!再来週の日曜は休む予定ですよ!」
再来週か…それまで俺の心臓は無事でいられるだろうか?でも、やると決めたんだ。俺が一歩踏み出さなければならないんだ。
俺は勇気を振り絞り、次のメッセージを送った。
「その日、一緒にどっか行かないか?」
ドキドキする。手汗でスマホが濡れている。誘い方はこれで合ってただろうか?急すぎただろうか?拒絶されたらどうしよう…
すると、数秒後に返信が届き、俺は思わずビクッとした。そして、読み間違えるか不安だったため、画面を顔に近づけた。
「いいですね!どこに行きましょうか?」
俺はパァッと笑い、小さくガッツポーズをした。だがまだ安心はできない。場所を指定しなくては。
俺はクークルでデートスポット…ではなく、お出かけスポットを検索し、返信が遅れないよう、ものすごい速さであらゆるサイトを巡った。遊園地、動物園、水族館…どれもベタすぎるし、ベルと言葉を交わすチャンスが少なそうだ。
そして俺は、とある場所に行き着いた。先月オープンしたばかりの、ドラゴン博物館。ベルは俺が戦った獣について聞きたがっていたし、俺も仕事の話なら長々とできる気がする。しかも、入場料はタダみたいだ。
「これだ…!」
LANEアプリに戻り、素早くキーボードを打つ。
「最近オープンしたドラゴン博物館なんてどうだ?」
「あ、それ!俺も行きたかったんです!」
「よかった。何時がいい?」
「10時はどうですか?そしたら、お昼もご一緒できますし!」
お昼も!?そんな贅沢な……でも、想像しただけでワクワクしてくる。ベルが作った料理を食べるだけではなく、ベルと共に食事ができるなんて…
「わかった。そうしよう」
俺はスマホをぎゅっと握りしめ、慎重に答えた。
ベルは張り切って敬礼している猫のスタンプを送ってきた。
「楽しみですね!」
俺は小さく微笑んだ。
「そうだな」
「では、また明日、お店で!おやすみなさい!」
「おう。おやすみ。また明日」
そうやって会話が終わると、俺はスマホを胸に当て、はぁ〜と息を吐いた。
ベルと二人でお出かけか…楽しみだな。何を着ていこう。どんな話をしよう。今からソワソワして眠れそうにない。




