終章|幽霊たちの凱旋
1
戦闘音は止んだ。
静寂が戻った地下街に、おずおずと人々が戻ってきた。
瓦礫の山から顔を出したのは、顔中絆創膏だらけのゲンさんや、商売道具を失った露天商たちだ。
彼らは、破壊された「ミルキー・キオスク」と、そこに佇むマキナとチグサを遠巻きに囲んだ。
誰も近づこうとはしない。
その視線にあるのは、感謝だけではない。
恐怖。戸惑い。そして、埋めがたい距離感。
企業の軍隊を単独で壊滅させるような「兵器」を、隣人として受け入れることは、平穏を望む彼らにはあまりに荷が重すぎた。
「……あーあ」
チグサが、彼らの視線に気づいて、わざとおどけたように肩をすくめた。
彼女の全身からは硝煙が立ち上り、その義手はどす黒い血液とオイルで汚れている。
「バレちゃったね。これじゃあもう、ツケで焼きそば食えないや」
マキナは何も言わず、ただ一度だけゲンさんに軽く頭を下げた。
謝罪ではない。ただの、別れの挨拶だ。
ゲンさんは何かを言いかけたが、喉を鳴らしただけで、言葉にならなかった。
マキナはトウコの「遺体」が入ったコンテナを積み込み、チグサを促して裏口のトラックに乗り込む。
エンジンがかかる。
トラックが動き出したとき、背後でようやく、誰かが叫んだ。
「……ありがとな! 姉ちゃんたち!」
「元気でやれよ! 達者でな!」
それは、街からの精一杯の餞であり、同時に「もう二度と帰ってくるな」という絶縁の言葉でもあった。
ここに彼女たちの居場所は、もうないのだ。
マキナは振り返らなかった。
チグサだけが、荷台から大きく手を振っていた。
2
遠ざかる第13区画の街明かり。
荷台の隅で、ふわりと小型ドローンが浮かび上がった。
青く点滅するレンズが、マキナとチグサを見つめている。
『……お待たせしました、マキナさん、チグサさん』
合成音声。けれど、その少しはにかんだような抑揚は、間違いなくトウコのものだった。
『脱出用のルート、確保しました』
「トウコちゃん! 新しいボディの調子はどう?」
チグサが尋ねると、ドローンは空中で一回転してみせた。
『悪くありません。……何より、軽いです』
トラックは廃棄された地下道を疾走する。
守りたかった日常は壊れた。人々は彼女たちを恐れ、遠ざけた。
それでも、彼女たちはトウコという新しい「家族」を守り抜いた。
「さて。これからは三人分の食費と、バッテリー代を稼がないといけないわね」
マキナが呆れたように言い、焼け残りのビールを開けた。
「ねえねえ」
チグサが、ドローンを突っついた。
「トウコちゃん、データになっちゃったけどさ。ご飯とかどうすんの? 電気だけ?」
ドローン──トウコは、少し考えるように空中で停止してから、答えた。
『……必要です』
「えっ、食べるの?」
『物理的には食べられません。でも……「美味しい」という概念データを取り込まないと、私の自己定義が崩壊してしまう気がするんです』
トウコの声は真剣だった。
あの時、お弁当を食べてから一〇秒後に感じた、あの温かさ。
泥のようなコーヒーの苦味。
それが、彼女を人間として繋ぎ止めていた最後の楔だった。
『だから、シミュレートします。お二人が食べている姿、香り、音……それらを解析して、私の演算回路の中で「味」として再構築するんです』
「へぇー! なんか難しそうだけど、要するにグルメレポーターやれってこと?」
『覚悟してください。マキナさんの奢りなら、きっと最高級のデータの味がしますから』
「……調子に乗るんじゃないわよ、クソガキ」
マキナの悪態は、ちっとも怖くなかった。
トラックが段差で大きく揺れる。
三人は顔を見合わせ──マキナとチグサ、そして青く光る一つ目──、夜の地下道に笑い声を響かせた。
死に損ないの幽霊たちと、深海へ還った魚。
彼女たちの旅は、まだ始まったばかりだ。
目指すは、この都市のさらに深く、誰も知らない「底」の世界。
そこでどんな日常が待っていようとも、きっと彼女たちの食卓には、温かい「味」があるはずだ。




