間話|鉄屑のゆりかご
1
東の空が白み始めていた。
都市の外縁部、法も秩序も曖昧な「グレーゾーン(不法投棄地帯)」。
荒れた未舗装路を走るトラックの荷台で、小型ドローン──トウコは、生まれて初めて「地上の夜明け」を見ていた。
かつての肉体であれば、その光を認識するのに一〇秒かかっただろう。
網膜が光子を受け取り、視神経が伝達し、脳が「眩しい」と判断するまでの、永遠のようなラグ。
けれど、今は違う。
『……光量、増加。色温度、四五〇〇ケルビン。紫外線指数、上昇中』
ドローンの高性能カメラアイは、太陽の光をリアルタイムの数値データとして捉えていた。
情報の奔流。けれど、処理落ちはない。
トウコは自身の演算領域をフル稼働させ、そのデータを「感情」へと変換した。
『綺麗です……』
彼女はレンズを回転させ、荷台で泥のように眠る二人を見下ろした。
マキナは座ったまま腕を組み、チグサは荷台に大の字になって、無防備な寝息を立てている。
サーモグラフィーで見ると、二人の身体からは、生命特有の温かい赤色が滲み出していた。
その体温が、冷たいドローンのボディに触れることはない。
けれど、トウコはその「赤色」を、どんな高解像度の画像よりも大切にメモリの深層領域へと保存した。
そして、二人の傍らに置かれた、業務用の冷凍コンテナ。
中には、配電盤に繋がれたまま息絶えた、トウコ自身の肉体が眠っている。
それはただの有機タンパク質の塊だ。もう魂は入っていない。
それでも、マキナは「置いていかない」と言った。
トラックが大きく揺れ、マキナが目を覚ました。
彼女は瞬時に覚醒し、愛用の拳銃の位置を確認してから、大きく伸びをした。
「……おはよう、トウコ。調子はどう?」
『おはようございます、マキナさん。システム、オールグリーン。……ただ、車両の燃料が残りわずか(イエローゾーン)です』
トウコは少し言いにくそうに、警告表示をマキナの網膜に投影した。
『それに、このトラックの識別信号(ID)は、すでにコーポの追跡リストに登録されています。このまま走り続ければ、明日にも捕捉されます』
「そう。昨日の騒ぎで拝借した車だもの、当然ね」
マキナは悪びれもせず、朝日を睨みつけてニヤリと笑った。
燃料も尽きかけ、身元も割れている。このトラックは、ここまで逃げ延びるための使い捨てだ。
「ここらで乗り換えるわよ。逃げるための『足』じゃなく、私たちが暮らすための『ベース(基地)』にね」
2
トラックが辿り着いたのは、廃棄された重機や車両が山のように積まれた「墓場」だった。
違法解体業者のアジトだ。
プレハブ小屋から出てきたのは、油まみれの作業服を着た巨漢の男。彼は女二人とドローンを見て、鼻で笑った。
「なんだぁ? ここは託児所じゃねえぞ。ミルクが欲しいなら他を当たりな」
「ミルクはいらないわ。欲しいのは足よ」
マキナはトラックの荷台から、ひとつの鉄塊を引きずり下ろした。
それは第13区画での戦闘で回収した、企業の最新鋭戦闘ドローンの残骸だった。装甲にはレアメタルがふんだんに使われている。
「こいつと、そこのガラクタを交換してちょうだい。……お釣りはいらないわ」
「あぁ? ガラクタだと?」
男が凄んで一歩踏み出した瞬間、横にいたチグサが、近くにあったスクラップ用の油圧プレス機に手をかけた。
本来は重機で動かすはずの巨大な鉄板を、彼女は義手一本で「ギギギ」と押し戻し、あろうことか素手でひしゃげさせた。
「あ、ごめーん。ちょっと寄りかかったら曲がっちゃった」
チグサがてへへと笑う。その笑顔は、どんな脅し文句よりも雄弁だった。
「……す、好きなの持っていきな」
男は顔を引きつらせて道を空けた。
スクラップ置き場には、ありとあらゆる時代の、様々な死骸(車両)が山積みになっていた。
ここから、彼女たちの新しい「足」を選ばなければならない。
「ねーねー店長! これこれ! 超カッコよくない!?」
真っ先に声を上げたのはチグサだった。
彼女が指差したのは、塗装の剥げかけた真紅のスポーツ・ホバーカーだ。ボンネットからは巨大なエンジンが突き出し、無駄に攻撃的なウィングが付いている。
「見てよこの流線型! 最高速三百キロだって! これなら追っ手もぶっちぎりでしょ!」
「……却下よ」
マキナは一秒で見切った。
「積載量がゼロよ。それに、そんな派手な色で逃亡生活をする馬鹿がどこにいるの。燃費も最悪だわ」
「えー、塗り替えればいいじゃんかー」
チグサが唇を尖らせていると、今度はドローンのトウコが、ある区画の前で静止した。
『マキナさん、こちらの車両を推奨します。旧連邦軍の強行偵察車両です』
トウコがスキャンしているのは、黒塗りの鋭角的な装甲車だった。見るからに高性能なセンサー類が搭載されている。
『光学迷彩機能を標準装備。レーダー反射断面積は極小。生存確率は、他の車両と比較して八五%向上します』
「……スペックは悪くないわね」
マキナは顎に手を当てたが、すぐに首を横に振った。
「でも、却下。その年式の軍用パーツは、もう闇市場でも手に入らないわ。一度故障したら、ただの鉄屑よ。整備性を考えなさい」
『……申し訳ありません。予算と維持費の計算が漏れていました』
トウコのドローンが、しょんぼりと高度を下げる。
「じゃあどれにするのさー。もうめぼしいのは……」
チグサが退屈そうに辺りを見回したとき、マキナがある一点を指差した。
「あれにするわ」
二人の視線が、その指先を追う。
工場の隅、雨ざらしの場所に放置されていたのは、巨大な灰色の鉄塊だった。
かつては現金輸送車として使われ、その後、特殊清掃車に改造されたあげく、重すぎて廃棄された代物だ。
「えぇ……?」
チグサが心底嫌そうな顔をした。
「なにあの四角いの。ダサっ! ていうか、ゴミ収集車じゃん!」
『スキャン完了。……装甲厚は戦車並みですが、最大速度はスポーツカーの半分以下です』
トウコも戸惑いのデータを表示する。
だが、マキナは満足げにその分厚い装甲を叩いた。
ガン、と鈍く重い音が響く。
「見た目は地味で結構。重要なのは、この装甲厚よ。対戦車ライフルでも抜けないわ」
マキナは車の後部ハッチをこじ開け、広大な荷室を指し示した。
「それに、この広さ。三人分の居住スペースと、武器庫、そして──『コールドスリープ・ポッド』を積むには、これくらいの図体がなくちゃ無理よ」
その言葉に、チグサとトウコは黙り込んだ。
マキナが最優先していたのは、逃げる速度でも、隠れる技術でもなく。「三人」で生き延びるための頑丈さと広さだったのだ。
「……ま、店長が運転するならいいけどさ」
チグサがため息をつきつつ、少しだけ嬉しそうに笑った。
「中はあたしが改造するからね! このままだと刑務所みたいだし!」
3
ここから、三人の「開店準備」が始まった。
それは突貫工事だったが、それぞれの専門分野がいかんなく発揮された。
トウコは車両の制御OSをハッキングし、自分自身のサブサーバーとして最適化する。
チグサは馬鹿力を活かして後部座席を取っ払い、溶接機でベッドとキッチンを強引に設置する。
そしてマキナは、最も重要な「積み荷」の場所を作っていた。
「チグサ、そこの医療用冷却ユニット(コールドスリープ・ポッド)、電源を直結させて」
「えー、そんなの積むの? 場所とるじゃん。トウコちゃんの抜け殻でしょ?」
チグサは文句を言いながらも、丁寧に配線を繋いでいく。
マキナは、トラックから運び出したトウコの肉体を、ガラス張りのポッドへと移し替えた。
冷却液が満たされ、モニターに心電図(フラットラインだが、保存状態を示す数値)が表示される。
「これは『生体認証キー』よ。いつか企業のメインサーバーに入る時、この子の網膜とDNAが必要になるかもしれない」
マキナはそう言って、ポッドの温度設定を慎重に調整した。
『……マキナさん』
ドローンのトウコが、モニター越しに話しかける。
『それは非効率です。私の指一本だけ切り取って保存すれば、スペースは90%節約できます』
トウコの合理的な提案に、マキナは眉をひそめて、デコピンするようにドローンのボディを弾いた。
「却下よ。……バラバラ死体を乗せて旅をする趣味はないわ」
「そーそー! それにさ、このポッド、隙間にアイスとか入れとけば冷蔵庫代わりになるし!」
「チグサ、貴方を入れるわよ」
ポッドの中のトウコは、まるで眠っているだけのように安らかだった。
10秒遅れの世界で苦しんでいた表情は消え、静かな時の中で停止している。
それを、ドローンのトウコが見つめている。
奇妙で、けれどどこか神聖な光景だった。
4
改造を終えた頃には、太陽は中天に昇っていた。
無骨だった装甲車は、内装だけは生活感のあるキャンピングカーへと生まれ変わっていた。
外装は元の灰色のままだが、ドアにはチグサが勝手に描いた、下手くそな「猫のマーク」がステンシルされている。
車内で、最初の休息。
ありあわせの機材で沸かしたお湯で、三人はインスタントコーヒーを飲んだ。
トウコ(ドローン)は車両のスピーカーからジャズを流し、空調を完璧に制御して「快適な温度」を二人に提供する。
「ふぅ……生き返った」
チグサがソファ(元・運転席シート)に沈み込む。
「ねー、この車、名前どうする? 『スーパー・チグサ号』とか?」
『形式番号はXC-90ですが……』
「『ミルキー・ソリューションズ』」
マキナが、コーヒーカップを置いて宣言した。
「私たちの新しい屋号よ。何でも屋兼、移動販売車。……そして、この車の名前」
「げっ、またミルキー? 店長、あの店の名前気に入ってたの?」
「看板代が浮くでしょ。ロゴデータは残ってるんだから」
マキナは合理性を装っていたが、その表情は少しだけ柔らかかった。
壊された場所の名前を、もう一度背負う。
それは彼女なりの、過去への落とし前であり、再出発の誓いでもあった。
エンジンがかかる。
重厚なディーゼル音が唸りを上げ、灰色の巨体が動き出した。
目指すは、都市の深部。
法も秩序もないけれど、自由だけがある場所。
後部のコールドスリープ・ポッドが、青白い光を放ちながら静かに振動している。
それはまるで、鉄屑のゆりかごのようだった。
「さあ、行きましょう。稼ぐわよ」
「へいへい、ブラック企業の始まりだー」
『ルート計算完了。……安全運転でお願いしますね、マキナさん』
荒野に砂煙を上げながら、「ミルキー・ソリューションズ」号は走り出した。
その背後には、役目を終えた盗難トラックと、彼女たちの古いID(過去)が置き去りにされていた。




